咎人が見た月 -13-

 主の財力に比べれば、そう広くはない寝室だ。天井からは幾重にも薄布が垂らされ、間仕切りの代わりとなっている。足や衣服に引っかけないよう薄布を除け、部屋の奥に進むと、そこには柔らかそうな寝具に包まれた人影があった。幸いなことに、同衾者はいない。


「では、やりましょう」


 アルジェとバナフサージュが寝具に手をかける。それを素早く引き剥がすと同時に、ムーンがティップ・ティンに覆い被さった。素早く口を塞ぎ、全身を力づくで抑えつける。相手はわけも分からないうちに、すっかり無力化されてしまった。


「騒げばすぐさま首を折る。いいな」


 やっていることは押し入り強盗そのものだ。母さんやコロロ先生には知られたくない。


「目的を果たせれば、俺たちは盗みも殺しもしない。アマはどこだ?」


 ムーンはティップ・ティンの口から手を離し、尋ねた。


「やはりガーニムの報告は嘘だったか……」


 生殺与奪の権を握られた男は、必死に強気を取り繕いながら言った。


「疑っていたなら、見張りの数を増やしておくべきだったな」


「侵入の手引きをしたのは誰だ?」


「すぐにその言葉が出てくるのは、自分がひと月前、同じ手段を使ったからか?」


 ティップ・ティンは黙っていた。しかしこの際、真相の究明は重要でない。


「お前たち商人は口が上手いから、長々とお喋りするつもりはない。アマはどこだ。俺の妹はどこだ。館の中にいるのか?」


「……南側の部屋にいる」


「では、そこまで案内しろ。なにかコイツの口を塞ぐものは……」


 アルジェは傍に垂れている薄布――きっと何千ガメルもする代物だ――を掴んで、ビリビリと裂き、切れ端をムーンに渡した。彼はそれを丸めて、ティップ・ティンの口に突っ込む。


「俺の仲間は魔術師だ。お前を蛆虫の塊にすることもできる。妙な真似はするな」


 ムーンの脅しに、さすがにハッタリを利かせすぎではないかと思いながら、アルジェは戸口から回廊の様子を窺った。


 誰もいない。中庭の見張りもまだ眠りこけている。


 ゆっくりと寝室から抜け出すアルジェに、ティップ・ティンの腕をねじりあげつつムーンが続く。しんがりのバナフサージュが背後を警戒して、死角からの襲撃を防ぐ。


 階段をくだり、全体が白っぽいタイルで覆われた中庭。一部では地面が露出していて、豊かな葉と香しい花をつける灌木が植えられていた。


 夢の船を漕ぎ続ける見張りの横を通り抜け、館の南側。アマがいるのは、正門すぐ横の小部屋であるとのこと。


 扉の前、ムーンが改めて確認すると、口に布切れを詰め込まれたティップ・ティンが苦々しげに頷く。鍵はアルジェの魔法で問題なく開いた。中で誰かが身じろぎする気配。ここまで来て待ち伏せということもないだろう。ゆっくりと把手を引く。


 寒々しく埃っぽい部屋の隅、闇の中でうずくまる人影がある。女性のようだ。粗末な毛布を引き寄せ、身を守ろうとしている。


「アマ」


 ムーンが嘆息とともに呼びかける。


 人影がそれに反応し、壁を支えに立ちあがろうとした。しかしどうやら脚が萎えているらしく、ふらついて倒れそうになった。ムーンが駆け寄り、支える。


「オルサ。本当にあなたなの?」


 アマが言った。


「そうだ」


「私、あなたが死んだって聞いて……」


 ムーンが無言で首を振ると、アマの目尻に雫が光った。


 彼女は憔悴しているようだが、ひどい怪我をしているわけではない。ひとまずは無事な再会。あとは館を脱出できれば――


 そのとき、アルジェの視界の端で、そろりと動く影があった。ティップ・ティンが身を翻し、逃走を図ろうとしている!


