第30話 体育祭の始まりで…(体育祭その1)
いよいよ昭和62年9月27日、我が西廿日高校の体育祭本番の日となった。
吹奏楽部は去年と同じく、各クラスの朝のホームルームには出ず、直接音楽室へ来て体操服に着替え、楽器の準備をすることになっていた。
また生徒会での俺の仕事は、とりあえず空いてる時間があれば生徒会のテントに来て、見回り表通りに回ってくれた生徒にお礼のジュースを上げること、と静間先輩から聞いていたが、手が空いていれば他の忙しい委員を手伝ってとも言われていた。
何にしろ俺は、クラスの割当シートではなく、本部席付近の生徒会用テント、吹奏楽部用テント辺りにいついても大丈夫なのだ。
「あー、俺も体育祭だけ吹奏楽部に入りたいのぉ!」
と同じクラスの日野が、テントの下で楽器準備中の俺に向かって笑いながら声を掛けて行った。
(日野には悪いけど、あんな面が女子に不人気なんじゃろうな)
田川から聞いた、同学年の男子は子供っぽいのが多いからあまり好きじゃないというセリフが腑に落ちる。だから女子って、年上の男子と付き合ったり、結婚したりするのだろうか?
(でも神戸…さんは同学年の男子ばっかり選んでるよな。先輩男子って選択肢もないわけじゃなかろうに)
そこで俺は、中2の時に神戸が一つ上の北村先輩きら髪の毛のことを弄られて泣いていたことを、ふと思い出した。
(あ…。もしかしたらあの体験が、年上男子を苦手にしとる原体験なのか?)
俺は打楽器を準備しながら、今更答えが出ない3年前の出来事を考えていた。
そこへ…
「痛っ!…痛くはないけど、痛い。なんだ若本〜」
「ふふっ、久々の分け目チョップはいかがでした?」
そこには見慣れた制服姿ではない、西高オリジナルのエンジブルマの体操服姿でバリサクを抱えた若本がいた。
体育祭の予行演習に出ていれば、若本の体操服姿にも免疫は付いただろうが、予行演習の日に休んでしまっている俺は、若本、いや若本を含む後輩達の体操服姿は初見だった。
俺は要は、ブルマ姿の若本を見て、照れてしまっているのだ。
「いや、その…」
何故か上手い返しが見付からず、返答に窮していると、
「あっ、もしかして上井先輩、アタシのブルマ姿見て、ドキドキしとる?そうじゃろ?」
なんでこうもお見通しなのだ。その問い掛けにも上手く返せず言い淀んでいると…
「まあアタシは前からこの色って知っとったし何とも思っとらんけぇ、先輩が恥ずかしがる必要もないけどね。他の子達も、江田島の時は猛烈に恥ずかしかったみたいじゃけど、今は慣れたんじゃないかな?」
「あ、あの…。俺、若本と体操服について喋るなんて、何の心得もないけぇ、若本は大丈夫でも俺は大丈夫じゃないというか…」
「アハハッ!先輩、妙な所でウブなんじゃけぇ。でもアタシのお兄ちゃんは、先生になってブルマというものを廃止するとか言っとるよ、まだ」
「そっ、そんなもんかなぁ」
「アタシもその頑固さが少し不思議じゃけど。でも多分男子って、好きな女子のブルマ姿とか見て、ドキドキしよると思うんよ。まあ逆もまた然りじゃけどねっ!とりあえずお兄ちゃんはなんであんなにブルマを嫌がるのかな、女子が嫌がるんならともかく」
「そ、その辺りは、若本家で会議してみてや…」
早くこの羞恥心から開放してくれ…
「じゃ先輩、今日は忙しいと思うけど、倒れんとってね!」
若本はそう言って、やっと俺を精神的に開放してくれた。
「ふぅ…」
妙な汗が顔から噴き出る。まだそんなに暑くないのに…。そこへ、
「上井くん!」
「はいっ?…広田さんか、ビックリしたぁ」
広田なら去年からブルマ姿を見ているから、若本ほどドキドキはしなかった。と思うのも広田に失礼なのか?なんだか分からなくなってきた…。
「なんでビックリするんね。あ、バスドラ運んでくれてありがとうね」
「あ、いや、それくらい…。転がしゃええだけじゃもん」
「でも結構重いんよね。じゃけぇ音楽室で着替えた後に、もう打楽器はスネアしか残っとらんのを見て、ちょっと驚いたんよ」
「まあ、バスドラにシンバルも合わせて運んだけぇね」
「じゃけぇ助かったよ。ね、京子ちゃん!」
「はい!上井先輩と無事に体育祭を迎えられて、良かったです〜」
1年の宮田が、屈託ない笑顔で俺に話し掛けてくれた。その宮田のブルマ姿も初見だったが、そんなに恥ずかしがっている様子はなかった。中学の時はバスケ部だったと聞いたことがあるから、抵抗がないのだろう、多分。
「ね、上井くん?生徒会の仕事は大丈夫なん?開会式の演奏と被ったりせんの?」
広田が聞いてくる。打楽器は3年生が引退したので、俺を含めて3人という、超最低ラインのメンバーしかいないからだ。
もっとも最近、何故か俺と距離を置いているとしか思えない村山が、予行演習でシンバル叩いたからといって、打楽器に色気を出してくるかもしれないのだが。
