第32話 先が見えない…(体育祭その3)

「上井くーん、ビリじゃなくて良かったね!」


 2年男子の100m走を、8人中6位で終えた俺は、恥ずかしながら生徒会役員テントへと戻った。

 すると静間先輩がそう言って出迎えてくれた。


「あーっ、もう先輩は見ちゃダメって言ったじゃないですか!」


「だって勝手にアタシの目に上井くんが走ってる姿が飛び込んで来るんだもん。仕方ないよ?」


 と言って微笑む静間先輩はプログラム6番目にある3年女子の100m走のため、椅子から立ち上がってストレッチを始めた。ブルマからスラリと伸びた長い足が目には刺激だ。


「先輩、風紀委員の生徒って、1人でも見回り報告に来ましたか?」


「うん、来たよ。3年生だったかな、上井くんが出番で入場門に行った時だから」


「え、3年生がですか?偉いなぁ」


「いや…推薦狙いじゃないかな。だから風紀委員の仕事も真面目にやってるアピールだと思うよ。だってその3年生、予行の時は来なかったもん」


「ひゃあ、打算が働くのか…。俺、1年後はそんな世界に身を投じなくちゃいかんのですね」


「アハハッ、なーにを言ってんのよ上井くんは。既に吹奏楽部の部長と、生徒会役員を務めとるもん、先生方からは高評価よ」


「まさか。マジですか?」


「うん。って、アタシも教師じゃないけぇ断言は出来んけど、頑張ってる生徒を先生方はちゃんと見てくれとるよ」


「そ、そうかなぁ」


 俄に照れてしまった。


「じゃあアタシはアタシの出番に行ってくるね。吹奏楽部の集合までは、風紀委員の仕事よろしくね!」


 静間先輩はそう言うと、軽く手を振って入場門へと向かった。まだ3年女子の招集アナウンスが入ってないのにだ。

 その代わりに、近藤妙子が2年女子の100m走を終えて、生徒会役員テントにやって来た。


「近藤さんもクラスより、こっちのテントがええん?」


「アタシ?アタシは仕事内容が上井くんとはちょっと違うけぇ、テントにおらにゃいけんのよ」


 そう言えば近藤妙子は何委員だったっけ?山中は美化委員だが。


「今更じゃけど近藤さんって、何委員?」


「あーっ、大事な女の子の仕事を覚えとらんのじゃあ、上井くんは」


「だっ、大事…。まあ大事だよね、近藤さんは…」


「キャハハッ、上井くんをからかうと面白いな。やっぱりすぐに顔に反応が出るね」


「なーんか今日は俺、リズムが悪いなぁ…」


 と、吹奏楽部のテントの真横の生徒会役員テントでやり取りしていると、不意に脇腹をくすぐられた。


「わっ、また山中かよ、俺は脇腹弱いんじゃっ…て…あれ?若本?」


「はい、若本妹でーす」


 そこにいたのは若本だった。そう言えば、若本先輩と途中まで話していたのを忘れていたが、肝心の若本先輩は何処へ行ってしまったのだろう。それより…


「若本までなんで俺が脇腹弱いって知っとるんよぉ」


「え?先輩、脇腹弱いんですか?コレは良いことを聞いた、メモメモ…」


 余計なことを言ってしまった。若本は偶々俺に話があって、偶々脇腹を突付いただけなのだろうけど。


「ま、まあ、脇腹はどーでもええけど、なんかあった?」


「あ、それなら、単にもうそろそろプロムナードの時間が近付いとるかなあって、準備にやって来ただけなんで…」


「あ、そうか。確かにもう3年男子の100m走になっとるし。男子の後に女子が走ってたらプロムナードじゃけぇ…」


「でしょ?他の部員のみんなももうすぐ集まるよ、センパイ」


 と言って若本は今度は分け目チョップを仕掛けてきた。が、前面から仕掛けてきたので余裕でキャッチ出来た。


「今のは捕まえてくれと言わんばかりのチョップじゃのぉ~」


「センパイの腕が衰えとらんかどうかの確認ゆえ…弟子1号のじゃれ合いですよ、フフッ」


 若本と久しぶりに馬鹿馬鹿しい会話をしている気がした。


(忘れてたな、こんな感覚。なんか色々ありすぎて、女の子のことを複雑に見過ぎてたのかもしれん。こんなストレートなやり取りが一番だ、俺には…)


