炎の色は -6-

 こうしてアルジェ、ムーン、バナフサージュの三人は、ほとんど偶然の遭遇を経て、道行を共にする旅の仲間となった。一行は宿屋を兼ねていた酒場の二階で夜を明かし、翌朝に多少の物資を買い入れたあとで、西方のマカジャハットへ向けて出発した。


 半日の距離にある大きな河を渡れば、そこはすでにマカジャハットの勢力圏となる。夕刻に辿り着いたジニアスタという街は、巨大な円形闘技場を中心に成り立っていた。


 広々とした平地に築かれた市街には、アルジェがこれまでに見たこともないほどの賑わいがあった。しかし宿の亭主曰く、月に一度の闘技大会が開催されているときの混雑は、いまの五倍にも十倍にもなる、とのことだった。


 ジニアスタからマカジャハットまでは、街道や宿場がよく整備されていた。人通りは多く、巡回の兵士もおり、安全や快適さという点で申し分なかった。一行はさしたる障害にも困難にも突き当たることなく、旅路の後半部分を終えることができた。


 そしてサフラ村を出てから五日。アルジェはようやく、コロロが向かったと思しきマカジャハットに辿り着いたのである。


〈大舞台〉マカジャハット。ブルライト地方の北西部に位置する絢爛の都。〈大破局〉以降、いくつもの国が復興の道を歩む中で、マカジャハットはいち早く文化や芸術の花を開かせた。


 大通りには劇場や美術館が立ち並び、辻や広場では吟遊詩人や大道芸人が技を競う。市民の暮らしを取り囲む、織物や衣服、建築や彫刻、食物や料理といったものは、種類の多さも質という点でも、まったくもって他の追随を許さない。


 洗練されたマカジャハット産の品物は、ときに商船や隊商によって外国へと運ばれる。これを目にし、手に取った人々は、ひとり残らず感嘆のため息を漏らすという。


「すごいな……」


 東の大門から一歩市街に立ち入ったアルジェは、圧倒的な街並みにしばし立ち尽くした。つい先日まで、自分が生まれ育った村と、せいぜいその最寄りの街までしか知らなかったアルジェにとって、それは畏怖さえ抱かせるような光景だった。建物や品物だけではなく、行き交う人々の種族や格好も、一見して把握しきれないほど多様だった。


 あたりに流れる歌や音楽、道端の囁きに含まれる抑揚も、アルジェにとっては極めて新鮮な刺激だった。空気もまた同様。風には食物のにおいに加えて、種々の香料――麝香や乳香、薔薇をはじめとした花の精油――や、得体の知れない妖しげなにおいなどが混じっていた。


「まるで世界の半分がここにあるみたいだ」


「なかなか詩的な表現をしますね。でもアルジェ。大陸の北には、ここより大きな都市がたくさんありますよ。近くのラージャハにしたって、人口で言えばマカジャハットより多いでしょう。まあ、私の故郷はそんなに都会でもないですが……」


「世界は広いんだなあ」


「ところで、どうやったら冒険者になれるんだ?」


 ムーンが言った。彼はラージャハでの都会暮らしが長かったためか、マカジャハットの街並みを見ても、アルジェほどの感動は抱いていないようだった。


「どこかに冒険者ギルドの支部があるでしょう。そこで登録の手続きをすればいいはずです。誰か地元の人に聞けば――」


「旅の方かな? ようこそ〈大舞台〉マカジャハットへ!」


 背後からいきなり声をかけられて、アルジェは飛びあがらんばかりに驚いた。


 振り返ってみれば、そこには灰色の鱗を持ったリルドラケンがいた。剣の加護を受けた竜を祖先に持つ、屈強な種族だ。直立し、二足で歩くのは人間やリカントと同じだが、リルドラケンはそれに加えて大きな翼を持っており、さほど長時間ではないにせよ、空を飛ぶことができる。


 声をかけてきたリルドラケンは、アルジェたちの驚きや戸惑いを意に介することもなく、小脇に抱えた金属のドラムを叩きながら、見た目の厳つさからは想像もつかない、滑らかな声で朗々と歌いはじめた。


  見よやこれなる若人らを

  剣の恩寵篤き者らを


  白銀の尾とたてがみを

  西風ゼフィルになびかす魔術師の

  瞳に宿るはまことの叡智

  北の奈落の奥底深く

  果ての門まで徹す烈光


  締めたる縄もかくあらん

  四肢の筋骨漲れば

  宿命の鎖断ち切りて

  虐げられし民草の

  楯となるべし不朽の大夫


  高貴なる花香らす乙女

  歩む足取り静々なれど

  風と雨との導きあれば

  徳の絶えたる漠土の庭も

  涙の海も迷うことなし


  大舞台にあがりし演者の

  絢爛なる活躍を照覧あれ!

