第二話 02

「うえーん。イエヤスうううう! ごめんなさいっ、もう壁が保たないよう~! 騎兵たちが突破しそうっ! 数が多過ぎる~! あ、ダメ、もう無理無理無理……!」

 多勢に無勢。セラフィナが先に泣き顔でギブアップを宣言した。

「えーい、人をけしかけておいて先に心を折られるな! 粘るのだ、俺の健康のために!」

「そこは、私の命のために頑張れって励ますところだよねーっ!?」

 もはや家康には残された時間がない。スライムにあと一撃を浴びせるのが限度!

 追い詰められた家康の思考は、さらに蛮勇から蛮勇へと跳躍する!

(ぬっへっほうは、斬撃では倒せない! 前世で成功したことはついになかったが――勇者職特典を得た今の俺ならば? そう。柳生宗矩より授かりし新陰流実戦奥義、「兜割」ならば、あるいは!)

 兜割。文字通り、日本刀を相手の兜めがけて真っ向から振り下ろし、兜を割って相手を葬るという恐るべき殺人剣である。

 徳川家の剣術指南役・柳生宗矩は「柳生新陰流は治世のための活人剣にて」と表では語っていたが、裏では戦国時代に柳生一族が工夫し会得した超実戦的な殺人剣の秘術を多数会得していた。そのひとつが新陰流奥義「兜割」である。

(腕力で鉄の兜を押し切るなど人間には到底不可能だと、若き頃の俺は思っていた。だが、筋力を失った晩年に至ってようやく理解できた! 兜割の極意は斬撃にあらず! 頑丈で重い兜の表面を全力で叩くことで、兜を装着している相手の頭蓋を揺らし脳を破壊する「内部破壊」の剣と見たり! 故に、衝撃を逃がす身体構造を持つ相手に対し、兜割は真価を発揮する! その極意を今、ぬっへっほうを相手に試してやろうではないか! いかな怪物妖怪の類いといえども、この肉塊の内部には脳や重要な臓器があるはず! それを兜割の衝撃によって内部から粉砕する! 肉が斬れぬのならばむしろ、剣による衝撃は内部の脳へと直接到達するはず!)

 きえええいっ! と家康が怪鳥の如き声を上げながら、大上段より神剣ソハヤノツルキをスライムの脳天へと振り下ろしていた。ぼおん、とスライムの肉が揺れる。と同時に。

「……ぴっ……ぴええええっ……!?」

 肉は斬れていない! だが、家康の剣が浴びせた全衝撃が肉を伝わり、スライムの体内に格納されている脳を肉ごと激しく震動させていた。瞬時に意識を失ったスライムは目を閉じて昏倒した。これほどの衝撃を脳に受けながらなお生きているのだから、さすがは不死の霊薬の原料と呼ばれるだけのことはある。が、当面は目覚めないだろう。

「……『兜割』……異世界でついに会得したぞ、宗矩よ。滋養豊富なぬっへっほうの肉は、俺が美味しく頂こう。まさしく活人剣よ」

 この大番狂わせに衝撃を受けた騎兵たちは、セラフィナが展開している壁を打ち割ろうと構えていたランスを突き入れることをしばし忘れ、

「「「まさかスライムを一撃で倒しただと? 勇者とはこれほどに強いのか!?」」」

 と口々に声を上げていた。邪剣の使い手だと驚く者、魔術を用いたのではないかと恐れる者、そして同じ剣士として「あれは剛の剣にあらず、柔の剣だ」と家康の剣に見惚れる者。

「ぐぇーっ、嘘おおおおっ!? ほんとに倒しちゃったっ? どうやったの、イエヤスぅ?」

「なぜお前が驚く。世良鮒、ぬっへっほうを須霊不死竜に引っ張らせて逃げるぞ」

「なんで縄でスライムを縛ってるのよーう? その行為になんの意味がっ?」

「これは人間の寿命を延ばし力を増強する貴重な食材なのだ、エルフの森まで運び入れる。俺がなんのために命を捨てて戦ったと思っているのだ、お前は」

「それはぁ~、私のためでしょぅ~? 勇者様は乙女を守るものだからあ~♪」

「違うぞ。俺の健康のためだ」

「あーもう、嘘でもいいから私のためだって言ってほしかったのにい! 無理無理、二人乗ってるだけで限界なんだから、そんなデカブツまで連れて行けないって! スレイプニルのスピードが落ちちゃうじゃんっ!」

