第六話 01

「私がヘルマン騎士団団長、バウティスタ・フォン・キルヒアイスだ。イエヤス殿、エレオノーラ殿、今日は皇国を統べるグナイゼナウ枢機卿猊下とアンガーミュラー国王陛下の連書を持参した――余計な接待など騎士の私には不要。早急に返答頂きたい」

「まあ、お若いのにお役目大義ですこと。近頃は皇国と王国の間にいろいろと軋轢が生じていると伺いますが、団長殿が双方の間に立って調整されておられるとか」

「軋轢などない、エレオノーラ殿。陛下は、大陸北部を統べる王に封じられて以後も皇国に忠誠を誓っておられる」

 エッダの森にある七つの丘のうち、もっとも眺望がよく手入れが行き届いているエレオノーラの美麗な荘園に騎士団長率いる使節団を招いた家康は、

(まさか、騎士団長がうら若い女性だとは!? ぬかった! 俺はおおかた加藤清正のような無骨な男だとばかり……やはり文化が違う!)

 と内心動揺していた。

 バウティスタ・フォン・キルヒアイスは、先の大戦で不運の戦死を遂げた「常勝将軍」ワールシュタットの唯一の実子。ワールシュタットには男子の後継者が不在だったため、彼女が騎士団を引き継いだのだ。人間であることは、尖っていない耳を見ればわかる。東洋人とは似ても似つかないが、くっきりとした目鼻立ちや女性離れした長身はオランダ人に似ていなくもない。何よりも、南蛮絵画のように鮮明な二重瞼と鷹のように鋭い視線の持ち主だった。

 戦国時代の日本にも、稀に女城主は存在した。家康に忠誠を誓い息子の井伊直政を家康に推挙した井伊直虎などだ。だが、バウティスタのように全身を甲冑で纏い騎士団を率いる本物の女武人には家康は出会ったことがない。

 陣中に気心が知れた女性がいてくれないと安心できない心配性の家康は、側室に甲冑を着せて戦場に連れて来ていたものだが、それは将兵たちの目を憚ってのことで、もちろん側室に戦闘させたことなどはない。

「書状の内容は単純なものだ。異教徒の疑いがあるイエヤス殿を皇国に差し出すか、さもなくばエッダの森からエルフ族が即時退去するか。今日この場でご返答頂く」

「まあまあ、バウティスタ様? まだ陽が落ちるまで時間がございますわ。どうぞエルフ族の名物料理をご堪能くださいませ。こちらはエッダの森でしか獲れない希少な川魚を妾の荘園で育てたキエロの花弁に包んで蒸したもの。王侯貴族の宴会だけで提供される貴重な料理ですの。そして、こちらの茶は年に数日しか咲かないオルヴォッキの花弁を一年間熟成発酵させた――」

「これはエレオノーラ殿の心尽くしの接待、痛み入る。さすがはエルフ族随一の歴史を持つ名門貴族。しかし! 異教徒の容疑をかけられているイエヤス殿は、いったいなんのつもりでそのような無礼な格好をしている!? 私を若い娘と侮って愚弄しているのか?」

「いえ、これは……俺はあくまでも、三河流のもてなしを……愚弄するつもりはない」

 世界は違えど、武人の笑うツボは共通のはず。加藤清正や福島正則のような荒武者ならば、わが宿老・酒井忠次の持ち芸だった必殺の「海老すくい踊り」を披露すれば虚を突かれて爆笑させられるはず。

 家康はそう確信し、急遽制作させた海老の着ぐるみを全身に着込み、腕の鋏をぶらりと垂らしながらエレオノーラの隣に猫背気味に立って、騎士団長が荘園に準備された宴会場に到着すると同時に滑稽な海老すくい踊りをはじめる手筈だった。

 だが、いざ現れた騎士団長は若い女性で、かつ険しい表情を崩さない生真面目な騎士だったのである。なぜ正装していない、そのバカみたいな格好はなんだ、ふざけているのかと白い目で家康を睨んでいる。

(滑った! 若い女性同士、感性が合うエレオノーラに全てを託すべきだった!)

