第97話 石橋さんの涙

「あ、上井くーん、こっちよ」


 石橋さんが駐車場で、俺に向かって声を掛けてくれた。

 7月にも石橋さんの車に乗せてもらってはいるが、似たような車が並んでいて、一瞬迷ってしまっていたのだ。


「あっ、そっちでしたか!危な~、別の方の車に乗り込もうとしてましたよ、俺」


「えー?アタシの車って、そんなに他人の車と間違えやすい?」


「いや、石橋さんの車とコッチの車、似てませんか?」


「むぅ…。確かに同じメーカーだし色もソックリ…。でも、アタシの車の方が可愛いでしょっ?」


 そう言うと石橋さんは、少し唇を尖らせた。


(か、可愛い…。とても2つ年上だなんて思えんよ…)


 そんな石橋さんは、今日はデニムの膝丈のスカートに、宮島がデザインされた白地のTシャツというスタイルだった。

 膝丈のスカートだと、足が長く見える。そんなことも知り尽くして、石橋さんはきっとデニムの膝丈のスカートを履いているのだろう。

 ファッションに疎い俺には、眩しいくらいの存在だ。


「さ、助手席にどうぞ。ちょっと女らしくない車じゃけど」


「いや、十分に女子の車、って感じですよ…」


 後部座席に座っているぬいぐるみは、明らかに7月よりも増えていたし、助手席だってクッションは、俺なんかが座っていいのかと躊躇する、綺麗な刺繍が施されていた。それに車内は何の花なのかは悲しいかな分からないが、素敵な香りで包まれている。


 先に俺が助手席に座るのを確認してから、石橋さんは運転席へと座った。


(…やっぱり、つい見ちゃうよな…石橋さん、スイマセン)


 どうしてもTシャツの背中に透けて見えるブラジャーを、悲しい男の性が勝手に俺の目を誘導して、見てしまうのだ。


(でも石橋さんらしいな、派手なブラジャーじゃなくて良かった)


 透けて見えたのは、女子中高生が身に着けるような、シンプルな白いブラジャーだった。

 これがド派手な迷彩色のブラジャーなんか着けていたら、石橋さんには失礼だが、俺はかなり距離を置いてしまうだろう。


「出発してもいいかな?」


「あぁっ、はい!お任せいたします!」


「どしたん、上井くん、緊張しとる?アタシとの間で緊張なんかしなくてもええじゃん。楽しくドライブしようね。レッツゴー!」


 石橋さんはとても楽しそうに車を出発させた。

 西廿日高校は山の上にあるので、行きは上りで辛いし、帰りは下り坂ではあるものの西日が帰り道を直撃することが多く、これまた辛い。

 何度かタクシーだったり、先生の車だったりで、自力での登下校をしなくて済んだ時は、メッチャ楽で助かる~と実感したものだ。


「上井くん?」


「えっ、はい?」


「なんか黙っとるけど…。元気がないよ?さっき会長が言ってたけど、吹奏楽部の悩みを引き摺ってるのかな?」


「あ、いや…。まあ、それもゼロじゃないですけど、石橋さんの車に乗せてもらって、ちょっと緊張というか、舞い上がってるというか」


 俺は頭を掻きながら、率直にそう言った。


「素直だね、上井くんは。すぐ分かっちゃうよ、態度や仕草で。だってフォークダンスでMy Revolutionが聴こえただけで、昔の恋を思い出しちゃうんだもんね」


「あ、あれは不意打ちみたいなもんです。石橋さんにも言ったかな…。その頃のヒット曲だったら、何が流れても俺は初めての彼女に失恋したことを思い出しちゃうんです。中でもレベッカのフレンズと、渡辺美里のMy Revolutionは特に…」


