第一話 04
「ギャアアア、ちょっと待ってよぅ! こんなところで放りださないで~! そんな生殺しみたいな真似、やーだー! いやあああ、最後まできっちり助けてよぅ! エルフの森にまで連れて帰って~! お願いっ、お願いしますぅ! びえええええん!」
「ええいうるさい、鼓膜が破れるっ! だいたいお前は誰なのだっ!?」
「私はエルフ王女のセラフィナ・ユリと申しますう! どうかどうか騎士道精神を貫いて私を無事に森の宮廷まで送り届けてくださいっ! 黄金の騎士様! お願いしーまーすーう!」
脚にしがみつかれてしまった。仮にも王女たる者がびえんびえんと泣くなと家康は苛立ち、つい親指の爪を噛んだが、この悪癖は築山殿だけでなくたいていの女性に「品がありませんわ」「天下人の品格が……」と嫌がらていたことに気づいて、指を口から離した。
かの関ヶ原の合戦でも家康は、内応するはずだった西軍の小早川秀秋がいつまでも寝返らないで日和見を決め込んでいる姿に焦れて激昂し、親指の爪をせかせかと囓りながら「あの小童の陣へ種子島を撃ち掛けろ!」と怒鳴ったものである。
もしあの威嚇射撃を受けた小早川が「おう、やんのか狸親父?」と逆ギレして敵に回っていたら危なかった。家康は関ヶ原で勝利した後、自分の無鉄砲さに震えあがったものだ。そして、さらに慎重になった。その結果、大坂の陣開戦まで十四年「待つ」羽目になった。
つまり家康は慎重な男だが、それは幾多の苦難に襲われ続けた結果、後天的に身につけた処世術。ひとたび切れると本来の短気者の性が出て、「一か八かの大博打に打って出る」とか「もはやこれまで、切腹する」とか言いだして家臣団を狼狽させる。そして、そういう場合の家康はたいてい爪を噛んでいる。
家康の爪噛みは、切れて慎重さを見失った時のサインのようなものなのだ。
それほど家康はセラフィナに泣きつかれて困惑していた。そもそも、この隙だらけで泣き虫の娘はほんとうに王女なのか。日本の武家の娘とはあまりにも違う。日本では、村娘でももっと毅然としていたものだが……高貴な「王女様」への苦手意識は解消されたが、今度はどうにもセラフィナが心配で捨て置けなくなってしまった。
「このあたりはエルフの森の領域外なんだよぅ。いつ人間に襲撃されるかわからないとエレオノーラに止められたんだけど、私、どうしても長老様のために薬草を採取したくて~」
「ほう、薬草か。俺も薬造りが趣味でな。お前は薬師なのか?」
「惜しい、ハズレ~! 私は魔術師ですぅ! 治癒の魔術しかろくに使えないんだけれど、良質の薬草さえあれば長老様の腰痛を治せるから、思い切って領域外に出ちゃった……領域外でなくちゃ摘めない薬草だったから……一人で来ちゃったことは反省していますぅ! 不用心でした、もうしません! だから助けてくださーい! 後生! お慈悲!」
「なんと。薬草を用いる治療の魔術師だと?」
家康は、武士でありながら異常と言えるほどの薬マニアで、「健康のためならば死んでも悔いはない」と自ら様々な漢方薬を調合して毎日飲み続けていた変人である。つい、セラフィナの「治癒の魔術」に興味を抱いてしまった。セラフィナが奇妙な魔術を用いることは既にその目で確認済みだ。
「世良鮒(セラフィナ)よ。俺は徳川家康という武士だ。遠くの国から来た――この世界のことはなにも知らん。『えるふ』とやらも初耳だ。なぜ耳が尖っている。この世界の流行なのか?」
「ちょっと~、なに言ってんのよぅ? この耳は、流行とかじゃないからっ! エルフはみなこうなの、生まれつきなのっ! とんがり耳は高貴なエルフ族の自慢なのっ!」
「……そうなのか。南蛮人、紅毛人以外にもいろいろな者がいるものだな」
「ギャー、耳を引っ張るなー! そもそもエルフを知らないって、イエヤスぅ? あなた、いったいどんな辺境から来たのさぁ? もしかして、海の彼方から来たの?」
