第四話 08

「エッダの森の岩盤は容易には崩れませぬが、柔らかくて掘りやすいのですじゃ。エルフは自然を荒らすことを嫌いますが、その気になればいくつもの地下道を掘ることが可能でしょうな。足下にはくれぐれもご注意くだされ」

「ほう。まさしく自然の驚異、とてつもない規模の鍾乳洞だな。青く輝く地底湖が美しい」

 狭く険しい地下通路を潜り抜けて、ようやく目的地に到着した家康は息を飲んだ。

 家康に同行し、はじめて「地下神殿跡」を訪れたセラフィナとエレオノーラも唖然とした。想像以上に巨大な地下空洞だ。しかも、完全な形で古代神殿遺跡が保存されている。

「田淵殿、ここなら人目を気にせずなんでも語らえるな。魔王軍について教えて頂きたい」

「おびただしい黒魔力・カタラを消耗するオークの魔王グレンデルは、三十年活動しては三十年休息する体質なのですじゃ。故に大厄災戦争は、三十年の第一次戦争・三十年の休止期・三十年の第二次戦争と続きました。ですが実は、エルフの伝説に『勇者現れる時、魔王もまた目覚める』と伝わっておりましてのう……これは儂だけが知っている秘中の秘ですじゃ」

「ぐえーっ? ということは、勇者イエヤスが召喚されたから、魔王ももうすぐ目覚めるってことなの、長老様ぁ~? たたたたったた、大変だああああ~!?」

「そんな? 前回の停戦以来、今年で十年ですから、あと二十年は眠っているはずでしたのに。破滅の時が目の前に迫っているということですの? 王都陥落戦で大打撃を追ったエルフ軍は、全軍をかき集めても四千から五千が限度。しかも名だたる将軍や魔術師の多くは既に戦死して、実戦経験のない新兵が大多数ですのよ?」

 セラフィナもエレオノーラも、衝撃の事実を打ち明けられて血相を変えた。

「どうしよう、どうしようエレオノーラぁ~? 人間族だけでもいっぱいいっぱいなのにさあ~? 元老院の議員たちの智恵でなんとかできるぅ?」

「セラフィナ様。いくら智恵を振り絞っても、国庫はほぼ空っぽですの。それに、肝心の兵が足りないのでは……エルフ族が多産な種族でしたら、十年で回復できていたのですが」

 ターヴェッティは(頃はよし)と頷きながら家康に提案していた。

 家康は(ターヴェッティ殿に追い込まれたな)と苦笑しながら、長老の言葉を聞いた。

「兵士の数も重要ですが、戦においては実戦経験の有無が決定的な差となりましょう。それはイエヤス様もよくご存じのはず。困難な任務であることは承知しておりますが、軍を率いる大将軍職に就いて頂けませんかな?」

 ターヴェッティはうっすらと目に涙を浮かべていた。

 関ヶ原決戦の直前、西軍を立ち上がらせるための餌とした伏見城に残していく幼馴染みの忠臣鳥居元忠の手を握り「徳川のために死んでくれ」と涙ながらに頭を下げた時の胸の痛みを、久方ぶりに家康は思いだしていた。

 今の家康には、あの夜に家康の命令を快諾した元忠の気持ちがよくわかった。困ったことに、それほど家康はセラフィナを生かしたいらしい。

「……わかった。幼い世良鮒たちを森まで導いた田淵殿の言葉を信じよう。俺は、えっだの森を守るために、謹んで大将軍職をお請けする」

 やったああああ! とセラフィナが跳びはねた。歓喜の踊りを踊っている。

「ほっほっほっ。この話を告げれば必ず受けて頂けると思っておりましたわ」

「ただし、ひとまずは人間との争いを治めるまでの期間限定としてもらいたい」

「慎重ですな。魔王軍と戦って勝利する自信はありませぬか」

「相手も知らぬうちに確約はできない。俺には卓越した将器などない。俺が真の勇者ならば、戦国日本を五十年で統一できていた。四十九年の生涯を戦い続けて強敵をことごとく倒し一代で日本をほぼ平定した信長公や、その信長公の遺志を継いで驚くべき速度で日本の統一を達成した太閤殿下こそが勇者だった――俺は健康を追求した結果、たまたま他の武将よりも長く生き延びたため。年の功で天下が勝手に転がり込んできたに過ぎん」

