第13話 静間先輩との初恋談義

 俺は飲んでいたアクエリアスを噴き出しそうになるほどビックリした。

 静間先輩だって女子だ。恋をしていてもおかしくないし、今彼氏がいると言われても納得だ。


 だが中学時代に卓球部に入った理由が初恋とは…?


「静間先輩から、恋の話が飛び出るとは思いませんでした。でも初恋となると…やっぱり好きな男の人が卓球部だったとか、ですか?」


「うん…。そうだよ」


 静間先輩は顔を赤らめつつ、答えた。


「小学生の時の、一つ年上のお兄さんなんだ。5年生の時に、それまではなんとも思ってなかってのに、突然…どう言えばいいのかな、キュン!ってしちゃったの」


「それは、登校する時の班が同じとか…ですか?」


「そうなの。不思議だよね。ずっと一緒の班で登校してて、突然『あ、このお兄さん、好き』って思うんだから」


「それは何か、キッカケがあると思うんです。卒業式直前にグッと大人になったような気がしたとか、静間先輩が困ってる所を助けてくれたとか…。何かありませんか?」


「…卒業式前に、急に大人びたように見えたのは当たってるね。でもその前にはもう憧れのお兄さんになってたの。なんだろ、助けてもらったってことも特にないし…。何気ない日常の姿とかじゃないかなぁ」


「ふーん…。女の子の初恋話って、俺、滅多に聞くことがないんで、凄い貴重な機会です。いつの間にか、って感じなんですね」


「そうだね~。本当にいつの間にか。それでアタシも中学に上がったら、お兄さんは卓球部だって聞いて、それでアタシも卓球部に入ったの」


「わ、青春だな…。その静間先輩の気持ちって、お兄さんに伝えることは出来たんですか?」


「…初恋相手に自分の気持ちを伝えられる子なんて、男子も女子も殆どいないんじゃない?アハハッ!」


「じゃ、先輩は思いを伝えられず…」


「うん」


「バレンタインにチョコを上げるとか…」


「出来ないよー!逆に小学生の時だったら、はい!って気楽に上げられたかもしれないけど」


「そっかぁ。そんなもんなんですね…」


 俺は都市伝説とまで思っていた、中学の吹奏楽部の後輩女子からモテていたという話を思い出した。

 横田に言わせると、吹奏楽部の後輩女子で俺のことを思ってくれていた女子は何人かいてくれたらしい。


 だが、中3の3学期、1月末に俺がフラレたことは後輩達は誰も知らず、俺はずっとまだ神戸と付き合ってると思われていたようで、中学最後のバレンタインでは後輩の女子はみんな遠慮して、俺はチョコは一つも貰えなかった。


 だが、もし1月末に別れていた事が吹奏楽部に広まっていたら、状況は変わっていたかもしれない、とのことだった。


 去年の体育祭を横田と森本が見に来てくれた時に、教えてもらった話だ。


「そうよ。女の子の気持ちって、凄いデリケートなんよ。あー、初めてかな、男の子にアタシの初恋話を披露したのは」


「え、そうなんですか?すいません、俺が異性1号になっちゃって」


「アハハッ、そんなウルトラマンに出て来る怪獣みたいに言わないでよ。さあ今度は上井くんの初恋、教えてもらおうかなぁ」


「えっ?俺の、ですか?」


 何故にいつの間に、部活の話から初恋の話になってしまったのだろう…。

 まあ隠さねばならない機密事項でもないので、ついこの前笹木と話した時に思い出した、中1の時の中本智美のことを話そうとした。


「あ、俺の話をする前に、先輩はそのお兄さんとはどうなりました…?」


「中学卒業でサヨナラ、よ。アタシの初恋もオシマイ」


「学ランのボタンとか、貰わなかったんです?」


「アタシもね、上井くんに勝るとも劣らない恥ずかしがり屋なのよ〜。とてもそんな勇気はなかったよ。だからバレンタインのチョコすら上げられなかったんじゃもん」


「ああ…そうなんですね。となると、そのお兄さんは西廿日高校ではない高校へ行かれた…」


「確か…五日高校だったかな」


「静間先輩は、お兄さんを追って五日高校を目指したりは…」


「ううん、アタシは…。単純じゃけど、新設校の西高の制服に憧れとったんよ。そんな女子、多くない?上井くんの同期でも」


「まあ、多いですね」


 神戸と付き合っていた頃、西廿日高校を目指す理由の一つに、新設校で制服が可愛いのも理由の一つと言ってたなぁ…。


「アタシもそんな理由で西高に入ったの。で、卓球部もあるのは部活紹介で聞いたけど、もう入る理由がないし、他の部活もピンと来ないし…で、帰宅部になったんじゃけど、何か放課後が勿体無くてね。それで生徒会に立候補したんよ」


