炎の色は -18-

 アルジェはすぐさま宮殿へ向かうことを主張したが、バナフサージュは頑としてそれを受け入れなかった。彼女はムーンに対し、アルジェが勝手に外出しようとしたら絶対に阻止しろと指示を与え、ぷりぷりしながら自室へと戻っていった。


 ムーンが指示に従うかどうかは別として、アルジェもこれ以上仲間に心配や迷惑をかけるのは本意でなかった。最終的には、少なくともひと晩の休養を摂り、考えを行動に移すのは明日の朝、と譲歩することになった。


 その晩、アルジェは浅く不確かな睡眠を摂った。そして、また悪夢を見た。逃げ場のない通路でジハーグに追い立てられ、結局は為す術なく殺される夢。


 魂を擦り減らすような恐怖の中でも、アルジェが考えるのはコロロフラムのことだった。


 もしかすると、コロロ先生も同じような体験をしているのだろうか? そうだとすれば、いったいどれくらいの期間?


 何度目かになる死のあと、目が覚める。


 時刻はまだ深夜に近い未明。アルジェは喉の渇きと空腹を感じて、忍び足で一階におりていった。厨房に忍び込んで水を飲み、棚にあったクッキーを盗み食いする。それから、窓際の席に腰をおろし、長い間考えごとをした。


 やがて夜が明け、ムーンとバナフサージュも起きてきた。


「先生に会いに行くのはいいが、正面から訪ねるのか? 部外者を易々と宮殿に入れてくれるとは思えんが」


 温かい朝食を摂りながら、ムーンが言った。


「そこは多少考えがある」


 アルジェは答えた。


「魔導書を持っていこう。大丈夫、僕を信じて」


 腹ごしらえを済ませたあと、アルジェたちは身づくろいを済ませ、〈砂漠の真珠亭〉を出発した。マカジャハットの市街は広いが、宮殿までの距離はさほどでもない。まだ開いていない商店の並ぶ通りを歩き、先日に見た大きな広場までやってくる。


 そのままつかつかと宮殿まで近づいていくと、巡視の衛兵に呼びとめられた。


「待て。お前たち、何用だ?」


「魔術師ギルドから盗んだ本を返しにきました。僕が犯人です」


 アルジェはそう言ってから、ムーンとバナフサージュのことを指し示した。


「彼らは共犯者です」


「なに?」


 衛兵は明らかに戸惑っていた。こんなにも堂々とした自白には、なにか裏があるはずだと考えているようだ。もちろん、それは正しい。しかしアルジェが〈名づけざられしかばね〉を取り出してみせると、さすがにこのまま追い払うわけにはいかなくなり、すぐに周囲の仲間を呼びはじめた。


「考えがあるって言うから黙ってますけど」


 集まってきた衛兵たちに囲まれながら、バナフサージュが呟く。


「こういうことをするなら、ちゃんと事前に伝えてほしいですね、アルジェ」


 アルジェたちは持ち物をすべて取りあげられ、両手に縄をかけられて、宮殿の中へと連れていかれた。


 ひとまずは予想通りだ。敷地にさえ入ってしまえば、あとはどうにでもなる。


「ラージャハだと、泥棒は手を切り落される」


「私の故郷では木から吊るします」


 説明不足なアルジェに対する腹いせなのか、ふたりが脅すようなことを言う。


「おい、黙って歩け」


 衛兵に小突かれながら、アルジェたちは宮殿の片隅にある殺風景な区画までやってきた。この場所には、罪人を収容する地下牢獄があるようだ。


 小部屋の中にある階段をおりていくと、埃っぽくカビくさい空気が鼻を突く。階段のそばには看守の詰所があって、その奥には暗い廊下が伸びていた。廊下の左右には石壁と金属柵で仕切られた房が、それぞれ五つほど並んでいる。


 アルジェたちは房のひとつにまとめて収容された。手にかけられた縄はそのままだ。 


「で、ここからどうするんだ?」


 冷たい石の床に寝転がりながら、ムーンが言った。


「あとは……待つ。そんなに長くはかからないと思う」


 アルジェは答え、ムーンと同じように身を横たえた。空気が悪いせいで出る咳の音が、いやに大きく響いた。


 牢獄の中では時間の感覚を掴みづらい。しかし、おそらく二時間は待たなかっただろう。階段をおりてくる足音が聞こえ、だらけていた看守たちが居住まいを正した。


 目論見はうまくいったようだ。


 訪問者はほとんど靴音を立てずに廊下を歩いてきて、アルジェたちの房の前でとまった。


「お前たち、なんのつもりだ」


「おはようございます、オルドウィンさん。先生の具合はどうですか」


「質問に答えろ。どうしてこんなことをした?」


「そんなに深い意図はないですよ。正面から会いたいと言っても、取り次いでもらえないと思ったので」


「だから、牢獄に入ったと?」


「牢獄というか……。いまの状況なら、コロロ先生もあなたも、不審な魔術師の動きには特に注意を払ってると考えたんです。魔導書の盗難に関する報せがあれば、必ず耳に入るはずだって。そして僕がわざわざ出頭したと知れば、先生は理由を――できるなら、直接――聞きたがるでしょう。できることなら、あなたは、先生に指示を受けてきたんじゃないですか?」


