第21話 暗転!体育祭予行演習

 昭和62年9月22日の火曜日、この日は前日に行われた3年生のフォークダンス練習を受け、全学年による体育祭の予行演習を行う日だった。


 だが俺は…


 その日の朝から布団で唸っていた。


 月曜の夜に突然発熱し、予行演習日の朝も38℃代の熱が下がらず、残念ながら高校生活初の体調不良での休みを取らざるを得なくなったのだった。


 母が高校に電話連絡しているのを聞きながら、目茶苦茶惨めな気持ちになった。


(うー、予行演習なのに…。誰か俺の代わりにフォークダンスに出たりしてんのかな…そのまま本番も代わりに出た奴が出続けるんかな…)


 昨日、3年7組の女子の先輩方とフォークダンスの練習をこなしたばかりだったので、俺の悔しさはかなりのものだった。


(静間先輩…、前田先輩…)


 熱に唸されながら思い付いたのは、その2人の3年7組の先輩の名前だった。


「上井くん、7組にちゃんと入ってくれたんじゃね。明日の予行も、本番も、楽しみだよ!」


 昨日のフォークダンスの練習で静間先輩と出会った時、先輩はそう言ってくれた。


「あれ?上井くんじゃん。フォークダンスの補充男子だったん?じゃ、楽しみが増えたかも〜なんてね。明日も本番もよろしくね」


 前田先輩も昨日のフォークダンスの練習で順番に巡り合った時、こう言ってくれた。


 他にも俺はよく知らないが、女子の先輩方が俺のことを知ってくれていて、上井くんでしょ?知ってるよ〜とか、ミッキーの後輩くんでしょ、と何度か声を掛けてもらうことが出来た。


 それだけに今日の予行演習を高熱で休まねばならないのは悔しかった。


「純一、病院行くかい?」


 母が聞いてきたが、広島に引っ越してきてから風邪を引いたことがなかったので、内科がどこにあるとか全然知らなかった。

 夏にクラスマッチで足に怪我をした際も、外科が何処にあるのか分からず、偶然その時に出会った2年年上の石橋幸美さんに車で外科を案内してもらえたのだった。


「何処に内科があるか分からんし、いいよ…」


「電話帳で調べりゃええじゃん。調べようか?」


「いや、病院に行くのもたいぎいけぇ、ええよ。バファリンで治す…」


 それぐらい病院と縁がない日々を送っていたのに、なんでよりによって体育祭の予行演習の日にこんな目に遭わねばならないのだ。


 俺は体操服姿のお姉様と踊れるフォークダンスのことばかり考えていたが、それ以前に吹奏楽部の演奏もどうなったのか、気にせねばならなかった。


(打楽器、俺がいないと成り立たないよな…。広田さん、宮田さん、ごめん…。どうなったかな…)


 今夜辺り少し体調が回復していたら、村山にでも電話して聞いてみようか…。


 そのまま昼ごはんに味噌汁だけ食べ、バファリンを飲んで、普段は見れない『笑っていいとも!』を観ていたら、何時の間にか眠り込んでしまった。


 そして目が覚めたのは、電話が掛かってきたと、母が起こしに来てくれたからだった。


「純一!高校の吹奏楽部の、広田さんって女の子から電話だけど、起きてる?電話に出れる?喋れる?」


 母が俺の部屋へ俺を起こしに来て、一気に話してきた。


「…ちょっと待って…。今まで寝とったけぇ…」


 外は既に暗くなりかけていた。一体何時間寝続けたんだ、俺は。頭がボーッとしている。


 …ん?電話は広田さんから…と母は言ってたな?ヤバい、出なくては!


「あ、はいはい、出るよ。喋れるよ」


 熱も、朝と昼に飲んだバファリンと、昼から寝続けたお陰か、下がっている気がした。ただ全身汗びっしょりだった。電話後に着替えなくては…。

 ただ今日は、女子からの電話だといっても、母に聞かないでくれと言う余裕は無かった。


「…はぁ、もしもし?」


『もしもし?上井くん?』


「上井です。広田さん、だよね?」


『うん、広田です。どう?上井くん、体調の方は…』


「ごめんね、まさか予行演習の日に高熱が出るとは…。吹奏楽の方は大丈夫じゃった?」


『まあ、何とかね。大村くんと山中くんが、上井くんの代わりに仕切っとったよ』


「大村と…山中?」


 意外に思った。確かに山中はいつも冗談ばかり言っているが、ここぞという時には俺を助けてくれる存在だ。でも吹奏楽部では無役だからだ。大村と村山の2人ならまだ分かるのだが…。


『そうなんよ』


「村山は、何もせんかったん?」


『村山くんはね、上井がダウンしたなら俺がシンバルをやってやる!とか言って、立候補してくれたんよ。じゃけぇ、部活をまとめる役は大村くんが山中くんに頼んだみたい』


「ふーん、なるほど。でもシンバル、一番気になっとったんよ」


 いや、3年生の先輩女子とのフォークダンスを欠場したことが悔しかったのが先かもしれないが…。それは黙っておこう。


『じゃろうね、上井くんの性格なら』


 広田にそう言われて、少し俺は胸が痛かった。


「それで、村山のシンバルは、どうだった?」


『まあ、大体これまでの合奏でどこでシンバル鳴らすかは分かっとるっぽかったけぇね、アタシが持ち方を教えて、とりあえず何とか…って感じ』


「そ、そう…」


 なんだろう、俺は複雑な気分になった。

 俺は広田に正しいシンバルの持ち方を習い、フォルテやピアノでの叩き方の違い、思い切り鳴らした後のシンバルの広げ方を、コツコツと覚えてきたつもりだった。


 それが村山が付け焼刃的にシンバルをこなして何とかなったと聞かされると、心中穏やかではいられなかった。


 まさか、嫉妬?


