修学旅行

第42話 修学旅行前日―1

 俺の通う西廿日高校の2年生は、昭和62年10月4日から3泊4日で、修学旅行へ出掛ける予定になっていた。


 初日はほぼ移動で、広島から名古屋までは新幹線、そこから長野県松本市までバスで移動するというものだった。鉄道が好きな俺は、名古屋から松本までも特急しなのに乗りたかったなぁ、と思ったがどうも在来線の特急では、修学旅行生は扱わないらしい。残念だ。


 二日目は信州地方の観光地が三箇所用意され、各クラス毎に行きたい観光地を選び、その先で自由行動となっている。俺の2年7組は、清里、軽井沢、善光寺の三箇所の中から、多数決で軽井沢に決定していた。

 善光寺を選ぶクラスなどないんじゃないかと思っていたら、1組と5組の2クラスが行くらしい。1組は、担任の先生がお寺の僧侶の資格を持っているらしいので、そのせいだろうな。5組が何故善光寺なのかは分からなかったが、修学旅行2日目は大村と神戸の2人は一緒に動けないんだな…ということもチラッと頭をよぎってしまった。


 三日目は早朝に長野県松本市を出発し、東京ディズニーランドへ行き、バスの到着時間にもよるが予定では午後1時から7時まで、園内自由行動となっていた。


(こんな、女子かカップルしか楽しめない所を修学旅行先に選ぶなよ!三日目、何して過ごせばええんじゃ?)


 と俺は修学旅行での東京ディズニーランドに、いや、修学旅行自体にかなり醒めていた。


 一方で体育祭の後、急に俺に対する距離を縮めてきたように感じた若本のことが、俺の心の中からずっと離れていなかった。元々春先に入部してきた時から、昔からの間柄のように戯れてくる若本に、恋愛恐怖症が薄められていたのも事実だった。


(うーん…もし若本と付き合えたとしても、修学旅行とかで一緒に、ってわけにはいかないよな。でも他の学校行事とかならどうだろ?いや、何より同じ吹奏楽部じゃないか。この後の吹奏楽まつりとかアンコンとか、2人で…)


「何ニヤついとるん、上井は」


「ん?あ、伊東かい」


 そこにいたのは伊東だった。


 そうだった、部活準備中に明日からの修学旅行が気になっていたら、いつの間にか若本と付き合っている前提での妄想に支配されてしまっていた。


 吹奏楽部の活動は、体育祭が終わり、次の吹奏楽まつりへとシフトチェンジしていた。

 吹奏楽まつりは中3の時に初めて出場したが、最優秀賞、コンクールでいうところのゴールド金賞を獲得すると、地元のラジオ局で演奏を放送してもらえるという特典が付いてくる。

 去年は箸にも棒にも掛からない参加賞で終わったが、なんとか今年は、夏のコンクールでもう少しでゴールド金賞だった勢いを、今度のまつりで更にステップアップさせたかったが…まだ部内はまつりに向けた本気モードにはなっていないのが現状だった。修学旅行や中間テストを控えているからある意味仕方ないのかもしれないが。


 だが伊東は、恐らく初めてではないかというソロのフレーズが、吹奏楽まつりで演奏する曲中にあるため、普段ののんびり屋から一転し、今一番部内で練習熱心じゃないかと思うほど、テナーサックスに取り組んでいた。

 だから修学旅行前日の今日、土曜日の部活も、ほぼ部活開始時刻から音楽室に来ていて、考えごとをしてボーッとしている俺を見付けて、声を掛けてきたのだった。


 因みに吹奏楽まつりで演奏する曲は、打楽器パートは本当なら4人必要なのだが、足りない部分を主に広田、宮田で分け合って補い、偶にティンパニーで余裕がある時だけ、俺が手元に置いて使える小物を鳴らすことでやり繰りしていた。


 それはそうとして…


「何かええことでもあったんじゃろ、上井」


「へ?なして?」


「体育祭の後から、なんか上井の雰囲気が違うんよの〜。体育祭前はどっか無理しとった気がする。じゃけど体育祭が終わったのもあるんじゃろうけど、それ以上に何か精神的にええことがあったんじゃないか?そんな雰囲気なんよのぉ」


「い、いや?俺は普段とそんなに変わらんけど?」


 内心俺はビックリしていた。

 確かに体育祭後、若本が俺のことを特別視しているようなことを言ってから、俺の頭の中は若本で一杯だ。

 若本も部活で俺に会うと、髪の毛の分け目チョップを仕掛けてきたり、背後からくすぐってきたり、明らかに以前よりもコミュニケーションを積極的に取りに来ている…としか、俺には思えない行動をしていた。このように伊東は、普段は関心がないように装っていて、偶に核心を突いたことを切り出してくるから油断出来ない。


