第9話 初恋の思い出

「女子バレー部は吹奏楽部よりも遅いって、前も聞いたけど、今日はその時以上に遅いじゃん。何かあったん?」


 玖波駅の改札を出た俺の肩を、後ろから叩いて声を掛けてきたのは、女子バレー部の主将であり同期生の笹木恵美だった。


「今の上井くんのセリフ、そっくりそのまま上井くんに返すわ。もう何時?」


「えー…あれ?もう9時?」


 腕時計を見て、驚いた。そんなに野口や横田と話をしていたのか。


「そうよ。普通の部活帰りの時間じゃないよ。あ、また色んな人に掴まって、相談に乗りよったんじゃろ。上井くんは優しいけぇ、その話は明日にして、とか言えん性格じゃもんね」


「いや、まあ…。恥ずかしながら大体そんな感じじゃけどね。笹木さんこそ、女子バレー部の帰りにしちゃ、意外に遅いじゃろ。どしたん?」


 俺は笹木恵美と並んで歩きながら、問い掛けた。


「アタシ?アタシはね、ミニミニ同窓会!」


「ミニミニ同窓会?なんじゃそりゃ」


「フフッ、それだけじゃ分かんないよね、何なのか。あのさ、緒方中の同期で女子バレー部にいた、中本さんって分かる?」


「中本さんって、3組だった中本さん?中本智美さん?」


「当ったりー。さすが上井くん、女子の名前はよく覚えとるね」


「いや、そんなプレイボーイじゃないってば。中本さんってバレー部だったけど、生徒会役員もしとったじゃん。じゃけぇ覚えとっただけ…」


「あ、そうか。彼女、生徒会役員しとったね。それは忘れとった」


「どっちもどっちじゃなぁ、ウチらって。相変わらずやね」


「キャハハ!そうみたいね」


 笹木と話しながら社宅に向かって歩いていたら、寂しさも少しは埋められた。


 それに何より、村山しかこのことは知らないが、中本智美というのは、横浜から引っ越して来たばかりの中1の時の、俺の本格的初恋相手だった女子なのだ。だから余計にその名前は忘れることはない。


 まだ村山とも話せる関係になっていなかった、本当に孤独な1年生の時のことだ。


 朝登校してきて下駄箱で上履きに履き替えていたら、反対側の下駄箱で上履きに履き替えていた女子と、尻相撲を取るような形で尻同士がぶつかり、俺の方が華奢だったので前のめりに倒れそうになったことがあった。

 そのぶつかった相手が、中本智美だった。


『ごめんなさい!大丈夫ですか?』


 が彼女の第一声で、俺は大丈夫です、とだけ答えた。

 だが中本智美は続けて、


『あの、もしかしたら横浜から来た転校生くん?』


 と声を掛けてくれた。

 俺は横浜での小学生時代、理由も分からないまま悉く女子に嫌われていたので、女子は敵だとしか思っていなかった。なので、そんな声掛けには全く慣れていなかった。


『あっ、はっ、はい、そうです』


 とだけ返したら、中本智美は


『へぇー、やっぱり!何組?アタシは3組だよ』


 と、俺に興味を持ったように、色々質問してきた。


 その後も俺の1組に友達がいたようで、休み時間によく1組に来ては、友達と話した後、自分のクラスに戻る前に色々と俺を質問攻めにするので、女子に対する免疫がゼロだった俺は、あっという間に中本智美のことを好きになってしまったのだった。俺の本気の初恋だった。


