第35話 メッセンジャー野口(体育祭その6)

 昼休みを挟み、体育祭の午後の部が始まった。

 昼イチは紅組と白組による応援合戦だ。


「上井くーん!午後はアタシ出番が多いけぇ、風紀委員の仕事、しっかりお願いね?」


 生徒会役員用テントへロクに昼飯も食べないまま戻ると、早速先に来ていた静間先輩から釘を差されてしまった。


「あ、はい…」


「あれ?いつもの元気で明るい上井くんの返事じゃなかったよ?生徒会室に籠城して、何かあったん?」


「えっ?あ、いやいや、考え事してただけです、はい」


「そう?それならいいけど…」


 俺は大村経由で神戸に宛てた手紙がどうなったのか、胸中不安で仕方なかったのだった。空腹もあったが。


 吹奏楽部員も、昼からの演奏は閉会式まで無いので、準備開始までは各クラスの居場所にいれば良いのだが、何故か各部員は居心地が良いのか、自分のクラスの居場所ではなく、吹奏楽部用のテントに集まっている方が多い。

 応援合戦の後、すぐに部活対抗リレーが始まるので、その影響もあるかもしれないのだが。


 特にクラリネットは殆どの部員が集まって賑やかに話をしていた。だが、神戸と野口の2人はいなかった。


(あの2人だけいないなんて。うーん、もしかしたら俺の堅苦しい手紙が影響しとるんかなぁ…)


 そうぼんやりと吹奏楽部用のテント方面を眺めていたら、クラリネットの1年女子の神田が俺に気付き、声を張り上げた。


「あ!上井センパーイ!神戸先輩にラブレターなんか書いちゃダメですよー!」


 その神田のデカい声で、周りは何事かと騒ぎ出した。


「なっ…。神田も突然何言い出すんだよ!俺がなんでラブレターを人妻に出すんだよ!」


 神戸を人妻と例えたのがツボだったのか、周囲の空気はそれほど悪くならなかった。むしろ笑いも起きていた。俺は少しホッとしながら、それでも大村は表情を変えずにホルンの位置に座っているのに、神戸、野口だけクラリネットパートで不在なことが気になった。


 また言った神田には、俺と同じ緒方中学の後輩、フルートの若菜が、耳打ちするように何かを囁いていた。ひょっとしたら俺と神戸の関係について、神田に説明してくれているのかもしれない。


「ねーねー」


 そんなタイミングで俺の右肩を叩きながら声を掛けてくる女子がいた。

 肩を叩くパターンは若本に決まってると思い…


「そう何回も引っ掛からないのだよ、若本!…あれ?」


 俺が虚を突いて左から声のする方へ振り向いたら、そこにいたのは若本ではなく野口だった。


「あ、あれ?野口さんか、ごめん」


「んー、そんなにアタシの声って若本さんに似とった?」


「いや、あの、その、右肩を叩いて振り向くと人差し指がグサッてのが若本のパターンじゃけぇ、野口さんとは思わずに、だね、ハハハ…」


 野口といえば制服の時は俺のカッターシャツの裾、体操服の時もシャツの裾を引っ張って俺を呼び止めるのが常だったから、戸惑ってしまった。


「もしかして、上井くん、若本さんと何かある…」


「あーっ、あのさ、何か俺に話があるんじゃろ?ちょっと別の所へ行こうよ、うん」


 俺は野口を、合宿の時の食事搬入に使っているスロープへと連れて行った。


「ふー、ここなら他の生徒には聞こえんよね。で、野口さんとは久しぶりな訳じゃけど、どしたん?何か起きた?」


 と俺は、体操服姿だと相変わらずダイナマイトボディラインがよく分かる野口を直視出来ないまま、野口に尋ねた。


「アタシの前だと変わらんね、上井くんは」


 野口は少し微笑みながらそう言った。もしかしたら俺がそう思っただけで、野口としては苦笑いだったかもしれないが…。


「変わらん?俺はもうこのキャラでいくしかないじゃろ。みんなの前では」


「アタシの前でも?」


「えっ?」


「アタシ、上井くんのことは同期生男子の中で一番知ってるつもりだし…。これまでの悩みも本音も。あまり時間もないけぇストレートに言うね?チカへの手紙、どんな思いで書いたん?」


