炎の色は -11-

 ほうほうの体で森を脱出し、見通しのよい平原まで辿りついた一行は、ようやく多少の余裕を持つことができた。


 所持品を確認してみると、ムーンが持っていたマナカメラは、幸いにも壊れていなかった。そこにはレイスがカメラの方に向き直り、蒼ざめた口元をもぐもぐと動かしながら、致死的な呪詛を吐く様子がはっきりと記録されていた。レイスの姿は本当に悪夢のようで、アルジェは改めて我が身の無事を喜んだ。


 とはいえ、依頼の達成という点では、まあまあな上首尾に終わったと言える。帰路も平穏そのもので、一行は想定よりも少しばかり早く、マカジャハットの街へ戻ってくることができた。


「おかえりな――うわ、ボロボロじゃないですか! いったいなにがあったんです?」


 依頼を受けてから四日目の午後。驚くレッチェンに迎えられた一行は、薄めたワインで喉を潤しながら、砦で遭遇した恐怖について語った。


「いやあ、それは本当に災難でしたね……。まあでも、生きて帰ってきてくれてよかったよかった。夕飯の用意をしますから、浴場にでも行ってきたらどうですか。夕方あたりにファルケスさんも来るでしょうから、依頼の報告をするといいですよ」


 アルジェはすぐに寝床へと倒れ込みたい気分だったが、報告せずに仕事は終われない。部屋に荷物を置いてから、レッチェンの勧めに従って、近くの公衆浴場へと向かった。サフラ村には温かい湯に浸かるという習慣がないので、石造りの大きな湯船でくつろぐ人々の姿は、アルジェにとって新鮮だった。


 さっぱりした一行が〈砂漠の真珠亭〉に戻ってきてみると、すでにファルケスが仔羊のローストを前に、酒杯を傾けているところだった。


「やあ、アルジェ。レッチェンから簡単に聞かせてもらったが、レイスに出遭ったそうだね。私もそんな大物だったと知っていたら、君たちを向かわせようなんて思わなかったんだが……」


 レイスについては、アルジェとしても恨み言がないではなかったが、いまは初仕事をこなした興奮が上回っていた。


「でも、なんとか姿は写すことができました。創作の役に立てばいいんですが……」


 アルジェはそう言って、借り物のマナカメラを返却した。


「ふむ。ではさっそく中身を確認するとしよう」


「あ! ちょっとファルケスさん、ほかのお客さんに不吉なモノ見せないでくださいよ。カメラ確認するなら上でやってください」


「おっと……それは失敬した」


 レッチェンに追い立てられ、ファルケスはのっそりと階上へと向かう。


「しかし、この危険と手間を考えると、ひとり当たり二百ガメルというのは、あまり旨味のある仕事とは言えないな」


 夕餉のパンとスープを前にして、ムーンが言った。


「レイスに遭うなんていうのはさすがに例外ですけど、何事も駆け出しならそんなものでしょう。ファルケスさんはなかなか顔が広そうですから、評判を広めてもらえれば、そのうちいい仕事も舞い込んできますよ」


「そのうち?」


「すぐには難しいかもしれませんが、五年とか十年とか」


「そんなに気長でいたら、俺なんかはあっという間に稼働停止だ。ルーンフォークは五十年しか生きないんだぞ」


「生き急ぎたいなら、遺跡でも探してもぐればいいんじゃないです? うまく魔剣でも見つかれば、一挙に富も名誉も武力も手に入りますよ。攻略できる自信がおありならね」


 喧嘩になりそうなふたりをアルジェがとりなしていると、マナカメラの記録を確認し終えたらしいファルケスが、どたどたと階段をおりてきた。その表情は深刻そうで、目には困惑の色があった。彼はアルジェたちの食卓に近づき、勢い込んで尋ねた。


「君たち、これは間違いなく、私が教えた砦で写したものか?」


「ええ。そんなに恐ろしかったですか?」


 バナフサージュが答える。


「ああ、うん。そうだな……。いや、なんでもない。私は少し、その、行かなければ」


「おい、報酬をまだ貰ってないぞ」


 ムーンに呼びとめられ、ファルケスは慌てて荷を探った。小袋が床に落ち、何枚かの銀貨が転がった。


「失敬、失敬。これが約束の三百ガメルだ。お詫びも兼ねて、もう百ガメル上乗せしておこう。できれば今回のことは誰にも言わないでくれると助かる。怯える人が出るといけないからね」


