咎人が見た月 -12-

「私はウディヤと申します。とおのとき、いまの旦那さまのお祖父さまに奴隷として買われ、長らく仕えてまいりました」


 夕暮れのナツメヤシ畑。アルジェとレッチェンは、老婆を連れてムーンたちと合流し、人目につきにくい場所まで移動したあとで、詳しい話をすることにした。


「奴隷の身分から解放され、一度は所帯を持ったこともありましたが、子どもに恵まれず離縁され、また使用人となったのでございます。サップ・ティンさまのもとでは十二年働きましたが、ひと月と少し前、館に賊が押し入りました……」


 老婆は言葉を切り、ムーンの方を見遣ったが、彼はあぐらをかいて腕を組んだまま、じっと表情を動かさずにいた。


「使用人や奴隷が大勢殺され、サップ・ティンさまも亡くなられました。館の中では、オルサという奴隷が賊を手引きし、自らの主人をも手にかけたのだろうという話になっております」


「サップ・ティンの方は、確かに俺の仕業だ。だが、賊には覚えがない」


 ムーンの言葉に、老婆は意外そうな顔も、不信の態度も見せず、話を続けた。


「主を失った地所、財産、一部の奴隷は、サップ・ティンさまの弟である、ティップ・ティンさまが相続なされました。そして、ガーニムも――彼は主を守れなかった責を負うことなく、ティップ・ティンさまのもとで、また威張り散らすようになりました」


 どこか含むような老婆の口調は、本当に賊を手引きしたのが誰であるか、その背後にどんな意志があるかを、かなりはっきりと示唆していた。しかしガーニムの裏切りやティップ・ティンの悪意は、一行にとってさほど重要でない。


「それで、俺の妹はどこにいる? まだティップ・ティンの館にいるのか?」


「アマは――」


 そこまで口にして、老婆は言い淀んだ。


「いまさら取り繕わなくていい。アンタは使用人の中でも古株だった。奴隷狩りのことだって、当然知ってたはずだ。俺が蘇生したとき、館を案内してくれたのも、確かアンタだったな……」


「オルサ、あなたは復讐をしたいのですか」


「違う。俺は妹を館から連れ出したいだけだ。もう一度聞くぞ。妹はどこにいる?」


「少なくとも、捨てられたり、売り払われたりはしていないはずです。しかし旦那さまはここひと月ほど、アマをどこかの部屋に隠していて、その場所は私にも確証が持てません」


「ティップ・ティンなら、アマの居場所を知っているんだな?」


 老婆はぐっと押し黙った。自らの保身、罪悪感、長らく仕えてきた一族への忠誠を、代わる代わる天秤にかけているようだった。


 ムーンはしばらく彼女の苦悩を眺めたあとで、天秤を傾けるための新しい分銅を差し出した。


「なら、こうしよう。アンタが手引きをしてくれれば、ティップ・ティンを傷つけないと約束する。嫌だと言うなら、そのときは全部の部屋を開けて、アマがどこにいるのか、聞き回らなきゃならない……」


 低く冷たい声。アルジェは背筋が寒くなるのを感じた。もしも事情を知らなければ、そんな言い方をしてはいけないと戒めただろう。しかしムーンが被ってきた数々の理不尽を考えれば、彼の提案はまだしも穏当なのかもしれない。


 老婆は自由な身分でありながら、ティップ・ティンの一族に仕え続けている。彼女は旅人を襲ったり、奴隷を鞭打ったりはしなかったかもしれないが、館でおこなわれている悪事を知りながら口をつぐみ、間接的に手を貸していた。


 ここは自分が口を挟む場面ではない。アルジェはぐっとこらえながら、老婆の反応を待った。果たして彼女は圧力に屈したか、あるいはなんらかの計算か、疲れ切ったような声で言った。


「……分かりました。私はせめて、私の分を支払うことにしましょう。今夜零時、館の西側におこしなさい。二階の窓から入れるよう、準備をしておきます」


       *


 夜が更けるのを待つ間、一行は市街南東部にある貧民街で休息を取っていた。もしも老婆が衛兵を呼んだ場合、みすみす捕まらないようにするため、レッチェンが移動を提案したのだ。彼女は貧民街の生まれで、厄介な大人に追い回されたときの逃げ道をいくつも知っていた。