「て、手紙…」


 肩を叩かれた相手が野口だと分かった時から、もしかしたら神戸宛の手紙に関する話じゃないかと感じてはいたが、その通りだった。


「やっぱり野口さんも読んだ?」


「うん。大村くんが突然現れてチカに上井くんからの手紙を渡して、あっという間に去っていったけぇね、何々?ってクラの中でちょっと騒ぎになったけぇ、アタシがチカに、他の所で読んだらいいよって勧めたんじゃけど…」


「そっか。アレは、聞いたかもしれんけど、神戸…さんから先にもらった手紙への返事なんよ」


「だよね?でもハッキリ言うね?チカはショックを受け取った」


「えっ?ショック?」


 俺は疑問を呈するように答えたが、内心そうだろうなとも思った。

 神戸からの手紙が凄く他人行儀な書き方で、最初にショックを受けたのは俺だし。だからと言って俺から返事を書く、というのに馴れ馴れしく書くわけにはいかないし。


 しかしショックを受けたとなると、やはり気が気ではない。仮にも女の子、しかも一応元カノだ。

 午後からの体育祭前に、神戸の精神面に悪影響を与えてしまったのなら、それは俺の本意ではない。だが野口はこう続けた。


「アタシはね、上井くんがチカに手紙の返事を書いただけでも進歩だと思うの。文面はとりあえず別として」


「うーん…俺と神戸…さんの経緯を知っとる野口さんならではの観察眼かな?」


「それはある…ね。だってこれまでお互い意識してるのはハッキリ分かるのにスルーしてる関係で、直接話したことなんて数えるほどしかないでしょ?」


 確かに。高1三学期の百人一首大会と、その後役員になってからは最低限のお願いをしたことはある。そして夏の合宿では少し話せたけど、進展はなかった。夏の合宿はむしろ女子バレー部の笹木部長とばかり話していた気がする。


 …その笹木との話し方が、今の俺には謎の人物、女子バレー部1年生の森瀬さんという女の子からの好意に繋がっているらしいが、今は森瀬優子という未知の女子のことは忘れよう。


