第五話 01

 エッダの森に七つある丘陵のひとつが、王家所有の荘園。セラフィナの屋敷はその荘園内に慎ましくぽつんと建っていた。木々に覆われた、木造の小さな家である。

 食事を摂り、くつろぐための大部屋も、まるで質素そのもので飾り気がない。吝嗇家の家康の性分にはよく合っていた。

 ちなみに厩にはスレイプニルと、そして捕獲したスライムを隣り合わせで泊まらせている。明らかに一角獣とスライムは相性が悪いらしく、互いに激しく呻り合っている。家康は、早急にスライム牧場の用地を手に入れねばなるまいと思った。

「ユリ家のお屋敷にようこそ~! はいはいイエヤスぅ、履き物は脱いで、内履きに履き替えてね~? 適当に座って、座って!」

「ほう。畳敷きではないだろうとは思っていたが、南蛮椅子を用いるのか。だが南蛮人と違って履き物を脱ぐ習慣があるとは。えるふは日本人並みに清潔好きなのだな」

「えー、当たり前じゃん? エルフは土足で家に上がり込んだりしないよー!」

「えるふのそういう綺麗好きなところは、俺の性分に合っているな」

「黄色いふんどしを履いてるイエヤスが、綺麗好きなの~?」

「色と清潔さは関係なかろう。だが世良鮒、ここはほんとうに王家の屋敷なのか? 狭いとは聞いていたが、思ったよりも狭いぞ」

「ほっとけ~! 確かに広さはアフォカス家の屋敷の十分の一以下だけどさっ! 下手したら百分の一ぃ? お風呂は左手の通路の向こうで、イエヤスの寝室は右手の奥の部屋ね! 物置部屋だからいよいよ狭いけれど、文句言わない!」

「……物置部屋に寝かされる勇者か……やむを得んな。阿呆滓に『絶対に世良鮒様と同じ部屋で眠らないように。そのような無礼を働けば問答無用で死罪ですわよ』と執拗に脅されたからな。秀頼を大坂城から追い出そうとは何事かと逆上した淀君のような恐ろしい形相だった。前田殿の話などしなければよかった……」

「エレオノーラは過保護なんだよ~。まあ、クドゥク族みたいに十二歳くらいで成長が止まる異種族もいるしねー。人間で十二歳出産は珍しいというか聞いたことないけどね!」

「ほう。エルフも十八前後で老化が止まると聞いているが、そんなに早く成長が止まる種族が? この世界にはいろいろな異種族がいるものだな。どうやって子供を作るのだろう。みな前田殿のような趣味の持ち主ばかりなのだろうか……」

「いやいや、そういうヘンタイさん団体の種族じゃないよ? 外見と中身の年齢って、種族によって違うからねー。エルフは十八から二十で成長が止まるけど、結婚適齢期はもっとず~っと先なんだー。超晩婚なの。まあそういう意味では、私は確かに子供だねっ!」

 悪いがお前の身体は明らかに十八歳にも達していない、実はクドゥク族ではないのかと家康は疑った。

「え~、違うよー! 私の身体はまだ成長するよ、きっと! 二年後にはねえ、エレオノーラみたいな八頭身の美人さんになるんだー!」

「哀しい夢だな。現実を見ろ。全てはそこからはじまるのだぞ」

「んも~! まだわかんないじゃん、イエヤスってば悲観的なんだからぁ!」

 ぐぅ、とセラフィナのお腹が鳴った。

「ほらほら、私の胃袋が栄養を求めてるっ! 成長期は続いてるよー!」

「確かに堅苦しい宮廷から離れたせいか、急に腹が空いたな」

「そだねー。うちには料理人とかいないからぁ、お腹が空いたなら台所でお料理を作っちゃう? イエヤスはお肉を焼くのが上手だもんね! スライム肉、焼いちゃう? いくら削っても再生するから、い~っぱい食べられるよ~!」

