第22話 本番は休めない!

 昭和62年9月24日木曜日、秋分の日が過ぎ、高校再開の日を迎えた。

 俺も思わぬ高熱で火曜日の体育祭予行演習を欠場してしまったが、重要な行事の前に体調を崩すようでは、残り半分となった高校生活へも良くない影響が出てしまう…。


 半分、罵声を浴びる覚悟で24日の朝、吹奏楽部の朝練に恐る恐る顔を出すと、


「あっ!上井先輩だ!無事で良かったぁ…」


 という声に出迎えられた。

 早目に登校したので、まだそれほど部員は来ていなかったが、いつも朝練には早くやって来る若本が、第一声を掛けてくれた。


「おはよ、若本…。来とるみんなに謝らんといけんのじゃけど、まずは声を掛けてくれた若本に…。予行演習欠場して、部長として申し訳なかったです。ごめん」


 俺が頭を下げると、若本は逆に驚いたように返してくれた。


「えっ、そんな、先輩?別にどっかに逃げた訳でも、サボった訳でもないんでしょ?体調不良でしょ?今まで無理してきたツケが、偶々予行演習の日に噴き出たんでしょ?アタシもじゃけど、部のみんなも、誰も上井部長を責めるようなことは思っとらんよ?そんな、頭下げるなんて、ダメダメ!」


 俺はビックリした。肝心の部長がよりによって体育祭の予行演習の日になんで休むんね?と言われてもおかしくないからだ。

 春先に3年の先輩に、部長のクセに…と、様々な陰口を叩かれたことが、もう解決済みとはいえ俺の中でトラウマになっているのだろう。


「いや、でも…」


「とりあえず上井セーンパイ!元気回復したんよね?じゃ、日曜の本番の日には倒れんようにねっ!」


 若本はそう言うと、何故かウインクをしてくれてから、バリサクの練習を始めた。そんな若本の行動が、俺の心を叉も揺るがせる。


(もう女子なんて好きにならないと決めたのに、若本が俺の心を揺さぶるよ…。このまま好きになってもいいのか?)


 少し戸惑ったまま、他に朝練に来ていた部員にも一昨日は休んでごめんと謝っていたら、山中が朝練にやって来た。


「お、ウワイモ!元気になったか?」


「あっ、山中、おはよう…。一昨日はありがとう。広田さんから色々聞いたよ」


「おう。やっぱりウワイモじゃないと、この部活は仕切れんな。復活してくれて良かったよ。まだ生徒会室には行っとらんのじゃろ?岩瀬会長や静間先輩も凄い心配しよったけぇ、昼休みか放課後、顔出しとけや」


「ああ、そうやね。でも…」


「何か足らんのぉ…」


「へ?」


「まだ本調子じゃないんか?ウワイモは」


「いや?熱は下がったし、食欲も戻ったし…」


 山中は何を言いたいんだ?


「あれだよ、俺がいつも上井のことをウワイモって呼んだら、まずお前は、イモは余計じゃ!って突っ込むじゃろ?それが無かった」


 俺はつい噴き出してしまった。


「なんや、俺の突っ込み待ちか?」


 その時に音楽室にいた部員数名も、同時に笑っていた。


「どうもなぁ、俺がウワイモって呼んどるんに、お前の突っ込みがないと会話が始まらんような気がするんじゃ」


 仕方ない、そんな気分じゃなかったが…


「山中、イモは余計じゃっつーの!」


「ちょっとまだ100点にはいかんのぉ。ブランクがあるけぇしゃーないか」


「あの…こんなんは、かしこまって言っても面白くないと思うよ。自分で言うのもナンじゃけど、ラリーじゃないし…」


「そうか。じゃ、次のやり取りのチャンスに、100点取ってくれや」


「誰がその100点満点って決めるんよ」


「いや、満点は500点じゃけぇ、まだまだあと400点は足らん」


「500点満点っつーのは誰が決めたんじゃ!」


「俺」


「勝手に決めんなや。じゃあ今から400点値引きセールやれや」


「ウワイモも頑固じゃのぉ」


「じゃけぇ、イモは余計じゃっつーの!」


 山中とこんな応酬を繰り広げていたら、いつの間にか朝練に来ていた部員が笑っていた。


「結局山中には勝てんなぁ…」


「いやいや、今のやり取りを俺は待っとったよ。上井、本番はコッチもアッチも忙しいけぇ、一緒に頑張ろうや」


「お、おう、ありがとう」


 山中なりの心配りに、内心感謝した。


 その間に大村副部長夫妻も朝練に来ていたので、大村に話し掛けようと思ったところで、朝の予鈴が鳴ってしまった。


(あれ、来てた部員に謝っただけで終わりか。シンバル出す暇がなかったな…。大村とも目が合っただけじゃったし)


 大村夫婦は山中と掛け合いをしている途中で朝練に来たのが見えたのだが、山中との会話を途切れさせるのもちょっと…と思って声を掛けるタイミングを逸してしまった。

 だが一応視線は合ったので、とりあえず俺の復帰は確認してもらえた筈だ。

 詳しくは放課後にでも謝った上で、話せればいいか…。

 気になったのはむしろ神戸の視線だった。


(あんな視線で見られたら、意識するじゃろって…)


 何かを俺に言いたい、でも大村が横にいるから今は言えない、そんな表情のように見えたのだ。


 確かに神戸とはコンクールの時に業務的な会話を少し交わしただけで、再び彼女との間には溝が出来ていた。


(…いつまで俺も意固地なんやろなぁ)


