第一話 03

『さあ、これが勇者としての最初の任務ですよ。彼女がこの異世界であなたが守るべきエルフの姫ですよ。颯爽と救いに行きなさい。私が指導してあげられるのはここまでです』

 脳内に「女神」からの指示が飛んでくるが、家康は(まだいたのか、お前)とぼやきつつ、慎重に様子を見守るつもりだった。

 少女を襲っている傭兵集団の数は六名。一対六では勝算はないとは言わないが、絶対にあるとも言えない。そもそも、ここは謎の異世界。家康が常々愛用している石鹸も持っておらず、かすり傷ひとつを負っただけでも破傷風で死ぬ可能性があるため、傭兵たちが種子島を持っていないことをまず確認していたのだ。

 さらに、えるふだのなんだの知らない単語が飛び交っていて、事情も知らないままに迂闊に関わると厄介そうだった。故に、名を名乗らず傭兵どもの背後から無言で斬りつけて少女を救うや否や即座にこの場を離脱し、「女神」が敷いた勇者ルートから外れる機会を慎重に見計らっていたのだが、敢えなく見つかってしまった。

 そもそも、家康は身分の高い女性がどうにも苦手だった。

 家康は、駿河の今川家に人質として捕らわれて下僕働きをさせられていた十代の多感な時期に、今川家当主義元の姪・瀬名姫(築山殿)という強気この上ない年上の妻と結婚させられ、長らく妻の尻に敷かれていた。

 とはいえ、二人の間には嫡男の信康も生まれ、夫婦関係はそれなりに円満だった。

 ところが今川義元が桶狭間の合戦で尾張の織田信長に討たれたため、家康は三河家臣団の求めに応じ、今川家の植民地にされていた故郷の三河岡崎城に入城。長い流転の果てにやっと独立することができたのだが、築山殿は今川家を裏切った家康を許さず、夫婦関係は冷え切ってしまった。

 以来、家康は身分の低い女性のみを側室に選び、正妻を取ることを避け続けたのだが、そういう性格になったのは「朝廷に金を積んで徳川などと名乗っていても、あなたは三河松平の田舎土豪でしょう。よくも名門の今川家を裏切れましたね」と恨めしげに家康を攻め立てた築山殿に引け目を感じ続けていたからである。しかも、家康と築山殿との結末は――。

「…………」

「ちょっと~? どうして無言を貫いてるのぅ? なんとか言いなさいよぅ~?」

「……俺は、通りすがりの旅の者だ……名などはない……さらばだ、娘よ」

「待たんかーい! どう見てもあなた、名のある騎士だよねっ? 超強そうだよね? 黄金の甲冑なんて、普通の騎士じゃ一生働いても手に入れられないもん! 黄金はこの大陸では貴重品なんだから~!」

「こらっ、傭兵どもの食指を動かすようなことを言うなっ! 俺を巻き込むなっ!」

「なあにいいい? 黄金の甲冑だとおおおおっ? マジじゃねーか! 相棒、この小娘はたいした魔術を使えねえ! まずはあの黄金の甲冑野郎を追い剥ぎするぜええ!」

「合点承知いいいい! 全身黄金作りだなんて、俺ぁ生まれてはじめて見たぜえ! こいつはベラボーな値段で売れるぜえええ!」

「われら人間族の王ヴォルフガング一世陛下だって、ド派手だがよーっ! それでも、あんな贅沢な甲冑は持ってねえよ!」

「なかなかのやり手そうだがよーっ、六対一なら勝てる! 怯むな、一斉に押しつぶすぜええ! 野郎ども、ランスを掲げろーっ!」

「やれやれ、密かに六人を不意打ちして遁走するつもりだったが……ならば正面より参る。一人の小娘を大の男たちが嬲ろうとは武士の風上にもおけぬ奴ら。容赦はせんぞ」

 そう応じながら、家康はため息をついた。

(これは「女神」の罠だ。この隙だらけの小娘に関わると、俺はこの異世界の厄介事に延々と巻き込まれる羽目になるに違いない。七十五年生きてきた老人の知恵と経験が、そう俺に警告してくる。もっとも、肉体は二十歳の頃に若返ってはいるが)

 後年、家康は「歳を取った人間は、ある程度の脂肪を蓄えたほうが長生きできる。老人が痩せはじめたら死が近いということだ」という独自の健康観と加齢によって増量した。実際、最晩年に死病に冒されてからはみるみる痩せ衰えたが、予め脂肪をつけておいたおかげで生涯最後の数ヶ月の「終活」期間をなんとか持ちこたえられたのだ。