「うん、吹奏楽部優先にしてもろうとるけぇね、演奏に穴は開けんよ」
「良かった〜。また村山くんに頼むのって、やっぱりちょっと、ね」
ん?何故か広田は微妙な表情を見せた。俺はその真意を知りたくて、広田に聞いてみた。
「あんまり村山に頼むのは気が進まんみたいな感じじゃけど、何か予行演習の時にあったん?」
「んーっとね…。アタシがシンバルの持ち方、鳴らし方を教えても、分かっとる!みたいな感じで、あまり熱心じゃなかったというか、なんとなく打楽器を小馬鹿にされた感じがしてね。その割にカッコ付けてて、あんまり一緒に打楽器はやりたくない…かな」
「え?マジで?宮田さんはどう思った?」
「アタシですか?アタシは自分のことで手一杯じゃったけぇ、あんまり広田先輩と村山先輩でどんな話をしよるかまではよう知らんのですけど…」
宮田は少しそこで間を取ると…
「でも、雰囲気はあまり良くなかったです」
村山のヤツ、何を考えているのだろうか。最近俺と距離を置こうとしていることと何か関係しているのだろうか。
予行演習のシンバルに、村山が代打で立候補してくれたと聞いた時は素直にありがたく思ったが、広田、宮田の2人の女子からはあまり歓迎されてないようだ。
「そうなんや…。俺も最近、村山とはあまり話せとらんけぇ、何を考えとるんかはよう分からんけど」
「んーとね、アタシの直感じゃけど、好きな女の子にアピールするために上井くんの代打に立候補したみたいな?そんな感じがしたよ。ま、予想じゃけどね」
「好きな女の子にアピール?」
女子の直感が侮れないのは、俺の経験上よく分かっていた。もし広田が言う通り、好きな女子がいたとして、その誰かに頑張ってる姿をアピールするためにシンバルに立候補したのなら、思い違いも甚だしい。
それに、好きな女子って誰だ?こんな所で村山との溝を感じる。これまでならそんな話を気楽に交わしていたのだが、いつからそんな話すらしなくなっただろうか。
「上井部長ーっ!チューニングしましょう!」
少し考え込んでいた所に、いつの間にかほぼ全部員が楽器の準備を終え、チューニングを待っていた。俺に声を掛けてくれたのは、クラリネットの1年生、瀬戸だった。
「あ、悪い。チューニングせんとね。予行演習に出とらんけぇ、つい流れを見失っとったよ」
俺は指揮台に、チューナーを持って上がり、木管と金管に分けて音合わせを行った。
そして福崎先生の到着まで、指揮台の上から俺は適当に話を続けていた。
だがその間にも村山の動きが気になった俺は、つい視線をトランペットの方へ向けることが多かった。
「部長〜!赤城のこと見過ぎですぅ。もしかして赤城のこと、好きになりました?」
「えっ?はいっ?」
1年生のトランペット、元気印の女子、赤城が何故か大声でそう叫んだ。赤城の、良く言えば明るい、悪く言えば空気を読まない発言で、吹奏楽部のテントは爆笑に包まれた。
あ、俺はトランペットの方角を意識して見ていたのだが、赤城にはそう思えなかったんだな。でも楽しい雰囲気が出たんなら…
「あっ、バレた?赤城、今日の夕方、下駄箱で待っとるよ」
「キャーッ!お断りですぅ~」
赤城が逆に空気を読んだセリフを言って、再び吹奏楽部のテントは爆笑に包まれたが…
(…ん?神戸…さん?)
ふと目に入って来たのは、相方の大村ですら笑っていたのに、神戸千賀子は全く笑わず下を向いていたことだ。
横にいる野口を見ても特に気にしている風はなく、一緒に笑っていたのに、どうしたんだろうか。
「待たせたな、みんな。上井、どこまで終わった?チューニングまで終わったか?」
福崎先生がジャージ姿で現れた。
「あ、はい。チューニングは終わりました」
「なんかみんな、楽しそうじゃのぉ。ええ雰囲気じゃ。その雰囲気でマーチの方も頼むぞ」
はい、と部員が返事をし、俺もシンバルの位置へと戻ったが、神戸千賀子の浮かない表情が気になって仕方なかった。
(…ひょっとしたら、手紙に対して俺がまだ反応を返してない…からか?)
神戸が病み上がりの俺に心配して手紙をくれてから、3日は経っている。
もしかしたら俺に対してモヤモヤした気持ちを持っているのかもしれない。
付き合っていた時も、俺が不甲斐ない態度だったのも、フラレた原因の一つだと俺は思っているからだ。
(いくら俺が傷付けられた側だとか言っても、もうそんな昔のことでせっかくの手紙に対して反応しないのは…マズいよな…)
笹木からは手紙には手紙で返せば?と言われたのもある。今日、手紙を書く時間はあるだろうか。
そんなことを考えていたら、体育祭の開会式が始まった。
(いや、今はシンバルをちゃんとこなさないと)
俺は少し緊張しながら、シンバルを構えた。
<次回へ続く>
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