第94話 コンクールからの帰り道
昭和62年8月27日、全力を尽くした高2の夏が終わり、俺は重い足取りで、コンクール翌日の部活に出るべく、高校へ出掛けた。
(昨日の帰りは不覚だったな…)
何が不覚だったかと言うと…
コンクールからの帰りの電車の中で、田中先輩や前田先輩に意味深に言われたことを聞こうと思ったり、大村仮病説を確認しようと思ったりしていたのだが、西条からの帰りの電車はコンクール帰りの高校生や保護者で朝以上に満員で、下らない俺のクイズに答えたご褒美に出河にボックスシートの前向き窓側の座席を必死に確保してやり、俺もその通路側に座ったら、疲れが噴き出たのか、あっという間に眠りに落ちてしまったのだった。
目が覚めたのは五日市駅に着く直前で、それも五日市で降りる太田や大上に起こされて目が覚めたという状態だったので、起こされなければそのまま寝続けて、寝過ごしていたかもしれない。
「上井、よぉ寝とったのぉ。疲れたんじゃろ。家に着くまでがコンクールじゃ、もう少し頑張ってくれや」
とは大上の言葉。
「上井くん、お疲れ様。寝顔見ちゃったよ~。でもイビキはかいとらんかったけぇ、安心しんさいね。じゃあまた明日、高校でね。バイバーイ」
とは太田の言葉。
そんな言葉に、寝ぼけた状態だったのでまともに返事出来なかったのが悔しかったが、西条発車直後から五日市までだと1時間弱は寝続けただろうか?お陰で少し体は楽になった気がした。
「先輩、俺に窓側の前向きの席を確保して下さったのは嬉しかったんですけど…」
出河が意味ありげにそう言った。
「お、おはよう…。俺が寝てしもうたせいで、迷惑掛けた?」
「はい…。実は…。途中でトイレに行きたくなったんですけど、大変でした」
「そっか、悪かったね。いや~、俺も電車は好きな方じゃけぇ、帰りはセノハチを走っとる時とか、楽しみにしとったんよ。五日市っつーことは、もうセノハチは過ぎた?」
「セノハチってなんですか?蜂の一種ですか?」
「あぁ、分からんか、すまんね。鉄道用語みたいなもんよ」
「俺も鉄道は嫌いじゃないけど、セノハチは知りませんでした、スイマセン」
「いや、出河が悪いわけじゃないけぇ、気にせんでええよ…」
その内列車は廿日市に着き、ここで大量の部員が降りて行った。出河もここで降りる。
出河以外の部員も俺に向かって頭を下げて降りていくので、お疲れさんという言葉と、明日は朝10時集合~とだけ繰り返し伝えた。
一気に廿日市でお客さんが減ったら、西廿日高校の吹奏楽部員が、なんとなく俺の座っていたボックスシート付近へと集まり始めた。
「先輩、お疲れ様!ずーっと寝とったんです?」
そう声を掛けてくれたのは、若本だった。
「そうなんよ…。緊張が解けたらこんなもんじゃね」
「先輩の緊張感は…多分昨日からずーっと続いとったんじゃないかな?って思うんですよ。じゃけぇ、残念ながら銀賞って結果が出て、ガクッと緊張が抜けたんじゃないかな…」
「昨日から?うーん、そうなんかなぁ」
「そうそう、センパーイ!アタシがつまらんことで電話したのも、良くなかったかもね?」
そこへ若菜が乱入してきた。
「いや、若菜の電話はつまる内容じゃったけぇ、助かったくらい」
「ホンマです?嬉しいな~」
「アタシは重たい女になっちゃってた…先輩、ごめんなさい」
「ええんよ。そのお陰で今日はバリサク、頑張れたんじゃろ?」
「…1箇所、見逃しちゃった所があって…それさえなければ…」
「若本もあるんかい。みんな1箇所はミスっとるなぁ」
「先輩も?」
「もちろん!」
