炎の色は -8-

 ひとまず冒険者ギルドで詳しい話をしよう、というファルケスの提案に従って、アルジェは〈砂漠の真珠亭〉へと戻ってきた。折よくムーンとバナフサージュも帰っていたので、全員で依頼の内容を確認することになった。


 仔羊のローストを五人前注文したファルケスは、さきほどのマナカメラをテーブルの上に置き、ゆっくりと話しはじめた。


「ここから街道を東に半日歩き、そこから南へ逸れてまた半日歩いたあたりに、さほど大きくはない森がある。その中に、地元の人間にはずっと前から知られている、小さな廃砦が残されているんだ。取り立てていわくつきの場所ではないはずなんだが、ごく最近、そこで幽霊を見たという者がいた。


 まあ、アンデッドが出たという話自体は、そう大事でもない。遠からずティダン神殿あたりから人が派遣されて、討伐されることになるだろう。しかし私も創作の足しに、幽霊というヤツを見てみたくなったのでね。自分で行こうかどうしようか迷っているうち、ちょうどよく銀髪の彼が通りかかったというわけさ」


「砦ですか……。いまさら戦死者の霊ということもないでしょうから、入り込んだ蛮族がアンデッド化したのかもしれませんね」


 バナフサージュが言った。彼女は神官だからか、アンデッドについてはほかの面々よりも知識豊富だ。


「マナカメラで写すのはいいが、襲われたらどうする? 俺たちで対処できるか?」


 ムーンが尋ねた。


「地上に出ているアンデッドの類であれば、そう強力でもないでしょう。私とアルジェの魔法で大丈夫だと思いますよ。もし心配なら、ムーンはガメル銀貨でも投げたらどうですか? 銀は実体のない霊にも傷をつけられるので」


「大事な銀貨を投げるぐらいなら、カメラの係をやるさ。それで、報酬は?」


「前金としてひとり当たり百ガメル。幽霊の姿を写してきれくれれば、もう百ガメル支払おう」


 ファルケスは言った。


 報酬の相場がどれくらいのものか、アルジェには分からない。しかし、ムーンやバナフサージュ、それに傍らで聞いているレッチェンの反応を見る限りでは、そう悪い条件でもないようだ。


「まあ、私はいいと思いますよ。どうしますか? アルジェ」


「え、ぼ、僕が決めるの」


「あなたが取ってきた仕事ですから」


「それじゃあ……ファルケスさん。僕たちはこの依頼を受けることにします」


 このような答え方でいいのだろうかと迷いつつ、アルジェは言った。


「ありがとう! 初仕事の成功を祈っているよ」


 上機嫌になったファルケスは、エールをしこたま注文し、やがて運ばれてきた仔羊のローストを呑み込むように食べはじめた。


 アルジェはその健啖ぶりに感心しながら、自らも控えめな夕食を摂った。腹がくちくなったあとは早めに部屋へ戻り、明日の仕事に思いを馳せつつ、毛布の中にもぐりこんだ。


 夜は更けていく。階下の酒場では長い間、浮かれ騒ぐ人々の楽しげな声が響いていた。


       *

 

 マカジャハットは豊かな国だが、土壌は概して貧弱だ。ブルライト地方の北限であるラージャハ周辺に比べれば、水源や気候という点で恵まれてはいるものの、もっと南部の国々に比べると、農業で支えられている人口はそう多くない。


 版図に点在する小さな街や村を養っているのは、主として粗食によく耐える種類の家畜である。


 そういった、痩せて植生の乏しい景色の中に在る森は、小さくともよく目立つ。マカジャハットを出発してから丸一日。アルジェたちは特段迷うこともなく、廃砦があるという森のすぐ近くまでやってきていた。このとき時刻はすでに夕暮れで、いまから森に入るのは危険だと判断した一行は、偶然見つけた無人の猟師小屋で夜を明かすことにした。


