第三話 03

「築山殿は、名門今川家の姫でな。織田信長公が今川義元公を桶狭間で討ったため、今川家に仕えていた俺は生き延びるために今川家と手切れして信長公と同盟を組んだ。それを恨んだ築山殿が、織田家の宿敵だった武田方に寝返って俺を領国から追放しようと謀叛を企んでな……最初は些細な陰謀だったが、やがて信康や信康の家臣団も巻き込んでの大騒動になった。しかも、この謀叛の企みが信長公に知れてしまった」

「ひいっ!? 家族同士での争い? イエヤスの生きてきた世界って修羅場だったんだね~」

「うむ。当然信長公は、俺に二人の処理を命じてきた。俺が選べる道は二つ。築山殿と信康を守るために武田家に寝返り、強大な織田家と戦って徳川家ことごとくを滅ぼすか。それとも徳川家と家臣団を守るために織田家との同盟を維持し、武田派の家臣団を解体するか。つまりわが妻子を捨てるかだ」

「うう……お家を取るか、家族を取るか……しかも、家族を捨てないと全滅……辛い運命だね……」

「追い詰められた俺は、信康と二人きりで対面した。せめて信康だけでも救えぬかと思ってな。『正直に真相を告げてくれ。お前は謀叛に関わっていないのだろう、知らぬうちに親武田派に神輿として担がれていたのだろう。そう言ってくれ』と息子に懇願した。だが、信康は最後まで母を庇い、『親父よ。母上や武田贔屓の家臣たちを止められなかったのは、親父から岡崎城を預けられていた俺の責任さ。俺が首謀者だ。俺が切腹すれば徳川と家臣団を守れる』と自ら死を選んだ。わが子ながら、実に爽やかな男であった……」

「……そうなんだ……そんなよくできた息子さんを……辛かったね、イエヤスぅ……」

「俺は信康だけでも国外に逃がそうと密かに算段したが、信康は『そんな半端な真似をしたら織田殿が親父を見限るぜ。二兎を追うものは一兎をも得ずだぜ親父』とついに逃げなかった。そして切腹して果てた」

「そんなぁ。うっ……うわ~ん!」

 徳川家臣団は、家康に犬のように忠実だが、気が利かない武辺者が多い。(信長公に漏れれば徳川家は破滅する故に口には出せぬが、後生だから二人を逃がしてくれ)という家康の祈りは通じず、築山殿は護送中に家臣に斬られ、信康も幽閉先で切腹させられた。

 だが三河武士たちも鬼ではない。信康の介錯人は「御曹司は斬れませぬ」と土壇場で夜逃げし、「鬼の半蔵」と呼ばれる勇将・服部半蔵が急遽介錯を務めることになった。だが、その半蔵もどうしても信康を斬れず、泣きながら刀を放り捨てたため、最後は介添人の天方山城という武士が信康を介錯した。

 家康は服部半蔵に「さしもの鬼の半蔵も、主君の子は斬れなかったか」と感謝する一方で天方道綱に激怒し、天方は(御曹司切腹は殿の本意ではなかったのか!)とやっと気づいて徳川家から逃げるように出家した。

 また、築山殿を護送中に斬った野中重政も、家康に「処置致しました」と報告した折に「女人を殺したのか? なぜ逃がさなかったのだ!」と激怒され、やはり徳川家から逐電して武士を捨てている。

 迂闊に本心を口にできない苦しい立場の家康にとって、彼らのような忠義面をした無能者ほど腹立たしい連中もいなかっただろう。が、家康は彼らを殺さなかった。自分の怒りは逆恨みに過ぎず、殺せば怨恨を生んで自分に戻ってくると知っていたので耐えたのだ。

「……仕方がなかったんだよね。それほど厳しい乱世だったんだよね? その頃のイエヤスは、まだ天下人じゃなかったんでしょ?」

「うむ。あの頃、俺にもっと力があれば、妻子を守れていたはずだ。だが、悔いはもうひとつある。天下人となった人生の最後に、俺はかつて自らが仕えていた主君の妻子を大坂城ごと焼き払って死なせてしまった。必ず守ると約束した太閤秀吉殿下の遺児。秀頼公を」

「ふえええ……どーして?」

「十年以上も臣従を待ち、既に俺の寿命は尽きかけていたが、大坂城を支配していた秀頼公の母君・淀君は何度頼んでも大坂城を出てくれず、徳川の天下を認めようとしなかった。俺自身が死ぬ前に大坂城を落とす以外に、乱世を終わらせる方法はなかったのだ」