「そんなに胸を張らんでも…」
「風紋のラストで、盛大に空振りしてしもうたんよ」
「あー、上井くん、やっぱり?実はね、アタシは気付いとったんじゃけど、上井くんを傷付けるかなと思って黙っとったん。でも自白したけぇ、もう触れてもええよね?」
続けて参入してきたのは、広田だった。さすが打楽器歴が長いだけあって、本番中でも周りをちゃんと見ているのだろう。
「広田さんにはバレとった?アハハッ、今は結果が出とるけぇ笑えるけど、失敗直後は動揺しまくったよ~」
「じゃろうね。上井くんの初陣じゃもん。自由曲より風紋の方を熱心に練習しよったもんね。暗譜出来たんじゃない?って思うほど」
「うん、上井くんは風紋に全てを掛けとったね。自由曲は少し…手抜き?練習の時より元気が無かったような気がしたよ」
宮森先輩も参入してきた。
「いえ、手抜きというより…本番では、風紋の失敗が尾を引いてた、の方が正しいかも、です」
「そっか~。でも上井くんはまだまだ名誉挽回のチャンスがあるじゃん。残念ながらアタシや田中さんはこれで終わりじゃけぇ、上井くんは来年もコンクールまで出て、今年の屈辱を晴らすんよ?」
「はっ、はい。多分、春で引退はしないと思いますんで…」
そんな会話をしていたら列車は宮島口に着いた。
「じゃ、上井くん、あと2駅?寝ちゃダメよ。バイバーイ」
とは広田の言葉。
「先輩、玖波まで起きてて下さいよ?」
とは若本の言葉。
この2人以外にも声を掛けてくれた部員はいたが、最後は若菜が、
「アタシが責任持って玖波で降ろしますんで」
とか言って、下車組を笑わせていた。
下車組がホームで手を振り、引き続き列車に乗る俺達も手を振った後、更にお客さんが少なくなった車内で、他の部員も周りに集まって来た。
「先輩、赤城は悔しいですよ!」
「お、隊長!悔しいか?」
「当たり前じゃないですか!唇晴らして、大上先輩にしごいてもらったのに、なんでシルバーなんですか!」
「赤城はミスせんかったん?」
「…ちょっと風紋のスローテンポなフレーズで、ミュートのタイミングに乗り遅れました…」
「ミスしたんじゃね。まあ、いいよ。そんな悔しさが、また赤城隊長を成長させてくれるんじゃけぇね」
「でも赤城は、部長が上井先輩の今年だからこそ、ゴールド獲りたかったです!」
「ん?なんで?」
「だって先輩、アタシらの代が迷惑掛けたせいで、コンクール直前に打楽器に移るっていう、滅多にあり得ないことをしなくちゃいけなくなっちゃったじゃないですかっ」
「いや、赤城は責任を感じんでもええんよ?退部した1年が多かったのは、俺のせい…」
「いえ、同学年のアタシらが、もっと初心者の子をケアして上げれてたら、こんなドタバタは起きなかったんです。トランペットも2人抜けちゃったけぇ、デカいことは言えんのですけど…」
「…赤城の気持ちは嬉しいよ。そんなドタバタを乗り越えて、ゴールドに辿り着きたかった、そんな意味じゃろ?」
「…はい」
「やっぱ現実は厳しいよな~。1ヶ月ほどの即席栽培のティンパニーなんて、すぐプロの目を持つ審査員には見抜かれちゃうよ。じゃけぇ、来年はもっと落ち着いた状態で、直前にドタバタすることなく、コンクールに臨みたいね、色々な意味で」
「上井先輩…。あの、来年もコンクールまで、残って下さいね?春で引退せんとってほしい…」
「あっ、まあ…。みんなに嫌がられて、もう来ないでくれって言われん限りは、出たいと思うとるよ」
「やったー!先輩がおってくれたら、勇気が出ますよ!じゃ、そろそろ大野浦なんで、大野浦駅隊長の赤城は降ります。先輩、あと1駅、起きとって下さいね」
