第三話 04

「世良鮒。えるふの国は、魔王軍に滅ぼされたのだったな。王都を失って、えっだの森に押し込められているのだと」

「うん。ジュドー大陸の異種族連合軍と、魔王軍の『大厄災戦争』は、百年近く続いたんだって。でも私が幼い頃に、エルフの王都は魔王軍の猛攻を受けて陥落しちゃった。生き延びたエルフが、種族の故郷だったエッダの森に避難してから、十年が経ったんだよ~」

「幼くして亡国落城という憂き目に遭ったのか。魔王軍はどうなったのだ?」

「ヴォルフガング一世という軍人さんが指揮する人間軍が、頑張って追い払っちゃった。エルフ王都も、人間軍が奪回してくれたんだよ。ところがねー! 魔王軍が撤退した後も、人間はエルフに王都を返してくれないんだよ~! それどころかヴォルフガング一世はエルフの王都を自分が建てた新たな王国の都にしちゃったんだ! ひっどいよね~?」

「戦勝者が土地を返さぬのは、乱世ではよくあること。俺も、信長公から駿河一国を賜った時、俺自身が攻め滅ぼして亡国の浪人となった今川殿がお気の毒なので駿河をお返ししたいと律儀者をよそおったら、信長公が怒って『デアルカ。要らぬのならば駿河は我に返せ』と言いだしたので、『ややややっぱり駿河は拙者が頂きます!』と慌てたものだ」

「……イエヤスの律儀さって、つまり猿芝居だってことなんだね……腹黒狸だね~」

「こほん。俺のことはいい。お父上を魔王軍との戦争で失われたと立ち聞きしたが?」

 セラフィナは「イエヤスがこれだけ辛い自分の過去を教えてくれたんだから、私も語らないとね! 他言無用だよ? 私はいつもみんなの前では笑っていたいから!」と泣き笑いのような表情を浮かべながら、王都陥落の経緯をそっと語った。

「魔王軍は、オークというすっごく凶暴な種族が率いる略奪軍団なんだよ~。そのオーク族の中から頭角を現した猛将グレンデルが、暗黒大陸を武力統一して『魔王』を名乗り、気候温暖で豊潤なジュドー大陸からあらゆるものを奪い取ろうと遠征軍を編成したのっ! 私が生まれる以前の話なので、長老様のお言葉の暗唱だけどねっ!」

 魔王軍は奪った土地を統治するという概念を持たず、闇雲に行軍しながら蝗のような殲滅戦と略奪を繰り返して、ジュドー大陸北部を徹底的に荒廃させたという。

「ふむ。魔王軍とは、万里の長城を超えて中原に攻めて来る北方遊牧民族のようなものか。それは災難だったな。戦国日本以上の修羅場だ」

「エルフ王国の王都アルヴヘイムが陥落したのは、大厄災戦争の最終盤。私は当時八歳でねー。エルフ族は十五歳から二十歳の頃に老化が止まって、百年の寿命が尽きるまで若く美しい姿を保つので『不老の種族』と呼ばれるんだけどぉ、その頃の私は魔術も使えない本物の子供だったの」

「今もちんちくりんの子供だがな」

「今は立派な乙女ですからっ! 私の父上はエルフ王ビルイェル。苦戦を強いられていたエルフ族と人間族最強のヘルマン騎士団はね、エルフ王都に魔王軍主力部隊を引きつけて、ヘルマン騎士団がこれを背後から急襲して叩くという危険な共闘作戦を決行したの」

「そうか。お父上は、終わりが見えない大厄災戦争を終結させるために、敢えて自国の王都を危地に陥れるという苦渋の決断をしたのだな。乱世の君主とは、辛い職務だな」

「ヘルマン騎士団は、機動性に優れた騎馬兵が主戦力でね。当時の騎士団長は、エルフも人間も同類にして同志だと『異種族連合』策を提唱してくれた方で、その軍団は凄まじい行軍速度と瞬発力を誇っていたの。だから、囮作戦の勝算は充分にあったんだけど……」

「だが、土壇場で想定外の事態が起きたのだな? 戦場では、よくあることだ。俺などは、息子の秀忠が率いる本隊が到着しないうちに関ヶ原で天下分け目の決戦を強いられた」

「そーなの、イエヤスぅ! ヘルマン騎士団は、エルフ王都に向かう途中で魔王軍の伏兵に急襲されて騎士団長を討ち取られ、壊乱しちゃったの! 今でも信じられないよぅ!」

 それはまるで桶狭間で織田信長公に討たれた今川義元公のようなご不運、と家康はセラフィナの父のために瞑目した。

「故に援軍は間に合わず、囮作戦は破綻。エルフ王都は陥落する運命に陥ったのか」

「うん……最後の別れの夜にね、炎に包まれた宮殿の一室に籠もっていた父上は、幼い私を呼び出して頭をそっと撫でくれたの。いつも『常在戦場』とばかりに厳しい表情だったのに、その夜の父上はとても優しいお顔だったわ」


