炎の色は -14-
夢が覚める。
〈砂漠の真珠亭〉の二階。自室の寝台の上で、アルジェは跳ね起きた。激しい動悸と、言いようのない喪失感があった。色の濃い恐怖が、脳裏にべったりと残滓をまとわりつかせていた。
「また、夢か? 起こそうかどうか迷ったが」
隣の寝台で肘枕をしながら、ムーンが言った。彼はアルジェより少しばかり早く起き、うなされる様子を見ていたようだ。
「いや……大丈夫」
アルジェは何度か深呼吸し、動悸を落ち着けた。そして表面でなにげない風を装いながら、さきほどの悪夢について考えた。もしあれがただの夢ならば、すぐに忘れてしまうところだが、やはりそうは思えない。
昨晩コロロフラムと顔を合わせたとき、アルジェは随分と取り乱してしまった。しかしいまは冷静だった。これ以上ないほどに冷静だった。がむしゃらに、感情的に縋りつくだけでは、コロロフラムの助けになるどころか、重荷になるだけだと悟ったからだ。
とはいえ、ジハーグへの対処を考えようにも、アルジェには知識が足りなかった。いつもならコロロフラムに教えを乞うところだが、当然、そうはいかない。
ひとまずなにか腹に入れようと思い、アルジェはムーンとともに一階へとおりていった。サフラ村にいたころは食の細い方だったが、旅に出てからは随分とよく食べるようになった。
酒場にはすでにバナフサージュがいた。彼女は眠たげな様子も見せず、せっせと縫物をしていた。厨房には誰もいない。ベイグルもレッチェンもロディも、まだ起きていないようだ。
「マカジャハットの人たちは宵っ張りなだけに、朝は少し遅いみたいですね」
「今日はどうする?」
ムーンが尋ねた。
「依頼がないんじゃ何もしようがないですね。まあ、私は神殿に挨拶回りをしてくる予定ですが」
「なら俺は……街をぶらついて飯の種でも探してくるかな。怠けているのは気持ちが悪い」
「アルジェはどうします? 村へ帰るんですか?」
「帰らない」
アルジェが首を横に振ると、バナフサージュは微笑んだ。
「もちろん、そうだろうと思ってましたよ。しかし、昨日のあれはよかったですね。僕の中で燃えている炎は、あなたの髪と同じ色……。私も是非、殿方にああいうことを言われてみたいですねえ」
「からかわないでよ」
「あはは、ごめんなさい。でも、私はあなたを応援しますよ。なにか手伝えることがあれば、なんでも言ってください」
そのうち午前六時を示す鐘が鳴り、少ししてレッチェンとロディが階段をおりてきた。このふたりはアルジェたちと同様、二階の部屋で寝起きしているようだ。
彼女らが朝食の準備をしている間に、ベイグルが玄関から入ってくる。彼は〈砂漠の真珠亭〉の裏手に小さな家を持っていて、ひとり暮らしをしているとのことだった。
「ところで、じいさん」
ベイグルがカウンターにつき、なにか書き物をはじめようとしたところで、ムーンが尋ねた。
「あのファルケスとかいうリルドラケン、何者だ?」
アルジェも彼の素性や人脈については、少し気になるところがあった。彼はマナカメラに記録されたレイスの姿を見て、すぐさまジハーグだと看破したようだった。
彼から情報提供を受けた近衛兵のオルドウィンにしても、容易に面会できる相手ではない。すでに知己であったか、あるいはファルケスがよほど特別な人物であるか。
「僕もこの街に来て五年ぐらいだから、あまり事情通というわけでもないけど」
ベイグルはそのように前置いたが、さすがに冒険者ギルドの支部長というだけあって、口振りからはある程度の情報網を持っていることが伺えた。
「少なくとも、彼に関する悪い噂はほとんど聞かない。以前はマカジャハットの衛兵をしていて、そのころから歌がうまいと評判だったみたいだ。人脈はとても広いね。イェキュラ陛下とも浅からぬ親交がある」
「なぜ一介の吟遊詩人が、女王と親しいんだ」