 アルジェは咄嗟に手を伸ばし、ティップ・ティンの腕を掴む。しかし相手も死に物狂いだ。布の詰められた口から唸り声をあげ、自由な方の拳を滅茶苦茶に振り回す。


 鼻面を殴りつけられて、アルジェはよろめき、バナフサージュに抱きとめられた。


「待ちなさい!」


 制止も聞かず、ティップ・ティンは扉を押し開け、中庭にまろび出た。布を吐き捨て、叫ぶ。


「賊だッ! 賊が入ったぞッ!」


 まずいことになった。自分がもっと注意を向けていれば。アルジェは後悔したが、もはや手遅れだった。


 ティップ・ティンを追って小部屋を出ると、さきほど眠らせた見張りが、槌鉾メイスを手に立ちあがるところだった。門を挟んで反対側の小部屋からは、別の私兵たちが三人。ひとりが槌鉾メイスを、ふたりが短剣を持っている。


 中庭の空気が、毛先を焦がすような緊迫を帯びはじめた。


「館から出すな! 全員、殺してしまえ!」


 ティップ・ティンが喚く。


 応戦するか、逃走に徹するか、誰かが残って足止めするか。アルジェが判断をしかねていると、ムーンの力強い手に肩を掴まれた。


「アルジェ、アマを見ていてくれ」


 彼はもう片方の手に壺を持っていた。それで私兵たちと戦うつもりなのだ。


「不埒な主人の肩を持つというのなら、多少のお仕置きはやむなしですね……」


 バナフサージュも前に進み出た。ムーンだけでは荷が重かろうと、白兵戦に加わるつもりなのだ。


「オルサ!」


 アマもムーンを追おうとするが、アルジェはそれを身体で遮った。彼女を安全な位置に留めておくのが、自分の役目だ。


「心配しないで、大丈夫」


 彼女にこちらを向かせ、濡れた瞳を覗き込むようにして、アルジェは言った。


「僕の仲間は強いんだ」


 臆する様子を見せない侵入者に、戸惑いを見せる私兵たち。焦れたティップ・ティンがうわずった声で急き立てる。


「なにをしている! 殺せ!」


 それを受けて、まずは私兵ふたりが動いた。怒声とともに振りあげられた金属の柄頭が、わずかな照明を反射して鈍く煌めく。


 ムーンは上半身をわずかにねじって攻撃を躱しざま、持っていた壺をひとり目の顔面に叩きつけた。陶器の割れる甲高い音が響き、中に残っていた少量の水があたりにまき散らされる。


 そしてふらついた男の手から槌鉾メイスをもぎ取り、素早くふたり目のみぞおちを打つ。ろくな防具も着けていない相手は、苦悶の声さえあげることができず、地面に崩れ落ちてもがいた。


 片や、バナフサージュ。彼女も別の私兵ふたりを引きつけ、堅実に立ち回っていた。攻撃をうまくすり抜けながら祈りの時間を稼ぎ、気弾を放ってひとりを倒す。


 ふたり目から突き出された短剣をいなすと、彼女は相手の腰を勢いよく蹴りつけた。


 よろめいたところを引き受けたのはムーンだ。ふらつく相手の武器を槌鉾メイスで叩き落とし、膝を砕く。タイルの上でのたうち回る男の、泣き声混じりの悲鳴が、ティップ・ティン側の圧倒的な劣勢を告げた。


 信じられぬ、といった目でその様子を見ていたティップ・ティンは、踵を返して中庭から逃げ出そうとした。しかしバナフサージュが投げつけた槌鉾メイスを後頭部に受けると、彼は生い茂る灌木の間に突っ込み、そのまま昏倒した。


 まだ意識を保っている者も、一行に抗おうという意志を失っていた。アルジェはいつでも援護ができるよう構えていたが、結果としてその必要はなかった。


 あとはティップ・ティンの処遇をどうするか。大勢が決し、そんな考えを浮かべていたアルジェだったが、ふと耳の先がちりちりするような、危険な気配を捉えた。


 ムーンとバナフサージュが振り返る。ふたりの目が向いた先はアルジェの頭上、二階の回廊だ。


 アルジェがアマ庇おうと身を翻した直後、肩同士が触れあうほど近くに、派手な音を立てて何者かが着地した。


 並外れた体躯を持つ、人間の男。騒ぎが起こるまで眠っていたのか、腰布だけの姿だ。


 しかしその分、全身の荒々しい筋肉がよく見えた。盛りあがった上腕は馬の首ほども太く、立ちあがると、アルジェより頭ふたつ分も背が高かった。薄闇にぼんやりと浮かぶ顔には、下卑た残忍さが貼りついている。


 話でしか聞いていなかったアルジェでも、すぐに分かった。


 ガーニムだ。

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