「腹の立つヤツだ」


 オルドウィンは看守に向かって、アルジェたちを房から出すよう指示した。


「説明を求められたら、コロロフラムどのが許可したと言え。没収した持ち物もすべて返してやれ」


 それから、オルドウィンはアルジェたちを伴って地下牢獄をあとにした。彼は中庭をぐるりと囲む回廊を歩き、やがて宮殿の西側に位置する部屋の前で足をとめた。


「コロロフラムどの、連れてきました」


「ありがとう。入ってくれ」


 扉が開かれ、アルジェたちは中に招かれる。


 そこはどうやら、コロロフラムの私室であるようだった。おそらくは、宮殿の中に住めるだけの地位にあり、しかし自分の屋敷を構えるほどには富裕でない者が使う部屋だろう。室内の調度はどれも艶のある木製で、さほど華美ではないものの、いかにも高級そうだった。


「随分と強引な手を使ったね、アルジェ」


 コロロフラムは隅の肘掛け椅子に腰をおろし、血色の悪い顔でアルジェたちを見つめていた。髪もいつになくぼさぼさで、それが余計に病んだ印象を与えていた。


「ありがとう、オルドウィン。あとは大丈夫だ」


 忠実な近衛兵は退出を促されると、ちらりとアルジェに目を向けてから、音もなく出ていった。


「先生、その……今回も前回も、その前も、いろいろと失礼しました」


「ああ……。とりあえず、適当な場所にかけなさい。用件があるんだろう?」


 アルジェとムーンは床に座り、バナフサージュは手近な椅子に腰かけた。


「まず、ひとつ質問があります」


「言ってみなさい」


「先生は、ジハーグ諸共死ぬつもりじゃないですか?」


 ぴん、と空気が張り詰めた。コロロフラムは少しの間黙っていたが、その表情に動揺の色はなかった。


「では、その結論に至った過程の説明を……というのはやめておこう。いまは授業をしている場合じゃないからね。アルジェ。その通りだ。私はジハーグをこの肉体に奪わせたうえで、自ら滅びの盃を舐めるつもりでいる」


「そんなことはしちゃダメだ」


「君ならそう言うだろう。私がいくら国家の利益を語り、良識ある魔術師としての道理を説いて、これがもっとも確実な方法だと伝えたところで、君は納得しないだろう。私に死ぬなと言うだろう。……白状するとね、私はそれが怖かったんだよ、アルジェ。だから君になにも告げずにサフラ村を去った。君の顔を見て話すと、覚悟が揺らぐと思ったから」


「先生は、ジハーグがレイスになって生きていると知った時点で、自分を犠牲にするつもりだったんですね」


「あのときは、ひとつの選択肢として検討していたに過ぎなかった。しかしマカジャハットに戻ってみて、残された時間や協力者のことも考えると、この方法を採るしかないと考えるようになった」


「協力者ならここにいます。役に立ちそうなものも持ってきました」


 そう言って、アルジェは持参した布包みを取り出し、コロロフラムに示した。


「ユニコーンの角です」


「……こんなものをどこで手に入れた?」


 いきなりの珍品に、さすがのコロロフラムも驚いたようだった。


「はじめに言いますけど、盗んだんじゃないですからね。ムーンが市場で売ってたのを見つけてきてくれたんです。ユニコーンの角は大いなる癒しの力を持ちますが、アンデッドには致命的な傷を与える……ですよね? 先生。うまく使えば、レイスも退けられるんじゃないでしょうか」


 コロロフラムはユニコーンの角に目を落とし、ゆっくりと一度まばたきしてから、アルジェを見据えた。


「村で最後に会ったときとは、随分顔つきが変わった。ここ数日、君と会うたびに……」


「もうあんたの手には負えないな」


 ムーンが言った。揶揄するような響きではあったが、冗談という風ではなかった。


「ひと晩で咲く花もある、とも言います。条件が揃い、ちょっとのきっかけさえあれば、人は短時間で成長するんですよ」


 バナフサージュがどこか自慢げに言った。


 コロロフラムはふたりの顔を見て、しみじみと嘆息し、顔を伏せた。


「……私が間違っていた、アルジェ。君のことをいつまでも子供だと思っていた。なにも言わず置き去りにして、本当にすまなかった。それから……来てくれてありがとう」


 彼女の言葉を聞いて込みあげる感情を、アルジェはぐっとこらえようとした。

しかし結局、我慢することはできなかった。

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