「そっか?俺は上井に、やーっと好きな女子が出来たんじゃないか、そう思うたんじゃけど、違うかぁ」


 また伊東はドキッとするようなことを言った。伊東は普段は部内の人間関係とかには無頓着なようでいて、要所は抑えている。だからさり気なく元気のない後輩に下らない話をしたりして元気が出るようにしていたり。

 間違いなく俺ら6人の同期生男子の中では、一番後輩女子からモテているのが伊東だ。


 だが以前、同じ学校内に彼女は作らない主義だ!と宣言しているのも聞いているし、伊東の女性関係は謎が多い。


 そんな伊東からそう言われると…というよりも見抜かれていると、他の部員にもバレているんじゃないかと、ふと不安になる。だから


「全然!俺は去年、恋愛というものには縁がないと突き付けられたけぇ、もう女子を好きになるなんてことはせんのじゃ」


「ホンマか?どうも俺には本気とは思えんがの〜」


 多少俺は続きを警戒したが、伊東はそのまま譜面とテナーサックスを持って、パート練習の部屋へと移動していった。


 伊東らしくて助かった…。


 安堵していると、


「フフッ、上井くーん?」


 え?誰か見ていたのか?


「あれ、広田さん?いつの間に来とったん?」


「むぅ、失礼だなぁ。結構前からいたんですけど~」


 そう言えば打楽器各種が、既に楽器庫から出されていた。


「ごめーん、伊東に追及されとって気付かんかった」


「そうみたいね。ちょっと話が聞こえたけど、上井くん、好きな女の子でも出来たん?」


「へ?」


 広田も地獄耳だな〜。とりあえず否定しとおかないと後々面倒なことになるかもしれないし…


「い、いやぁ、好きな女子なんて、おらんよ?」


「そうかな?上井くんって、ホントに分かりやすいよね、顔に出るから」


「かっ、顔?」


 思わず顔を触ってしまった。


「アハハッ、慌てとるし。でも好きな子が出来たくらい、変なことでもなんでもないじゃん。上井くんは今まで辛い思いしとるんじゃけぇ、今度こそ上手くいくよ、きっと」


「辛い思い?俺、広田さんに昔のこととか話したっけ?」


 中3の時から続く神戸との因縁や、去年フラレた伊野の件等々、広田に話したかどうか、覚えていなかった。というよりも、吹奏楽部内で誰に俺の過去を話したか、もう分からなくなっていた。


「アタシは上井くんから直接聞いてはおらんけど、大上くんから…ね」


「あ、ああ…。大上経由なんじゃね。いや、大上にも俺、話したっけ…」


 大上も広田といつの間にか付き合い始めていたが、副部長夫妻とは異なり、部内、校内でも一切付き合っている様子は見せない。俺も大上からか広田からか、どちらからかこっそりと教えられたのだが、どっちだったか覚えていないほどだ。


 ということは逆に、広田は秘密を守ってくれる、口が堅い性格なのではないか。大上もそんな風だが。だとしたら、今回、若本のことが本気で好きになってきたことを相談して、アドバイスとか聞いたりして味方になってもらえるのではないだろうか?


「大上くんとはね、夏の合宿の時じゃったかなぁ…。ほら、上井くんが初日から疲れとったり、これはアタシも悪いんじゃけど、パンツがどうのこうのでかなり参っとったじゃろ?」


「あったねぇ、降って湧いたパンツ事件!」


「そんなんで上井くんに悪いことしちゃって…みたいな話を大上くんとしよったんよ。その時に大上くんが、『上井はもっと辛い思いを沢山しとるんよ。本当なら部長になんかなりたくなかったはずなんよ』って話し始めてね、その流れで上井くんの過去を聞いたの」


「そっ、そうなんや…」


 ん?ということは、夏にみんなでプールに行った時に俺も神戸も誘ったのは、何か広田なり、あるいは太田なりに思う部分があったからだろうか?でも今聞ける話では…ないよな。


「アタシ、ここだけの話じゃけど、部長選挙で上井くんに一票入れとるんよ。じゃけぇ、アタシは上井くんの味方。もし男子に相談しにくいこととかあったら、アタシでよければ話、聞いたげるよ。さっき伊東くんに隠したこととかね」


 広田って、なんでこんなに優しいんだろう。大上が本当に羨まし過ぎる!


「あ、あのさ…もう広田さんには隠せそうもないけぇ明かすけど…」


 と俺が言い掛けたその時…


<次回へ続く>

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