「先輩の青春ストーリーですね」


「そう…なるかな。こんな生き方しとって、吉と出るか凶と出るか…」


「先輩みたいに真面目な方に、凶が出る訳ないですよ」


「そう?冗談でも嬉しい。ありがとう、上井くん」


 静間先輩は少し嬉しそうに、しかしほんの僅かだが目を潤ませながら答えてくれた。


「じゃあ上井くんの番よ。どんな初恋だったん?まさかさっき聞いた元カノさんが、初恋相手だとか?」


「いっ、いいえっ!それは違います!」


 俺はつい語気を強めた。


「アハハッ!凄い否定の仕方!上井くんにしたら、傷付けられたから許せないって思いが、まだ元カノさんに対して強いのかな?」


「あ、すいません、感情的になっちゃって。もう1年以上経つのに、なんなんだか…。もう許してもええじゃん、って思わないこともないんですけどね…」


「…んー、気持ちと年数はね、関係ないと思うよ…」


 静間先輩は意味深にそう言った。ん?さっきの初恋相手の話以外にも何かあるのだろうか…。


「あ、ありがとうございます。…まだ俺の気持ちに整理が付かないのは、多分元カノが俺の視線の範囲内にいつもいるからだと思うんです。これがもし別の部活だったら、もし別の高校だったら…」


「うーん。アタシが思うにはね、上井くんとその元カノさんって、お互いに意識しあってる、そんな関係じゃないかな、って思うの」


「そうですか?」


 確かに意識は否応なしにしてしまう。それは否定出来ない。だが神戸はどうだろうか…。


「多分、上井くんは表では元カノさんとはもう話しません!って言ってるけど、1人でいる時とかは、別にもういいや、って気持ちになること、ない?」


「…んー」


 当たらずとも遠からずだった。なんで何時までも神戸に意地張ってるんだか…と、自宅でボーッと過ごしている時に、思うこともある。

 稀に視線が合ったり事務的な会話をした後などは、特にそう感じる。


 もしこれが別の高校に進んでいたなら、俺はこんなに悩むことなく、卒業直前にフリやがって…、すぐ次の男に乗り換えやがって…と神戸を恨む気持ちを維持したまま、高校生活を送っていただろう。


 だが運命の神様はちょっとイタズラを仕掛けて来た。


 同じ高校、同じ吹奏楽部、そして1年生の時は同じクラス。


 最初はなんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだ、と怒りの気持ちが充満していたし、高1の夏前から俺が吹奏楽部に誘った大村と付き合い始めたことが、更に怒りを増幅し、俺の傷口を広げた。


 俺の神戸に対する怒りのピークは、去年の夏休み頃だったかもしれない。


「…上井くん?大丈夫?」


 静間先輩が声を掛けてくれた。


「あっ、すいません、つい元カノのことを考えちゃって…」


「ごめーん。アタシが余計なこと言ったせいだよね」


「いや、先輩が謝らなくてもいいですよ。俺が勝手にトリップしてただけですから」


「そう?上井くんがそう言ってくれるなら、ありがたく受け取るけど…」


「まあ俺には初恋相手よりも、元カノの方が遥かに心の中に占める存在感が違いますんで…」


「やっぱりそっか…」


「え?と言いますと?」


「…アタシも、初めて付き合った男の子のことは、さっき言ったお兄さんより、印象が強く残ってるからね」


「先輩…」


 さり気なく静間先輩は、彼氏がいたことを明らかにした。そして今は別れていることも匂わせた。


「静間先輩って、彼氏がいたんですか?」


「ハハッ、今のアタシのセリフだと、そうなるよね」


「実際は…どうだったんですか?って、聞いても良いのかな…」


「うん。別に隠し事じゃないしね。アタシ、1年の江田島合宿の時に告白されたんだ」


「わ!もしかしたら夜に呼び出されてとか、ですか?」


「…うん」


 静間先輩は今でもその時の思い出が強いのか、少し照れながら肯定した。


「わぁ、羨ましいな、先輩。俺なんて二晩とも何も無かったので、こっそり持って行った推理小説を完読しちゃいましたよ」


「上井くんは何も無かったんじゃね。寂しかった?」


「俺はその頃、心が荒んでましたので、女子に呼び出されることもないと思ってましたし…。目立つ存在でもなかったので、寂しくはなかったですけど、同部屋の男子が出払っていたのは悔しかったですね。ハハハ…あ〜ぁ」


「そっか。まあその頃って、女子も男子も西高に慣れてきて、彼氏、彼女が欲しくなるタイミングじゃもんね。じゃけぇアタシも同じクラスの男子に呼び出されたんじゃと思うけど」


「となると、静間先輩の初彼は同じクラスの男子?」


「そうなの」


「結構盛り上がりましたか?」


「いや、それがね…。なんだろ、江田島マジック?みたいなもんでね、告白された時は嬉しくて、お付き合いするのも即決じゃったんよ。でも日常に戻ると、なんでこの男の子と付き合ってるんだろ?って思うことが増えてね」


「え、その先輩の言い方だと、長続きしなかった…んですか?」


「うん。夏休み前にお別れしたの。それ以来、アタシは恋愛とは無縁の日々よ」


 そう言えば俺らの代も、江田島帰りのフェリーではアチコチにカップルがいたが、1年以上経った今も続いているカップルはいるのだろうか?

