第四話 01

第四話


 弓を構えたエルフの衛兵たちが、ただひとつしか設置されていない城門を開いてセラフィナを出迎えた。

「いきなりお姿を消されて心配しておりました、姫様! 国防長官様のご命令で森の中を探索しておりましたが、まさか領域外に出ておられたとは! その人間の殿方は?」

「この人は、エの世界から召喚された勇者トクガワイエヤス様だよ! 領域外に出て薬草を摘んでいた私が人間の斥候部隊に襲われたところを、助けてくれたのっ!」

「なんと! ではまさか――その三つ葉葵の御紋は、伝説の勇者殿の証なのですか?」

「こ、これは大変なことに! 直ちに姫様と勇者殿を、宮廷へ! 勇者殿の大将軍叙任式を行い、臨時執政官になって頂くか否かを、元老院で協議してもらわねば!」

「なんだ、世良鮒の一任で決定できないのか? お前には人事権もないのか。俺はてっきり」

「あ、あのねイエヤスぅ? エルフの王制は王都陥落以来停止していて、今は元老院の貴族議員たちが政治全般を担っているんだー。つまり共和制。いや~、私ってまだ十八だから女王に即位できないんだよねー」

「お前の年齢は十二歳くらいだろう?」

「十八だってばあ! エルフの法では、二十歳にならないとダメなんだよね。まあ、へっぽこ魔術師の私に女王なんて大役が務まるとも思えないけど……あは、あはははは……」

「人材は重要だぞ。俺は大御所になってからも、人材収集には精を入れたものだ。まして、これほど広大な城塞都市を治めるとなれば、多くの専門職が必要だろう」

「ま、まあね~。でもほら、戦争で多くのエルフ族が倒れたから、人材というかエルフ材が枯渇しちゃって、うーん。常にエルフ材不足なんだよねー。特に将軍や兵士がねー。イエヤスが大将軍職を受けてくれたら助かるなー。ちらっ、ちらっ」

 家康は「俺は大将軍とやらにはならんぞ」と呟きながらセラフィナとともにスレイプニルに乗り、戦利品のスライムは小舟に分乗させ、見張り兵たちに先導されてエルフ共和自治区の政治の中枢・元老院が設置されている森の宮廷へと案内された。


 城壁の向こうには、大自然とエルフの文明とが見事に調和した理想の田園都市があった。

 見渡す限りどこまでも続く森林にはいくつもの水路や小川が流れ、森に暮らすエルフたちは小舟でエッダの森の中を自在に往来できる。

 街路樹を儲けた陸路も整備されていた。高級ローブを纏ったエルフたちが、一角馬を乗りこなし陸路を駆けていく一方で、馭者が動かしている馬車に乗ってまったりと進んでいるエルフたちもいる。どうやら宮廷へ向かっている元老院の議員らしい。

 平民階級のエルフが暮らす住宅街や商業地区は、美しく区画整理された狭い平地部に集まっていて、いずれの地区も清潔そのものだった。エルフが極度に綺麗好きな種族だということが家康にもすぐに理解できた。

(おお、路上に塵すら落ちていない。信長公ありし日の安土の町の如しだ)

 家康は薬、武術のみならず、土木工事好きの都市設計マニアでもある。当初は僻地だった江戸を大改造して、世界有数の巨大都市の基盤を造った程である。人間の築く都市とはひと味もふた味も違うエルフの城塞都市を、念入りに観察した。

「ねえねえイエヤスぅ。エッダの森って綺麗でしょー? 広大な敷地内に七つある丘陵のうち五つは、王家や高名な名門貴族の荘園として管理されているんだよ! 荘園といっても最低限の建物を建てているだけでね、後は森を保全しているか、一部を菜園や乗馬場として活用しているかで、ほぼ自然な状態を保っているんだよ!」

「うむ。まるで太閤殿下が築いた大坂城の城下町を思い起こさせる立派な町並みだが、驚くべきは緑の多さだ」

「最大の丘陵は、あそこ! 巨大な神木・宇宙トネリコを擁するエルフの聖地なんだー! 残るひとつの丘陵は、元老院が政務を遂行するための宮廷として活用されてるんだよっ!」

 エッダの森の中心部にある目を疑わんばかりの巨木が、何よりも家康の興味を引いた。

「あれが、エッダの森の心臓ともいうべき生命の樹。魔術の杖の原料にも用いられる、樹齢数億年と呼ばれる神木・宇宙トネリコなんだよー。真下の旧地下神殿跡に根を下ろしていてね、大地と大気のプネウマがあの神木に凝縮されているの。だからその枝を杖として魔術の補助に利用させてもらうわけ! 貴重で神聖な大木だからね、魔術に通じた術士でなければ神木から杖を切りだすことはできないんだよ!」

 もしやあの大木は伝説の蘭奢待なのではないか? 密かに切り取れぬだろうかと家康は思った。

「成る程。エルフたちは森を尊重しながら、慎ましく自然の中に溶け込んで生きている。それなのに高度な文化を発達させているとは。俺たち人間の領主ならば、まず森を伐採して川を埋め立て、平地を広げていくことを考えるが――」