 月は早くに沈み、空にはいま星々だけが在る。一行はレッチェンと駱駝を残して貧民街を出発し、ティップ・ティンの館を目指した。


 吟味の結果、侵入には可能な限りの軽装で臨むことになった。目的はあくまでも救出であって、制圧ではない。もちろん、魔法はいつでも使えるよう準備をしておく。


「荒事になろうと、なるまいと、ガーニムにだけは気をつけろ」


 ムーンの簡素な忠告に、アルジェは気を引き締める。話に聞くガーニムの横暴さは、圧倒的な腕力が背景にしたものだ。貧弱なリカントの首ぐらい、いとも簡単にへし折ってしまうだろう。


 人通りの絶えた街区を横切り、一行はティップ・ティンの館近くまでやってきた。


 星明りにぼんやりと浮かびあがる豪壮な二階建ては、周囲の住宅や店舗からも際立っている。造りは道中の隊商宿サライに似て、広い中庭を囲むように、それぞれの部屋が配置されているようだ。しかし石造りの壁面に施された浮彫や、嵌め込まれた彩釉タイルは、ここが簡素な仮宿などではなく、大層な長者の住まいであることを示していた。


 一階部分に窓はなく、正面玄関はぴったりと閉じられている。こっそり館の西側に回り込むと、夕刻に老婆が口にした通り、白い薄布を結わえて作った即席の縄が、二階の窓から地上まで垂らされていた。確かめてみると、強度は充分。支えもしっかりしているようだ。


 その縄を手掛かりに、まずはムーンが館に侵入し、安全を確認する。合図を受けて次にアルジェが、最後にバナフサージュが続いた。


 ひとまず罠や待ち伏せはなし。


「ここは客室だな。バアさんはいないが……」


 暗闇の中、ムーンが床からなにかを拾いあげた。


「なんですか? それは」


「館の見取り図だ。ウディヤのバアさんが用意したんだろう。直接案内はせず、自分は安全圏へ、というわけか」


「まあ、約束を守ってくれたならよしとしましょう……」


 バナフサージュが客室の扉を静かに押し開け、アルジェとムーンが様子を窺う。すぐ外は手すり付きの回廊になっていた。ティップ・ティンの寝室はすぐ近くだが、どうやら中庭には見張りがいるようだ。


 ここは自分の出番だろう。アルジェはふたりに目配せしてから、見張りの視界に入らないよう廊下を這いずり、手すりからそっと腕を差し出した。指先で記す魔法文字は、対象を眠りに落とすためのものだ。射程はぎりぎり。それでも意識がこちらに向いていない分、抵抗は難しいはず――


 粗末な小椅子に腰をおろし、正面玄関の方に目を遣っていた見張りは、少しの間頭を前後させていたが、やがて眠気に屈してがっくりと項垂れた。


 成功。しかし、この眠りはさして深いものでなく、なにか大きな音がしたり、誰かに揺すられたりすれば覚める程度のものだ。


 一行は神経を尖らせながら、速やかに、密やかに、目的の部屋を目指す。


 回廊を進み、館の北側中央。客室に置かれていた見取り図によれば、ここがティップ・ティンの寝室だ。ほかに比べて重厚な扉には、雄飛する鷹の彫刻が施されている、


 アルジェは扉の表面を指で探り、錠のあるあたりに見当をつけた。


「魔術師とは恐ろしいもの……」


 バナフサージュが冗談めかして言った。


 施錠ロックおよび開錠アンロック、それから微睡ナップの魔法は、実のところ搦め手でなく、より高度な真語魔法を習得するために避けて通れない基礎だ。


 片や力場の操作。片や精神の変調。これらの技術をないがしろにすれば、必ずや塔の中層から滑り落ち、迷宮の半ばで途方に暮れるであろう。コロロフラムも、魔術師ギルドの優れた先達たちも、普段から口を酸っぱくして言っている。彼女らの勧めに従い、アルジェも随分と研鑽を積んできた。


 だからまったくもっていかがわしい魔法では――と弁明したいのはやまやまだが、いまは時機が悪い。


 機構の動くわずかな音とともに、鍵が開く。アルジェは把手を引き、扉と戸枠の隙間から、するりと室内に滑り込んだ。

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