炎の色は -7-

 話しあいの末、ひとまず〈花の騎士団〉と名乗ることを回避――正確には保留――したアルジェたちは、せっかくだからと勧められ、カリフラワーのサラダと仔羊のローストを賞味してみることにした。


「へぇ、レッチェンさんはドワーフなんですね。北の方にはあまりいないですけれど、このあたりには多いんですか?」


 バナフサージュが尋ねる。


「ええ、結構いますよ。ドワーフは手先が器用なんで、職人なんかとして働いてますね。ただ、ここは余所からの人も多いから、人間の子ども扱いされることが多くって」


 男のドワーフはあまり種族を間違えられない。彼らは非常にがっしりとした体形をしていて、特徴的な長い髭を生やしているからだ。一方でドワーフの女性は、さほど毛深くもないし、必ずしも分厚い身体をしているわけではないため、人間の子どもに間違えられることがよくある。実のところアルジェも、はじめはレッチェンのことを人間の少女だと思い込んでいた。


 そうこうするうちに、まずはカリフラワーのサラダが出てきた。マカジャハット近郊で多く栽培されているのだそうだ。歯ごたえがよく、味わいは癖がない。和えられたソースは厨房で立ち働いているコボルド――ロディという名らしい――が考案した特製のもので、レシピは門外不出だという。


 やや遅れて出てきた仔羊のローストも絶品だった。アルジェは食の細い方だが、この料理ばかりは、いくらでも腹に入りそうな気がした。贅沢品や芸術に比較的無感動だったムーンさえ、これはうまい、と満足げだった。


「冒険者ギルドは、どこも食事に力を入れているのか?」


「いやあ、それが実はですね……」


 尋ねられたレッチェンは、少々きまりの悪そうな顔をした。 


 彼女曰く、旅の身であったベイグルが、知人から支部の経営を任されて五年。当初からさして大きな所帯ではなかったが、あるとき所属していた冒険者たちのうち、主力の者たちが相次いて死亡、失踪、あるいは脱退してしまった。


 それによって傾いた経営を立て直すため、料理に力を入れて利益を補填しようとしたところ、これが想定外の繁盛。忙しさのあまり、本業が余計に疎かとなってしまった。


 レッチェンの叱咤によって、ベイグルは多少やる気を取り戻したものの、すでに状態は手遅れ。いまでは名前だけの在籍者が数名いるに過ぎず、ごくたまにやってくる依頼も、すべて断らざるを得なくなっている。


「それは登録の前に言うべきじゃないか?」


 ムーンが眉をひそめてみせると、レッチェンはお盆で顔を隠した。


「だってだって、言ったら登録してくれないじゃないですか。でもほら、宿代も食費もタダにしますし、これからベイグルさんのケツをしばき回して、仕事を取ってこさせます。だから、ね? ね? 出ていかないでくださいよう」


「まあまあ。いいじゃないですか、ムーン」


 バナフサージュが鷹揚にとりなした。


「私たちはまだ新米で、本来なら生活費を稼ぐのだってひと苦労なはず。それがタダになるっていうなら、これはいい条件ですよ。ベイグルさんたちだって、冒険者がいないことには依頼を受けられないんですから、お互いに得があるわけです」


「どう思う? アルジェ」


 ムーンはやや得心がいかない顔で、アルジェに水を向けた。


「僕はここでお世話になるのがいいと思う。はじめから仕事がたくさんありすぎても、コロロ先生を捜す暇がなくなっちゃうし。ああ、ところで……」


 アルジェはレッチェンに事情を説明し、コロロのような人物をここ数日で見ていないか、と尋ねた。レッチェンはベイグルやロディだけでなく、店に居あわせた客たちにも確認してくれたが、残念ながら有益な情報は得られなかった。


「マカジャハットにはエルフも魔術師もたくさんいますからねえ。まあ、気長に探すのがいいでしょう。店の中に人相書でも貼っておきましょうか。……ともかく、今日から〈砂漠の真珠亭〉がみなさんのおうちです。実家みたいに寛いでくださいね!」


 宿と食事の件が片付いたあと、ムーンとバナフサージュはさっそく街を見物に出かけた。アルジェもそれについていこうとしたが、旅の疲労で咳が出たのを見咎められて、無理は禁物だと釘を刺された。仕方なく、厨房でもらった湯で薬を飲み、あてがわれた二階の部屋――ムーンと共有――で少し休むことにした。