   ※


「わが娘セラフィナよ。援軍来たらずだ。人間が約束を破ったと怒る者もいるが、誰の責任でもない。仕方がないのだ。戦争とは、常に計算通りにはいかないものなのだから」

「お父さま!? 一緒に落ちのびようよぅ。だいじょうぶだよ、王都が落ちても、エルフ族には発祥の地・エッダの森が残されているよ? あそこまで辿り着けば――」

「魔王軍に包囲された王都から全員で脱出することはもう不可能だ。亡国の責任を負うべきは自分たち老人である。お前は逃げよ。長老ターヴェッティに、そなたたちを託す」

「……お父さま? まさか……敢えて囮になって、王都と運命をともに……? 嫌っ! そんなの嫌だよぉ! お願い、一緒に逃げて! お願いだよぅ……!」

「ふがいない父を許せセラフィナ。そなたは胸を張って生きよ。決して後ろを振り返るな。耐えるのだ。生き延びさえすれば、プネウマがそなたを導いてくれる。きっといつか、そなたを守ってくれる騎士に。エルフ族に語り継がれてきた伝説の勇者に巡り会える――」


   ※


「それがね、父上が私に最後に残してくれた言葉なんだ……」

「そうか。お父上は、世良鮒たちを脱出させるために自ら戦場に踏みとどまって討ち死にされたのか。立派な父上だな。その勇気、まさしく王に相応しい」

「うんっ! 父上も、国防長官も、武功を重ねてきた将軍たちも、平民の殿方たちも――私たち若いエルフを無事にエッダの森へ避難させるために、最後の最後まで城郭に籠もって果敢に徹底抗戦して――そして全滅したんだよ……」

「そうか。お前は、幼くしてお市殿や淀君の如き落城の憂き目に遭っていたのか。それなのに気丈なのだな」

「私も幼馴染みのエレオノーラも逃げながらいっぱい泣いたけれどね、いつまでも泣いていたら私たちを守ってくれた父上たちが哀しむから、もう泣かないってエレオノーラと誓い合ったんだ! だからね、この話をするのは今日だけだよ?」

「……不老不死の種族といえど、怪我をすれば普通に死ぬのだな。『治癒の魔術』をもってしても救えないのか」

「うん。致命傷を負っちゃったら、肉体から魂のプネウマが離脱しちゃうからね。そうなったら、どんな魔術でも蘇生は無理……あの頃の私はまだ子供で、術を使えなかったしね。だからこの森に来てからは、たくさん学んだよ。いずれまたやって来る魔王軍の攻撃を阻むための『盾の魔術』や、戦場で傷ついた者を癒やす『治癒の魔術』について!」

「薬草を手に入れるために領域を一人で越えるのは不用心だが、その心意気や善しだな」

「私はどん臭くて戦うのは苦手だから、せめて怪我や病気をして苦しむエルフや人間やいろんな種族を一人でも多く癒やしたいなって思って。薬学もたくさん勉強しました! だからね、イエヤスの薬造りにもたくさん協力できちゃう!」

「魔王軍から奪回した王都を返還しない人間に恨みはないのか?」

「ないよー。また一緒に魔王軍と戦わなくちゃいけない同志だもの! ただ、皇国は大陸の北部と南部の中間地点にあたるエッダの森を欲しがっていてねー。立ち退き要請を拒否し続けていたら、今日とうとう斥候部隊と遭遇しちゃったってわけ。でも、きっとなんとかなるよ! イエヤスも現れてくれたしねっ!」

 単に陽気なだけではない。なんという健気な娘なのだ。王都陥落、国を失っての亡命、父王や家臣たちの戦死という悲劇を幼少時に経験しながら、これほどに前向きに生きているとは――家康はセラフィナという少々抜けている若い王女を見直していた。

 それに、容姿や性格が似ているわけではないが、セラフィナは炎上する大坂城から落ちてきた孫の千姫をなぜか思いださせる娘だった。老いた家康は、夫を祖父と父に討たれて傷ついた千姫になにもしてやれなかった。せめて良き再婚先を見つけだすので手一杯で、そこで寿命が尽きたのだ。

 今度こそは。天涯孤独の召喚者として再び生を得た今世こそは。

俺は、俺自身の心のままに生きたい、この娘を守りたい、家康はそう願っていた。


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