 しかし二十歳頃の家康は、生来の胃弱もあって痩せていた。とはいえ、鷹狩りや実戦で鍛えに鍛え抜いた鋼の肉体だった。それは、当時着用していたこの金陀美具足のシルエットからも明白。後年の太った家康が着用した甲冑とは全く異なる、細マッチョ体型でなければ着用できない甲冑だった。

 つまり今の家康は、二十歳の若々しい肉体と、七十五歳の天下人の知識と経験と技術の両方を持ち合わせた「完璧ないくさ人徳川家康」に生まれ変わっていたのだ。

 家康は多趣味多芸の万能人だったが、武術も超一流だった。とりわけ兵法(剣術)には異様なまでに固執し、生涯に何人もの剣豪の弟子となって稽古を続けていた。

 本来、大名たる者が剣術に固執する必要はないのだが、家康は慎重な男だった。祖父の清康も、そして父の広忠も、家臣に暗殺されている。故に家康は、戦場で人を斬り殺すためではなく、いつ何時刺客に襲われようとも己の命を守れるように必死で剣術を修得したのだ。その上、幼少時から織田家や今川家で長年人質生活を余儀なくされていた家康にとって、刺客からの護身術は生き残るために絶対に必要な技術だったろう。

 若い頃には上泉信綱の流れを汲む三河の奥山神影流を会得し、後年には伊東一刀斎の高弟・小野忠明から一刀流を学び、さらに柳生宗矩から柳生新陰流を学んでいる。

 今、この「剣豪として完成された家康」が、異世界の傭兵集団へ向かって剣を抜いた。

 相手は槍使い。しかも六人。

 だが、甲冑を着込みながらも敏捷に駆ける家康は、

「フ。この世界に身体が馴染んできたのか、『女神』の声も聞こえなくなった。行くぞ」

 と呟きながら「後の先」を取り、驚くべき脚裁きで無造作に前進して、槍の間合いを即座に潰した。

 まさか突進してくるとは? と虚を突かれた傭兵たちが呆気にとられたその刹那、電光石火、家康は新陰流が誇る六連続斬撃技を放っていた。

 元来の新陰流は一対一の立ち合いにおいて六連の技を繋げるのだが、今の家康は戦国時代屈指の剣豪の領域に到達している。七十五年間も天下を争ったいくさ人としての精神力と高度な剣術技術を保持しながら若返っている分、剣士としては師匠の柳生宗矩をも凌駕していたかもしれない。

「燕飛――猿回――山陰――月影――浮舟――浦波――『燕飛六箇之太刀』!!」

「「「……ぐはああっ!?」」」

 傭兵たちは、自分が一撃を食らって地に倒れたことすら意識できなかった。

 家康が放った一本の剣が、六人の相手を一息で打ち倒していたのだ。

 家康自身、(おお。なんという凄まじい太刀筋! 技術と精神力と若さ、心技体が完璧なまでに揃った時、剣術とはかくも強いものとなるのか? しかもこの濃い大気が肉体に力を与えてくれている! これが勇者職特典か?)と自らの剣技に驚いていた。

 だが、(いやいや慢心するな。これは俺を勇者職に引きずり込むための罠よ。この男どもが弱かっただけのこと。傭兵とはいえ、所詮その性根は追い剥ぎ野盗の域を出ていなかった連中よ。この世界にも、想像を絶する強者が多数存在するに違いない。そのような強者に遭遇してはならない、危険を避けるのだ)とすぐに自分を戒めたあたりは慎重な家康らしいと言える。

「あ、あ、ありがとおおおおお! やっぱり私の見込んだ通り、強いじゃんっ! 黄金の騎士様最強っ! ありがとうございますうう! このご恩は一生忘れませええん! その、美しく輝く剣はなにっ? 刃こぼれひとつしてない! この世界じゃ見たことがないよ!」

「これは、日本刀という片刃剣だ。口程にもない連中だったな。殺すとあとあと面倒そうなので峰打ちにした。それでは娘よ、早くえるふの森とやらに帰るがいい。さらばだ」

早口気味に、呆然と座り込んでいる金髪の少女にそう告げた家康は、急いで立ち去ろうとした。「剣呑剣呑、深入り無用」と呟きながら。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る