炎の色は -5-

「なんという絆。なんという愛。……うっうっ」


 三体のオーガと死闘を繰り広げた何時間かあとのこと。アルジェたちは無事に森を脱出し、町の酒場まで戻ってきていた。バナフサージュが水浴びをしていた泉は、森の出口からごく近い場所にあった。結果としてムーンの選んだ方角は、それほど間違っていなかったことになる。


 最低限の休息を摂り、泉で血や汚れを落としたあと、見通しのよい場所まで出た一行は、ひとまず近隣の住民に蛮族の脅威を警告した。オーガからちぎり取った耳をムーンがちらつかせると、農夫はさっと顔を青ざめさせて、街の兵士を呼びにいった。


 おそらくこれから、森の捜索がおこなわれるだろう。街の兵士たちだけで手に負えないと分かれば、大都市に救援を求めなければならないが、森にひそむ蛮族がオーガだけであれば、そこまでの事態にはならないはずだ


 駆けつけた兵士に事情を説明したあとで、一行はやっとひと息つくことができた。酒場に戻ってから、泉に現れた経緯についてバナフサージュに問われたアルジェは、村を出ることになった理由を、かなりはじめの方から語って聞かせた。


「無理もないですね、そんなに大事な人を……」


 バナフサージュは、アルジェがはじめて魔法を使ったあたりで涙ぐみはじめ、話し終えるころにはしきりに鼻をすすっていた。彼女の左のこめかみのあたりに咲いているスミレは、どうやら本人の感情をかなり反映するようだ。バナフサージュが悲しそうにすると、花も閉じ気味になってしょんぼりと俯いた。


「そのコロロ先生がマカジャハットから越してきたというなら、元の場所に戻っただけじゃないのか」


 ムーンが言った。彼の反応はバナフサージュに比べると、幾分か淡泊だった。


「ええ、きっとそうですよ。きっと同僚に復帰するよう誘われたんでしょう」


 バナフサージュも同調した。


「でも、それなら僕に言ってくれるはずだし、急に出ていく必要もない。とにかく、僕はコロロ先生を捜す。マカジャハットに行ったっていうなら、僕も行く」


 アルジェは決然と拳を握りしめた。


「まあ、その志は立派ですし、とめる気はないですよ。でもアルジェ。あなた、あまり準備をしないで出てきたと言っていたけれど、お金はあるんですか?」


「お金……」


 アルジェが町はずれで落とした荷物は、幸運にもそのまま回収できた。しかしもとより、路銀がたっぷりあるというわけではない。


「百五十ガメルぐらいかな」


 田舎と都会で物価は違うだろうが、たとえばパン三つは二ガメルで買うことができ、一般的な宿は三十ガメルで泊まることができる。四、五日でコロロが見つけられるなら、これで充分なはずだった。


「うーん、心もとないですね。マカジャハットまでは行けるでしょうけど。ムーンはどうです? あなたもマカジャハットへ行くつもりなんですよね?」


 水を向けられたムーンは、カウンターの上に小袋の中身を空けた。


「……三十二ガメル」


「ちょっと計画性がなさすぎでは?」


「言っただろう。俺は奴隷だったと。財産なんかもともとないんだ」


 そもそも村を出たときに冷静でなかったアルジェは、あとのことなど考えていなかった。ムーンにしたって、主人から逃げたときの状況が慌ただしければ、旅の準備をする暇などなかったはずだ。


 とはいえ、バナフサージュの指摘も一理ある。少し気持ちが落ち着き、目的地が定まったところで、ある程度の計画を立てなくてはならない。


「仕方ないですね」


 バナフサージュはため息をついた。


「年若き者たちを導くのも、神官たる私の務め。手助けをしてあげましょう」


 やや高慢に聞こえなくもないが、善意なのは間違いないだろう。アルジェとムーンはしばらく顔を見あわせてから、結局はこの世慣れた風の神官に、当面の世話を頼むことにした。


「とはいえ、仕事の斡旋なんていうのは専門外ですからね。有力な伝手があるわけでもなし。親父さん、なにかいい案はありませんか?」


 考えあぐねたバナフサージュは、酒場の亭主に声をかけた。


「あんたら、オーガをやっつけたんだろ。なら、冒険者なんてのはどうだい」


「ああ! その手がありましたね。冒険者ギルドの支部に登録すれば、なにがしかの仕事にはありつけるでしょう」


 アルジェは冒険者という職業について、ほとんどなにも知らなかった。名前はどこかで聞いたことがある。しかし、冒険することをどうやって稼業にするのか、いまひとつぴんときていなかった。


 バナフサージュの説明によれば、冒険者の主な仕事はふたつ。


 ひとつは、遺跡の探索。かつて滅びた神紀文明シュネルア魔法文明デュランディル魔動機文明アル・メナスといった偉大なる時代の遺物や知識を掘り起こし、持ち帰ること。


 もうひとつは、蛮族の討伐。人間社会に仇なす種々の蛮族から離村や隊商を守り、あるいは敵に先んじてその企みを打ち砕くこと。


 もちろん、ほかにもこまごまとした仕事はある。人族間でのトラブル仲裁、盗まれた貴重品の捜索、魔動列車の線路敷設手伝い、等々。


「僕、自信ないな……」


 アルジェは尻込みした。確かにオーガとは戦ったが、好んでやったわけではない。


「ムーンみたいに腕っぷしが強いわけじゃないし」


「腕っぷしはなくとも、魔術師なら重宝されるはずですよ」


 バナフサージュは言った。


「古い時代の文字が読める者はそれだけで価値がありますし、刃の通りが悪い敵には、魔法での攻撃が有効です。見張りを眠らせたり、魔法の鍵を開けたり、水中で灯りをともしたりなんて、斥候や戦士にはできないでしょう? 確かに危ない仕事もありますが、余所からやってきた、身元も不確かな人間が稼ごうとするなら、冒険者になるのは悪くない案だと思います」


「ラージャハにもそこら中に冒険者がいたな。半分はごろつきと区別がつかなかった」


 ムーンが言った。


「ガラの悪い人だって当然いるでしょう。でも、ムーン。冒険者の中には高い声望を得て、君主から領土を賜ったり、自ら国を拓いたりする者もいるんですよ。いま、アルフレイムの国々を納める諸王も、幾人かは英雄的な冒険者を祖としています。だから、もし血統も財産もないあなたが王になりたいと望むなら、冒険者はまさに正道だと言えるんじゃないでしょうか」


「……話は分かった。だが、やけに詳しいじゃないか、バナフサージュ」


「まあ、私も本で読んだり、吟遊詩人の歌を聴いたりしただけですが」


「僕はとにかく、コロロ先生を捜せればいい」


 アルジェは言った。


「そのために必要なら、冒険者にだってなんだってなるよ」


「決まりですね」


 バナフサージュはにっこりと笑う。頭の花も心なしか鮮やかさを増した。


「目的地はマカジャハット。ですが、焦り過ぎても、余計なトラブルに巻き込まれるだけ。今日のところは休んで、出発は明日です。いいですね、アルジェ」

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