第一話 06

「「「そこのエルフと騎士よ、挙動に不審な点あり! 取り調べに応じよ!」」」

「ギャーッ!? 数が増えたーっ!? いいいいイエヤスぅ、どうしよう~!?」

 気づけば百人にも及ぶ人間の軍勢が、家康とセラフィナの前に出現していた。

 全員が、機動性に優れた騎馬兵たちである。先ほど失神させた傭兵たちとは全く質が違う正規の軍団だった。その優れた統制の取れ方は、家康にとっての悪夢とも言える武田騎馬隊を思い起こさせた。一対百、しかも相手は全員が騎兵。救いは、やはり誰も種子島を持っていないということくらいだ。

 だが、いくら剣豪の高みに到達した家康とて、剣一本で戦って勝てる相手ではない。今の家康の実力ならば十人から二十人は倒せるが、己も討たれるだろう。討たれれば当然、セラフィナは守れない。

 ここは不要な衝突を避け、セラフィナと家康自身の安全を優先すべき時だった。

 しかしその騎馬隊の騎士たちが、一斉に家康が持っている印籠を指さして叫びはじめたのである。

「エルフの森周辺の斥候に来てみれば、大魚が釣れたぞ。見よ! あの黄金騎士の持っている印籠に、『三つ葉葵の御紋』が刻印されている!」

「エの世界から来た勇者の印だ! 偽勇者ではない、あの者は真正の『勇者』だ!」

 なにを言っている? これは徳川家の家紋だ。前世では確かに覇王の威光の象徴だが、この異世界とは無縁のはずだ、と家康は首を捻った。

「しかも、その勇者がエルフの娘と結託している! 奴の足下に、傭兵たちが倒れている……勇者は人間陣営を裏切ったーっ!」

「枢機卿様のお言葉通りだった! 全ては『聖マスカリン預言書』の預言通り! 皇国と教団に刃向かう、魔王に匹敵する災いが訪れたのだ! ここに勇者を異教徒と認定!」

「皇国を守護せよ! 勇者を捕らえよ、聖都へ連行して宗教裁判にかける! 生け捕りが不可能ならば」

「討つこともあたわず! 突撃ッ!」

「なんのことだ? 勇者が人間の教団と敵対する皇国の敵とは? いったいなんの預言なのだ、えるふの伝説とは違うのか?」

 セラフィナが「エルフ族に伝わっているのが本物の伝説で、人間の教団の預言書は改竄されてるらしいよ~」と耳元で囁いてきたが、騎馬兵たちは「あの二人、人間とエルフでありながら男女の仲だ!」といよいよ家康を「人類の敵」と思い込んだ。なんという、とばっちりなのか。家康は必死の自己弁護を試みようと頭を回転させた。

 だが、既に騎馬兵たちは躊躇なく家康を討ち取るべく突撃を開始している。

「ままま待って~、話し合おうってばあ~! 傭兵を峰打ちしたのには理由があって……」

「そんな余裕はないぞ世良鮒! さすがの俺も馬の突進速度には勝てん! さっき使った『盾の魔術』とやらで騎馬兵の突進を防げっ! その隙に対応策を考えるっ!」

「じゅじゅ術式ったって、私の『盾の魔術』はポンコツだってさっきわかったでしょ?」

「魔術については俺は素人だが、九字を切る忍術のようなものなのだろう? 呪文が正しいのならば、上手くできない原因はお前自身にある! 集中しきれていないのだ。落ち着け。そして丹田に――臍のあたりに意識を集中させながら呪文を正確に唱えよ!」

「あわ。あわ。あわわわわ……! そ、そうだわ。長老様も同じような教えを……『大地のプネウマを深呼吸して肺にたくさん取り入れて、静かに臍へ流せ』って……わかった、やってみる! すううー。杖を掲げて、術式展開っ! で、できたっ!」

「うむ! これでしばしの間防げるぞ。世良鮒、やればできるではないか!」

「いえいえ、さっすが勇者様! 教え上手だねっ、それでここからどうするのっ?」

「……俺はまだ異世界に来たばかりで、この先はそう簡単には思いつかん。今しばらく壁を持たせてくれ……ぎちぎち、がりがり」

「そんなぁ~? わーっ爪を噛んでる、やばいっ? そうだわ、閃いたっ! スレイプニル、戻って来て! お願い! スレイプニルの脚ならば逃げ切れるよ、だいじょうぶ!」

 ぴいいい、ぴいい、とセラフィナが慌てながら指笛を吹いた。本人は必死の形相なのだが、家康にはどこかひょうげているようにしか見えない。この娘、やることなすこと、どこか抜けているのだ。この戦乱の異世界でよくも今まで生きてこられたものだと感心する。

(しかし主の自分を捨てて逃げ去った馬を、この修羅場で呼び戻せると信じているとは、さすがに楽天的過ぎるのではないか?)

