炎の色は -15-

 朝食を終え、ムーンとバナフサージュの外出を見送ってから、アルジェも〈砂漠の真珠亭〉をあとにした。


 また滞在して間もない街で、頼れる人物などそういない。しかし偶然知りあった彼は顔も広く、またこちらから打ち明けづらい事情も、すでに把握している。


 吟遊詩人ファルケス。あの鷹揚なリルドラケンであれば、きっと力になってくれるだろう。アルジェは彼の姿を捜して、賑やかな通りや広場を歩き回った。


 群衆の中でもリルドラケンの巨躯は目立つ。さほど時間もかからずに会えるだろうと思ったアルジェは、やがて自分の間違いに気づいた。マカジャハット市街は広く、建物も密集している。ファルケスが屋内にいる場合も考えると、捜索は容易でない。サフラ村で誰かを呼びにいくのとはわけが違う。


 しかしもとより――体力さえ持てば――根気強い性質たちのアルジェは、人いきれに酔いながら、何時間も歩き回って彼の姿を求めた。そしてようやく、歌声の漏れ聞こえる劇場の裏手から、のっそりと出てくるファルケスを見つけた。


「やあ、やあ。最近はよく顔をあわせるね」


 アルジェが声をかけると、彼は大仰な身振りで歓迎を示した。


「あの、ファルケスさん。お願い事があるんですが、いまから少し、時間を取ってもらえませんか」


「もちろん。昼食を摂りながらでも構わないかな? 近くにいい店がある。せっかくだから、御馳走しよう」


 返事も聞かず、ファルケスは歩きはじめた。アルジェがその背を追っていくと、やがて裏路地にひっそりと建つ料理店に到着した。店内は薄暗く、客もそう多くない。もしかすると願い事の内容を察して、目立たない場所を選んでくれたのかもしれない。


 人気がいまひとつとはいえ、すぐに運ばれてきた料理は、流行らないのが不思議なほどに美味だった。蜂蜜と胡椒で味つけした鶏肉は、表面がぱりっといい色に焼け、食べると香ばしさが鼻に抜けた。


「最近は節制を心がけているんだ。体型を維持しないと、声も変わってしまうからね」


 そう言うファルケスの皿には、ざっと五人前の料理が盛られていた。


「もしかすると、先日の件で迷惑をかけてしまったかな」


 食事がひと段落したあたりで、ファルケスが切り出した。


「いえ、おかげで捜し人に会えました。でもそこでまた、やらなきゃいけないことができたんです。あのう、単刀直入に聞きますけど、ファルケスさん、魔術師ギルドに顔は利きませんか? 図書館に入りたいんですけど……」


「ふーむ」


 ファルケスは唸り、肉の塊をひとつ、丸ごと口に入れた。それを咀嚼して飲みくだすまでの間、何事かを考えている様子だった。


「あそこには物語の題材にできるような資料もあるから、許可を得て定期的に足を運んでいる。しかし、ほかの者を……となると、随分と話が違ってくるね。正規の手順で君を入れるのは難しいだろう」


「なら――」


 アルジェは束の間言い淀んだ。これから頼むことに、どんな反応をされるか分からない。温厚なファルケスもさすがに怒り出すかもしれないし、衛兵に通報されるかもしれない。


 それでも、諦めるわけにはいかなかった。


「僕が図書館に侵入する手引きをしてください」


 アルジェは言った。答えを待つ数瞬が、随分と長く感じられた。


 さて、どうなる。


「面白い」


 ファルケスは言った。


「私は方々に顔が利く。だが不祥事を揉み潰せるような権力があるわけではない。魔術師ギルドの図書館には、危険な魔導書も貴重な史料も保管されている。もし部外者を侵入させたなどと知られれば、いったいどんな咎めを受けることか。君にしたところで、それを想像できないほど愚かではあるまい? 想像してなお、頼んでいるわけだ。……ところでアルジェ、君は何歳になる?」


「十四です」


「リルドラケンでいうと、そうだな……三回目の脱皮を終えないくらいか。大人というにはまだ若い。しかし子供というわけでもない。無茶をするにはいい年齢だ。魔術師ギルドの図書館に忍び込むというのは、少々度が過ぎるような気もするが……しかし、気に入った。まあ、もともと私の依頼に端を発したことでもあるし、多少は協力するのが義理というものだろうね」


「本当ですか」


「ただし、対価はいただくことにしよう」


「あの、僕、お金はあまり持ってなくて……」


「銀貨ではない。私にはこう見えてそれなりの稼ぎがあるんだ」


「じゃあ、なにを?」


 ファルケスはその灰色の鼻面を、ぐいとアルジェに近づけた。


「君の人生を貰おう」


「え?」


 はじめ彼の意図が分からず、アルジェは困惑した。


「ええと、その、人生っていうのは、魂とか、魔術的なことですか? それとも、身柄みたいなことですか? 僕、結婚とかそういうのは、まだあんまり考えてないんですけど……」


 それを聞いて、ファルケスは心底おかしそうに笑った。


「いや、違う、違う。私は別に生贄が欲しいわけではないし、君に卵を産ませるつもりもない。私が言っている人生というのは、つまり、物語ということさ。君がこれまでどう生きてきたのかを聞かせること。そして今後、君が興味深い冒険をしたときに、その内容を余さず聞かせること。これが協力の対価だ」


「……それだけですか?」


 もっと大きな犠牲を払うことになると思っていたアルジェは、つい拍子抜けしてしまった。


「いまは、それだけ。しかしゆくゆくは途方もない価値になる」


「でも、僕の人生ですよ? 大して派手なことにはならないんじゃないかな……」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。これはある種の賭けになる。商人風に言えば、先行投資というヤツだ。私は君のことを見込んでいるんだよ。剣の恩寵篤き者として」


