第31話 ざわつく心境(体育祭その2)

「上井くん、メグに森瀬ちゃんのこと、聞いたんだってね!」


 開会式での演奏が終わり、俺は次の吹奏楽部の出番はプログラム7番のプロムナードなので、6番目の競技、3年女子の100m走の時にはテントに集まるように部員に伝え、シンバルを仕舞ってそのまま横の生徒会役員テントへスライドした。

 そこへ近藤妙子が話し掛けてきた。


「え?ああ、近藤さん。うん、そうなんよ。って、笹木さんからその話、聞いたん?」


 俺は和気藹々な開会式の吹奏楽部のテントの中で、1人浮かない表情を見せていた神戸千賀子のことが引っ掛かっていたが、近藤にそう聞かれたことで、もう一つの引っ掛かりを思い出した。


「うん。部活の後にメグから聞かれてさぁ。タエちゃん、上井くんに森瀬ちゃんのこと言ったんやね〜って」


「わ、女子の情報網ってやっぱり凄いや。で、2人は…その…も、も、森瀬さんって女の子について…」


「アハハッ、上井くん、顔が赤ーい!名前聞いただけで照れてちゃ、先に進めんよ?」


 何を今更。俺が色んな過去の事実を告げられたとはいえ、結局女子からは非モテな人生を送っていることは知ってるくせに。


「これは…性格じゃけぇ、しゃーないやん」


「フフッ、ホンマに上井くんって、隠し事が出来ん性格じゃね。彼氏にしたら、貴重な存在かも」


「かっ、彼氏に?」


 またそんな挑発するようなことを言うし。自分でも分かるほど顔が熱いじゃないか。


「分かりやすいなぁ、上井くんは。顔が赤いというより、ホットだよ」


「それは…」


 よし、禁断の一言を言ってやれ。


「タエちゃんがそんなこと言うからじゃろ」


 近藤の顔が、サーッと赤くなった。


「わっ、もう!その呼び方、止めてって言ってるのに!」


「だって近藤さんがあまりにも体育祭の最初から俺を弄るけぇ、少しは同じ思いを…」


「同じ思いじゃないもん!上井くんのと、アタシの呼び方とは全然別だもん!」


 近藤はとてもバレーボール部とは思えない膨れっ面になって反論した。


(…こんなとこ、可愛いよなぁ…。絶対彼氏がいると思うけどなぁ)


「…で、笹木さんとどんな会話をしたん?」


「…知ーらない!」


 近藤は、プイッと横を向いてしまったが、本気で怒ってる訳ではないのは伝わってきた。が、そこで…


「ウワイモ、近藤さんをネタに遊ぶなや」


 と、脇から俺を突付いてきた男は山中だった。


「わっ、俺、脇腹は弱点じゃっつーの!」


「あっ、山中くん、助けてよ~。上井くんが…」


「ウワイモ、何を言い掛かり付けとるん?」


「言い掛かりじゃないっつーの!」


 だが山中に、近藤との会話のキッカケである女子バレー部1年生の森瀬優子について明かすのは、時期尚早な気がした。

 それ以前に若本に対するモヤモヤした気持ちすら明かしてないのだから。


「じゃあ今から競技開始って場面で、何の話題でそんなに盛り上がれるんや?少なくとも俺はちょっと緊張しとるけど」


 山中にしては珍しい真面目な一言を聞いた瞬間、俺はハッと近藤と目を合わせた。


(森瀬優子ネタは禁止!)


 少なくとも、意思は通じたと思う。


「あっ、あのね、上井くんがアタシの仕事は楽そうでええなぁとか言うけぇ、ちょっと怒っとったんよ」


 近藤が先にそう言って、場を収めようとした。


「ホンマに?ウワイモにしちゃあ珍しいセリフじゃのぉ」


「じゃろ?」


「なんか怪しいけどのぉ…ま、いいか。それより今日、若本先輩が観に来とるらしい」


「若本先輩?あっ、若本兄?」


「そうそう、2期生の。妹の体育祭デビューが気になったんかもしれんな」


「ふーん…」


 俺はそれだけではない気がした。

 何せ男子高校生の密やかな楽しみ、女子のブルマ姿を教育現場からなくそうという一念で、学校の先生になろうとしておられる方だ。


(でも俺が部長になってからは挨拶してないし、とりあえずお会いしたら挨拶せんとなぁ)