 幸運なことに、アルジェは道中でいくらかの沼ニンジンを手に入れていた。しかしある程度手間をかけて加工しなければ、充分な効果は期待できない。


 あとで調合器具を売っている場所があるかどうか、探してみよう。アルジェはそう考えながら、二、三時間ばかり眠ることにした。


       *


 マカジャハットの街中に鐘の音が響く。


 アルジェは目を覚まし、なにか事件でも起こったのかと一階におりていった。しかしレッチェンに尋ねてみれば、なんのことはない、午後三時を告げる鐘だということだった。


 ムーンとバナフサージュはまだ戻ってきていない。夕食までには少し間がある。アルジェは早いうちに土地勘を得ておくため、一時間か二時間、街を見て回ることにした。


〈砂漠の真珠亭〉を出て、足の向くままに歩く。総じてマカジャハットの街並みは、注意深い計画と奔放な発展によって織られた、一枚の豪奢な絨毯のようだった。辻を通り過ぎるたび、居並ぶ建物や屋台の色、漂うにおいは変わった。しかしそれぞれの区画は、全体としてある程度のまとまりを持っていた。この場所は職人街、隣は娼館街、その隣は浴場や床屋がある一帯、といったように。


 街並みはどれも見事だったが、雑貨や工芸品を扱う市場バザールは特に圧巻だった。見あげるほどに大きな建造物が、ひとつの辻を覆うようになっているのだ。


 微細な彫刻や彩色が施されたアーチ状の入口をくぐると、そこには百を超える商店がひしめいていた。ほとんど陽の入らない市場バザールの中では、ともされたランタンやランプの炎が赤々と燃え、行き交う人々や魅惑的な商品を照らしていた。


 若い女性が盛んに客を呼び込もうとする店もあれば、悠然と座った主が水パイプをふかしている店もある。一ガメルの菓子が売られている店の隣で、一万ガメルの宝飾品が並べられているようなこともある。


 高い頭、低い頭。猫の耳、ウサギの耳、長い耳。兵士の鎖帷子チェインメイル、魔術師の長衣ローブ、旅行者の頭巾ターバン。流れる群衆の中にコロロの姿がありはしないかと、アルジェは視線を彷徨わせ、似て非なる人物を見かけるたびにがっくりと肩を落とした。


 やがて市場バザールを抜けたアルジェは、〈砂漠の真珠亭〉が面しているのと同じような円形広場に辿り着いた。周囲に軒を連ねているのは、料理店や比較的上品な酒場などだ。いままで通り抜けてきた区画に比べると、幾分か落ち着いた趣のある場所だった。


 広場中央の噴水には、月神シーンと星神ハルーラの彫刻が設置され、行き交う人々を慈愛の表情で見守っている。


 その女神たちの足元に、アルジェは覚えのある人物の姿を捉えた。数時間前、門の近くで声をかけてきたファルケスだった。いま、彼の周りには十数人の客がいて、スティールドラムの玄妙な音色と、伸びのある声で紡がれる物語に聴き入っている。


 アルジェは引き寄せられるようにして、ファルケスを取り囲む客の輪に加わった。物語はもうほとんど終わりを迎えていて、いまは強大な蛮族を封じた人間の英雄が、恋人の腕の中で死にゆきながら、未来への希望を託している場面だった。


 哀愁を残して物語が閉じ、声の余韻が消え去ったあとで、ファルケスは噴水の縁から立ちあがり、無言のまま慇懃に一礼した。客たちは拍手でもって彼の技量に敬意を示すと、地面に広げられた布へ次々と銀貨を投げた。そしてまた新しい演者を探して、あるいはもともとの用を足すため、三々五々広場に散っていった。


「物語を聴くには、残念ながら少し遅かったようだね」


 ファルケスは銀貨を布でくるみながら言った。


「冒険者ギルドは無事に見つかったかな?」


「はい、無事に。ただ……」


「ただ?」


「依頼が全然ないみたいなんです。いま、頑張って探してくれているんですが」


 そう口にしてから、アルジェは失礼なことを言ってしまったと思った。これではまるで、宿を教えてくれたファルケスに不満があるみたいではないか。


「ああ、それは気の毒に。すまないね。私もあまり界隈の事情に詳しくなかったものだから。勢い込んできた若人たちの出鼻を挫いてしまって、お詫びのしようもない」


 大仰に両手を広げ、同情と謝意を示したファルケスの前で、アルジェはしどろもどろになった。


「そ、そんなことはないです。僕の方こそ、せっかく教えてくれたのに変なことを言って……」


「では、こうしよう。私からひとつ依頼をさせてもらう」


「えっ?」


 ファルケスは荷物の中からごそごそとなにかを取り出し、アルジェに手渡した。それは拳大の金属塊だったが、単なる塊ではなく、たくさんの小さな部品から成る、精巧な機械のようだった。


「これはマナカメラという特別な品で、魔動機文明アル・メナスの技術が使われている。目の前で起こった出来事を、動く絵のように保存することができる。こういう類のものは見たことがあるかな?」


 アルジェは首を横に振った。


「使い方はそれほど難しくない。私が依頼したいのは、これであるものを写してきてほしい、ということなんだ」


「あるもの?」


「幽霊さ」

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