  前途に無明の霧が横たわろうとも

  その旅路に喝采の多からんことを!


 歌の内容は明らかにアルジェたちのことを指していた。即興の技術といい、素性を見抜く観察眼といい、このリルドラケンが一流の吟遊詩人であるのは間違いない。


 彼が演奏するドラムも独特の魅力に満ちていた。それは金属的な見た目にも関わらず柔らかい音色を発し、尾を引く玄妙な余韻はアルジェの心を浮き立たせた。


「ごきげんよう。私の名はファルケス。鮮やかな鱗の代わりに滑らかな喉を授かったので、こうして吟遊詩人をしている。〈七色の声〉などと呼ばれているが、まだまだ売り出し中の若輩だ。見たところ、なにかお困りのようだが?」


 ファルケスと名乗った男はひと息でそこまで言うと、一行に向かってぐっと顔を近づけた。その身長は二メートルを優に超え、体重はアルジェの三倍か、もしかすると四倍近くはありそうだった。ムーンもそれなりに威圧感のある容姿をしているが、ファルケスと並べば、随分とおとなしそうに見えるだろう。


「あの、ぼ、僕たちはその、冒険者ギルドを探していて」


 どんなに素晴らしい吟遊詩人でも、巨体で迫られれば怖さが勝る。思わず半歩あとずさりながらも、アルジェはなんとか言葉を絞り出した。


「冒険者ギルド。ふぅーむ。それならこの近くに一軒ある」


 ファルケスはぐるぐると喉を鳴らし、少しばかり身を引いてから、市街の中心方向を指さした。


「このまま通りをまっすぐ、噴水のある広場まで行くと、左手前に建物が見える。さほどの大店ではないが、〈砂漠の真珠亭〉という看板があるから、すぐに分かるだろう」


「あ、ありがとうございます」


「うん、うん。それでは気をつけて。君たちの翼が永久とこしえに伸びやかならんことを!」


 ファルケスは呵々と笑ってから踵を返し、のっしのっしとどこかへ去っていった。アルジェは大きく息を吐き、豪快な他種族との会話が無事に終わったことを安堵した。気づけば、傍らでバナフサージュが笑いを堪えている。


「面白がってないで、助け舟を出してくれればよかったのに」


「あはは、ごめんなさい。ちょっと意地悪でしたね。でもそんなに怯える必要はなかったんですよ。リルドラケンは見た目こそ怖ろしげですが、温和で親切と相場が決まっていますから」


 それから、一行はひとまず教えられた場所へ向かってみようと、通りを歩きはじめた。


「しかしまあ、楽しそうな街じゃないですか。私も友人から話を聞いただけで、来るのははじめてですが、気に入りました。少しばかりここに根をおろして、伝道に勤しむのもいいかもしれませんね」


「長居するとなると、嫌な面も見えてきそうではあるが……」


「いい気分に水を差さないでください。ええと、ここが噴水の広場で……ああ、ありました。きっとあれですね」


 バナフサージュが示した先には、間口の割に奥行きのある二階建てが見えた。周囲の店に比べると素朴な風情の軒看板には、やや崩れた字体で〈砂漠の真珠亭〉と書かれている。


 さて、中にいるのはどんな豪傑か、あるいは陰険な遺跡荒らしか。アルジェは広場を横切って店の前に立ち、緊張で固唾を飲みながら扉を開けた。しかし次の瞬間目に入ったのは、意外にもこざっぱりとした明るい空間だった。


 手前には低いテーブルが六つばかり並び、それぞれに切り株のような椅子や小布団クッションがついている。これまた低いカウンターを挟んだ奥は、かまどや酒樽が並ぶ立派な厨房になっていた。