「その篤き者っていうのはなんですか?」


「急速に頭角を現す存在、ということさ。とにかく、君が約束してくれるなら、私も協力してあげよう。どうかな?」


 じっくりと考える余地はなかった。アルジェに差し出せるものは多くないし、ファルケスのほかに頼れる心当たりもない。


「分かりました。約束します」


 アルジェが答えると、ファルケスは皿を掴んで、残っていた肉を一気に口へと放り込んだ。


「では、食事が終わったら向かおうか」


「すぐにですか?」


「リルドラケンは長々と風を待ったりしない。それに、魔術師たちはほかの市民に増して宵っ張りだからね。忍び込むには夜より昼の方がいい」


       *

 

 一時間後、アルジェは大きな麻袋に入り、ファルケスの背に担がれていた。袋の中には弦を取り外したハープもあって、アルジェはそれにしがみつき、身を固くしながら息をひそめていた。


 人ひとりがすっぽり入れるほどの麻袋は、荷物として大層目立つ。しかし巨躯を持つリルドラケンの持ち物ならば、怪しさという点で多少ましになる。ファルケスは普段から楽器を持ち運んでいるので、そういう意味でもさほど不自然ではないはずだ。


 適当な裏路地から出発し、麻袋の重さをものともせず歩いていたファルケスは、やがてほんの少し足を緩めた。どうやら、魔術師ギルドに到着したようだ。


 彼はいま、衛兵らしき人物と陽気な挨拶を交わしている。やりとりからすると、いまのところは怪しまれていない。


 扉の開く音がして、涼しく暗い空間に入った。アルジェはつい先日、オーガに担がれて洞窟へ運び込まれたことを思い出した。もちろん、今回は事情が違う。ファルケスはアルジェを食べたりしない。しかし危険さという点では、大した違いはないのかもしれない。


「ごきげんよう、麗しいお嬢さん。少しお聞きしたいことがあるのだが」


 ファルケスが誰かに話しかけた。うわずった、気の弱そうな声が返事をした。


「操霊魔法……特に、アンデッドやそれに類するものについての資料は、どこの書庫を探せばよいかな?」


 操霊魔法は、生命や物質の変化に関わる魔術系統だ。充分に精通すれば、ゴーレムやアンデッドの作製、死者の蘇生――通常は禁忌――なども可能となる。


 いかにも恐ろしげで、実際におぞましい効果を持つものも多い。しかし操霊魔法の習得や行使は、厳しく取り締まられているというわけでもない。なぜかと言えば、単純に有用だからだ。蛮族が跋扈する危険な世の中で、防衛や反撃の手段は多い方がいい。アルジェがコロロフラムに叩き込まれた基礎の中にも、操霊魔法の理論は多分に含まれていた。


 ジハーグが行使したと思われるレイスへの変身は、間違いなく操霊魔法の範疇だ。アルジェはあらかじめその推測をファルケスに伝え、めぼしい書架の近くまで連れていってくれるよう頼んでいた。


「ここには何度も来ているのだが、分類なんかはあまり頭に入っていなくてね。ああ、結構。場所さえ教えてもらえれば構わないよ。……うん、うん。どうも御親切にありがとう。君の鱗が永遠とわに滑らかならんことを! おっと、失敬。以降は静粛にするとしよう」


 多弁で押していくのは、さすが吟遊詩人だといったところか。聞き出した書庫の場所を目指して、ファルケスはまた歩き出した。


 古い紙のにおいが濃くなる。いくつかの扉が開閉され、やがてアルジェの入った麻袋は、図書館の中でも特に静かな一角におろされた。


「さて、もう大丈夫だろう」


 ファルケスに促され、アルジェは麻袋から這い出した。そこは壁際に十ばかりの書架が並んだ、狭い石造りの部屋だった。窓はなく、扉もひとつ。まるで古代の玄室のようだった。中央には一本の石柱に似たオブジェがあって、青白い光をあたりに投げかけていた。


「ありがとうございます」


 アルジェが礼を言うと、ファルケスは口に指を当てて沈黙を促した。それから彼は扉の前でどっかりと胡坐を組み、ゆったりと翼を広げた。人が入ってきたときに、多少は時間が稼げるようにとの配慮だろう。彼の協力をつくづくありがたく思いつつ、アルジェは背の高い書架の壁に対峙し、そこに詰められた膨大な量の本を眺めた。


 しかし、都会の魔術師はなんと恵まれているのだろう。アルジェは思わず嘆息した。ようやく手に入ったぼろぼろの一冊を、隅々まで舐め尽くすような環境のサフラ村とは違う。


 いつの日か、こんな場所で学べたら……。


 知識の宝庫を前に心を奪われかけたアルジェだったが、すぐ本来の目的を思い出した。並ぶ書物の背表紙を流し見て、どんな内容のものか予想する。


〈暗黒の祭祀〉〈黄衣の王〉〈ディアボロとダイモーン〉〈石化した時間〉などと記された、古く謎めいた書物たち。どれが正解で、どれが外れだろう? アルジェは湧きあがる焦燥を抑えながら、書架の間を行ったり来たりした。


 そして十五分ほど探し回ったあとで、ある題名に注意を引かれた。-


〈名づけざられしかばね


 それは上下巻から成る分厚い羊皮紙の本だった。屍という言葉は、いかにもアンデッドを彷彿とさせる。


 必要な知識は含まれているだろうか? ひとまず軽く中身を確認してから――


 アルジェが本に手を伸ばしたとき、部屋のすぐ外で誰かの足音が響いた。

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