第二話 03
「ふんふふんふんふ~ん♪ スレイプニルに乗って草原を走っていると、とっても気持ちいいね~♪ スライムを置き捨てて、イエヤスも乗ればいいのに♪ 宮廷に着いたら、お礼にうんとごちそうしちゃう! 私、こう見えても料理はそこそこ得意だからっ!」
どこかで幼い頃に耳にしたような懐かしい鼻歌を歌いながら、草原を白馬とともに駆けるセラフィナの横顔を見ていると、
(……まあ、しばらくセラフィナのもとに厄介になってやってもいいか)
と心が揺れる家康であった。
「それとも、やっぱり人間族のもとで暮らしたい~? 大陸にはねえ、教団の信徒じゃない人間たちの集落もあるんだよ、紹介してあげよっか?」
「いや。えるふ族とは言うが、南蛮人や紅毛人とさして違わん。多少文化や容姿が異えども、要は広い意味での人間なのだろう」
「おおー。イエヤスってばさすが伝説の勇者! 異種族も人間もイエヤスにとっては同じなんだねっ! 国際感覚に優れてるぅ!」
「えるふもこの異世界の人間も、俺の目には等しく天狗の類いに見えるのでな。鼻は高いは目は大きいは肌は白いはで」
「ちょっとぉ? テングってなによぅ、妖怪の眷属っ? 失礼ねー! イエヤスの顔こそ、人間にしては平べったいじゃんっ!」
「俺は日本人にありがちな顔立ちなだけだ。ほっとけ」
前世での家康は、多士済々な家臣を抜擢し彼らの個性を最大限に引き出した名君だが、とりわけイギリス人のウィリアム・アダムスやオランダ人のヤン・ヨースチンを重臣として用いたことは戦国日本の大名として異例中の異例だった。
ウィリアム・アダムスは大航海探険の途中で遭難して日本に漂着した紅毛人だったが、政治の場に信仰を持ち込まず、科学知識や国際情報を正確に家康に伝えてくれる最高の「国際人軍師」であり、家康の合戦や海外貿易戦略に多大な貢献をしてくれた。
また家康は、関ヶ原の合戦や大坂城攻めに最新鋭の大砲を導入して勝利したが、これもウィリアム・アダムスたち紅毛人の助力があってこそだった。
特に、難攻不落の大坂城は新型大砲なしでは決して落とせなかっただろう。
家康がプロテスタントで商業を重視するイギリス人やオランダ人を重用し、カトリックのイスパニア人を遠ざけたのは、イスパニア人の信仰心が軍事力による他国侵略と表裏一端となっていたからである。
この異世界では、「人間」を名乗る種族のほうがイスパニア人に似ていて厄介らしい、と家康がぼやいていると。
「ギャーーーーーー!? 最後の関門だわ、ワイバーンが出たあああああああ~!? もうダメええええええ! 弓さえ、弓さえ持ってきていればああああ~!」
セラフィナが、青空を指さしながら「がたがたがた」と身体を震わせていた。
ワイバーン――空を飛ぶ中型の翼竜。体長はおよそ二メートル。
斥候部隊が領域境界に配置していた「最後の関門」である。
「なんとっ? あれは怪鳥? あるいは竜か!?」
「ドラゴンじゃないよ。相手がドラゴンだったら一瞬で消し炭にされちゃう! でもでも、ワイバーンは天空から急降下してきて鋭い嘴で噛みついてくるの! 狙われたら切り裂かれちゃう! エルフお得意の弓さえ装備していればあ~」
「どうして弓を装備せずにえるふの森を飛び出したのだ。そもそもお前の細腕では、矢を放っても当たらんだろうが」
「失礼ね~、仰る通りですけれどっ! でもでも、伝説の勇者様ならワイバーンにだって勝てるよねっ? お願いっ、最後の戦いだから頑張ってっ! いっぱい応援しちゃう!」
やはり勇者職などは危険極まる重荷ではないか、と家康はご陽気なセラフィナに苦言を呈したくなったが、あまりにも天真爛漫な笑顔で応援されると「嫌だ」とは言えない。
「……やれやれ、勇者使いの荒い娘だ。だが翼竜と戦った経験も、上空から飛来する翼竜への対策を練った経験も、俺にはない。弓以外の武具も持ってきていないのか?」
「ごめんね~、私は生来争い事が苦手なの。弓も剣もまともに扱えなくてね。だからぁ、おやつとお水以外に持ってきたものは、護身用に持ってきたこの魔法の杖だけっ!」
「魔術を発動する時に振っていた杖か! 成る程! この杖、少し借りるぞ世良鮒!」
「えっ? ちょ? ちょっと? それがないと、『盾の魔術』を発動してワイバーンの一撃を防ぐことができないんですけどお~?」
「相手は人間の騎兵ではない、翼竜だ。お前のへっぽこ魔術では、最初の一撃を防げるかどうかも怪しい!」
「ぐはっ!? そうかもしれないですけどぉ、張らないより張ったほうがマシじゃんっ?」
「いや! かくなる上は、死中に活を求めるのみ! 攻撃こそが最大の防御なのだぞ世良鮒! 三方ヶ原で甲斐の虎・武田信玄公を相手に命捨てがまって突撃していった時の蛮勇、今こそ奮い起こすッ!」
「三方ヶ原ではタケダシンゲンに負けて敗走したって、さっき言ってませんでしたっ?」
「世良鮒よ、賽は投げられたのだ! いや、『杖』が投げられる! はああああああっ!」
「って、ちょっとーっ? 投げないで、投げないでーっ! いやあああああああ、神木宇宙トネリコの枝から作った貴重な杖があああああ!?」
家康はスレイプニルの背中に飛び乗るや否や、杖を構えながら高々と宙を舞った。
キシャアアアアアッ! と鋭い叫び声を発しながら家康めがけて垂直落下してきたワイバーンの嘴の中へと、家康はセラフィナの杖を全力で投擲していた。
ワイバーンの嘴の先端が家康の頭蓋へ到達するか、あるいは杖が先にワイバーンの嘴から喉へと突き刺さるかというぎりぎりの勝負。
相手が攻撃を仕掛けてくると同時に自らも剣を放ち、相手の剣を弾き飛ばしつつ肉を斬る。小野派一刀流の極意「切落し」の呼吸を、家康は咄嗟に投擲に応用したのである。
相手は人間ではなく未知の猛獣。少しでも目測を誤れば、家康は敗れただろう。だが、ワイバーンが落下してくる軌道が正確無比に一直線だったことが、家康に幸いした。
ドンッ!