「人間は繁殖力旺盛だもんね! エルフは孤高の種族だからぁ、なかなか結婚しなくて滅多に子供を産まないので数が少ないの。それに、広大な森のおかげで狩猟でだいたいの食糧を得られるから、耕作地も最低限で済むんだよ?」

「ふむ。森のそこかしこに屹立している苔むした巨岩は、奥三河を思い起こさせる。あの巨岩から流れる滝の美しいこと――浄土と呼ぶに相応しい都市だな、世良鮒」

「ありがとうっ! もっとも、前の戦争でごっそり兵士が倒れちゃった後、一向に数が回復しないので人間に押されっぱなしなんだけどねー。人間は、自然を開発すればいくらでも人口を養えるとばかりにぽんぽん子供を産むから!」

「えるふに比べれば人間は老いるからな、質より量で行くしかないのだろうな」

「それもそうだねー、何事も善し悪しだねー。私たちエルフが戦争を忌み嫌うのは、一度負けたらなかなか回復できないからかもね?」

「いかんな。戦で損なわれた人口を早急に回復しなければ、衰退する一方だぞ?」

「エルフは純粋だから生涯に一度しか恋に落ちないんだよー。しかも子供を一人か二人しか産まないから。その点、人間はどんどん結婚離婚結婚を繰り返して鼠並みに増えるからねー、数じゃ全然敵わないっ!」

「……俺も十人以上の子供をもうけたから、耳が痛いな」

「ぐえーっ? なにそれぇ? 奥さんとの哀しき話はなんだったのーっ? あーっ、わかった! 人間名物の『側室』という奴を集めまくったんだね! サイテー!」

「……仕方ないだろう。俺は一国の大名だったのだぞ? 戦に勝って国を守ることと同等に、子供を増やして徳川家の血筋を守ることも君主としての務め。まして将来有望な嫡男を死なせてしまったのだから、閨で体力を消耗して寿命が縮もうとも、必死で子供を増やさざるを得なかった。子造りの義務さえなければ、俺はあと二十年は生きられたのに……」

「ふーん。そっかー。まあいいや! 宮廷前に到着しちゃったから、その話はまた後にしてあげるっ! まずはイエヤスを勇者様に相応しい大将軍職に叙任しないとねっ! って、ちょっとーっ? どうして宮廷の衛兵たちが『盾の魔術』を発動して玄関を塞いでいるのーっ? 入れなさいよぅ~!」

 意外な事態が起きた。

 セラフィナと家康は、宮廷で開かれている元老院に参加を許されなかったのだ。

 宮廷の玄関口に集まり密集隊形を築いた衛兵たちが、一斉に壁を展開して二人の入室を阻んだのである。

「世良鮒? お前は王女ではなかったのか。早速衛兵たちに反乱されているぞ」

「あーん! イエヤスが私を見る目つきが冷た~い! 私はまだ王女で、女王に即位してないから兵権を持ってないのー! 宮廷を守る衛兵たちは国防長官の指揮下にあるのー! エレオノーラ! エレオノーラ、どこー? なんでこんな意地悪するのよーう?」

「……なんというはしたない。無断で領域外にお一人で飛び出すだなんて、二度とこのような危険な真似は許しませんわよセラフィナ様。案の定、このような怪しげな者を拾ってきて。懲罰室送りものですわよ」

 エルフの森を守る国防長官エレオノーラが、セラフィナの前に歩み出てきた。

 セラフィナよりやや年上でまだうら若い女性だが、背筋が凍りつくような美貌と冷たい眼差しの持ち主だった。「氷のエルフ」という言葉が、家康の脳裏に自然に浮かびあがる。

「エレオノーラの監視が窮屈だから、外に出たくなるんじゃん! 私は捕虜じゃないんだからー!」

「……あなたの子供っぽさには全く困りましたわね。今後は監視役の数を三倍に増やしますわよ」

「えええええっ!? そんなあああ? ますます外に飛び出したくなっちゃうよぅ?」

「エルフ王家直系の血を引くお方は、もうあなた一人なのですよ? それなのに、あなたはまるでご自分のお立場がわかってないようですから。当然の罰ですわ」

「ごごごごめんなさいっ! 反省してますっ! でもでも、これからはイエヤスを連れて行くから安心だよっ! イエヤスはスライムもワイバーンも単騎で撃破しちゃう剛の者、伝説の勇者様なんだから!」

「……その者は人間でしょう? われらエルフ族に王都を返還せず、エッダの森から立ち退かせて森を破壊し無粋な街道を築こうとしている連中の仲間ですわ。あなたは誰彼なしに相手を信じ過ぎるのです、セラフィナ様」

「イエヤスはほんとに信用できるんだってばあ! 大将軍職に叙任させて、お願いっ!」

「大将軍職とは魔王軍を撃退するまでの有事限定職とはいえ、軍権、行政権、人事権に加えて立法権の一部すら掌握する臨時執政官にして一種の独裁官。エルフ以外の種族を任命することは憚られますわ」

どちらが王女かわからん、まだ二十歳くらいだろうになんという高貴な女性。氷のように冷たい美貌の持ち主だが、その瞳は炎のように燃えているかのように家康には思えた。


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