 俺が過去の経緯を気にせずに話し掛ければ、それであっという間に神戸とはスムーズに話せるようになるんじゃないか、最近はそんな気がし始めている。


 だがそれを許さない自分もいる。


「どれだけアイツに傷付けられたと思ってるんだよ、簡単にアイツのことを許しちゃダメだ」


 俺一人となったガラーンとした音楽室で、少しそんなモノローグを吐いてしまった。


 だが次の予鈴が鳴るまでにはクラスに戻らないといけないので、俺は大慌てで音楽室を閉め、2年7組へと向かった。


 まずクラスに戻った俺に浴びせられた言葉は…


「あっ、上井!俺にフォークダンスの権利、寄越せや!」


 という、3年生のフォークダンスの男子補充員の選に漏れた男子数名からの容赦ない言葉だった。まだ末永先生はホームルームに来てないからか、かなりの欲求不満男子から一斉攻撃を浴びたような感じになってしまった。


「あのさぁ、まず上井くんが元気になって良かったねとか、そんなコトバを言ってから、そういう話を言いんさいや」


 そんな助け舟を出してくれたのは、生徒会役員の仲間、田川だった。表情を見ると、呆れたような表情をしていた。


「まあ、そうか。上井、元気になって良かったのぉ。でもフォークダンスは予行に出れんかったかったけぇ、本番も無理じゃろ?俺がいつでも変わってやるけぇ」


 そう言ってきたのは、男子補充員を決める末永先生とのジャンケンで早々に敗退し一番悔しがっていた、火野だった。


「いや、月曜日に練習しとるし、別に大丈夫じゃけど?」


「そんなこと言わずに、無理するなや」


 俺は火野の執念に半ば呆れつつ、どう返してやろうと考えていたら、そこへ末永先生がやって来た。


「はーい、みんなおはよう!お、上井くん、体調は戻った?まさか予行演習の日に休むなんて、ってよっぽど体調が酷いんじゃろ、ってみんな噂しよったよ。もう大丈夫?」


「はい、大丈夫ですけど、予行の日にはご迷惑掛けちゃってスイマセン」


「まあクラスの方は、上井くんの代わりに誰かフォークダンスに入るか?で揉めたけど」


 揉めたんかい!


「上井くんの所には、体育の先生が入られたから、一応大丈夫よ。大丈夫って言い方もどうかと思うけどね」


 となると、クラスには臨時に3年生女子の相手となる補充員を務めた男子はいなかったんだな、そう聞かされて少し安堵した自分に、内心ビックリした。


「でも火野くんが、上井くんの代わりに入る!って言って、ちょっと大変じゃったんよ」


 今の様子を見てもよく分かる…。


「でも上井くんのお母さんからお休みの連絡をもらったのが早かったからね、予行の朝の職員会議で3年生の先生方に事情を話して、じゃあ今日は上井くんの所には体育の先生が入る、って決まっとったんよ。火野くんが猛烈にアピールしても無駄だったってことね」


「せ、先生!それじゃあ俺が、年上の女子好きみたいに聞こえるじゃないですか!」


「え?そうじゃないの?」


 火野と末永先生のやり取りで、クラスは笑いに包まれた。


「でも上井くん、クラスのことよりも、吹奏楽部や生徒会の方が大変だったかもしれんけぇ、また後で上手いことやっときんさいね」


「あ、はい…」


「はい、これで予行の話はオシマイ!えーと、みんなに配るプリントが今日は多いのよ。順番に回してね」


 先生がプリントを最前列の生徒に配り始めた時、隣の席の女子、関根が話し掛けてくれた。


「上井くん、本当に治ったん?」


「うん。昨日ゆっくり休みめたんが大きかったよ」


「なら良かったね。予行演習の日はね、火野くんがフォークダンスに出たい!って叫んでて、あまりにシツコイから、女の子達はなんか冷ややかだったんよ」


「そうなんじゃ?なしてそんなに火野はフォークダンスに拘るんかね?」


「だよね~。アタシの周りの女の子で噂したのは、3年7組に火野くんが好きな女子の先輩がおるんじゃないか?ってことなの。そうでもなきゃ、あのシツコサは説明出来ないもん」


「そんなにしつこかったん?」


「そうなの。予行演習の日に上井くんが高熱で休む…って、朝のホームルームで先生が言った途端、火野くんがじゃあ俺が上井の代わりにフォークダンスに入る!って言い出してね」


「ホンマに?」


「ホンマよ。ね、末田さん?」


 関根は後ろ側の席の末田にも話しかけた。末田は朝練に来ていなかったので、今休み明けで初めて顔を合わせたことになる。


「そーそー。先生がもう代打は決まっとる、って言っても火野くんがなんかシツコイこと言いよったけぇ、女子が呆れたんよね〜。あ、上井くん、復帰おめでとう」


 末田らしい言い回しで、さり気なく一言付け加えてくれたのが、個人的にはホッとした。その後に関根が再び…


「じゃけぇ上井くん、本番の日は別の意味も含めて、絶対休んじゃダメじゃけぇね。色んな上井くんの仕事もあると思うけど、火野くんが喧しいのがアタシらは迷惑じゃけぇね」


「う、うん…」


 火野は来年の俺たちの本番フォークダンスで、女子にちゃんと相手してもらえないんじゃないか?そんな気がしてきた…。


 そしてその日の放課後、まずは生徒会室へと向かったのだが…。


<次回へ続く>

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