第四話 05
「やったああああ! 凄いじゃんイエヤスっ! 目と鼻と口と耳からどばーっと血が流れてるけど、ほーんと頑丈だねっ! 魔弓が集める大地のプネウマを身体に吸収し過ぎて爆発しちゃうかと思った! ほらほら、大将軍叙任式を開始するよー?」
「目と鼻と口と耳から出血だとっ? な、な、なんということだああ!」
セラフィナに指摘されてはじめて、家康は自分があちこちから出血していることに気づいた。痛みはないが、やはり魔弓を用いると身体にダメージが入るらしい。自分の血を見るのが何よりも苦手な家康は一瞬脱糞……いや失神しそうになったが、慌てて万病円を飲んでからくも踏みとどまった。
「俺は二度とこんな危険な弓は持たんぞ世良鮒! 『治癒の魔術』とやらで俺の身体を治せ! あと、重ねて大将軍にはならんと言っている! 異世界の異種族を率いる経験も知識も俺にはない、お前の護衛役で精一杯だ!」
「うんうん。イエヤスってば奥ゆかしいんだからあ~。私はエルフ王女だからあ、私の護衛役すなわち救国の勇者だもんね! 私のために命懸けで魔弓まで引いてくれたくせにい。エレオノーラたちに気を配って表向き遠慮しているんだね、ほーんと慎重だね~♪」
セラフィナは歓びのあまり、家康が見たことのない妙なリズムとステップで小躍りしている。
「違うっ! 俺は本気で言っているのだ! 聞いているのか、変な踊りを踊るなーっ!」
セラフィナに背中を押されて元老院議会に引き入れられながらも、家康はなお執拗に「大将軍叙任だけは遠慮する」と繰り返した。見知らぬ異世界でいきなり異種族から征夷大将軍に任命されるのも同然ではないか。しかも魔王討伐という嫌過ぎる使命を押しつけられる。エルフ族はエッダの森に孤立し、人間とは敵対。他の異種族との交流も絶えている。いくら家康でも、こんな状況で強大な魔王軍に勝てるはずがない。大損である。
だが、国防長官エレオノーラは、
「あなたが真の勇者だと判明した以上、妾はアフォカス家の誇りと名誉に賭けて、あなたにエルフ族を守護する大将軍職に就いて頂きます。この世界に来られたばかりで右も左もわからぬのでしたら、妾も全力で補佐しますわ」
と、丁重に家康を遇した。さすがはエルフ族の歴代国防長官を務めてきた名門の令嬢、なんとも潔い。何よりも、今日が初対面のはずなのに家康が心からセラフィナを案じていることがエレオノーラには伝わったのだ。
「ただし、あなたが人間であることは紛れもない事実ですわ。武辺者の衛兵たちはあなたの精妙な弓術に魅入られましたが、元老院議員たちや平民たちの支持をあなたが得られるかどうかは別問題ですわよ。まずは演説の力で元老院に己を認めさせなさいませ」
「阿呆滓。演説と言われても、俺はこの世界の情勢もえるふの文化風習常識もよく知らん。演説のために三年ほど修行時間を頂きたい。まずは最初の一年でこの世界で生き抜くための下地を耕し、二年目に種を蒔き、三年目に花を開かせる」
「おお~イエヤスってば堅実なんだからあ~。エレオノーラの花の育て方と同じだね~!」
「さ、三年ですって? あなたはなにを言っていますの? 通訳が必要なわけでもあるまいし、エルフ族はいつ人間に攻められるかわからない危機的状況ですのよ? 今すぐに演説なさい!」
「……この世界の言葉を修得してしまっているのが運の尽きか……これも勇者職特典か」
突如出現した「勇者」に対する元老院議員たちの意見は、当然ながら四分五裂した。
家康も、臨時職ながら独裁官に近い大将軍職への叙任は避けたかった。確実なエルフ防衛戦略を練りだすまで、可能な限り言を左右にして引き延ばしたいところだ。
家康は、関ヶ原の合戦に勝利して天下人になっていながら、征夷大将軍就任を渋ったほどに慎重な男。セラフィナとエッダの森は守るとしても、人間の皇国と完全に敵対する立場に回るのは早急に過ぎる。むしろ人間であるという自らの立場を活かして、エルフと人間の和睦を図れまいか。
エレオノーラとセラフィナによって演説台に上らされた家康は、「人間だと?」「エルフを救う勇者がどうして人間なのか」とどよめく元老院議員たちを前に、
(エルフ族は誇り高き種族。右も左もわからぬよそ者の俺が、彼らに果たしてなにを言えばよいのか。こんな時、謀将の本多正信や知恵袋役の天海がいてくれれば)
と困惑し、爪を噛んでいた。
家康の頭脳の冴えは戦国武将の中でも屈指なのだが、秀吉のように即興で天才的なアイデアを閃く才人ではなく、熟考を重ねて慎重に結論を導くタイプ。しかも三河武士らしく口下手なので、アドリブが苦手なのである。
だが、魔弓を引いておきながら開口一番「俺は大将軍にはならん!」と元老院で宣言すれば、今度こそ「無責任ですわ!」と激怒したエレオノーラに逮捕されるかもしれない。
(とにかく、気の利いた演説を……元老院の議員たちの心を揺さぶる名演説を……ええい! 文化も種族も全く異なる面々を相手に、いきなりそんな演説文句を閃くはずがない)
壇上で緊張して固まっている家康に、元老院議員たちがざわつきはじめた。
はじめねば。とりあえずは無難に挨拶から――そろそろ日が暮れてきた。ならばこれだ。
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