 勿論、俺の急な欠席の穴を埋めてくれたことには感謝しなくてはいけないのだが…。


『あっ、でも村山くんも突然シンバルやったけぇ、そんなに上手くはいかんかったよ。体育祭の予行じゃけぇ、誤魔化せただけじゃけぇね』


 広田は俺の喋り方の微妙な雰囲気を悟ってくれたのか、少し話の論点を変えてくれた。


「うん、ありがとう。体育祭本番には倒れんよう、気を付けるよ」


『うん、うん!アタシもじゃけど、宮田さんも戸惑っとったよ。村山くんと話したことはないけぇ、どう接したらいいか分からん、って言ってたよ』


 あくまでも村山は今日だけ、というのを強調してくれているようで、少し申し訳なかった。


「そうじゃね…。村山とは多分、コンクールとかで打楽器を運ぶ時くらいしか喋らんよね。宮田さんなら特に」


『そうそう。アタシは一応同期じゃけぇ、何となく村山くんとはこう話すと良い、みたいな免疫?はあるけど』


「免疫って…広田さん、何か面白い言い方じゃね」


 熱で疲労気味の俺の頭や体に、広田のちょっとしたスパイスが効いた。


『そ、そう?アタシも狙った訳じゃないけど…。喋りのプロの上井くんに褒められると、アタシもなんか嬉しいよ』


「喋りのプロって、別に喋りで金は稼いどらんよ〜」


『アハハッ、上井くん、少し元気出た?』


「え?あ、そう言えば…。まあ、熱は確実に朝より下がっとるはず。測ってないけど」


『測ってないけどって、そんな言い方が上井くんらしいな。その様子だと、明後日は大丈夫?』


「うん、多分」


『じゃ、明日の秋分の日はしっかり身体を休めて、明後日、元気な顔見せてね。生徒会もあると思うけど、待っとるけぇね』


「う、うん、分かったよ」


『やっぱり上井くん、疲れ過ぎじゃったんよ。じゃけぇ、体育祭の本番前に一度、身体を休めなさいっていう、神様の言葉みたいなもんだったんよ、今日は。きっとね』


「んー、そうかなぁ?」


『だって、アタシが自宅から発見した音楽室での寝落ち事件、アレなんて最たるものでしょ?』


「あ、そんなこともあったよね、ハハハ…」


『じゃけぇ、今日の打楽器の件も伝えなくちゃってことで、アタシが部活を代表して上井くんに電話したんよ〜』


「え?そうなん?」


『うん。予行の後に体操服から制服に着替えて、ミーティングしたんじゃけど、上井くんに誰かが今日の状況を連絡しなくちゃ、ってことになってね』


「あぁ…。ミーティングは大村が仕切ってくれたんかな?」


『一応ね。そして誰が電話するか?って話になって、自薦他薦あったけど、最後は大上くんが、打楽器のこともあるし広田さんが適任じゃろ、って言ってアタシに役が回ってきたんよ』


「大上裁定なの?」


『なんか話がまとまらん時、大上くんがピシッと一言言うと、みんなそれに従うんよね』


「確かにあるよね、それは。俺も助けられたことがあるし。じゃけぇ最初は俺より大上が部長やればええのに、って思いよったんよ」


『そうなん?大上くんからそんな話、聞いたことなかったけぇ、初耳よ?』


 あ、山中と大上と俺で、誰が須藤部長の次の部長になればいいか、という議論をしていたのは、誰にも言ってなかった…。


「いや、俺が勝手にそう思いよった、ってだけじゃけぇ…」


『そう?うーん、まあアタシは上井くんが部長で良かったと思うとるけぇ、あまり聞かんことにしとくね。それより長電話になっちゃってごめんね。まだ身体も本調子じゃないよね?早く寝てね』


「ありがとう。明後日は登校出来るよう、頑張って早く熱を下げるよ」


『うん。アタシも宮田さんも、多分生徒会役員の皆さんも待っとると思うけぇ、しっかり治してね。じゃあお休みなさーい』


「うん、お休み」


 そう言って受話器を置くと、母が夕飯は何にするかと尋ねてきたので、ウドンをリクエストして、しばし部屋に戻り横になった。


(広田さんから電話くれたのが、今の俺には良かったかもしれん…)


 村山から電話をもらうか、あるいは俺から電話していたら、多分シンバルの件でイラッとしたと思うのだ。

 最近村山に感じる違和感もあるのかもしれないが…。


「ウドン出来たよ!」


 さて、何とか明日は体調回復の日にして、明後日から復活せねば…。


<次回へ続く>

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