 家康が、セラフィナが空中に展開した「壁」の内部に籠もりつつ、騎馬兵たちが突き入れてくる槍の連続攻撃が「壁」を徐々に破壊していく様を眺めながら爪を噛んでいると。

「……ブルルルルッ……! ヒヒイイイインッ!」

「「「おおっ、白い一角馬?」」」

 来た。

 全身が白い、巨大な一角馬。スレイプニルが、森の奥から突進してきた。

「おお、待っていたよースレイプニル~! 私は信じていたよー! ぐぎゃっ?」

 壁の隙間を一部解除してスレイプニルを迎え入れようとしたセラフィナを跳ね飛ばして、スレイプニルはまっしぐらに家康のもとへとはせ参じたのだった。

 家康は躊躇せずにスレイプニルに騎乗していた。この一角馬に己の命運を託す他はない。

「俺を主君と認識している? 世良鮒、乗れ。俺の腰にしがみつけ! 逃げるぞ!」

「いだだだだ。酷いよースレイプニル~。まあいいわ。あなたって、勇者様専用の馬だったんだね~」

「世良鮒。お前、存外に図太いな」

「伊達に王都を陥落させられてなお生き延びてないもーん! さあエルフの森の宮廷まで逃げるよーイエヤス! まずは右手の森の中に入って! それで弓は使えなくなるよ!」

「「「人間に決して懐かぬ一角馬を一瞬で手名付けて乗りこなすとは? 見事な馬術なれど、実に面妖なり! 絶対に逃がすなあああ!」」」

 スレイプニルは、家康とセラフィナを乗せながら恐るべき速さで駆けた。

 セラフィナの指示に従って、あっという間に森林地帯に突入。追っ手たちは馬上から矢を射ようとするが、四方八方に生い茂った木々の枝葉が邪魔になって家康を撃てない。接近戦を試みる他はなくなった。

 家康は、必死に追いすがってくる騎兵たちを一人、また一人「くどい!」と馬上から神剣ソハヤノツルキを振るって落馬させながら、ぐんぐんと追っ手を引き離していく。

 家康は(まさか人間の軍勢を相手に戦わされる羽目になるとは)と愚痴りながらスレイプニルを駆けさせていた。

 宗教の論理で動いている軍勢ほど厄介なものはない。家康は、「主君よりも信仰が大事」と多くの家臣が自分に反逆した三河一向一揆や、布教活動と海軍力の合わせ技でアジアを浸食していたイスパニアで懲りている。

 連中に捕らわれれば得体の知れない宗教裁判にかけられ、身に覚えのない罪で有罪宣告を受け、最悪の場合は処刑されるだろう。しかも日本国内では絶大な威光を誇っていた葵の御紋が、罪の証拠とは。

「まるで切支丹扱いだ。伊達政宗と組んで日本を狙っていたイスパニアの野望をくじくために切支丹を禁教化した俺が、異世界では逆の立場に。これが因果応報か」

 背中に抱きついているセラフィナは、

「おおー! やっぱりスレイプニルは速いねっ! イエヤスの馬術もすっごく上手いし! もうこれでだいじょうぶだよねっイエヤスぅ! 帰りの道順は私が知っているから安心してね!」

 と元気いっぱいだが、訳のわからないままに人間の軍勢から追われる身になった家康の胃はさらにきりきりと痛むのだった。「女神」め、魔王討伐の使命はどうなったのだ。捗るどころか、どんどん本来の使命から遠ざかっているではないか。

「俺の馬術は大坪流と言ってな、暴れ馬は得意のうちだ。だがそう簡単には逃がしてもらえんぞ世良鮒。連中は戦争に慣れている。それに、森にはなにが潜んでいるかわからん」

「えへへ~。往路ではなにも出なかったってば~。イエヤスってば、心配性なんだから~」

「……俺はただ慎重なだけだ」

 現実は非情である。事態は、家康が心配した通りとなった。


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