「この老いたターヴェッティの耳には、前世で天下統一を果たしながらも左様な謙虚な言葉を本気で口にしておられるイエヤス様こそが誠の勇者であるかのように聞こえますがのう。それに――この話は長くなります故、平穏な時に二人きりでゆっくりお伝えしたいのですが、あなたとセラフィナ様の出会いは偶然ではないでしょう。イエヤス様は、この世界に満ちるプネウマによって導かれたのでしょうな」

 俺は現実主義者。ぷねうまだの「女神」だのといった怪力乱神を語らずだと家康は興味なさげに答えていた。だが、ターヴェッティの言葉は妙に心に染み込んでくる。

「長老様の言葉は相変わらずふがふがしててわかりづらいけど、イエヤスぅ? いよいよ大将軍になってくれるんだねー? ありがとーっ! 騎士団も、イエヤスが正式に大将軍に叙任されれば身柄引き渡しを諦めるよねっ?」

「そう簡単にはいかないだろうが、牛歩となって一歩ずつ確実に慎重に前へ進んでいく。それが俺の流儀だ」

「……はあ。なんとも中途半端ですわね、イエヤス様。魔王軍撃破こそが勇者の使命であるはずですわ。あなたは武人でありながら慎重過ぎて、妾も元老院議員全幅の信頼を置きかねますわ。書状での引き渡し通告を拒否すれば、騎士団は外交使節団を送り込んできますのよ。無論、使節団との交渉が決裂すれば開戦。どう申し開きするのです? まさか、使者を門前払いするなどという非礼な真似に及ぶおつもりですの?」

「阿呆滓よ。その件については俺に考えがある。夜も更けたし、今宵はもう休もう。明朝俺は元老院に戻り、議員たちに大将軍就任と人間に対する外交方針を告げる。今日のように騒乱状態にならぬよう、彼らへの根回しをよろしく頼むぞ」

「……承知致しましたわ。貴族たちは夜になると街の酒場で議論に耽りますの。妾が根回しをしておきますわ。ですが、あなたはどこに泊まられますの? 宮廷には一応、貴人用の寝室がありますけれど?」

「ふむ、宮廷で寝るのはどうも落ち着かんな。もっと気安く眠れる宿はないか?」

「街には宿屋もございますが、人間が送り込んだ刺客や反人間主義派のエルフに襲われる可能性もございますわ。危険なのでお勧めはできませんわね。大至急、安全な土地を選んでイエヤス様の屋敷を建設致しますわ」

「それは有り難い。だが、屋敷ができあがるまで俺はどこで寝泊まりすればよい? さすがに太閤殿下のように一夜では建てられまい」

「だったらイエヤスぅ、しばらくの間、王家の荘園に建ってる私の家に泊まるといいよー! 狭くて散らかってるけどさー、イエヤスの寝室くらいなら準備できちゃうからっ! 私の家ならばぁ、エルフは絶対に攻めてこないって! なにしろ私ってば王女様だからねーっ!」

「ちょ。セラフィナ様っ? いけません! 若い男女がひとつ屋根の下でなんて、そんな? 別の意味で危険ですわよっ?」

「問題ない阿呆滓。俺は外見は若いが、中身は田淵殿くらいの年寄りだ。だいたい、このお子さま相手に妙な気を起こす男などおらんだろう。俺の前世で世良鮒に近づけてはならん男は、前田利家殿くらいだ」

「私はお子さまじゃないもーん! それじゃあ安心安全なユリ家へ行こう、行こう~!」

「ちょっとお待ちくださいセラフィナ様? そのマエダトシイエって誰ですのっ?」

「あ、いや。それは……前田殿は四歳の幼女に一目惚れして、相手が十二歳になるや否や結婚し、即座に手を付けて子供を産ませたという稀代の変人でな……しかも『俺の妻は全身がお餅のようにつるつるで最高だ』など面妖な自慢をしまくっておった。さしもの信長公も『子供に子供を産ませるとは、なにを考えているのだ』と激怒されておられた……」

「ちょ。人間って十二歳で子供産めるのおお? 人間の結婚適齢期は十五、六じゃなかった? ヘンタイだよおおおおお~!」

「あ、あ、ああああ? やはり人間は信用なりませんわ、なんという凄まじい色欲……! セラフィナ様、いけませんわ! イエヤス殿を家に泊めるんど、とんでもない!」

「……俺にはそういう趣味も気力もないので安心してくれ……中身は七十過ぎだぞ……」


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