第三話 05

「……世良鮒。俺は人間たちから追われる立場。魔王軍などという得体の知れぬ連中はともかく、お前を人間から守るくらいのことはできるだろう。お前の護衛役ならば、引き受けてもいい」

「えええ、ほんとおおお? でも、私は王女だよ? おお~? それって、遠回しに『エルフを魔王軍から守る大将軍職に任命されてやる』って言ってるのよねーっ? だって~、イエヤスにもあるじゃん、戦場で自ら戦う勇気が! それはさんざん証明済みっ!」

「俺は、勇気を奮うたびに失敗する男なのだ。若い頃に短気を起こして無謀な負け戦をしたこともあるし、年老いてからも息子が頼りにならぬので自ら老骨に鞭打って最前線に出ねばならなかった。しかも追い詰められて無理矢理に勇気を奮う毎に、俺は必ず絶体絶命の危地に陥っていた。武田信玄公や『日本一の兵』真田が率いる騎馬隊に追いかけられるのは二度とご免だ――俺はな、世良鮒。戦が恐ろしいのだ」

「うんうん。恐れることを知らない者は他人の痛みも理解できない。自分の恐怖心を率直に認められる者こそが大勢の命を守れるほんとうの勇者だって、父上はいつも言っていたよ! イエヤスはやっぱり勇者なんだよっ! そりゃ恐れる相手くらい、一人や二人くらいいて当然じゃん?」

「いや、俺がもっとも恐れていた者は、もっと大勢いる。風林火山の武田信玄公。六文銭の真田信繁こと幸村。太閤秀吉殿下。奥州の独眼竜伊達政宗。上杉家の宰相直江兼続。虎退治の加藤清正。豊臣家の重鎮福島正則。関ヶ原で天下分け目の決戦を挑んできた石田三成と島左近。関ヶ原で敵中突破をやった鬼島津。関ヶ原のどさくさに天下を奪いかけた黒田官兵衛。あと、ちょっと思いだしてみたところでも宇喜多秀家、上杉景勝、真田昌幸、立花宗茂、豊臣秀頼、古田織部、前田利家、淀君、北政所、大久保長安、今川義元、太原雪斎、明智光秀、伊賀甲賀の地侍たち、それと子供時代に俺を誘拐した人攫い。番外というか別格で織田信長公――まだまだいるな。少し待て、年代順に一から数え直す」

「ちょっとーっ? 天下人なのに、いくら『もっとも恐れている者』がいるのよーぅ! 恐れ過ぎでしょーっ!」

「人間、いくら恐れても恐れ過ぎることはない! 『俺を殺せる者がいるか』という油断こそが即、死に繋がるのだ! 事実、俺はあれほど健康に気を配っていながら、大坂城を滅ぼして天下人としての仕事の全てを終えた、ようやく肩の荷が下りたとたった一日だけ油断したばかりに鯛の天ぷらを食い過ぎて、もともと弱かった胃を壊して死んでしまったのだぞ! そうとも。あらゆる恐るべき敵から生き延びてきた俺を殺したものは、鯛の天ぷらだったのだ……! 油断であった! なんと恐ろしい……!」

「イエヤスってばもう、素直じゃないんだから! 私にはわかっちゃう! 内心はエルフ族とともに勇者として活躍する気まんまんなんだよねっ!?」

「違う! お前個人の護衛役ならやってやると言っている! どうしてそうなる?」

「またまたー。私ね、イエヤスがすっごく強い上にとっても優しい勇者様だってわかっちゃったから! エルフには実戦経験豊富な武人が残っていないから、ちょっと慎重過ぎるけど武芸に秀でたイエヤスが大将軍としてエルフを率いてくれたらとっても助かっちゃう! いやー、ありがたいなー。よーし、早速宮廷へ行って大将軍叙任式をはじめちゃおう!」

「待てっ、俺の話を聞けーっ! いいか? 俺は慎重さを見失えば即座に失敗する男だ! 今後は決して俺を煽るな、常に俺を諫めろ世良鮒! 聞いているのかーっ?」

「早く行こうよぅイエヤス~♪ ほら見て、見張りの皆さんが門を開いてくれたから! 宮廷へ行こう、行こう! 伝説の勇者様が召喚されたと聞いたら、みんな驚くよー! イエヤスが強いという証拠になるスライムを捕まえておいてよかったね! 楽しみっ!」

「なんということだ。ぬっへっほうを持ち帰ったことが、藪蛇となったか……」

 最晩年の老いた自分こそが、もっとも頭脳が冴え渡り絶対に失敗しない慎重さを会得した全盛期だったと家康は知っている。

 若い頃の家康は血気盛んで無謀過ぎた。三方ヶ原で武田信玄の大軍へ突撃して完璧に粉砕された時などは、身につけつつあった慎重さが完全に吹っ飛んで「信玄を倒して戦国にわが武名を轟かせる!」と生来の蛮勇に憑かれていた。その結果、家康自身はほうほうのていで武田騎馬隊から逃げ回る羽目になり、あたら大勢の家臣を失うことになったのだ。

 今の自分は二十歳に若返っている。つまり、いつ慎重さを見失って暴走するかわからない暴れ馬。冷静に考えれば、セラフィナに「やれるって!」とけしかけられたからといって、健康のためなら死んでも構わん! と叫んでぬっへっほうだの未知の翼竜だのと一騎打ちするなど論外ではないか。込み入った事情も知らぬまま、人間の斥候騎兵たちに啖呵を切ったのも悪手だった。あそこは「狸親父」らしく下手に出ていればよかったのだ。

「……徳川家の男の身体に流れる蛮勇の血は強過ぎる。こんなに短気では世良鮒を守れるかどうか。若返ってしまったこれからは、もっともっと慎重にならなければ」

「だいじょうぶだいじょうぶ。イエヤスは超強い伝説の勇者様なんだからあ~♪」

 セラフィナは天真爛漫過ぎてどうにも捨て置けない。勇者を異教徒と決めつけている人間を敵に回すことなく、セラフィナの護衛役を勤められるだろうか。

 結局怪しい「女神」のおかげで奇妙な運命に陥ったが、俺はこれでいい、と家康は不思議と自分の新たな境遇に納得していた。前世では天下を統一したが、その代償に瀬名姫も信康も秀頼も守れなかった。孫娘の千姫も不幸にした。それだけが心残りとなっていた。

 幼くして父も祖国も失いエッダの森に追い込まれたセラフィナに、二度目の落城を経験させたくはない――家康は、あれほどの罪と過ちに塗れた前世話を聞かされながら、自分を優しく赦してくれたセラフィナのためにこの新たな生を生きようと誓っていた。


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