〈砂漠の真珠亭〉で出される食事は無料だが、さすがに遠征中の糧食は自弁しなければならない。とはいえ往復でせいぜい三日の行程。街道での補給も可能となれば、さほど入念な準備が必要というわけでもなかった。一行は猟師小屋の外で焚火を起こすと、持参したヤギの干し肉を炙り、マルメロの砂糖漬けを齧り、沸かした湯でシナモンの茶を淹れた。


 まるでピクニックに来ているようだ、とアルジェは思った。ずっとこういう風ならば、冒険というやつも悪くない。それにしても、なんと目まぐるしく、大それた数日間であったことか! 故郷の村にいる父や母や兄たちは、アルジェがマカジャハットまで旅をし、冒険者となり、あまつさえアンデッドのいる砦に向かおうとしているなんて、まったく想像もしていないだろう。


「もっと早く、外の世界に出るべきだったなあ」


 ささやかな焚火の前。アルジェは熱いシナモン茶をすすりながら呟いた。


「あなたはまだ十四でしょう。決して遅すぎるということはありませんよ」


 バナフサージュが言った。


「何事にも、適切なタイミングというものがあります。花の咲く季節然り、種子が風に乗って飛ぶとき然り。あなたがいまこの場所にいるのも、神々の思し召しでしょう」


「誰かが一日遅れて到着してたら、ほかのふたりはオーガに喰われてたかもしれないしな」


 ムーンが言った。彼は食事を終えたあと、肘枕で地面に寝転がっていた。


「あなたはどうです? ムーン。なにか劇的なきっかけがあって旅に出たんですか?」


「言っただろう。俺はもともと奴隷で、主人から逃げてきたんだよ」


「なぜ前の日でも、次の日でもなかったかということです」


「話すのはいいが、それなりに長いし、あんまり愉快でもない。また今度にしよう」


「おや、躱されてしまいました」


 アルジェにしても、ムーンの身の上話には興味があった。しかし奴隷の境遇であれば、語りたくないことも多いだろう。


「あのとき君が居あわせなかったら、僕はオーガに食べられてたんだ。だからどんな理由があっても、ムーンがその日に逃げてきてくれてよかったよ」


「なら、よかったということにしておこう」


 ムーンは穏やかに言った。彼は身を起こして立ちあがり、自分の食器を拾いあげると、猟師小屋の中に戻っていった。


「アルジェも休むといいですよ。後始末は私がやっておきます。メリアは眠る必要がありませんから、見張りの方もお任せください」


 一日中歩き続けて疲れていたアルジェは、その言葉に甘えて休むことにした。このあたりの夜はひどく冷える。リカントは比較的寒さに強いが、やはり雨風を凌げる場所で眠るに越したことはない。


 猟師小屋の床や壁には、獣の血や生皮や脂肪のにおいが染みついていた。ムーンやバナフサージュは入ったときに顔をしかめていたが、アルジェにとって、それは生家を思い出させる懐かしいにおいだった。


       *


 明朝。アルジェたちはいよいよ森に入り、廃砦に出没するという幽霊を探すことにした。手早く食事を済ませ、それぞれの装備を確認する。


 アルジェはほとんど徒手だ。右手人差し指につけたガーネットの指輪が、魔法を使うための媒体となっている。


 ムーンは素朴な手斧が二本。もっと安価で使いやすい武器もありそうだが、ひとまずは慣れているものがよい、とのことだった。また事前の宣言通り、マナカメラは彼が持つことになった。


 バナフサージュの得物は、両端に石突のついた樫のスタッフ。これは長らく彼女と旅をしてきた、頼りになる相棒だった。


 三人とも、防具と呼べるほどのものは身につけていない。金銭的な余裕がなかったというのもあるが、相手が幽霊だとすれば、皮革だろうと金属だろうと、それほど役には立たないだろうという判断だった。


 森は事前の情報通り、そう広くはなさそうだった。周囲をぐるりと回ったとしても、日暮れまでには元の場所に戻ってこられるだろう。目的地の砦にしても、そう奥にあるわけではないようだ。森の入口からでも、天守キープと思しき建物の一部が見えている。


