第二話 04

 ワイバーンまでが撃破された様を遠距離から目撃した騎兵たちは「恐るべきは勇者!」「一見小心そうに見えて、追い詰められると人が変わる」「なんだ、あの相打ち上等の恐ろしい剣術は? わが身を守ろうというつもりがないのか」と震えながら、大慌てで家康とセラフィナのもとから遠ざかっていった。

 エルフの領域に到達された以上、家康を追うことはできない。いかに争いを好まないエルフといえども、今立て籠もっている森の領域が彼らにとって最後の砦なのだから、騎兵部隊が迂闊に踏み込めば得意の弓矢で迎撃してくるだろう。エルフは剣を苦手とするが、弓矢を得意とするのだ。それに彼らはあくまで斥候部隊であり、本格的な軍備を準備してきてはいない。

 ついに騎兵たちは、「枢機卿猊下にこのことは逐一報告しておくからな」と捨て台詞を残し、家康の捕縛を断念して全軍撤退したのだった。


「おおー、人間が退却していく? やったねイエヤス、ありがとう! あなたのおかげで助かったよー」

「……俺はお前にけしかけられて猛獣どもと戦わされ、踏んだり蹴ったりだったがな。まあいい、記念にわいばあんの角を一本拝借していこう。これはおそらく、海外交易でしか手に入らなかった生薬、烏犀(サイの角)の上位代替になるはずだ。幸先良し!」

 ワイバーンの角はすぐ生え替わるから、それくらいならいいけどぉ、どんなモンスターを見ても薬の原料にしか見えていないんだね~イエヤスは~とセラフィナは呆れた。

「やっぱり、王女が一人で領域外に出ちゃダメだねー、まさか人間の兵士たちが斥候活動していただなんて……人間はエルフと戦争をはじめるつもりなのかなぁ?」

「おそらくな。どこの世界でも人間とは戦が好きなものだ。さて、いつまでも王女不在ではまずいだろう。えるふの森の宮廷へ直行するぞ。道順を教えてくれ」

「草原を降ると、いくつも滝壷を持つ巨大なザス河が流れているんだよ? ほらほら! 見えるぅ、ザス河にかかったあの吊り橋? エルフの森に入ることができる道は、あの細い吊り橋だけなんだ♪ エルフ一人が通るのがやっとかな? ねっ、難攻不落でしょ?」

 セラフィナの指示に従って草原を下った家康は、思わず立ちくらみを覚えた。

 日本では決して有り得ない、信じがたい規模の激流が、エルフの森とその外の領域との「境界」だったのだ。

 宮廷や市街地といった都市敷設を含む広大なエルフの森――正式名称「エッダの森」は、死の滝壷をいくつも備えた荒々しい大河の中に浮かびあがる巨大な中州島を丸ごと石造りの城壁で覆った惣構えの城塞都市。まさしく「水上に浮かぶ要塞」だったのである。

「ほう、これは石山本願寺や大坂城以上の規模の水城だな。しかも、背後には箱根山の如く堅固な山が聳えている。これは絶妙な地形。河と山に守られた天険の地だな」

「さっすがイエヤス、早速防衛戦の構想を練ってるの? あの山はぁ、ブロンケン山って言うんだよ~」

「しかもその山の奥には、俺の生まれ故郷の奥三河を遥かに超える嶮峻な山岳地帯がどこまでも広がっているとは。日本とは比較にならぬほどに広い大陸だな、ここは」

「あれはぁ、大陸の中央を東西に縦断しているローレライ山脈だよっ! 大陸の西の果てまで続いてるんだー! このエッダ大陸の背骨といったところだねっ!」

 家康は眼下の壮観に感動しつつも、胃が痛くなる労苦の記憶も蘇ってきた。

 そう、生涯最後の戦となった大坂城攻めの記憶である。

 齢七十を過ぎ、かつ城攻めを苦手とする家康にとっては、やりたくもない苦行だった。

 家康は(なぜに老骨に鞭打ってこのような巨城を攻めねばならないのだ。倅の信康が生きていれば、こんなことには)と内心で悲鳴をあげながら、「天下統一」という難事業を完成させるべく大坂城攻略に残された生命力の全てを使い切ったのだった。

