第27話 あの方についての頼れる処方箋
神戸から、脳天を揺さぶられるような手紙を貰い、悩んだ挙げ句に答えが出せないまま、俺は帰宅の途に着いた。その時…
「上井くん!どしたん、地の底に落ちたような顔して?」
と下駄箱で声を掛けられた。
「えっ…誰?」
振り向くとそこにいたのは女子バレーボール
「あ、笹木さん…」
「上井くんも今帰り?」
「うん、ちょっと…悩み事があってね。音楽室で色々考えとったんよ」
「悩みが耐えない青春やね〜、上井くんも。アタシが聞いても良さそうな内容?それともアタシには隠しときたい内容?」
笹木と会ったのは、丁度良かったかもしれない。近藤妙子から聞いた女バレ1年の森瀬優子の謎も聞けるし、神戸からの手紙にどう対応すればよいか、中3からの俺と神戸の関係をよく知っている笹木なら、何かアドバイスをもらえるかもしれないし。
一緒に宮島口駅へと向かいながら、俺から話し始めた。
「笹木さんに会えたんは、神のお導きかもしれん」
「なにそれー。まさかアタシ絡みの悩み事とかあるん?」
「大有りだよ~。いきなり聞こうかな、一つ目の話」
「一つ目?なに、二つ目や三つ目もあるん?」
「いや、落語家じゃないけぇ、三つ目はないよ」
「…?笑ってええんかどうか分からんのじゃけど…」
「ごめん、変なこと言うてしもうた」
静間先輩と話した時に聞いた落語家さんの知識をつい開放してしまったが、そんなことが分かる高2女子なんか殆どいないだろう、失敗した…。
「ちょっと上井くん、ますます地の底に落ちないでよ。ごめん、アタシが悪かった。ね?タッグパートナーのアタシが上井くんと帰りに出会うのは、何かお互いに起きた時じゃと思うし。二つの悩み事、アタシに吐き出してみなよ」
笹木が女子だけど男気があるな、女子バレー部の
「…チカちゃん、何か心境に変化があったのかな」
「心境の変化?」
「うん。あのね、アタシの言い方が悪かったらゴメンじゃけど、これまではチカちゃん…神戸さんは、上井くんに対しては何にもアクションって起こしたことがないでしょ?」
「まあ…。俺が避け続けとったのもあるし」
「でも百人一首では喋ったよね?」
「あ、あれは…。喋らざるを得ない状況じゃったし。日付も何故かあの方の誕生日じゃったし…」
「まあまあ。末永先生の圧に負けたのはアタシやチカちゃんもだよ。前も言うたと思うけど、今でも末永先生から百人一首に出てほしいって頼まれた時の、チカちゃんの複雑な表情は忘れられんもん」
1年生の時の三学期に行われた百人一首大会に、クラス代表として担任の末永先生は、俺と笹木、そして神戸という3人を1年7組代表として選抜した。
俺と神戸の複雑な関係を改善させようとし、担任の先生が仲介役に笹木を指名して、荒療治を試みた、そんな出来事だった。
俺も美術準備室でほぼ1年ぶりに神戸と会話した時の妙な緊張感は、忘れられない。
「そうじゃね。今のところ、あの時がフラれてから一番あの方と会話を交わした…」
「上井くん、あの方が、あの方が、って…。そろそろ素直になりんさいや、アタシの前でくらい」
笹木は何ともいえない笑いを堪えたような表情でそう言った。
「あ、ごめん。なーんかね、どうしても神戸…さんを避けとったせいで、素直に名前を呼べんのよ。特にこんな友達とかの前だと」
「そうなん?そこは男と女の違いなのかなぁ。それともアタシが、上井くんみたいな酷い失恋を経験しとらんからかなぁ」
「笹木さんの失恋話って、前に聞いた、広島へ引っ越して来る時に泣く泣く別れた…」
「んーっと、事実誤認があるよ、上井くん。アタシは広島へ来る前に、男子と付き合ったことはない…」
「あれ?前に、中本さん絡みで俺が質問攻めにあった時、そんなこと言うとらんかったっけ?」
「ま、まあね。似たようなことは言うたけど。そんなアタシのことより、今は上井くんの抱えとるあの方とのことでしょ?要はこれから上井くんはどうあの方と接すれば良いんだ、ってことよね?ね?」
何となく笹木は、俺の恋愛問題には意欲的に関わってくれるが、自分のこととなると中3の一学期に俺のことが広島での初恋相手だった、しか言わない。いつかタッグパートナーとして、隠している謎を探らなくちゃな…。それよりも…
「なんで笹木さんが、あの方をあの方とか呼んどるん?俺、地雷でも踏んで動揺させた?」
「いっ、いーの!」
何となく笹木の顔が赤くなっているように、夜道を歩きながらではあるが感じたので、細かい突っ込みは止めたけど。なんか挙動不審な点が目立つなぁ。
「まあ深呼吸でもしてさ、落ち着きなよ」
「なっ、なんで立場が逆になってんのよ、もう…」
「ハハッ、俺の悩み事が解決したら、いつか教えてや、笹木さんの恋愛キャリア?但し俺を除く、でね」
「うーん…なんか、いつの間にか上井くんにヨシヨシされるような展開になってる。なんでよ。アタシがチカちゃんのことをあの方、なんて呼んでしもうたけぇ、こんなことになるんよね、もう!」