「うん、今年になってから、やっと少し会話は出来たけど。でも…なんだろう、何か心の中で引っ掛かってる」


「それは…こんなこと言ってごめんね、でも言っちゃうけど、上井くんのプライドでもあり、コンプレックスでもあるんじゃない?」


 俺は野口にズバリと指摘され、ぐぅの音も出なかった。


 その通りだからだ。


「チカにね、なんで上井くんをフッたのか、さっき聞いたの」


「…なんで俺をフッたか?あれ?野口さんには言ってなかったっけ?」


「うん。上井くんからも、チカからも、中3の時に付き合ってたけど三学期にチカから別れを告げた、までしか聞いてないよ」


「うん、そのまんまじゃけど」


「アタシが聞いたのはね、チカは上井くんの何を嫌いになってフッたのか。原因って言えばいいかな」


「原因か…。俺もあの人から聞いたことはないけど、思い当たる節はあるんよね」


「上井くんが思い当たることって、何?」


 グランドからは応援合戦の終わりと、部活対抗リレーの開始を告げるアナウンスが聞こえてきた。

 部活対抗リレーは文化系と体育系を分けて行うのだが、先に文化系部活が走ることになっている。

 本来なら吹奏楽部のテントから吹奏楽部選抜の部員に声援を送らねばならなかったが、とてもそんな環境ではなくなっている。


「…さっき野口さんに言われたけど、コンプレックスに繋がっとるかもしれん。手紙なんよ」


「…うん、そう言ってた。チカも。手紙の一文がキッカケだった、って」


「やっぱり?」


 俺はフラレた原因は多々あると思っていたが、一番の理由は誕生日プレゼントに付けた手紙の一文だと確信していた。


『…これまでプレゼント上げすぎだけど誕生日だからやっぱり上げる…』


 今でも覚えている。なんでこんな女心を無視したような一文を書いたのだろうか。こんなことを俺が言われる側になってみろ。なんだこの女は!ってなるに決まってる。


「上井くんのあの手紙がなくて、誕生日プレゼントだけもらうって形だったら、って言ってね、チカはしばらく考え込んでたけど、上井くんとは別れなかったと思う、とまでアタシに告げたよ」


「えっ…?」


 やはりあれは、運命を変える手紙になってしまったのか。

 その頃を思い返すと、三学期になって神戸と話が出来なくなっていたから、せめて手紙で思いを伝えたい、この一心だった。

 思い切り逆効果だった訳だ。

 特に逆効果になった一文は、


(ちゃんと誕生日を覚えてたんだよ)


 という意味のつもりだったのだが、後から考えれば考えるほど、余計な一文だったとしか思えなくなった頃に、別れを告げられた。


 これまでも手紙がキッカケでフラレたんだと思ってはいたが、ハッキリそうだと理由が分かると、また違った感情が込み上げてくる。


「上井くんもそこまでは想像出来なかったんだね。まあ上井くんをフッた後のチカの行動を見とると、とてもそんなことは想像付かないか。でしょ?」


「ま、まあ…。そこらは野口さんがよく知っとる通りだよ。フラレた当初は俺が悪かったんだろうなと思っとったけど、あまりにもその後の動きが出来すぎじゃったけぇ、怒りに変化してしもうて…」


「うんうん。だから上井くんからは話し掛けない、って決めたんじゃろ?それがプライド…。でも手紙が原因でフラレたと確信しとった上井くんには、チカからの手紙が怖かった。そうじゃない?手紙ってものがトラウマというか、コンプレックスになってた」


 俺は部活後に大村から渡された神戸からの手紙を受け取った時を思い返していた。確かに一体何が書いてあるんだ、と怖かった気持ちもあった。


「だね…。何が書いてあるのか。予想も付かなかったし、もしかしたら俺が神戸…さんを避け続けることに対する文句とか書いてあるかもとか、開封前は不安だったよ」


「じゃ、書いてあった内容には、とりあえず安心したん?」


「まあ、一応…」


「なーんか歯切れが悪いなぁ。でも分かるよ、アタシ」


「分かる?」


「勿論。チカに見せてもらった上井くんからのチカへの手紙の堅苦しさったら。チカからの手紙への返事なの?これが?って思ったよ。サラリーマンのビジネス文書みたいじゃったもん」


「うーん…。やっぱり他人行儀過ぎる手紙になってたよね。でも神戸…さんからの手紙も、俺は正直言うと敬語満載の他人行儀的文面じゃったけぇ、少しショックじゃったんよね」


「なんね、お互いに堅苦しい手紙書いて、お互いにショック受けとるんじゃん。じゃ、おあいこじゃね!」


 野口が敢えて笑顔でそう言ってくれた。


「久しぶりに、チカと上井くんとの間のメッセンジャーやってあげるけぇ、逆にコレを機にさ、少しチカとの距離を縮めなよ。ね!」


 じゃあまた後でね、と言い残して、野口はスロープから立ち去った。

 その体操服の後ろ姿が、男子には刺激的なんだよな…。

 でも去年、ソレを野口に体育の時に言ったら、思い切り引っ叩かれたから、二度と言わないけど。


 折しも部活対抗リレーが終わり、吹奏楽部のテントはランナーを務めた部員を囲んで賑やかになっているのが見えた。


(これから神戸…さんと距離を縮めれば、って言われてもなぁ。まあ、話し掛けるように努力すればええんじゃろうけど…)


 色々思い悩みながら、俺は生徒会役員用テントへと向かった。


<次回へ続く>

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