「近隣の村には警告したが、まずかったか?」


「うむ……いや。それは仕方のないことだ。とにかく、私はもう行くとしよう」


 ムーンの手に報酬を押しつけ、ファルケスは――出ていく際、戸枠に頭をぶつけて――去っていった。


「変なものでも写ってたのかな? レイス以外に」


 アルジェは首を傾げた。


「なにか芸術的なインスピレーションを感じたんじゃないですか」


 バナフサージュがパンをちぎりながら言った。


「新鮮な感動を忘れないうちに、作詞なり作曲なりしようと考えたのかもしれません。口止めの件はよく分かりませんが」


 なんにせよ、また顔をあわせたときにでも聞けばいい。アルジェはファルケスの態度にこだわるのをやめ、報酬として受け取った百ガメルを、しばらくは大事にしまっておこうと決めた。


       *

 

 ファルケスが慌ただしく出ていってから二時間ほどあとのこと。〈砂漠の真珠亭〉に来客があった。その人物が二階にあがり、部屋の扉を叩いたとき、アルジェは寝台に横たわりながら、明日の予定を考えているところだった。隣の寝台では、ムーンが得物の手入れをしている。


 バナフサージュかレッチェンだろうと思って出たアルジェは、慮外の訪問者を前にしてたじろいだ。しかしよくよく見てみれば、覚えのない人物というわけでもなかった。


 それはアルジェがサフラ村を出る前日、コロロの庵の前で目にした、あの黒い外套の男だったのだ。


「アルジェだな?」


 鋭い目つきの男が言った。


「あなたは……コロロ先生の庵にいた人だ」


「私と来てもらおう」


「コロロ先生はどこですか」


「こちらの用件が先だ」


「あなたの用件が済んだら、コロロ先生の居場所を教えてくれますか」


「私を遣わしたのがそのコロロ先生だと言ったら、おとなしくついてくるか? 彼女の正しい名前はコロロフラム。マカジャハットの宮廷魔術師だ」


「先生が――」


 やはりコロロ先生はマカジャハットに来ていた。そして自分が捜し出すより先に、こちらを見つけた。しかし、どうやって? 偶然、噂を聞きつけただけだろうか? それにしても、宮廷魔術師というのは……。アルジェは突然の事態に混乱し、落ち着いて考えることができなかった。


「そこにいるのは、ムーンだな。面倒を起こしたくないのなら、妙な真似はするな」


 男はアルジェから目線を外し、部屋の奥を睨みつけた。


「俺が妙な真似をするかどうかは、お前の態度による。アルジェを連れていって、どうするつもりだ?」


 ムーンが凄みを利かせた声で言うと、緊張に満ちた雰囲気がさらに張り詰めた。男の所作に注意を払っていたアルジェは、彼が長剣を帯びていることに気づいた。放たれる殺気の鋭さからしても、男が練達の戦士であるのは間違いない。


「なにごとですか。こんな時間に」


 そのとき、間がよいのか悪いのか、隣の部屋から出てきたバナフサージュが話しかけてきた。廊下と部屋を隔てる壁はそれほど分厚くない。おそらくは、アルジェたちのただならぬ声音を聞きつけたのだろう。


「バナフサージュだな。三人とも、私と一緒に来てもらう」


「どうしてふたりも呼ばれるんですか? コロロ先生を捜しているのは僕だけです」


 アルジェは尋ねた。


「お前がコロロフラムどのを捜していることと、コロロフラムどのがお前を呼んでいることは関係がない。お前たち三人は先日、領内の砦でレイスと遭遇したな?」


「どうしてそれを?」


「長々と説明させるな」


 男は無感情に言った。


「もし来ないというのなら、少々面倒なことになるぞ。これはマカジャハットの治安に関係することだ。それから、コロロフラムどのの安全にも」


 最後の言葉に釣られるまでもなく、アルジェは男についていくつもりだった。しかし、気がかりなのは仲間たちのことだ。自分の身柄はどうなろうと構わないが、ムーンとバナフサージュには迷惑をかけたくない。