 いざ内部に立ち入ってみれば、幽霊が出没するという割には明るい雰囲気で、クルミやナツメなどの樹木が青々とした葉を茂らせていた。しかしアルジェは森深い村で生まれ育った経験から、すぐに強い違和感を抱いた。


「鳥の声がしないね」


 ディガット山脈の麓と、マカジャハットの周辺では動物の種類も違うだろう。しかしどんな地域であっても、鳥のいない森というのは考えられない。


「アンデッドの発生にはマナの濃度も関係しますから、なにか淀みのようなものがあるのかもしれません。なんにせよ、慎重に進みましょう」


 バナフサージュが言った。


 ひとまず道に迷うことも、さしたる危険にも遭遇することなく、一行は森に入って十五分ほどで、砦の近くまでやってきた。それは外から見る限り、非常に大規模というわけでも、複雑というわけでもない。もっとも外側に堀と防壁。内側に盛土で作られた丘。その上に、天守キープとなる円塔が建っている。


「おそらくは、〈大破局〉後の混乱期に建てられたものでしょう」


「荒れているな」


 ムーンが言う通り、砦はかなり荒廃していた。堀はほとんどが埋まって草だらけとなり、防壁は半分以上が崩れ去っている。天守キープは幾分か形を保っているが、なにかの拍子に倒壊してしまいそうな危うさがあった。


「蛮族に陥とされたのか、あるいは近くの村で建材を再利用したのか」


「いまのところ、幽霊らしきものは見えないが……」


 ムーンがそう言ったとき、アルジェの鼻は風に混じるわずかな腐臭を捉えた。仲間に警告する間もあらばこそ、なにかが防壁の裏から這い出してくる。


 幽霊――ではない。肉体を持ったアンデッドだった。


「ゾンビだ!」


 アルジェはうわずった声をあげた。ゴブリンが二体。コボルドが一体。いずれも眼頬や腹、腿といった柔らかい部分の皮が剥げ、腐敗した脂肪や筋肉を晒している。


「落ち着いて、アルジェ」


 バナフサージュが言った。


「動きの鈍い敵です。対処は難しくありません。ムーン、やれますか」


「問題ない。アルジェ、カメラを頼む。もし新手が来たら知らせてくれ」


 ムーンに渡されたカメラを受け取り、アルジェは二、三歩あとずさった。バナフサージュは魔法を温存し、スタッフで戦うつもりのようだ。


 ゾンビたちの白く濁った眼は、なにも見ていないように思える。においか音で獲物を察知するのだろう。こちらに近づいてくる足取りはゆっくりだ。もし閉所で出遭えば危険だろうが、開けた場所ならばバナフサージュの言う通り、対処は難しくなさそうだ。


 ムーンが右手の斧を大きく振りかぶり、ゴブリンのゾンビに投擲した。それは狙いを過たずに頭部に突き刺さり、敵はもんどり打って地面に倒れた。


 バナフサージュは体格こそ華奢ながら、そのスタッフ捌きは見事だった。おそらく、どこかで体系的な訓練を受けたことがあるのだろう。彼女は遠心力を巧みに利用した連撃で、あっという間にコボルドゾンビの膝を割り、肋骨を砕き、首をへし折ってしまった。


 残る一体も、ムーンによって難なく処理された。その間、アルジェは周囲の警戒を続けていたが、新手が現れる気配はなかった。


 終わってみればあっという間だ。ムーンとバナフサージュはまったく危なげのない戦いぶりで、三体のアンデッドを破壊してみせた。


「結局、幽霊はゾンビの見間違いだったということか?」


 斧にこびりついた肉片をぼろ布で拭いながら、ムーンが言った。


「それは考えづらいですね。蛮族がゴーストなりファントムなりに取り殺されて、そのままゾンビになったという方がありそうです」


「この周りにはいないみたいだったよ」


 ムーンにカメラを返しながら、アルジェは言った。


「なら、天守キープの中も調べてみるか。せっかくここまで来たんだ、空振りじゃないといいが……」


 ゾンビたちが復活しないよう、バナフサージュが簡単な弔いをする。それから一行は崩れた防壁を踏み越えて、砦の内部へと入り込んだ。

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