「……そうなの……天下人って、大変なんだね……あまりにも責任が重すぎるね……」

「天下人とは、万民のために誰かが背負わねば苦役であり義務だ。信長公も太閤殿下も亡き日本で、天下平定の責務を果たせる者は俺しか生き残っていなかった。やむを得ん」

 大坂の陣において、老いた家康がかろうじて成し遂げられた我が儘は、亡き太閤秀吉の遺言を守って豊臣秀頼に嫁がせていたかわいい孫の千姫の救出に成功したことだけだった。

 後世、乱世を終結させて二百六十年の太平の世を築くという空前絶後の偉業を果たした家康が「狡猾な古狸」と思われて日本人に好かれなかった理由が、この豊臣秀頼殺しにある。もっとも、秀頼の助命嘆願を最後まで決して許さなかった者は、老いた「大御所」家康ではなく、戦下手故に豊臣家存続を恐れていた息子の二代将軍秀忠だったのだが。

「俺にせめてあと十年の命があれば、秀頼公とその母・淀君を説得して大坂城から退去させられて豊臣家を救えたものを。淀君は織田信長公のご一族で、誰よりも気位が高く、かつての家臣だった徳川家に屈服するくらいならば大坂城もろとも滅びるつもりだったのだ。築山殿との結婚生活に失敗して以来、俺はどうにも高貴な女性とは相性が悪かった。秀頼公に嫁がせたかわいい孫の千姫をも、どれほど不幸にしたか」

「イエヤスぅ。それでも、あなたは乱世を統一して長い平和をもたらした勇者なんだよ? あなたと一日過ごしていてわかったよ。一騎当千の蛮勇の持ち主でありながら、常人離れした凄まじい忍耐力を努力で身につけたからこそ、あなたは厳しい乱世を生き延びて統一の偉業を成し遂げられたの。だからあなたは、この世界に勇者として呼ばれたんだよ?」

「厭離穢土欣求浄土」。残酷な現世の戦乱を終わらせて身体から魂が離れた暁には、平和な浄土に生まれ変わりたい。それが家康の生涯の願いであり、それ故にこの八文字を旗印に用いてきたのだ。

「もう自分を責めなくてもいいんだよ、イエヤス。この世界も、終わらない戦争と災いと哀しみに満ちている世界なんだから。私たちエルフをはじめ、魔王軍に祖国を破壊され家族を失った多くの異種族が、魔王を倒してくれる伝説の勇者を求めているんだから。あなたはこの世界に選ばれし者。だからきっとやり直せるよ、この世界で――ねっ?」

 決して雄弁ではない。だがなんという温かい声、温かい指なのだろう。セラフィナの身体からは、傷ついた者の魂を癒やす光が溢れている。セラフィナは前世の罪を告白する家康を責めることなく、じっと彼の哀しみに寄り添い、ともに涙を流してくれていた。

「ほらほら、スライム肉がこんがり焼けたからっ! いくらでも再生するから無限に食べられるよ? あまり食べ過ぎて太らないように注意しないとねっ!」

「二十枚ほど頂くか。今の俺の身体は、痩せ過ぎていてしっくりこない。俺は歳を取ってからも肉体の調練は欠かさなかったが、健康長寿のために敢えて狸のように丸々と太っていた。鼠のように痩せこけた太閤殿下が早々に衰えて早死にしたのを見ていたのでな」

「ぐえー? ダメダメ! 今のちょうどいい感じの痩せた筋肉質の身体が一番いいってばぁ! わざわざ太ってどーすんのよう? イエヤスが健康のためなら死んでも構わんって言うのと同じに、エルフ族は美のためなら死んでも悔いは無いんだからっ!」

「……えるふは歳を取らんのだろう? 年々老いる人間とは身体の造りが違うのだ」

「とーにーかーくー。いくら無限に再生するスライム肉でもさぁ、食べ過ぎないように腹八分目でねっ? あと、スライムさんに感謝~。美味しいお肉をありがとうございます~」

 家康は(「女神」は俺にこの娘を守れと言っていたな。あやつに従うつもりはないが、今は俺自身がセラフィナを守らねばならない、守りたいと願っている)と己の気持ちに気づき、同時にこの世界もまた前世以上の乱世なのだとも知った。

ならば、セラフィナもまた――。


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