第11話 静間先輩との帰り道

「じゃ、上井くん、帰ろうか」


 下駄箱で靴に履き替えた静間先輩が、声を掛けてくれた。


「はっ、はい!」


「ハハッ、今日初めて会ったお見合い相手じゃないんじゃけぇ、気楽に行こうよ。今更緊張するような関係なん?アタシ達って」


 まだ残暑が厳しいが、日が暮れるのが少し早くなったな、と思いながら、俺は初めて静間先輩と2人で宮島口まで歩くことになった。


 一番恐れているのは、吹奏楽部員、とりわけ若本に見付かることだった。


『なーんだ、先輩、彼女いるんじゃん』


 と、静間先輩を知らない若本に思われたらオシマイだからだ。まあそんなことを仮に言われたとしても、静間先輩はその場で即否定するとは思うが…。


 ただ山中は部活を終えてから生徒会室に来ていた。

 ということは、大村に頼んだミーティングも無事に終わったはずだ。


 そして部活後の山中と生徒会室でしばらく話したし、静間先輩、渡辺先輩とも話してから帰宅の途に着いたから、吹奏楽部員はかなり前に帰っているはずで、彼らが寄り道さえしてなければ会うことはないだろう。


 …だがこれまでも偶に、女子と2人で宮島口まで帰ることはあったのだが、何故、静間先輩と帰ることになった今回はこんなに緊張して、誰かに会わないようにと強く願っているのだろう、俺は。


(若本…かな、やっぱり)


 今一番心を揺り動かされている若本に、静間先輩と帰っている所を見られでもしたら…という潜在的な恐怖にも近い意識があるのだろう。


「上井くーん、どうしたの?靴紐でも解けた?」


 静間先輩の声で俺は我に返った。


「あっ、先輩!すっ、すいませんっ!何か忘れ物したような気がして、忘れてないよな…って頭の中で考えてしまってて」


 我ながら何を言い訳してるんだか…俺は暑いからかく汗とは違う汗が、背中を流れていくのが分かった。


「そうなの?まあ、お弁当箱とかだと忘れたくないよね。お弁当箱じゃなかった?」


 静間先輩は、そんな俺の言い訳を受けてくれた。なんて優しい先輩なんだ…。


「はい、弁当じゃなかったです」


「体育で汚れた体操服とかは?」


「はい、大丈夫です。今日は体育なかったんで」


「じゃ、なんとかなるね。アタシは一度、体操服を忘れたことがあってね。そんな日に限って次の日にも体育があるんよね。次の日の体育、汚れて汗臭いままの体操服で受けた時はアタシも気持ち悪かったし、何より恥ずかしかったよ~」


 静間先輩はそんな話を披露してくれた。完璧に見える静間先輩も、そんなお茶目な一面があるんだ…と、少し俺の緊張も和らいだ気がした。


「じゃあすいません、宮島口までご一緒に…」


「うん。色々聞かせてね、上井くんのこと」


 そう言って俺と静間先輩は歩き始めた。だが静間先輩との間には、体と体がくっつかないよう、少し意識的に距離を開けていた。


「あの、先輩はなんで生徒会に入られたんですか?」


 俺は無難な話から始めた。よく考えたら、俺も静間先輩のことは、3年7組で前田先輩と同じクラス、部活には入っていないということくらいしか知らない。


「アタシはね…。珍しいと思うけど、自分から手を挙げたんだ」


「えっ?本当ですか?」


「珍しいでしょ。まあ何も部活に入ってなかったのが、大きいかな…。じゃけぇね、何かしなくちゃ、みたいな思いがあったんだ」


「凄いじゃないですか!俺の場合は、担任の先生に呼び出されて、頼み込まれて…でしたから。その前に学活で、儀礼的に立候補いない?って呼び掛けはありましたけど」


「上井くんは、立候補しようとかは、思ってなかった?」


「ええ、全然!」


「ハハッ、そんなに元気に言わなくても」


「あ、すいません…。でも俺、吹奏楽部に入ってましたから、そんな二役なんて出来る訳ない、って思ってたのもあります」


「そうだね。部活に入ってたら、立候補しようなんて思わないよね、普通は。でも担任の先生に頼まれたんだね、上井くんは」


「そうです。先生に吹奏楽部が忙しいのは分かるけど…って頼みこまれて。それでも最初は断ったんですけど、先生が落胆しながら、じゃあ他に誰がいいと思う?って俺に聞いてくるんです。その先生のお顔を見たら、なんか、それ以上断りにくくなっちゃいまして…」


「お、上井くん、さすがじゃん!カッコいいよ!ちなみに1年の時の担任の先生って、誰だったの?」


「美術の末永先生です」


「あ、思い出した!新任役員の挨拶で、芸術の先生に囲まれてるとか、吹奏楽部の予算を倍にしろとか、面白いこと言ってたよね?アタシ、あの挨拶聞いて、この子は只者じゃないな、アタシが風紀委員長で、ちゃんとアタシの言う事とか、聞いてくれるのかな、って不安になったんだよ?」


