第一話 05
「やったあ~! ありがとう、イエヤスぅ~! あ、でも、その爪を噛む癖はみみっちいからやめたほうがいいよ~? 威厳のない、ハズレの勇者様に見えちゃうからねっ!」
「誰がハズレの勇者だ。女神に続いてお前までもがそれを言うか。怒るぞ」
「待って~! 耳を引っ張らないでっ、ダメ~! ごめんなさいっ、もう言いませんからっ! あ、でも、やっぱり女の子の前で爪を噛むのはどうかな~?」
「……俺はこれからどうなってしまうのだ……くっ、心配のあまり腹が痛くなってきた……す、少し待て」
「だいじょうぶ? お腹さすってあげよっか? 私の治癒の魔術はとっても効くよー?」
「要らん。俺は医者を信用しない。藪医者だったら命に関わるし、毒を盛られるかもしれん。自分の息子の秀忠から送られてきた薬すら、俺は決して口に入れなかったのだぞ? ましてや得体の知れない魔術をいきなり使うのは剣呑過ぎる。まずは治験をしなければ」
「そんなぁ~? 恩人のイエヤスにそんなことしないよぅ? イエヤスって人間不信なの? まさかエルフ不信? あ、エルフを知らないんだったねー? やっぱ人間不信?」
「……俺は慎重なだけだ。前世の戦国日本では、俺の命を守れる者は俺自身だけだった。俺は七十五年の生涯を、自らの医学知識と衛生知識を駆使して生きながらえてきたのだ」
「はえ~。お医者様が毒を盛るだなんて、厳しい世界だったんだねー。って、七十五? 嘘ぉ~? 二十歳くらいでしょ? 人間って、不老のエルフと違って年々老けるじゃん?」
「胡散臭い『女神』の力でこの世界に召喚された際に若返ったのだ。おかげで五体に力が漲っているが、生まれつき胃腸だけは弱くてな。緊張すると腹が痛んでどうにもならん。戦場で恐慌を来すと、最悪の場合漏らす可能性も。特に騎馬隊が苦手でな」
「ひえっ? 漏らさないで、漏らさないで~っ! それって小さいほう、それとも……」
「無論、大のほうだ」
「だだだ、大っ? ギャ~!? い~やああああ~、エルフは清潔好きなのおおお~!」
「……騒ぐな。俺が調合した腹痛止めの万病円を飲めば、問題ない」
家康は愛用している葵の紋章入りの印籠を手に取ると、万病円を二粒取り出して服用した。この万病円は、漢方薬博士の家康が独自調合した特別品で、長崎渡りの「本草綱目」をはじめとする古今東西の薬学書を片っ端から取り寄せて研究し独自改良を重ねた結果、家康の持病の胃痛を即座に止めてくれるようになった優れものである。
もうひとつの常備薬・八味地黄丸と併用すれば、文字通り万病に効く。
「……ふう、危なかった……未知の異世界にいると思うだけで妙に緊張するな……」
「くくく薬ってさあ、その腰の印籠に入ってるので全部でしょ~? いずれは飲み尽くすじゃんっ? なくなったらどうするのよぅ?」
そう。この異世界で全く同じ薬を調合するのは難しいだろう。家康にとっては死活問題。
「八味地黄丸には附子という生薬を使うのだが、これは直接口に入れれば猛毒となる。卓越した匠の技で無毒化加工して用いるのだが、附子の代替種がこの世界にあるかどうか」
「ぐぇ~? 毒入り薬を飲んでるの~? あっぶな~! よく飲めるね~?」
「薬と毒とは紙一重なのだ。代用品となる生薬を集めるためには、世良鮒の知識が必要かもしれん。いちいち自分で附子に似た植物を探して味見などしていたら、毒に中って命を落としかねん」
「うんうん。だったら私に任せてよー! 治癒の魔術使いのセラフィナちゃんは、この世界の薬草にとっても詳しいんだからっ! 毒草とか毒キノコも判別できちゃうよっ!」
「それは好都合。だが、俺が独自処方する八味地黄丸には蝦夷地由来の海狗腎も用いている。あれは極寒の海にしか生息しない珍獣だからな、異世界で手に入るかどうか……」
「ほうほう。初耳な名前だね~。カイクジンって、な~に~?」
「オットセイという動物の陰茎だ」
「いんけ……乙女の前でチン●の話をするなーっ! そんなものを薬に入れて飲むのっ? イエヤスってばヘンタイさんなのっ!? いいいい~やああああ~!?」
「うるさい。実際に効くのだ。太閤殿下が『精力がつく』と信じて食していた虎の肉とは違い、正真正銘の本物だ。そうでなければ、慎重な俺がわざわざあんなものを飲むか」
家康は知るよしもないが、実際に海狗腎は天然のステロイドとして作用するため、現代スポーツのドーピング検査に引っかかる本物の薬物である。
「うえええ、ほんとにい~? でもオットセイなんて動物は大陸にはいないからさ、代用できる動物を探すしかないね~。ででででも、私はその薬は絶対に飲まないよっ?」
まずは「薬造り」のための拠点と相方を確保できた、幸先良し、と家康は頷いていた。
しかし家康が持っている印籠が、彼をさらなる厄介な運命へと追い込むことになった。
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