「な、なんか自己完結してるけど…。まあいいか。とりあえず本題に戻って…。俺、これから神戸…さんとどう向き合えばええと思う?女子としてどう思うかな、教えて欲しいんよ」
「…上井くんはどうしたい?」
「なっ、俺?」
笹木はまだ動揺しているのか、目線は俺に向けないまま、そう言った。
「うん…。アタシがチカちゃんにはこういうスタンスで向き合えば?って言っても、肝心の上井くんは嫌かもしれないし。それにまだ苗字の後のさん付けに間があるけぇさ、上井くんの心の中はどうなんだろうって思って…」
「俺は…」
分からなかった。神戸が俺の体調を心配して手紙をくれたこと自体は、喜ばなくちゃいけないし、お礼の言葉の一つでも返さなくちゃ、とは思っている。だがフラレてから今までの間に神戸から受けた傷は、まだ俺の心の奥で完治しないまま残っている。だからどうすれば良いのか分からないんだ…。
しばらく答えに詰まっていると、態勢を立て直したのか笹木はこんなことを言った。
「本音と建前って、上井くんなら分かるよね」
「はい?」
「分かっとる前提で言うけどさ、上井くんの本音…チカちゃんに対する今の気持ちって、どうなの?建前は言わんでもええよ。というか、言うまでもない、って感じかな」
淡々と笹木は歩きながら俺に問い掛けてくる。
「うーん…」
「まだ悩んじゃう?」
「…本音だよね?…じゃあ…あ、俺が言うまでもないとは思うけど、絶対に…あの…」
「誰にも言わんって。ウチら、そういう信頼関係は築けとると思っとるけぇね」
サラッとこう言ってのけるところが男気あるんだよなぁ、笹木って。さっきみたいに、たまーにザ・女の子に戻る時もあるけど。
「じゃあ、ここだけの独り言ってことで。…俺、正直言って迷っとる。いつまで意地を張ってるんだ、って思っとる。多分、俺から神戸さんに”手紙ありがとう“って、たったその8文字を口にすれば、何もかも元通り…付き合う前のような関係になると思う。本当は吹奏楽部で一緒に活動して、同じ曲を仕上げていかなきゃいけないのにさ。しかも部長、副部長って関係なのに、副部長から部長に話し掛けられない関係、部長は副部長を避けてる関係、こんなのもういい加減にしたいよ、本当は。それにやっと書いてくれた手紙が、物凄く他人行儀な敬語満載でさ、俺が傷付けられたとか言ってるけど、言い続けてるけど、実際は俺が彼女を傷付けてる方なのかもしれない…」
俺は、笹木が横にいないと想定して、今の本音を包み隠さず一気に話した。
「上井くん…。確かに、アタシの心の奥に、今の上井くんの本音、仕舞っておくね。アタシがチカちゃんの件で上井くんに言えるのは、2人が近い距離にいるのは、絶対に意味がある。本当はもっと言いたいこともあるけど…今はこれだけにしとくね」
「う、うん…」
俺は結局、神戸とどう向き合えば良いのだろうか。
「アタシは、上井くんからチカちゃんに話し掛けて欲しいな、って気持ちもあるけど、もしそれが難しいんなら、とりあえず手紙で返事したら?」
「手紙で?」
「そう。でも、上井くんがショックを受けたような、他人行儀な書き方じゃなくて、もう少し砕けた…柔らかい雰囲気で」
「うーん…。手紙かぁ…。手紙をキッカケにフラレた俺は、なんか怖いんじゃけど」
中3の3学期、神戸にフラレた理由は、誕生日のプレゼントに付けた手紙がキッカケだと確信している俺は、神戸に手紙を書くということ自体が怖かった。
「何を怖がっとるんね。余計なことは書かずに、心配してくれてありがとう、これからもよろしくね、だけでも良いと思うよ。チカちゃんは手紙では明らかにしとらんけど、きっと上井くんから何か反応が返ってくることを待っとる、きっと」
「そんなもんかなぁ…。だって物凄い他人行儀な敬語満載な手紙だよ?」
「上井くん、これまでチカちゃんとはマトモに話とらんのじゃろ?断絶状態の方が長いんじゃろ?それじゃあいきなり友達感覚の手紙なんか書ける訳が無いってば」
「まあ、そうか…」
「じゃけぇ、アタシとしては手紙での返事をお勧め、が答えかな」
「う、ん…。ありがとう。とりあえず、手紙が無難だね、きっと」
「そうね、まずは手紙で、ほんの一言でもいいから返事をする、そこから先は…まあ、また考えよう!ね」
「ありがとう。やっぱり笹木さんと会えて良かったよ。今の俺じゃ、誰かに背中を押してもらわないと、神戸…さんへのアクション方法が思い付かんけぇ、まだ…」
「アタシは…この高校に通いよる内に、2人が話せる関係に戻れたな、って思うな」
「え?」
「なーんかね、さっき独り言が聞こえたんよね。その人の心の奥の気持ち。本音は…って、もうこれ以上は言わんとこっと!」
笹木は俺と目線は合わせずにそう言うと、宮島口駅の改札を定期を見せてホームへと入って行った。
「……ちょ、ちょっと?笹木さん?」
狐につままれたような気分の俺は、慌てて後を追った。
<次回へ続く>
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