「えーっ、そんなこと、思わせちゃいましたか?それはすいませんでした。俺って、ああいう場面で一言話す時、他人と同じような、それで誰の印象にも残らないような言葉を言うのは嫌いな性格なんですよ。面倒な奴ですよね。なのでいつも突然思い付いたアドリブとか混ぜ込んで話すんですけど…。静間先輩を不安にさせてたなんて、今の今まで全く思いもしませんでした」


「まあ上井くんとしてはそうだよね。まだアタシが何者かもよく知らない時だし。でもアタシの不安は杞憂に終わったよ。その後のクラスマッチでの様子とか見てたら、あ、アタシと相性合う子だな、って思ったもん」


「え?そうです?最初のクラスマッチじゃけぇ…去年の暮れですよね。まだ何の戦力にもなってない時ですよ?」


「うんうん、それは当たり前よ。初めての行事で、いきなりアタシ達よりも仕事が出来てたら、逆に困るよ。それよりアタシが感じたのはね、ペアを組んでた近藤さんと、凄く仲良く楽しそうに話してたでしょ」


「近藤さんとですか?確かにまだ知らない方が多い中で、近藤さんは山中を除くと、一番話しやすい同期生でしたから」


「その雰囲気がね、なんて言えばいいかな…。上井くんは優しくて明るい男子なんだな、って思えたの。アタシが最初に警戒したのはね、なんでもかんでもアタシの指示に反抗するんじゃないか…ってことなの」


「ハンコなんて押しませんよ〜。それに優しくて明るいってのも、やらしくてバカ類の男子の間違いじゃないですか?」


「アハハッ!それそれ!すぐ冗談を交えて返してくれるでしょ。その場の空気を読んで。それが上井くんのアドリブ力でもあるんだと思うけど、頭が良いってことの証明でもあるんよね」


「せっ、先輩!俺を持ち上げ過ぎですって。駄洒落やらオヤジギャグを言って頭が良いなんて、有り得ないですよ」


 俺が駄洒落やオヤジギャグを言って、何をふざけとるんや!と怒られることは多数だったが、頭が良い証明だなんて言われたのは初めてだった。なので静間先輩はどういうことを考えてそんなことを言ったのか、読み切れなかった。


「落語家の人って知ってる?」


「え?落語家ですか?」


 唐突に静間先輩は、俺に聞いてきた。


「そうそう。林家…とか、三遊亭…とか」


「まあ、テレビの『笑点』に出てる落語家さんくらいなら…」


「うん、そんなもんだよね、今は。アタシね、上井くんって、落語家さんみたいな人だな、って思ったんだ」


「落語家!初めてです、そんなの言われたのは」


 なんで落語家なんだ?


「落語家さんって、アタシは尊敬してる職業の一つなんだ。アタシは女だから落語家にはなれないと思うけど。落語家って、頭が良いと思う?悪いと思う?」


 静間先輩からの真剣な問い掛けだと思った俺は、おふざけモードを引っ込めて、真面目な返事を考えた。


「うーん…。頭が良いかどうか分からないですけど、一芸に秀でた方々だと思います」


「わ、すごーい!アタシの質問の上を行くお返事だったね。やっぱり上井くんは、凄い男の子だわ」


「そんなの、今のやり取りで分かりますか?」


「うん。今の質問したら、殆どの人は…男子女子関係なくね、落語家は頭が悪いって返してくるの」


「はぁ…。それは違うと思います。俺は落語家は、頭が悪いとなれない、職人みたいなもんじゃないかな、と思います」


「うんうん。アタシもね、頭が良くないと落語家にはなれない、って思ってるの。だって舞台の上で、殆ど小道具もなく、長いお話だと1つで30分ほど、ずっと喋り続けるんだよ。それも1つだけじゃなくて、もっと沢山のお話を頭の引き出しに仕舞ってて、その日のお客さんの様子を見て何の話にしようか決めるんだって」


「は、はぁ…」


 落語について熱く語る静間先輩を見ていると、普段見る静間先輩とは別人のように感じた。親戚に落語家さんでもおられるのだろうか?


「上井くんに感じたのはね、そんな落語家さんの能力なんだ。その場に応じたアドリブ、空気を読んで話を作る力。それと…」


「せ、先輩、落語家さんに知り合いでもいらっしゃるんですか?」


 あまりに落語について熱く語り、俺が落語家に似ているという話をする静間先輩に、つい質問してしまった。


「えっ、アタシに?いないよ?」


「そうなんですか?あまりにも落語家さんを尊敬しておられて、その点は俺も共感する部分が多いんですけど、そこまで女子高生が落語に熱中して、分析までするなんて、知り合いか親戚に落語家さんがいるのかと思いまして」