 吝嗇な家康の趣味は常に実用第一で、猿楽だけは踊り好きの信長や秀吉に合わせて修得したが、茶の湯のような数寄の文化は「無駄な上に銭がかかる」と断じてさほど興味を持たなかった。お祭り好きの秀吉から芸を要求されて困った時には、三河伝来の田舎芸・あじか売り踊りや海老すくい踊りを演じて「日頃は生真面目な家康殿の必死な形相、誠に滑稽」と笑いを取って(というか笑われることで)乗り切ってきた。

 だが、田舎芸一本の家康は高貴な女性を接待することを不得手とする。もしも淀君を笑わせることができていれば、家康は大坂城を攻め滅ぼさなくても済んだだろう。

「ちょ、ちょっとイエヤス~? 滑ってるじゃんっ! なに、なんなのその怪人みたいな格好? なんで海老? 私が華麗に踊るから機嫌を直してくださいねっ騎士団長殿! どーもー、王女のセラフィナでーすっ!」

「世良鮒こそ、その未開の蛮族のようなはしたない格好はなんだーっ? なぜ獣のかぶり物を被っている? 嫁入り前の娘が臍を出すな! 鼻からぶらさげた輪っかはなんだ?」

「ふっふっふー。これはね~、荒ぶる山の民ドワーフ族の民族衣装を私なりに独自解釈した踊り子専用衣装だよ、はしたくないもん! 見て見てイエヤスゥ、荒ぶる野生の踊り! ウラ! ウラウラウラ! ベッカンベー!」

「……酒井忠次の田舎芸と大差ないな……お前、今のままでは嫁にいけんぞ」

「うっさいわねー! 原始の衝動を全身で表現してるんじゃん! まさに踊る芸術!」

「せ、セラフィナ様? その独創的過ぎるお姿はドワーフでもなんでもありませんわ! ドワーフに怒られますわよ? 妾はセラフィナ様の教育を誤ったようです。森に閉じ込めるのではなく、積極的に外界に送りだして様々な異種族と交流させるべきでしたわ……」

 エレオノーラが自分のこめかみを押さえながらため息をついた。エッダの森に亡命して以来、籠城策を徹底してきたエルフは異種族とほとんど交流していないのだ。

 セラフィナの(本物のドワーフが見たら「全然違う」と憤慨必至の)自己解釈したドワーフ姿はともかく、騎士団長バウティスタは海老の着ぐるみを着てのこのこと顔を出した家康に激怒していた。

「異教徒の容疑をかけられている指名手配者が、なんという非礼! 海老踊りなど無用、イエヤス殿! 私はモンドラゴン皇国を統べる教団への信仰に魂を捧げた修道騎士だ! 人間でありながら異教徒となり、恥も外聞もなく異種族のもとに逃げ込む貴殿を捨ててはおけない!」

「暴痴州殿。俺は異世界から来たばかりなのだ、いきなり異教徒呼ばわりされても困る。俺は、皇国や教団とやらの存在すら知らなかったぞ?」

「それは詭弁だ! 枢機卿猊下が主張する『聖マスカリン預言書』の解釈によれば……」

「だから、そのような預言書の存在も俺は知らなかったのだ」

「では、どうやって異世界からわれらの世界に来た? 『目覚めたらいつの間にか勇者として召喚されていた』などと安直なことは言うまいな?」

「『女神』を自称する胡散臭い女に拉致され、無理矢理にこの世界へ送られたのだ」

「モンドラゴン皇国は、龍神を唯一神として信奉している。そのような怪しい異教の女神の存在など認められない。その言、証明できるのか? 女神を呼び出してみよ!」

「……俺をこの世界に放りだした後、連絡が途絶えておるのだ。どうやら、あやつは直接この世界には干渉できんらしい」

 家康は言を左右に、のらりくらりとバウティスタの鋭い舌鋒を躱し続けた。

「……もういい、何日議論しても終わりがない。古来、武人と武人は剣で語り合うもの! 言い訳は無用、今この場で、剣で手合わせを願おうイエヤス殿! まずは勇者としての実力を示してみせよ!」