「それでは、俺は下馬したまま自らの脚で走る! えるふの森の領域まであと少しなのだろう? 頼むぞ須霊不死竜!」

「いやいやいやいや! そんな逃げ方、有り得ないんですけどっ!? 騎兵に追撃されたら追いつかれておしまいなんですけどっ?」

「昔、三方ヶ原の合戦で武田信玄公に敗れて命からがら浜松城に逃げ込んだ際、俺は敢えて城門を解き放って、『なにか策がある』と思慮深い信玄公を疑わせて城攻めを免れた。無手勝流も、一度きりなら通用するというものだ」

「ふえええ。そんな手があるんだ。イエヤスって意外と知恵者なんだね~」

「いや。あの時は俺如きが偉大な信玄公と戦っても勝てる訳がないと悟って、もうどうにでもなれとヤケクソになっただけだ」

「今はヤケクソになってる場合じゃないじゃんっ!? 私を守りなさいよぅ~!」

 一時的に混乱状態に陥った騎兵たちが呆気にとられているうちに、家康はセラフィナを乗せた一角馬にスライムを引っ張らせながら、自らは一角馬に併走して森の中の獣道を無言で走りだしていた。

 なんでスライムを連れて行くんだ、なんで馬から下りて自力で走るんだ? 騎兵たちには家康の奇行がまるで理解できない。かえって疑心暗鬼を生み、追撃を恐れた。もしかすると勇者は逃走中にあのスライムを目覚めさせてわれらを襲わせるつもりかもしれない。そう思うと、全軍で追いかけることを躊躇してしまう。

 それに、彼ら斥候部隊にはなお、逃走者の退路を断つ「最後の関門」が残されているのだ。あの最強の切り札は、スライムを剣で倒した勇者であろうとも決して切り抜けられぬ。遠巻きに追跡していれば、勇者が「奴」に敗北して大地に倒れている姿を確認し、容易に捕縛できるはず。もっとも、勇者は「奴」に殺されるかもしれないが、その時はその時だ。スライムですら倒す蛮勇の持ち主なのだから、生け捕りに失敗しても弁明は可能だろう。

 騎兵たちが距離を置いていることを確認しつつ、家康は全力で走り続けた。

「よし! やはりこの異世界の空気は、俺の五体に活力を与えてくれる!」

「ぜ、全然疲れていないんだね、馬並みだね~イエヤスぅ? エルフは大地や空中のプネウマを魔術に用いるんだけど、人間の身体はプネウマを活用できないはずなんだよねー。でもイエヤスにはそれができるみたい。それって勇者の特殊能力なの~?」

「うむ、そうらしい。だが世良鮒、あの騎兵たちは何者だ? 教団とは? 皇国とは? 魔王軍とは? なぜ、かつて共闘していたえるふと人間が今は対立している?」

「うーん。一言では説明できないけど、いろいろあったのっ!」

 知恵を絞って一言で説明してくれと、苛ついた家康はまた爪を囓りそうになった。

「あと少しだよイエヤスぅ! エルフの森の領域に入れば、人間はもう超えられないから! 一応そういう協定があるの! ほら、森林を抜ければそこは大草原! この草原を走り抜けば、あと一息でエルフの森の領域だからっ♪」

 家康は得られた情報を纏めた。人間とエルフはかつて魔王軍と戦っていた同志だったが、魔王軍が撤退した今は対立中。そして人間は教団を信奉し皇国に仕えている。今、自分はその教団に「異教徒の勇者」という敵性存在だと思われている。逆に、エルフは勇者を「魔王から世界を救う者」として歓迎してくれるらしい。

 もっとも、魔王だかなんだか知らないが、そんな正体不明の存在と戦うつもりは慎重な家康にはないのだが――。

とはいえ、


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