「いらっしゃいませ!」


 元気な声を張りあげて一行を迎えたのは、背の低い給仕の少女だった。濃い青色の髪をうしろで束ね、手には木の盆を持っている。


「どうぞ好きな場所へおかけください! 当店ははじめてでしょうか? おすすめはカリフラワーのサラダと仔羊のローストとなっております。サラダはすぐにお出しできますが、ローストはただいま少々お時間いただいております! いかがされますか?」


「ええと、その……両方もらえますか」


「かしこまりました!」


「おい。俺たちはメシを食いにきたのか?」


 ムーンに肘でつつかれ、アルジェは雰囲気に流されてしまったことを反省する。


「あのう、ここは冒険者ギルドの支部だと聞いて、登録の手続きをしにきたんですが」


 その言葉を聞くと、少女は驚いたような顔をしてから、カウンターの方へ取って返した。


「ベイグルさん! 起きてくださいベイグルさん! 冒険者になりたいって人が来ましたよ!」


 彼女が背中をばんばんと叩いているのは、かなり年齢のいったタビットだった。この種族は、直立したウサギのような愛らしい姿をしている。腕力や器用さに乏しく、人口も少ないが、非常に頭がよいことで知られており、どんな場所でも文官や魔術師や技師として重宝されている。


「起きた。起きたから。叩かないでくれレッチェン君。君の力で叩かれると骨が折れてしまう」


 ベイグルと呼ばれた老タビットは、カウンターでの居眠りから起こされ、傍らに置いてあった眼鏡を手に取った。どうも彼が支部の責任者らしい。


 アルジェが奥の厨房に目を遣ると、そこではコボルドが慌ただしく鍋をかき回したり、野菜を切ったりしていた。コボルドは犬に似た蛮族の一種だが、脅威は少なく誰にでも従順であるため、人族の街で料理番や雑兵として暮らしていることがある。とはいえアルジェの生家近くでは、もっぱら駆除の対象だったが。


〈砂漠の真珠亭〉の面々を見て、アルジェは店の造りに納得した。テーブルもカウンターも低いのは、ベイグルやレッチェンやコボルドの身長に合わせてのことだ。


 もっとも小柄なコボルドは一メートルほど。一番高いレッチェンでもアルジェの鳩尾まで。こちらに歩み寄ってくるベイグルはレッチェンと同じくらいだが、長い耳を勘定に入れなければコボルドより低い。


「いやあ、申し訳ない。最近はすっかり飲食業が板についてしまってね」


 ベイグルは一行をテーブルに招き、依頼を受けるうえでの手続きや、冒険者がギルドで利用できるサービス、禁止事項などについての説明をはじめた。全体として仕組みはそう複雑でなく、冒険者ギルドにおける組織と個人の関係は、職人や商人の組合ギルドに比べて緩やかなようだった。


「ところで、バナフサージュも、冒険者になるの?」


 ふと気になり、アルジェは尋ねた。バナフサージュは若人ふたりの手助けをすると言ったが、どこまで面倒を見る、ということは明らかにしていない。


「そうですねえ……。ベイグルさん、冒険者として登録することで、布教活動などに制限はかかるでしょうか」


「第一の剣ルミエルに属する神であれば、別段問題はないだろうね。ノルマなんかもあるわけじゃないし。始祖神ライフォスや太陽神ティダンの神官なんかは、みんな蛮族との戦いに積極的だから、人によっては、やってることが冒険者とあまり変わらなかったりする。ときにバナフサージュ君。布教活動をするにあたっては、組織の後ろ盾や支援があるのかな?」


「私はフルシルの信徒で、布教は個人的な活動です」


「雨と風の女神フルシルか。マカジャハットに大きな神殿はないから、同業を頼るのは難しいかもしれないね。生活費は自分で稼ぐ必要がありそうだ」


「なるほど。そういうことなら、私も冒険者として登録しましょう」


 それを聞いて、アルジェは嬉しくなった。先のオーガとの戦いを見る限り、バナフサージュは勇敢で、神聖魔法の扱いも見事なものだった。彼女が一緒にいてくれれば、冒険は随分と安全なものになるだろう。


「では、アルジェ、ムーン。改めてよろしくお願いします。冒険者パーティー〈花の騎士団〉結成ですね」

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