 しいて言えば、大村&神戸はその筆頭なのかもしれないが…


「先輩ほどの女性に彼氏がいないなんて、俺としては嬉しいけど…、悔しいですよ。変なこと言ってスイマセン」


「まーた上井くん、そんなこと言ってぇ。お姉さんをイジメちゃダメだよ」


 その時、静間先輩は今まで少なくとも、俺には見せたことのない表情になった。


 照れて恥ずかしがる女の子。


 俺が今、若本に気持ちを揺さぶられていなかったら、静間先輩に告白したくなるほど、仕草や顔付きが可愛く見えた。


「でも、1年生の夏以来、ずっと恋愛とか男子には興味なしなんですか?」


「ううん…。それなりに好きな男の子はいたよ。部活には入っとらんけぇ、同じクラスの男子になるけど」


「そうなんですか。でもさっき聞いた話だと…」


「うん、アタシの片思い。片思いにもならないくらいかな?なんの行動もしとらんけぇね。バレンタインとか。さっきも言ったけど、アタシは上井くんに勝るとも劣らない照れ屋じゃけぇね」


「そうなんですか…。でも先輩くらいの女子なら、きっと好きだって思ってる男子はいると思います!」


「フフッ、力強い言葉、ありがとう。あ、それで上井くんの初恋相手の話!これを聞いたら、今日は解散しようか?」


「締めが俺の初恋相手の話ですか…」


 俺は中本智美のことを静間先輩に話した。アッサリ終わりましたよ、との言葉を添えて…。


「そっか。でも最初に思わせぶりな態度を取られたら、もしかしたら?って思っちゃうよね」


「ですね。特に女子は敵だと思って、それまでの人生を過ごしてきましたから」


「じゃあその女の子は、上井くんにとって恩人みたいなものかな?」


「お、恩人ですか?」


 中本智美について話した際に、残念だったねとはよく言われてきたが、恩人というのは初めて言われた。


「そう。それまで女の子は敵と思い込んでた上井くんを、女の子は恋する対象、って変身させてくれたんでしょ?その子は」


 流石静間先輩だと思った。


「それが、2年後に上井くんに初めての彼女さんが出来るキッカケにもなってるんじゃない?女子が敵のままだと、今の上井くんの悩みの種の元カノさんと付き合うこともなかったんだし」


「確かに…なるほど…」


「まあ今は再びその子は、敵みたいなものかもしれないけどね」


 でもいつか上井くんと元カノさんの関係は変わるはず、と静間先輩は言ってくれた。

 その言葉を聞き、先輩を長い時間掴まえてしまったことをお詫びして、その日はお開きとなった。


「じゃあ先輩、また明日…」


 俺が手を振ろうとしたら、静間先輩は握手を求めてきた。


「えっ、先輩…」


「単なる生徒会役員だけの関係から、少し仲良くなれたからね。その証の握手よ」


 静間先輩の手は、俺よりも小さかった。


「上井くん、やっぱり男の子の手だね。大きいし、なんか独特のタコ?が節々にあるね」


「あー、楽器のせいで出来たものです」


 バリトンサックスを吹いて出来た、右親指の関節のタコを指して、俺は言った。左手の親指と比べると、膨らみが違うのがすぐ分かるほどだ。


「じゃあ、勲章みたいなものだね」


 今は打楽器に移ったが、この右親指のタコは、バリサクを吹いていた証なんだな。急にタコが愛しくなった。


「じゃ、今度こそ。ありがと、上井くん」


「こちらこそです、先輩」


「また明日ね」


 静間先輩はそう言って、俺に背を向けると、JRの宮島口駅から広電宮島口駅へと向かって行った。


(色んなこと、静間先輩と一気に話したな…。吹奏楽部の先輩にも話してないことまで)


 それは初恋相手、中本智美のことだった。別にワザと避けていた話題でもなんでもないのだが、初恋相手とのネタは殆どなく、元カノ神戸千賀子とのネタの方が山ほどあるため、部内で恋愛の話とかが出ると、いつも元カノをネタにしている自分がいた。


(笹木さんが言ってたよな。俺を見掛けたことがあるって。いつか出会うかもしれないな…)


 そう思いながら俺は、岩国行きの列車の到着を待った。


<次回へ続く>

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