第19話 呼び出し

 笹木とかなり真剣な話をしながら帰った翌日、俺は授業中ずっと睡魔と闘いながら過ごし、放課後は重い足取りで部活のために音楽室へと向かった。かなり遅い帰宅になったので、ただでさえ広田から睡眠不足はダメ!と言われているのに、昨夜は5時間寝たかどうか?程度の睡眠時間だったからだ。


 やっとこさ音楽室に着く直前に、ふと校内放送のチャイムが流れた。


(まーた何かやらかしたヤツらだろうな…)


 6時間目終了後に入る校内放送と言えば、ちょっとワルい生徒が体育教官室に呼び出されるのが定番だった。

 俺はそんな呼び出しを受けるワルい生徒の方が、女子からモテることが、この世の謎の一つだった。だがその時の呼び出しは…


『えー、2年7組の上井くん、2年7組の上井くん、美術準備室へ来て下さい。繰り返します、2年7組の上井くん、美術準備室へ来て下さい』


 と流れた。


(えっ?俺?え?)


 確かに今、担任の末永先生の声で、俺を美術準備室に呼び出す放送が入った。


(なんでやねん…。俺、悪いことは何もしてないってば)


 もうすぐ音楽室に着く直前で、俺はUターンし、美術準備室へと向かった。


(末永先生に個別に呼び出されるのも久々じゃな…。でも理由が分からん)


 俺は何かの間違いじゃないかと思いつつ、美術準備室のドアをノックし、中へと入った。


「失礼します、上井ですが…」


「お、上井くん、さすが!早かったね。さ、入って」


 久々に入る美術準備室は、先生のものか学校のものか分からなかったが、油絵の作品が増えていた。ドアを隔てた向こう側では、美術部員が作品の作成に勤しんでいて、独特の匂いが漂っている。


「はい…。先生、俺って先生から呼び出されるようなこと、何かやらかしましたか?」


「そうねぇ…。あ!まだ神戸さんと仲直りしとらんじゃろ?」


「はいっ?ま、まぁ確かに…。部長と副部長という肩書がある時だけ、事務的な会話はしますけど。でも何故神戸さんとのそんなことで呼び出されるんです?」


「アハハッ!上井くんは真面目じゃね、ごめんごめん。神戸さんとのことは、本題じゃないんよ。まあ最近は2人の関係ってどうかな、って思って聞いてみたの。神戸さんはアタシの担任じゃなくなったし」


「うー、気にして頂いてありがたいような、情けないような…」


「でも事務的な会話だけでも交わせるようになったんならいいわ。少しずつ前進してるってことじゃもんね。去年は事務的な会話すら避けとったもんね、上井くんは」


 末永先生は俺が1年7組で神戸千賀子と同じクラスになったことから、俺のことをずっと気にしてくれている。入学したばかりの頃、神戸千賀子との経緯を話し、別のクラスにしてほしい等と末永先生に直談判したのが、よほど印象に残っていたのだろう。


「まぁ…。16才男子には耐えられない環境でしたから。で、今日の本題はなんですか?」


「そうそう、本題なんじゃけどね。この前、生徒会長の岩瀬くんから聞いたんじゃけど、上井くんは体育祭の3年生のフォークダンスで、男子補助員として好きなクラスを選んでもいいことになっとるんだって?」


「あ、そう言えば…」


 俺は2年生の生徒会役員でただ1人、夏休み中に体育祭の準備に参加したとして、岩瀬会長からご褒美として、3年生のフォークダンス男子補助員として好きなクラスを選べる権利をもらっていた。


 西廿日高校はその当時斬新な制服で、特に女子からの人気が高く、どの学年も男子より女子の方が人数が多いのだった。


 俺の代の4期生も、各クラス平均で女子が5人ずつ多い。全8クラス足すと、40人女子が多いことになる。


 そのため体育祭の3年生のフォークダンスでは、女子の方が必然的に多くなり男手が不足するのだが、その不足する男手を他校のように女子で埋めるのは、男役になった女子が可哀想だと主張した体育教官が創立当初にいたらしく、2年生の男子を選抜して各クラスに送り込み、男女均等になるようにする慣例が続いていた。


 2年男子の生徒会役員は、最初からその役に当たる権利があるのだが、本来なら自分と同じ数字のクラスに入るのが筋で、俺なら2年7組だから3年7組に入るのが筋ということになる。