 今一番、俺を女性不信、恋愛恐怖症から脱出させてくれそうな若本直美という妹を持つ存在だ。

 まだ森瀬優子という女子バレー部の1年生の子は、実態が分からないためなんとも動きようがない。

 それよりはしばらくヤッてないからと髪の分け目にチョップしてくるお茶目な若本に、心が動いている。


「静間先輩〜!」


「ん?どしたん、上井くん」


 俺は生徒会役員テントで学年別100m走を見守っている静間先輩に声を掛けた。


「ちょっと俺、生徒会の仕事抜けて、吹奏楽部の方の仕事してきて良いですか?」


「えーっ」


 静間先輩は一瞬怒りの表情を見せたので、少し俺は怯んだ。だが、


「行ってらっしゃい!また戻って来てね」


 と笑顔で返してくれた。静間先輩なりのジョークだったのだろうか。


「はいスイマセン、すぐ戻るようにしますんで」


「それより、上井くん自身の競技の出番も忘れちゃだめだよ。確か2年男子の100mが…」


「はいぃ、4番目ですぅ…」


「覚えてるんだ、凄いね!」


「だって、走りたくないですもん、俺」


「えー、なんで?走りたくないとか言って順番は覚えとる…あ!上井くんは体育苦手じゃったっけ」


「思い出して頂けました?楽しい競技ならええんですけどね、はぁ」


「まあアタシが応援してるから、頑張ってよ!」


「ありがとうございます…。俺の走りを見て、嫌いにならないで下さいね」


「フフッ、そんなことあるわけないじゃん。今日は上井くんの吹奏楽部の部長としての活躍を真横で見れるけぇね、少しワクワクしとるんよ」


 微笑みながらそんなことを言う静間先輩も小悪魔か?


「いっ、いや、吹奏楽部のことは無視して下さい!」


「無視出来るわけないじゃん、真横なんに」


 それもそうか。俺は観念して、静間先輩や近藤妙子の輪から逃げ、若本兄を探した。

 果たして若本兄は、すぐに見付かった。

 吹奏楽部のテントの後ろ側で、同じ2期生と思われる先輩や、3期生と話しているのが見えたからだ。


「わっ、若本先輩?」


「ん?あー、君は確か上井くんじゃったね」


 なんと、数回しかお会いしてないはずの俺のことを覚えて下さっていた!


「先輩、俺の名前なんて、覚えてて下さったんですか?」


「当たり前じゃん。確か俺が部長として最後の仕事、部活紹介をしてから音楽室に戻ったら、俺より先に上井くんが来てて、バリサク吹かせろとか騒ぎよったじゃろ」


「いや、吹かせろだなんて畏れ多い…」


「ハハッ、ちょっと話を盛っちゃったかな。でも2つ下の学年で、上井くんが一番初めに入部希望ですって来てくれたのは覚えとるんよ。じゃけぇ、印象的なんじゃろうな」


「そんな、雲の上の先輩からそんなことを仰って下さるとは、恐縮です…」


 その頃体育祭は学年別100m走が始まり、1年生男子、その次に1年生女子と続く予定だった。


「俺こそ恐縮だよ。雲の上の人だなんて、俺が雲の上なら1期生の徳田先輩は神様になるけぇね」


 徳田先輩というのはこの西廿日高校に吹奏楽部を作る発起人代表を務めた先輩で、若本先輩が言うとおり、本当に神様のような存在だ。

 偶に部活に顔を見せに来られるが、本業だったというサックス以外の楽器も何でもこなすマルチプレイヤーだった。それでいて気さくに後輩とも遊ぶ、全知全能の神様、憧れと呼ぶには10年早い存在の先輩だ。