「うん、覚えてる。だからさ、逆に上井くんって純粋な心のまま、高校生になったんだろうな、って思うのよね」


「いや、純粋だなんて…。いつまで経っても初めての彼女とのお付き合い、そして失恋の呪縛から抜け出せない、情けない男ですよ」


「情けなくは、無いと思うよ?アタシはね」


「え?どうしてです?」


「だってアタシと初対面だったでしょ?フォークダンスの時が」


「でしたね」


「そんな初対面の年上の女の前で、昔の彼女との出来事を思い出して悲しくなれるなんて、逆にアタシは上井くんって瑞々しい心の持ち主なんだな、って思ったもん」


「えーっ、そうですか?何コイツ?みたいなこと、思いませんでしたか?」


「まあそう言われると、ちょっとは…」


「ほら、やっぱり!」


「冗談よ、アハハッ!」


 車は坂を下り切って、国道2号線を海沿いに走っていた。


「やっぱり車って便利ですね」


 俺は元々車酔いしやすいのだが、最近は車を運転出来たらいいな、と思うようになっていた。誰も乗せる予定は、今のところないが…。


「うん、やっぱり自由に動けるけぇね。買い物とか、バスや電車の時間を気にしないでいいし、買ったものも車に積めるし」


「そっかぁ。夜遅くて終電逃した後でも大丈夫ですよね?」


「そうだね…って、アタシはそんな不良じゃないよー」


「あれ、そうでしたっけ?」


「んもー、上井くんってば!でも、さっきより元気になったかな?」


「あ…はい、そうかもしれません。この景色と、石橋さんの真横っていう極上空間のお陰ですよ」


「またもう…。喋りが上手いよね、上井くんは。山中くんとの漫才、今でも忘れてないよ」


「山中との漫才って…。アレは漫才じゃなくて、言い合いですよぉ」


「それが面白いんじゃもん。きっと上井くんと山中くんは、波長が合うんだよ」


 石橋さんにそう言われたが、確かに高校では村山よりも山中と話す方が、気が休まるし、気心が知れているように感じる。


「そうですかね?でも山中が生徒会にいてくれるお陰で、俺もやりやすい面は確かにあります」


「でしょ?多分2人は卒業しても、ずっと縁が続く仲だと思うよ。そんな繋がりを大切にしてね」


「わ…。石橋さんにそう言われると、重みがありますよ」


「そうかな?でもね、高校を卒業した後って、本当にみんなバラバラになっちゃうから…」


 石橋さんは、少し寂しげにそう言った。何かあるのだろうか…。


「うーん、石橋さん、もしかして好きな男子が遠くへ行っちゃったとか、そんな経験されました?」


「どうだろうね。上井くんには隠せないから言っちゃうけど…。アタシ、卒業式の日に、同じクラスの男子から告白されたの」


「えっ、凄い!羨ましいですよ」


「…でもね、その男の子って高校を卒業したら、仙台に引っ越しちゃったの」


「せっ、仙台?東北の?なんと遠い…。東京よりまだアッチですよね」


「そう。仕方ないよね。その男の子が選んだ大学が、仙台にあるんじゃもん。じゃけぇね、広島にも全然帰って来んくて、アタシは言われっ放しで終わってるの」


「相手の男子って、その場で返事を求めなかったんですか?付き合ってくれとか」


「…うん。2年で同じクラスになった時から好きじゃった、遠くに行くけど俺のこと、忘れんといてくれ、以上!…なのよ」


「なんだかなぁ、モヤモヤする…」


「だからアタシはどうすればいいのか分かんないんだ。仙台に行って彼を探すなんて非現実的過ぎるし。かといって彼が広島に戻るのかどうかも分かんないし。大体アタシは告白されたのかどうかも分かんない。…恋愛って、難しいよね」


 恋愛って難しい…と、消え入りそうな声で呟いた石橋さんの体験を、俺の体験と比較すると、なんと俺の体験とは幼い事件の積み重ねなのだと、つい思ってしまった。

 フラれた頃のヒット曲を聞いただけで感傷的になっている場合じゃないだろ…。


「じゃあ…こんな聞き方するのも酷いですけど、石橋さんは彼氏は…」


「ん…いないよ!前に話した、変なヤツに振り回されたのと、仙台に行った男子に言われっ放しなだけ。男運、ないよねぇ、アタシって」


「そんなこと、言わないで下さい」


「え、なんで?」


「だって岩瀬会長も言ってたじゃないですか。石橋さんは2期生のマドンナだったって。きっと石橋さんが知らないだけで、モテモテなんですよ、きっと」


「…でも…。本人が何も知らない所でモテてても、楽しくないよ」


「確かに…」


 俺の場合、中学の吹奏楽部の後輩にモテているという噂があった。

 そんなのは都市伝説みたいなものでありえないと確信していたが、去年の体育祭に学年が1つ下の横田が森本と来てくれ、俺と神戸の2人が中学在学中の3学期に別れたことを知っていたら、バレンタインとか卒業式で告白したのに~と言われ、都市伝説ではなく、もしかしたら本当に俺のことを好きでいてくれた後輩がいたのかもしれない、と思ったのだった。


 …でもこれも、本人が知らない所でモテてても楽しくないという、石橋さんの言葉にピッタリ当て嵌まる。


「上井くん、何か思い出したような感じじゃけど、アタシと似たような経験があるの?」


「いや、石橋さんには遠く及ばないレベルですけど…。俺が知らない所で、俺がモテてたって話しを去年聞きまして」


「へぇ。去年聞いたっていうと…。上井くんが中学の時の話を、改めて聞いたってことになるのかな?」


「そうです。俺、中学の吹奏楽部でも部長をしてたんで、そのせいかもしれないんですけど、後輩の女子が何人か、俺のことを好きでいてくれたみたいなんです」


「わぁ…。やっぱり上井くんはモテるんだね」


「いや、これが、さっき石橋さんの言われた、本人が知らない所でモテてても…と同じというか、なんちゅうか、本中華…」


「フフッ、こんな時にネタを放り込まないでよ。でも上井くんもそんなことがあったのね。そのことを知った時、どう思った?」


「まあ、心が荒れてた頃にその話を知ったので、なんでもっと早く教えてくれんかったんよ!の一言に尽きました」


「ハハッ、同じね、アタシと。アタシも一緒。なんでもっと早く言ってくれないの?だよね」


「ですよね。何を今更…は彼女らに失礼な言い方ですけど」


「それもタイミングなんだよ…ね。はぁ…」


 石橋さんは寂しげにそう言うと溜息をつき、一瞬だが目に光るものが見えた。


 俺に気付かれたらマズいと思ったのか、顔を逸らすとTシャツの袖で目を拭き、再び前を向いた。


(気付かなかったことにしてあげなくちゃいけんよな、石橋さんのために…)


 しばし車内は沈黙に包まれたが、さっきのように石橋さんが俺に、なんで黙ってるの?と聞いてくることはなかった。


(ど、どうすれば良いんだ?俺、こういう時の免疫がないよ…)


 石橋さん運転の車は、左手に宮島を眺めながら、少しずつ大竹市へと向かっていた。


 <次回へ続く>

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