 だが岩瀬会長は、好きなクラスを選んでもいい、と俺に言ってくれたのだ。それが今、2年生の担任の先生方を巻き込んで、上井は何組を選ぶんだ?と議論されているのだろうか。


「実はね、来週の予行演習の前日に、3年生の体育でフォークダンスの練習をするらしいのよ。その時に2年の各クラスから選抜した男子も一緒に練習することになってね。それで、明日の朝、2年の各クラスから男子補助員を募集することになったんじゃけど、上井くんが何組を選ぶかで、その該当クラスから選ぶ男子の数が変わってくるのね」


「はぁ~、なるほど。そうですよね、言われてみれば。きっと岩瀬会長、そこまで深く考えずに、俺に好きなクラスを選べ、と言ったんだと思いますよ」


「やっぱりそうなんかな?岩瀬くんは美術を選択しとったけぇ、アタシも彼の人となりは少しは分かるんじゃけど、確かに物事を深く考えずに突っ走っちゃう傾向はあるかもしれないね」


「岩瀬会長は、芸術では美術の選択だったんですね〜」


「一度、上井くんを生徒会に送り出した頃、美術の授業で彼と話したことがあるんよ。最初はアタシのクラスからは上井くんを送り出してくれてありがとうございます、みたいな挨拶だったんじゃけどね」


「ん?続きがあるんですか?」


「生徒会とは直接関係ない話なんじゃけどね。今更じゃけど、岩瀬くんはなんで美術を選択したん?って聞いたんよ。実はね、岩瀬くんはあんまり絵が上手な方じゃなくってさ」


「へぇ~。意外な一面だなぁ」


「でしょ?で、そう聞いてみたら、なんと好きな女の子が美術を選択するという噂を聞いたから、らしいんよ」


「え?」


 俺は驚いた。岩瀬会長はそんな理由で美術を選んだのか、芸術3科目の中から…。


「アタシも興味持っちゃって、ちょっと追求したのよ。悪い教師よね。そしたら、中学校時代からずっと好きな女の子がいて、その子が西高を受験すると聞いたから、ウチを受けた、そして美術もそういう理由で選択した、そんな流れなんじゃって」


「なんか、ピュアですね~」


「でしょ?でもね、その女の子も合格して、岩瀬くんも合格したけど、上井くんと違ってクラスはその子とは別々になっちゃって、2クラス合同でやる芸術の時間も、一緒にはなれなかったんだって」


「なーんか、岩瀬会長の青春ストーリーですね~。知らんかった~。それで先生は、岩瀬会長が好きな女の子の名前は把握したんてすか?」


「もちろんよ。というより、聞いてもないのに、岩瀬くんから教えてくれたの」


「ああ、そんな一面がありそうですね、岩瀬会長は」


「まあアタシが聞いたのはそこまでじゃけど、中学時代の好きな女の子を追い掛けて追い掛けて…じゃけぇ、なんか、一度決めたこと、思ったことは、深く考えたりせずにとにかく突っ走っちゃうタイプなのかな、って思ったのよね」


「なるほど。今頃岩瀬会長、クシャミが止まらないんじゃないですかね?」


 俺と末永先生は笑い合った。


「ふう、上井くんと久々に1対1で話したけど、変わらんね、上井くんも」


「えー、それは褒め言葉ですか?」


「もちろん!色々な苦労をしとるのは聞いとるけどさ、話してみると前と変わらん上井くんじゃけぇ、アタシも安心して色々頼めるよ」


「頼める…?もしかして、今日の本題ですか?」


「まあね」


「あの…これ以上、何か役をやれ、というのは何卒お許しを…」


「あー、全然そんな話じゃないわよ。もしかしてそんな心配した?」


「はい。もしくは、俺が知らない所でウッカリ何か悪いことしたんかな…とか、色々考えてました」


「上井くんはそんな性格じゃないでしょ?ウチのクラスはアタシを手古摺らせるような子は今のところおらんけぇ、助かっとるわ」


「はぁ…。で、本題は?」


「ごめんね。内容は、この程度で呼び出すんかい、って言うような内容なんよ。さっきも少し話してたけど、上井くん、3年のフォークダンスで何組の助っ人に入るか決めとる?」