 だが中本智美には男子バレー部に彼氏がいることを同じクラスの女子に知らされ、呆気なく俺の初恋は終わったのだった。


 勿論、今目の前にいる笹木は、そんな過去は知らない。ただ中本が笹木に話していれば別だが…。


 しばらく回想モードに落ちていた俺を現実に引き戻してくれたのは笹木だった。


「もしもーし!急に黙り込んじゃって、どしたん?中本さんって、上井くんは苦手な女の子じゃったん?」


「えっ?そんなに沈黙しとった?」


「うん。別世界に飛んでったような」


「あ、ごめん。疲れとるんかな、ハハッ、ごめんごめん」


「ふーん…。なーんか怪しいけどなぁ…。ま、今日はいいや。また改めて聞くことにしよう、うん」


 女子が鋭いと思うのはこんな時だ。少し俺が回想モードに入って沈黙したことに、恐らく笹木は何かあると思ったのだろう。いつかまた蒸し返されたら、どう答えようか…。


「そっ、それで!中本さんとミニミニ同窓会って、どうして実現したん?」


 俺はこれ以上追求されないように、話題を変えようとした。


「そうだね、肝心な部分だよね。あのね、アタシが部活帰りに宮島口駅で列車を待ちよったら、広島行が先に着いてね。その広島行から降りて改札に向かう人の列に、中本さんがおったんよ」


「え?朝じゃなくて、帰りに?」


「そう。じゃけぇアタシもビックリしてね。中本智美で間違いないよね、高校生の制服姿だし、と思って恐る恐る声を掛けてみたの」


「ほうほう。そしたら、正解じゃったと…」


「そーなんよ!中本家って中学卒業直前に…ほら、登校する時の地獄坂があるじゃん?あの辺りに団地を造成しよるじゃろ?そこへ家を建てて引っ越したんだって!」


「マジで?」


「ホンマのホンマにだよ」


「ん?としたら高校は…」


「皮肉なもんで、大竹中央だって。じゃけぇ毎朝、西高に登山する生徒を見ながら宮島口へ行って、大竹まで通いよるんじゃって」


「なるほど…。ホンマに皮肉じゃね」


「ね。不思議よね。アタシらとは真逆の通学コースっていうのが。しかも今頃それを知るって、遅いよね」


「確かに。1年半も通っとるしなぁ」


「でね、アタシも一旦改札から出て、中本さんとそのまま宮島口のドムドムで軽く食べながら、色々な話をしたんよ。それで遅くなったんじゃけどね」


「そうだよね。そりゃあ、懐かしいもんね」


「上井くんのことも言ってたよ」


「えーっ!なんだって?」


 早々に夢破れた初恋相手が、俺について今更何を言うのだろう。


「たまに朝早く登校する姿を見掛けてるって。吹奏楽部の朝練なのかな、って思いながら見とるって言いよったよ」


「俺のこと、覚えとってくれとるんじゃ…。なんか、感激したなぁ…」


 俺は中本には全然気付かなかったが、朝の登校時間は大村と神戸の2人といかにかち合わないように登校するかに神経を使っていたので、中本に限らずすれ違う人々には全く気が回っていなかった。


 それに中1の時に中本に彼氏がいることを知ってからは、中本が1組に来たら避けるようにし、また一度も同じクラスになったこともない俺みたいな薄情な男のことを覚えていてくれたなんて、嬉しいような申し訳ないような、複雑な気分になった。


 それと、俺の姿を何度も見たことがあるのなら、もしかしたら大村と神戸の2人のイチャイチャぶりも、中本は見ているかもしれない。


「…んー、今日はもう遅いけぇ職務質問はせんけど、やっぱり上井くんと中本さんの間には何かありそうじゃけぇ、またいつか帰りとかで一緒になったら、詳しく質問するね。黙秘権はなしで」


「はい?なんつー厳しいことを…」


「まあいいじゃん、アタシと上井くんの間なら。じゃ、またね。おやすみ〜」


「うん、おやすみ〜」


 社宅の入口に着いたので、お互いにそう言って、手を振って別れた。


(今日は何日だ?まだ9月1日じゃろ?確か今朝、2学期の始業式で、校長先生に吹奏楽部はコンクールで銀賞を獲得って言われて、銀賞の位置付けをよく知らないみんなに凄いじゃん、って言われたんだよな。今日1日の出来事が濃すぎる…)


 家に着いたら9時半だった。俺の夕飯がテーブルに置かれていて、先に寝るから夕飯食べなさい、との母のメモがあった。


(猛烈サラリーマンみたいだ)


 俺は夕飯より先に風呂に入ることにして、とにかく疲れを取ろうとした…。


<次回へ続く>

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