 スライム肉は昼にさんざん食べた、夜は粗食で済ませたいと家康は固辞した。

「肉食は身体によいが、何事もほどほどが一番なのだ」

「そっかー。そだねー、それじゃーエルフ族の郷土料理をお勧めするよ! お野菜とキノコが中心だからぁ、イエヤスの健康志向にもぴったりだと思うよ~?」

「だが、米も味噌もないのだろう? この世界の食材のことは、俺にはまるでわからん」

「だったら私に作らせて! イエヤスに助けてもらったお礼だよ! これでもけっこうお料理は得意なんだー! お掃除は苦手なんだけどねー。どんどん散らかっちゃう」

「うむ。明らかに掃除中に思い出の品物を見つけて夢中になり、当初の目的を忘れる性格だな」

「ほっとけー! その通りだけどさっ! いいから夕食を作ろう作ろう! イエヤスにも、この世界のエルフ料理について教えてあげる~!」

「うむ、医食同源。食事こそは運動、調薬と並ぶ健康のための必須技能。よろしく頼む」


 セラフィナに案内された厨房もなかなか狭かった。

 家康の大好物は、故居岡崎の名物・八丁味噌と、堅い玄米である。

 だが当然ながらいずれも厨房にはない。「じゃじゃーん!」とセラフィナがどや顔で紹介してくる食材は、家康の世界の食材とは微妙に違う奇妙なものばかりだった。このまま永遠に味噌と玄米を食えないのかと思うと、家康は手が震えてきた。禁断症状であろう。

「コメはないけれどねー、全粉麦『ケラケラ』を小さな粒状に捏ねて炊き上げたものがエルフ族の主食なんだよ! 人間族にとって毒になる食材はないから安心してっ!」

「ふむ。けらけらとは、妖怪のような名前だな。麦と言っても、俺が食してきた麦とは形も大きさも全然違うな。一粒一粒の紋様が、まるで笑っているように見える……」

「そうそう。かわいいでしょっ? 時々『食べないで~』って涙目で訴えられてるような気分になっちゃうけどねっ!」

「珍妙な見た目はともかく、茶色い穀物は総じて健康によい」

「練ってパンにすることもあるけれど、ま、どういう調理法を選ぶかはその時の気分次第だねっ! ちゃっちゃと炊いちゃうから、お野菜でも切りながら待ってて~♪」

「うむ。ところで大豆はないだろうか。大豆さえあれば、味噌を造ることができるのだが」

「うーん、ダイズはないなあ。ねえねえ、そんなにミソが恋しいの~? どんな料理~? 見た目はどんな感じ~?」

「有り体に言えば、糞のような感じだ。茶色くてどろっとしていて、そして味は苦い」

 ぐえっ、とセラフィナはヘンな悲鳴を上げた。

「ウン●じゃん! それ、ウン●じゃんっ! イエヤスの世界の人間さんって、やっぱりヘンタイさん揃いなんじゃんっ!?」

「ち、違う! 確かに見た目には似ているが、全然違う! 味噌は、大豆を発酵させて作る万能食にして主要な栄養源なのだぞ? 特に戦場では役に立つ。焼き味噌を湯漬けに入れるだけで、戦場飯のできあがりなのだ!」

「ホントにぃ~?」

「それに、戦場で恐怖のあまり脱糞してしまった姿を家臣に見つかって笑いものにされた時に『違う、これは焼き味噌だ』と言い張れるしな」

「ぐえーっ? やっぱウン●モドキなんじゃんっ!?」

「い、今のは、た、喩え話だ(大嘘)! 子供か、お前は!?」

「私はそこまでお子さまじゃないもん! 家康がミソの話ばかりするからでしょっ!」

「わが魂の八丁味噌を愚弄するでない。俺は必ず、いつか本物の八丁味噌をこの世界で製造してみせる。そして、異世界の料理史に名を遺すのだ!」

「……勇者として名を遺してくんない? ほーんと、ヘンな勇者様なんだから~」

 八丁味噌は、家康にとって絶対に欠かせない長寿の秘訣、最高の健康食品である。

 健康マニアの家康は、穀物も全粉のものしか口にしない。裕福な若い武士たちが白米ばかりを好んで食べる中、家康は天下人にもかかわらず終生かたくなに玄米や麦飯を食べ続けた。周囲からは「吝嗇」「ケチ」と囁かれたが、家康は脱穀していない穀物こそが身体によいと知っていたのだ。しかも安上がりなのである。

 むしろ他の武士たちがなぜ高価なのに栄養価が低い白米などを食べたがるのか、なぜ白米が高価なのか、現実主義者の家康は生涯理解できなかった。もっともそういう「白米ブーム」に便乗してせっせと米を売り買いし、米相場で荒稼ぎしてもいたのだが。

 家康死後の江戸で白米食が主流となり、ビタミン不足による脚気が流行して「江戸病い」と呼ばれるようになるなど、さしもの家康にも完全に想定外だった。

「世良鮒。俺が好む八丁味噌は大豆のみから作るが、この異世界でもけらけら麦を大豆の代替品として用いれば、味噌が造れるかもしれん。試してみたいのだが」


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