 だが、発想を転換してみれば、事態は真逆となる。

 そう。この城塞都市に家康自身が籠もってしまえば、容易には皇国に捕縛されはすまい。

「この桁外れの規模は、太閤殿下が築いた大坂城を遥かに超える! 改良の余地はまだまだあるが、島国日本では決して存在せぬ、大自然が築いた水の要害であるな」

 この異世界の人間にどれほどの軍事力があろうとも、数十万の大軍をもってしてもこれほどの水城を容易には落とせまい、エルフはこの大自然の要害の森があればこそかろうじて人間からの圧力を凌いできたのだと家康は唸った。

「あの吊り橋、凄く狭いから注意してね? 落ちたら大変だよー。あっという間に激流に飲まれて溺れちゃうから。私たちエルフは慣れてるけれど、一見さんにとってはけっこう危険だと思う――でもまあイエヤスは馬術の達人だからだいじょうぶかな!」

「承知した。だが、俺は慎重な男。念のために河に落ちた時の対策を考えてから移動したい。この河の行き先はどうなっている? 湾でも開いているのか? 港町が栄えているとか」

「ううん。河の終点は、目も眩むような断崖絶壁だよ。すっごくすっごく高い滝壷から、岩場だらけの荒海に真っ逆さまに落とされちゃう! だからまあ、河に落ちたら不老不死を誇るエルフでも死ぬかもねー。エルフだって、大怪我したら普通に死ぬもんね~」

「これほどの大河の終点が滝壷とか、絶対におかしいだろう! どんな罠だそれはっ? 誰がそんな剣呑な河を作ったのだあっ!」

「大自然が……としか言いようがないかなあ? ねえねえ。この『エッダの森』ってね、エルフ発祥の地であり故郷なんだよ? 森の中の聖地には私たちエルフが崇拝する神木・宇宙トネリコがあるの! 後で案内してあげるね? 杖を作り直さないといけないし~」

「なにか他に安全な移動方法はないのか? 河を船で渡るとか?」

「うん、ない。外界との往来を堅く制限してるからねっ! 一見さんは橋も通行禁止っ!」

「自分から森を封鎖して八方塞がりになってどうする! 見張り番はなにをしている?」

「見張りは一日に二度、門の巡回に来るだけなの! 人間が協定を破って軍を率いてきたって、吊り橋から攻め込めるわけないからねー。大軍が一斉に橋に乗ったら、即座に橋ごと落ちちゃうからっ!」

「……成る程。えるふとやらは、おめでたい面々だな……国を失ってこの森に籠城するまで人間に押され続けるわけだ。淀君が仕切っていた大坂城の面々よりも士気がたるみきっている」

「えー? そこは、平和と自然を愛する種族だと言ってよーう? あっ、弓を使って狩猟はするけどね? 私たちは、野菜とキノコしか食べないというわけではありませんっ!」

 慎重な家康は(こんな吹けば飛ぶような狭い吊り橋は渡りたくない。危険過ぎる)と逡巡した。だが、他に道はないんだよっ! とセラフィナは再三言い張る。

 その上、家康にはもうひとつの問題があった――そう、せっかく捕らえたぬっへっほう、スライムの巨体をどうやって幅の狭い吊り橋から対岸へと運び入れるかである。縄で縛ったまま馬に引かせる今までのやり方では、不安定な橋の上でバランスを保つのは困難だ。

(ぬっへっほうの肉は、オットセイの陰茎の上位互換薬剤として使えるに違いない。絶対に持ち帰る、絶対にだ。そして俺は、さらなる健康と長寿を手に入れるのだ!)

 家康が漢方薬と健康を欲する情熱は異常。天下盗りなどより遥かに重要なのである。

 故に、この無理難題を解決する策を、家康は必死に考え抜いて捻り出した。

 今度は、その策を聞かされたセラフィナがギャン泣きすることになった。


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