「あぁ、それなら…はい、です」


「お、助かるわ~。明日の朝の職員会議で、2年生の各担任の先生に報告しなくちゃいけなかったのよ」


「そうなんです?あ、もしかしたら俺の選択次第で、クラスから選抜する男子の数が変わるから…ってことですか?」


「そうそう!だから実は一番いいのは、上井くんが同じ7組…3年7組に入る、って言ってくれたらありがたいのよ」


 岩瀬会長の思い付き特典のお陰で、2年の先生方が苦労するとは…


「あの、岩瀬会長からはそんな思い付きみたいな特典をもらってますけど、俺はそんな特典が合っても無くても、3年7組って決めてました」


「わ、それ本当?」


「はい」


「3年7組に、親しい先輩がおるから?それとも他のクラスにすると面倒だから?」


 俺は苦笑いしながら答えた。


「まあ、両方ですかね」


 3年7組には、俺のファーストキスの相手になった前田先輩に、静間先輩もいる。他の女子の先輩はよく分からないが、もしかしたら俺が知らなくても先輩方が俺を知っているというケースもあるかもしれない。文化祭の後に前田先輩に吹奏楽部復帰のお願いで待ち伏せをした時に、沢山の3年7組の女子の先輩方に声を掛けられたからだ。

 そんな経緯もあって、同じ7組の方が無難だろうと、岩瀬会長からその特典を告げられた後も、俺は他のクラスを選ぶつもりはそんなに無かった。


「でも上井くんの決断には感謝するわ。他のクラスに決めてたら、そのクラスの担任の先生に1人少なくなることを謝らなくちゃいけなくなるからね」


「謝る?そんな大層なことなんです?」


「そりゃあ一つ上の女子と踊れるんだよ?女のアタシが言うのも変じゃけど、色気がたった1年で大違いじゃけぇね」


「ハハッ!そういう意味ですか」


「まあ明日の朝のホームルームで男子に希望を取るけど、見てたら分かるよ。俺も俺も!って希望者が出てくるけぇね」


「そうなんですかね。じゃあ逆に俺は、なんで確定済みなんよ!って、クラスの男子に責められるかもしれんってことですね」


「アハハッ、ありうるかもよ」


「そっかぁ。でも実は俺、去年もフォークダンスの男子補充員、やってるんですよ」


「へぇ、そうだったっけ?…あ!思い出した。3年の先生方の計算ミスで、各クラス1人男子が足らんようになって、慌てて本部席のテント付近におった男子をかき集めとったね。その1人が上井くんなんじゃ?」


「そうなんです。そして今年も役員特権で補助して、来年は本番で出たら、フォークダンス三連覇ですね。なーんて」


 そのお陰で去年、石橋幸美という2つ上の先輩と仲良くさせてもらえるキッカケが出来たのも思い出の一つだ。


「珍しいかもね。でもそのことはクラスでは黙っときんさいね。上井くんばっかり!ってなるかもしれんけぇね」


「はっ、はい、分かりました」


「アタシからは以上よ。上井くん、ここに来たついでに何かある?」


「うーん、今の所は…」


「神戸さんや大村くんと別のクラスになったけぇ、今はそんなにクラスで苛つくこともないかな」


「それはありますね。クラスでは落ち着いてるつもりですよ。相変わらずモテないけど」


「まあまあ、大丈夫だって。上井くんみたいに何でも全力で頑張る男子は、必ずそれを見てる女の子がいるから…ね」


「あ、はい…。期待せずに待ってみます」


 俺は一瞬、吹奏楽部同期の太田が教えてくれた、大谷さんという女子を思い出したが、だからといって俺がどんな行動をすべきかとかは全く分からない。恋愛経験不足、女性恐怖症が足を引っ張っている。


「じゃあこれで終わり。生徒会役員の仕事中か、部活の途中とかだったんじゃない?ごめんね、呼び出したりして」


「いえ、まだ音楽室に行く途中でしたから、逆に丁度良かったです」


「そう?じゃ、今日は部活優先の日なのね…ってかなり時間取っちゃったけど」


「まだ…大丈夫かな?とりあえず部活、行って来ます」


「はーい。じゃ明日はそういうことで、よろしくね」


「分かりました!では失礼します」


 俺は美術準備室を辞し、再び音楽室に向かった。


(大丈夫とか言ったけど、もう5時半じゃ…。何か言われるかな…)


<次回へ続く>

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