「あなた、街の衛兵じゃなくて、宮殿の近衛兵ですね。そんな立場の人間が直々にというのなら、よほどの理由があるんでしょう。アルジェ、私たちもついていきます。心配は要りません。コロロフラムさんにも一度会ってみたいですから。ムーンも、いいですね。こんなことでいちいち喧嘩してたら、きりがないですよ」


「……まあ、いいだろう。ドレスは着ていかなくていいのか?」


 ムーンはそう言いながら、手斧をぞんざいに床へと放り捨てた。


 彼の挑発に対して、男は怒りも軽蔑も示さなかった。わずかに目を細め、三分で支度を済ませろと告げてから、踵を返して階段をおりていった。


       *


 バナフサージュが看破した通り、男は宮殿に出仕する近衛兵だった。彼女が色々としつこく尋ねたので、オルドウィンという名前であることも判明した。


 一行はオルドウィンのあとについて、マナ灯に照らされた街路を歩いていく。すでに宵から夜に移り変わろうという時刻だが、飲食店や酒場は客で賑わっていた。料理人が自慢の一品を振舞うような店もあれば、いかがわしい格好の女性が客引きをおこなう店もあった。しかしながらアルジェの胸中はコロロのことで占められており、昼間と違う街の表情に感心している余裕などなかった。


 いきなり村を出た理由について、先生は話してくれるだろうか。いまの用事が済んだあと、僕と一緒に村へ帰ってくれるだろうか。そもそも宮廷魔術師としての先生は、相変わらず僕を弟子として扱ってくれるだろうか。


 アルジェが物思いに耽っているうち、一行は宮殿の近くまでやってきていた。 


 まず目に入ったのは、数万の市民を余裕で収容できるほどの大きな広場だった。その奥には、外壁に見事な彫刻が施された四角い建物が見える。天辺までの高さはおよそ三十メートル。最上階は広々としたバルコニーになっていて、何十本もの円柱が平屋根を支えていた。


 四角い建物の左右には長い翼棟がある。それは途中で背後に折れ曲がり、敷地全体をぐるりと囲んでいるようだった。翼棟の一階は開放的な回廊で、通り抜けた先は中庭になっていた。


 コロロのことで頭がいっぱいだったアルジェも、この宮殿の荘厳さには心を打たれた。もし太陽の下で目にしていたならば、たっぷり一時間は見惚れていたことだろう。


 一方のオルドウィンはアルジェの感慨などお構いなしで、広場を横切り、回廊を通り過ぎ、勝手知ったる様子でずんずんと進んでいった。ようやく彼が足をとめたのは、敷地の中でもひときわ奥まった一角にある、分厚い扉の前だった。


 あたりには使用人のひとりもおらず、しんと静まり帰っている。


「件の冒険者たちをお連れしました」


 扉を軽く叩いてから、オルドウィンが室内の人物に声をかけた。


「通してくれ」


 それに答えたのは、アルジェにとって聞き間違えようもない、コロロの声だった。


 オルドウィンがゆっくりと扉を押し開くと、そこは大きな長机が占拠する、集会所か会議室のような場所だった。奥の席には、蝋燭の火に照らされたコロロの顔が見える。立ちあがった彼女は、裾の長い、ゆったりとした貫頭衣を身につけていた。


「先生!」


 アルジェは思わずコロロに駆け寄った。


「落ち着きなさい、アルジェ」


 彼女はアルジェの肩に触れた。その手つきには思いやりと優しさが込められていたものの、所作はあくまでも抑制的だった。


「積もる話はあとにするとして、まずは座りなさい。ムーン、バナフサージュ。君たちも好きな場所に座りなさい。オルドウィン、悪いがしばらく外で見張っていてくれ」


 そう命じられたオルドウィンは、一礼して部屋から出ていった。ムーンとバナフサージュがテーブルについたのを見て、アルジェも渋々それに倣った。


「先生、どうして――」


 アルジェが話そうとするのを、コロロは手で遮った。


「君にはちゃんと説明するつもりだ。けれどその分、順序よく話さなければならない。すまないが、質問はひと通り終わってからにしてほしい」


 コロロは大きく息をついて椅子に腰をおろし、しばし沈黙した。彼女の顔には深い憂悶と葛藤、そして明らかな憔悴の色が浮かんでいた。

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