「いないんだけど、アタシが落語って凄いなーって思ったのがね、去年の修学旅行の時なんだ」


「修学旅行?そう言えば先輩方の代は、東京で課題を決めて調べてくるとかいう、面白そうな内容でしたよね」


 俺らの一つ上、西廿日高校3期生の修学旅行は、東京で3泊4日、行動制限はなくホテルの門限だけ守れば良いという、変わったものだった。

 ただその滞在中、クラスで何組かチームを作り、東京ならではの体験学習を企画、実習し、レポートを提出しなくてはならない、そんなテーマが科されていたのだった。


 マスコミにも取り上げられたので、もしかしたら俺の代もそんな修学旅行になるんじゃないか?そしてそれが西廿日高校名物になるんじゃないか?と期待していたのだが、来月行われる修学旅行は、特に特徴のない、ノーマルな旅行日程となっていた。


 ただ出来たばかりの東京ディズニーランドへ3日目に行くことになっていたので、特に女子は楽しみにしているようだ。

 俺は特に楽しみな周遊地もなく、思い出に残らない修学旅行になりそうで、期待もしていないのが現実だ。


 静間先輩は去年の修学旅行で落語に興味を持ったとのことだが…


「結構、新設校の割には冒険した修学旅行だったと思わない?」


「思いましたよ。先輩の代で3期生ですもんね。だから俺らの代の修学旅行も、同じようなスタイルになるんじゃないかと思ったんですけど、なんかよくありがちな修学旅行で終わりそうです」


「そうなの?ちょっと勿体ないね。せっかく去年、画期的な修学旅行をしたのに」


「ですよね。でも先輩は、お友達と東京でどんな課題をこなされたんですか?」


「アタシはね、友達と一緒に、江戸時代から残る東京の文化ってテーマを決めて、色々回ってきたの。その一つに落語…っていうか、寄席鑑賞だね、それを組み込んでたんだ」


「はあ、なるほど…。そこで落語家さんを見られて、特に落語に興味を持たれたんですか」


「そうなの。意外でしょ?」


「そうですね、落語好きな女子高生!って文化祭で売り出しても良かったかもしれませんよ?」


「アハハッ、もう遅いわよ。…あと半年でいなくなるんだもん…」


 そう言った静間先輩は、ちょっと寂しそうな表情を見せた。その時は、いつもの静間先輩に戻ったように感じた。


「あと半年ですか…。そっかぁ、先輩は半年後、次の進路へ向かって卒業されちゃいますもんね。そう考えると、俺もあと1年半なんだな…。高校生活も半分まで来たのかな。あ〜、何してるんだろう、夢や目標が、全然達成出来てないや…」


「…上井くんの描いた夢や目標って、どんなの?」


「一つは…彼女が欲しい!です」


「それならまだチャンスはあるじゃん。1年半もあれば」


「ですよね、でも…実は俺は…」


 俺は静間先輩に、初めて俺の過去を話した。

 中3の時の失敗、元カノから受けた沢山の傷、元カノのことは忘れ去りたいのに妙な因縁でずっと近くにいること、そこから立ち直ろうと頑張ったのに昨年の夏に余計に傷が深くなってしまったこと、そしてそのせいで部活の運営が大変なことや恋愛に臆病になっていること…。


 一通り話した後、静間先輩はちょっと考える仕草をしてから、こう言ってくれた。


「そうなんだ…。上井くん、よく頑張ったね、今まで」


「そ、そうですか…?」


「だって、アタシ達の前じゃ、あんなに楽しくて明るくて優しくて。生徒会室で、上井くんが悩んでる姿って見たことないもん。あ、仕事で悩んでるのは別にして、ね。3年の役員も、みんな誰も上井くんのことを悪くいう人はいないよ。だからアタシも気楽に落語家さんみたいだね、なんて言っちゃったけど…」


「あの…俺は他人様の前で悩みを披露しない、って決めてるんです。カッコ付けてますよね、恥ずかしいけど。悩みは自分の中で解決するもので、他人様に見せるものじゃない、そういう気持ちがありまして。でもその自分に課したルールを守れないほど、辛い経験も何度かしました」


 これは部長になった春先のことを指して言った。フルートの先輩の陰口に精神的に相当堪えたのは、忘れられない。


「そうなんだね。それは仕方ないよ。そんな時、もっとアタシが上井くんのよき先輩でいてあげれてたら、相談にも乗ってあげられたのにね」


「いえ、静間先輩は素敵な先輩です。優しくて、いつも俺のことを心配して下さるし。生徒会、最初は気乗りしませんでしたけど、静間先輩っていう素敵な先輩と出会えたんですから、やって良かったって、今は思ってますよ」


「もう…。逆にアタシが感激しちゃうじゃない…」


 静間先輩は一筋流れ落ちた涙の跡を拭いながら、そう言った。


 ゆっくり歩いてきたつもりだが、宮島口に着いてしまった。すっかり暗くなってしまっている。

 こんなムードのままで静間先輩と別れたら、明日以降やりにくくなると思い、何とか明るい話で締めたい、そう思った矢先だった。


 <次回へ続く>

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