「とにかく私より上の代の先輩方は、尊敬する方ばかりです」


「そんなことなかろう。妹から聞いとるけど、上井くんもなかなか部長として頑張っとるらしいじゃん。俺らの時には厳禁だった部内恋愛を許可したとか、ミーティングでは必ず何か部員を笑わせる一言を言うとか」


「えっ?若本…さんは俺のことをそんな風に言ってるんですか?」


「ああ。じゃけぇ俺らの代よりも雰囲気は良いんじゃないんかな、って思うとるよ」


「いえ…。俺が先輩方が築いて来られた伝統を破壊しとるんじゃないかって、常に怯えてますよ。いつか全先輩方の前で正座させられて1人ずつお怒り、お説教をうけなくちゃいかんのじゃないか、とか」


「アハハッ、それか!そんな何気なく面白いことを言うところが、妹が上井くんを好きだって言ってたところじゃね」


 …なんだ?若本先輩こそ何気なく凄いセリフを言わなかったか?


「あの、若本先輩…。妹さん…若本さんは俺のことをお家でどんな風に言ってるんです?」


「そうじゃね~、吹奏楽部に入って良かった!が最初の頃かな。初めの内は、バリサクを吹けんから辞めようかなとか言うとったんよ」


「げっ、そんなにバリサクを吹きたがってたんですか?若本さんは」


「そう。中学の顧問の先生に、西廿日高校の吹奏楽部には、ピカピカで高価な輸入もののバリトンサックスがあるって教えられとってね」


 全く俺と同じパターンじゃないか。


「それでバリサク狙いで西高に志望校を絞ったのに、去年の体育祭の日だったかな、男子の先輩がバリサク吹いとった、って不満そうに帰ってきたよ」


「ああ、去年ですか…」


 俺が初めて若本と出会い、バリサクの座を奪うと宣戦布告された日だ。


「でも志望校は変えんかったなぁ。今の学区制だと、他には廿日高校と五日高校が吹奏楽に力を入れとるよね。でも廿日高校の楽器は古いって、妹の先輩に教えられたみたいで、五日高校は通うのが面倒過ぎるって妹自身が選ばんかったし」


「はぁ、そんな背景が…」


「じゃけぇ、半ばバリサクは吹けないって分かりつつ西高に来たんじゃけど、バリサクを吹いとる男子の先輩が上手すぎる!って言って、自信喪失気味になってね」


「えぇ?俺のこと…ですよね?上手すぎる?どこがですか、全然ですよ」


「いや、中学から高校に入ったばりじゃと、一つ上の先輩が吹くバリサクって、凄くカッコよかったんじゃないかな。じゃけぇ俺は、そんなこと言うな、バリサク吹ける日がいつか来るかもしれんじゃろ?って励ましとったんよ」


「わあ、そうだったんですか…」


 若本先輩と妹若本の間で、そんなやり取りがあったのか。初耳だが、若本がそのまま残ってくれたのは若本先輩の力があったんだな…。いや、そういう経緯はみんな何かしらあるだろう。それより俺が聞きたかったのは…


「で若本先輩、それが何で俺のことが好きだ、に繋がるんです?」


「おお、上井くんには気になるよな」


 肝心な話の核心に入ろうとした時、招集係から2年男子は100m走のために入場門に集まるようにアナウンスされた。


「わ…これからなのに…」


 思わず俺が愚痴ったら、


「ハハッ、俺は今日1日おるけぇ、また後で続きを話すよ。頑張って走っておいで」


「はいぃ…」


 俺は入場門へと向かった。


(若本先輩って気さくな先輩じゃないか。教師になって女子のブルマを廃止してやるとか言ってるとか、若本妹から聞いたけど、そんな堅物には見えんかったけどな~)


 途中でクラスの男子とも合流したが、三井が田川の前でカッコいい所を見せないと!と張り切っていたのが何故かツボだった。


(うわ、こんなにザワザワしながら100m走れるんかいな)


 列に並び吹奏楽部のテントを眺めると、福崎先生と若本先輩が笑顔で何かを話し合っていた。


(なんだろう)


 普段ならどうでも良いことが気になる…


<次回へ続く>

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