「いや、逆だよ。ムーン君。女王陛下の方が、もともと一介の踊り子だったのさ。その生まれについては、いくつか興味深い噂もあるけどね。ともあれ、陛下は平民であった時分に、ファルケスと友人関係であったとのことだ。踊り子と吟遊詩人の組みあわせなら、さして珍しくもない。とにかくそういう人脈があるから、宮廷にも顔が利く。アルジェ君の先生とも、おそらく面識があるんじゃないかな」
「コロロ先生のこと、知ってたんですね、ベイグルさん」
アルジェは言った。
「隠してたわけじゃないよ。君がコロロという人物を捜していると知ったあとで、僕もいくつか心当たりを調べてみたんだ。彼女はかなり華々しい経歴を持っているね。かのヴァンデルケン
ベイグルは口を引き結んだアルジェの顔を見て、声をひそめた。
「やっぱり、昨晩君たちを呼びだしたのは、コロロフラムだったんだね。彼女はマカジャハットに戻ってきたわけだ」
「口止めをされているので、詳しくは話せません。でも、僕はコロロ先生を助けたいんです」
「いったいなにから、どういう風に助けたいのかな?」
アルジェは宮廷の裏事情を打ち明けたい衝動に駆られたが、そうするわけにはいかなかった。コロロフラムの話によれば、ジハーグは多くの人間を自らの派閥に抱え込んでいたらしい。イェキュラ女王によってあらかた粛清されたとはいえ、影響力が完全になくなったわけではないだろう。ジハーグ生存という情報が広がれば、どのような混乱が生じるか分からない。
「魔法……魔法についてのアドバイスをくれる人はいないでしょうか。事情があって、先生は頼れないんです」
アルジェは言った。
「魔法と言ってもいろいろな種類がある。真語魔法、操霊魔法、神聖魔法、妖精魔法に魔動機術。定義次第では呪歌や錬金術もその範疇と言えるだろう。僕は魔動機術のことならば少し分かるけれど、ほかに関してはまったくの門外漢だ。もし君の受けたいアドバイスが高度なレベルのものだとすると、やはり宮廷魔術師か、魔術師ギルドを当たるべきだろうね。
もっともマカジャハットにおいて、ふたつはほぼ同じメンバーから成っている。彼女らが管理する図書館は一見の価値があるよ。そこに行って調べるのもいいかもしれない。ああでも、確かあの場所はギルド員しか入れなかったかな……」
「僕でもギルド員になることはできますか? できなければ、図書館を使う許可だけでも」
「すぐは難しいだろうね。有力者なり組織なりの推薦がないと。冒険者としてコネクションを作れば、名誉会員みたいになることもできると思う。でも、いまのところアルジェ君は残念ながら、彼女らにとって馬の骨とそう変わらない」
アルジェは悩んだ。コロロフラムを当てにできない以上、推薦という手は使えない。まっとうな方法で図書館の利用許可を得るのは難しいだろう。かといってめぼしい魔術師を捉まえて、ジハーグに関する事柄を尋ねるのは危険すぎる。
アルジェは大麦の粥――ナツメヤシやナッツがたっぷり入った豪勢なもの――をすすりながら考え、そのうちひとりの人物を心に定めた。
頼むとしたら、やはり彼だろう。断られるかもしれないが、ダメでもともとだ。
ムーンやバナフサージュに協力を仰ぐつもりはなかった。あまり頭数の必要ない仕事であるし、もしものときに責任を負う者も、できる限り少ない方がいい。
「なにを考えてます? アルジェ」
「べ、別に。今日はどこに行こうかな、とか」
「……無茶はしないでくださいよ。先生の立場が悪くなるのは、あなたにとっても望ましくはないでしょう?」
バナフサージュの鋭い目。アルジェはそれを直視しないよう、わずかに顔を俯けながら、もくもくと粥を口に運んだ。
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