ワイバーンの喉奥まで、家康が投げた杖が深々と押し込まれていた。
嘘っ? 痩せてるのになにその剛力? とセラフィナは一瞬家康に見惚れたが、さらなる家康の無謀な行動には呆れ果てることになった。
「取った! 実戦剣術の神髄は『突き』にあり! おおおおおおっ!」
嘴の中まで杖を押し込まれながらもなお落下してくるワイバーンの嘴めがけて、神剣ソハヤノツルキの剣先をまっすぐに突き入れる。家康は剣先を用いてワイバーンの喉に刺さった杖をさらに深々と押し込み、ついには背中側まで貫通させたのだった。
意識を飛ばされて動かなくなったワイバーンの身体は、家康の放つ剣圧によって強引に軌道を逸らされ、草原の片隅へと叩きつけられていた。
家康はこの時、既にワイバーンの傍らに着地してソハヤノツルキを鞘に収めていた。
セラフィナは感動と衝撃で痺れていた。家康が本気を出した時の桁外れの勇猛さと未知の剣術の技量は、明らかに人間の限界を超えている。最初に自分が襲われている様を隠れて様子見していた、慎重過ぎて頼りない家康とはまるで別人だ。まさに伝説の勇者。
家康がワイバーンに倒される光景を期待して後方で待機していた騎兵たちも、言葉を失っていた。この家康という男、爪を噛んだりしかめ面で腹を押さえたりと、いったい臆病なのか勇猛なのかさっぱりわからない。だが、少なくとも「追い詰められたら切れる」ということだけは確かだった。
「……ぐっ。戦いの緊張から解放された途端に、腹具合が限界に……! 万病円、万病円」
「ぐえーっ? 漏らさないで、漏らさないでイエヤスぅ! おうちが見えてきたら突然お腹が限界突破することってあるよねっ? でもでも、あと少しだけ耐えて私のためにっ!」
「ま、万病円を飲んだから問題ない……今の翼竜が最後の関門か。この先はえるふの森の領域というわけだな世良鮒?」
「う、うん、そうだけど……ワイバーン、すっごく痛そう、かわいそう……治癒してあげなきゃ……ごめんね、『治癒の魔術』をかけてあげるからしばらく眠っていてね……」
「俺が腹痛に耐えながらやっと倒したのに、そいつを治癒するのか?」
「エルフは食べるための狩りはするけれど、無益な殺生はしないんだよ。あーっ? 杖がああ、杖が折れてるううう!? どうしよおおお? なんてことすんのよイエヤス~?」
「杖などまた作ればよい。遠巻きに見物している騎兵どもよ、見たか! この徳川家康は慎重故に今日はうぬらを見逃すが、このままえるふの森へ攻めて来るというのならば返り討ちにしてみせよう! 二度と協定を破って領域を荒らそうとするな、よいな!」
「ギャーーー? 戦争になっちゃうから、そういう過激な発言はやーめーてーお願い~」
「……そうだった。俺は慎重な男だが、追い詰められて切れると暴走する癖があってな」
「はいはい。それはもう、よっくわかりましたからっ! いじめられっ子が突然逆上したみたいになるんだもん!」
「誰がいじめられっ子だ。確かに今川家の人質にされていた幼少の頃、駿府では孕石元泰に『三河の小倅の顔を見るのは飽き飽きだ』とずいぶんいじめられて……いやなんでもない。ところでこの翼竜は食えるのか、世良鮒?」
「それは無理。肉の中は毒でいっぱい。『治癒の魔術』で解毒すればなんとかいけるけど、大量の薬草を使うから、手間暇かかり過ぎで差し引き大赤字だよ?」
「なんだとおお? 俺がこの猛獣を相手に命懸けで戦ったのは、ぬっへっほう同様に寿命を延ばす貴重な食材になると信じていたからなのに? 骨折り損だったとは?」
「それでやる気まんまんだったんかーい! 私を守るために戦ったんじゃないんかーい!」
「ならばこのまま解き放つか。ふむ、既にお前の『治癒の魔術』が効いて傷が塞がってきている。さすがは異世界、驚くほどに強靭な生物だな」
「弓も使わずにワイバーンを倒しちゃうイエヤスのほうが強靭でしょっ? つーか非常識でしょっ?」
家康が用いた「切落し」の剣は相打ち上等。騎士が振るう剣技において何よりも華麗さと優美さが重視されるセラフィナの世界では考えられない無謀な剣術だった。まさしく戦国日本を生き抜いた本物のサムライが強敵を相手にした時にのみ振るえる、蛮勇の剣。「後の先」を得意とする新陰流だけでは不足する場面があるかもしれぬと慎重を期し、猪突猛進する敵を想定して一刀流の「切落し」を修得しておいてよかった、と我に返った家康は安堵のため息をついていた。
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