「ううむ。容姿は乙女でも、やっぱり福島正則の類いであったか……」

「私に勝てば、逮捕せず見逃すと誓う。ただし、私に負ければ問答無用で捕縛する!」

 ふえええええ~この騎士様は目つきが怖いよ~ずっと怒ってるぅとセラフィナが半泣きに。確かにセラフィナとバウティスタは水と油。家康はつい笑みを浮かべていた。

「おお~イエヤスってば、余裕の笑み? わかったー! 勝算があるんだねっ? さっすが~無敵の勇者様なんだからあ~! その勝負、エルフ王女セラフィナ様が請けたー!」

「待て、世良鮒! 勝手に一騎打ちを請けるなーっ! 俺をなんだと思っているのだ、お前はっ?」

「そ、そうですわセラフィナ様? もしもイエヤス殿が敗れたらどうなされるのです?」

「だいじょうぶだいじょうぶ! スライムもワイバーンも倒しちゃうイエヤスだもの! 騎士団長にだって勝てるって! 私は、イエヤスの剣裁きをこの目で見てるもんねー!」

 よもや王女に逆らって逃げたりはしないだろうな、とバウティスタがじりじりと逃げ腰になって後ずさる家康を睨んできた。ええい、どうにでもなれ、と家康は開き直った。

「……直ちに海老の着ぐるみを脱いで甲冑に着替える、しばし待ってくれ」

「さっさと着替えろ! って、乙女の前で下着姿になるなあっ! なんだその黄色い下着は? 下劣! 下品! 粗野! ききき貴様、偽勇者だなっ? 異教徒とはいえ仮にも勇者たる者が、そんな汚れた下着など履くはずがない!」

「武士どもを束ねているのに、男の下着姿は見慣れてないのか? 複雑なものだな、騎士団長という役職は。これは最初から浅黄色に染めたふんどしだ、汚れてはいない。なにも問題ない」

「問題大ありだっ! 黄色い下着などあるかーっ! どういう趣味だ?」

「うむう、わが倹約の美徳はこの世界の人間にも通じぬか。金陀美仏胴具足をもてーい!」


 セラフィナが「あわわ。勝負は宴会の後でいいじゃん? ほらほら騎士団殿、一緒にドワーフ踊りを踊ろうよう? エレオノーラが準備したお料理が冷めちゃうよ? 笑顔、笑顔!」と接待しようとすればするほど、バウティスタは「誇りはないのか王女よ。それが無茶な要求を持ってきた使者に対する態度か? エルフ族には付き合いきれない」と憤慨し、ますます家康への闘志を燃やす。

「やむを得ません。イエヤス様に勝って頂かねば交渉が進みませんわ」ととうとう折れたエレオノーラが宴会場を急遽闘技場へと模様替えさせて、一本勝負が開始された。

 家康はしかし、試合開始直前にエレオノーラから「セラフィナ様は知らないことなのですが、実は……」と驚愕の事実を告げられて「なんだとお? それを先に言えーっ!」と癇癪を爆発させそうになった。

 この世界での剣士の試合に、竹刀や刃引き刀での勝負はない。互いに真剣を使用する。分厚い甲冑を着込んでいるとはいえ、命を賭した勝負だというのだ。

(しまった。エレオノーラは、セラフィナに軍事絡みの知識を与えずに王女として育てておったのだな。迂闊であった……!)

 家康は、己の慎重さがまだまだ完成に程遠いことを悔いた。

「ぐえ~っ? うっそだ~? ごめんねぇイエヤスぅ、潔く降参しようよぅ!」

「もう遅い、世良鮒。騎士団長は最初から俺との一騎打ちで片を付けるつもりだったのだ。どのみち避けられぬ勝負よ」

一騎打ち、開始。


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