どうやらこの異世界も、群雄が割拠するかつての日本の如き乱世らしい。しかも魔王とかいう人外化生の存在を倒すのが俺の使命らしい。現実主義者の家康はますます(関わったら負けだ)と及び腰になった。だが、セラフィナが「行かないでええええ~」と泣きながらがっちり片脚をホールドして動かない。蹴り飛ばせば振り払えるが、中身は七十五歳の家康は、孫娘のような年齢の少女にそんな真似はできない。
「エルフの森の宮廷まで送ってくれればそれでいいから~! お願~い! スレイプニルが逃げちゃったのー! 女の子一人で徒歩じゃ無理いいいい! このあたり、人間がいっぱいいるみたいっ! あと、緊張が解けたらお腹空いた~!」
「だったらそのへんの草でも食っておけ。須霊不死竜とはなんだ?」
「ダーラヘスト(一角馬)だよ! ダーラヘストはもともと気難しくて主をえり好みするんだけど、スレイプニルは私にあまり懐かなくて、薬草を摘んでいる間に消えちゃった! だから、一人じゃ帰れませーん! 見捨てないで、騎士様! イエヤス様! どうか私にお慈悲を! うわーん!」
「ほう、一角馬か。やはりここは異世界なのだな。今まで俺が生きていた世界とは違う」
その言葉を耳にしたセラフィナは、瞳をきらきらと輝かせていた。
「えええええ? あなた、『エの世界』からの召喚者なのっ!? はじめて出会っちゃった! じゃあじゃあ、勇者なのっ? 魔王を倒してくださる伝説の勇者様っ?」
「……お、俺は勇者とかそのようなたいそうなものではない。前世で、征夷大将軍として戦国日本を統一した程度の男だ。あの世界が『えの世界』だったかどうかは知らん」
「大将軍として天下統一ぅ? それって完全に勇者の所業じゃーんっ!? すっごーい! さっきの剣裁きとか、尋常じゃなかったもんね! あっという間に、すぱーん、ばしーっ、びしーっ、どかーっ! で六人倒しちゃったし!」
「世良鮒、四人分しか擬音がないぞ。お前、いろいろと適当だな」
「そっちが細かいんでしょ~? イエヤスは伝説の勇者様なんだよ! この世界を魔王から救ってくれる運命の騎士なんだよ! そうじゃなきゃ黄金の甲冑なんて着てないよね? お願い、どうか私にお仕えして~! イエヤスが私を守ってくれれば、毎日薬草を摘み放題じゃない?」
さあ来た。魔王討伐という重荷を背負わされる羽目になる。自称「女神」の思い通りにはならんぞ。家康は頑として否定した。
「俺は、魔王とかそういう得体の知れぬ怪力乱神の類いには絶対に関わらん! 俺にそのような神通力はない! 人間同士の争いごとに干渉するまでが関の山だ!」
「エルフも人間も魔王軍のオークも似たようなものだってばー! でも、ほんとはエルフが一番古くて高貴な種族なんだよ? 今は人間が威張り散らしていて、異種族を弾圧しているけれどぉ、魔王軍がまた攻めてきたら一緒に戦うしかないんだってば。魔王は海の向こうで休んでいるだけで、いつかまた攻めて来るんだからさぁ。ねえねえ勇者様ぁ~」
「……宮廷まで届けるくらいなら、やってやってもいい。だが仕官はせんぞ」
しまった。孫娘におねだりされている気分になって、つい譲歩してしまった。おめでとうございます! これであなたは勇者ルートに入りましたよオホホホホホ、後は自力で頑張ってくださいね~♪ それではお幸せに~♪ と「女神」の高笑いが聞こえてきたような気がした――。
(俺は果たして宮廷までこの娘を送り届けた後、即座にエルフの森から逃げだせるだろうか……)
結局「女神」の思う壺に落ちた家康は思わず舌打ちし、そして再び爪を噛んでいた。
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