 それはそうと若本先輩は何処へ行ってしまったのだろう。話は終わってなかったのだが。


「そうそう若本?」


「はい?なんです、上井先輩」


 バリサクを準備中の若本に声を掛けたが、確かにさっきよりも部員がテントへと集まってきていたので、俺は全体に対して、


「プロムナードの準備、してくださいね。ただ音出しは3年女子の100m走が終わるまで禁止です」


 はい〜と散発的に声が上がる。俺は再び若本に声を掛けた。


「お兄さん…若本先輩はどっか行った?」


「え?兄ですか?いやぁ、アタシも兄のマネージャーじゃないので、行方は把握しとらんです。でもプロムナードの時は今の吹奏楽部の演奏を聴きたい、って言ってたから、その内戻って来るんじゃないです?知らんけど」


「知らんけど、って漫才かよっ」


 俺はもう少し突っ込みたかったが、どんどんと部員が集まって来たので、若本には話し掛けられなくなった。


 福崎先生も来られたので、改めてプロムナードでの曲順を聞いた。

 去年は突然練習での順番と違うマーチを指示されたので、大慌てした覚えがあるからだ。後からそれは先生の勘違いだったと聞いてはいるが。


「先生、今年はプロムナードの曲順は…」


「おお、悪いな。去年俺が本番で譜面集を1ページ間違えてめくってしもうたけぇ、みんなを慌てさせたな。でもそれでもちゃんと演奏してくれたんは、凄いと素直に思ったぞ、俺は」


「先生、まさか今年も敢えて昨日確認してないマーチを選んだりは…」


「そんなことせんよ。お互いに心臓に良くないけぇの。昨日確認した通りの5曲でいくけぇ、頼むぞ」


 少しの笑いと共に、はい、という声が聞こえた。雰囲気はまずまずだな…。


 昨日確認した5曲というのは、マーチ曲、特にスーザ作曲のマーチを集めた譜面集から選んだ5曲だ。その5曲で丁度プロムナードは歩き終わるはずだが、もし延びた場合には1曲目に戻る、そこまで確認済みだった。


 俺は打楽器の位置に戻り、3年生女子の100m走をぼんやり眺めていた。


 吹奏楽部だった先輩もいるし、生徒会の先輩もいる。


(あっ、次は前田先輩だ)


 前田先輩は夏のコンクールに、引退済みだったにも関わらずサックスの人員不足を補うために復活を懇願し、快諾してくれた恩がある。

 また夏の合宿の最終日、ほんの1秒にも満たないくらいだが俺のファーストキスの相手になってくれた先輩でもあった。

 だからつい意識してしまう。


(前田先輩、やっぱりスタイルいいなぁ…。なんであんな素敵な先輩をフルような男がおるんか、全く理解不能じゃ!)


 夏の合宿で吐露してくれた前田先輩の悩みを思い出していた。

 理不尽な理由で彼氏から別れを告げられた寂しさを、何故か俺が慰める役を担う羽目になってしまったのが懐かしい。


 前田先輩の集団は俺が色々妄想している内に走り終わっていた。

 前田先輩の順位は、なんと2位だった。


(スゲエー!)


 体育祭での部活対抗リレーでも、復活をお願いしたくなってきた。


「次はプログラム7番、プロムナードです。1年生は全員入場門に集合して下さい」


 3年生女子の100m走があと数組で終わりそうな頃に、そのアナウンスが入った。


(あ、田川さんが喋っとる。そっか、放送担当だもんな)


 田川というと、修学旅行での告白を狙っているクラスの友達、三井を思い出すが、こんなアナウンスでも三井には刺激的なんだろうな。


「じゃあそろそろ、管楽器は息を吹き込んでくれ。音は出さんようにな」


 福崎先生がグランドの様子を確かめながら言った。

 俺は予行演習に出ていないので、シンバルの前でいつ演奏が始まっても良いように持ち手に手を付けていた。


「上井くん、予行演習出とらんけど、大丈夫?」


 広田がスネアドラムの前に立ちながら、俺の方を向いて尋ねてきた。


「うん。予行は出とらんけど、合奏は出来るだけ出るようにしてきたけぇ、まあ大丈夫じゃろ」


「最初の『雷神』の前の、打楽器だけのフレーズ、よろしくね」


 と広田が言ったが、俺はそのセリフを聞くまですっかり打楽器による前奏があるのを忘れていたので、慌てて思い出した。

 中学時代にも聴いたことのある、スネアがメインのリズムを刻むだけのフレーズだが、広田に指摘されなかったら忘れたままだっただろう。


 …中学時代かぁ。


 2年前は中学校の体育祭で実況したなぁ。

 声が出なくなったのを見計らったようにイチャモン付けられたなぁ。

 それに対して色んな同期の女子が助けてくれたなぁ…。

 …彼女だった神戸千賀子も。


 手紙、返さないとな。


 俺が若本に気持ちを動かされる前に、神戸に俺の気持ちを伝えないと。


<次回へ続く>

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