「分かったよ。お疲れさん、ありがとう」
宮島口から大野浦までは、ほぼ赤城と会話していたが、大野浦では赤城の他に宮森先輩も降りられるので、せめて一言謝意を伝えたかったが、ドアが閉まる寸前で声を掛けることが出来た。
「宮森先輩!ありがとうございました!」
「上井くん、こちらこそ~。気を付けてね、お家まで」
そしてドアが閉まり、列車は次の玖波へ向けて発車した。
「よう、上井。お疲れ」
「あ、村山か。何処におったん?」
「お前の真裏。じゃけぇ、分からんのも無理はないよの~」
「裏までは見とらんけぇね。大竹チーム、みんな乗っとる?」
「…一部脱落者がおる」
「えぇ?マジか…」
だが俺は一瞬、それが伊野沙織なら助かる、と思ってしまったのも事実だった。
「脱落者は分かる?」
「まあ、俺には一言言って、広島で降りたけぇな」
「広島で?俺は爆睡中か…」
「そうらしいな。で、脱落者…っつーか途中下車組は、大村、神戸、伊野の3人じゃ」
「そっか…やっぱり…」
本当ならここで怒ってもよいのだろうが、該当者がいないのに怒っても意味がない。
意味がない以前にその3人に対して注意出来るかというと、部長として情けないが、出来ないのも事実だった。
「広島で降りる時、なんか、言うとった?」
「ん?お前に対して、って意味か?」
「まあ…」
「…んー、特に何も言うとらんかった…」
「ふぅ、そうか…」
その3人には注意出来ないのも事実だし、積極的に喋りたい訳ではないが、コンクールからの帰りに勝手な行動を、それも2年の役員が行っていたということに対して、俺は腹が立った。
嘘でもいいから、俺が寝てたから、理由があって広島駅で途中下車するけど、声は掛けられなかった、だから代わりに村山に一言申し伝えた、そういう背景が欲しかった。
(不覚だな…。爆睡したことと、役員の身勝手な行動を結果的に許したことは…)
「…複雑な表情だな、上井」
「そりゃあ…。色々あった締めが、役員の身勝手な行動かよ、ってね」
ちなみにこの途中下車の結果、今車内に残っているのは、俺と村山、若菜と高橋という4人になっていた。
玖波駅下車組は俺1人だ。
「玖波まで残り少ないけどさ、明日の部活で俺はこの3人の途中下車を注意するべきだと思う?そんなことは止めとくべきと思う?」
「難しいな…。3人ともお前と因縁のある相手じゃけぇのぉ…」
「もし村山が部長だったら、で考えてみてくれよ」
「そうじゃなあ…。みんなの前では注意せんけど、個別に一言は言う」
「うーん、なるほどね」
「言っちゃ悪いが、大村は最近少し丸くなったとはいえ、みんなの前でそんなことを指摘されると、ブチ切れそうじゃろ。じゃあ大村だけ特別扱いして女子2人をみんなの前で注意したら、それはそれで差別だなんだって話になるしな」
「はぁ…。確かに。一理も二理もある。1年生はしっかりしとるのになぁ…」
「ま、とりあえず明日、あいつらが何か言うて来るかどうか、待ってみりゃどうや?何もアクションが無けりゃ、とりあえず大村だけ呼び出して、事情を聞くとか」
「…そうやな。それぐらいしか手が打てんのぉ」
列車は玖波に着いた。
「じゃ、また明日…」
「おう、元気出せよ!」
「センパーイ、お疲れ様でした!」
最後の若菜の屈託ない笑顔と言葉が身に沁みた。
そんなコンクールの帰り道だったので、次の日の部活に向かう足取りが余計に重たかったのだ。
そして音楽室。既に何人か到着していて、楽器の片付けに入っていた。
「お疲れ様~」
俺は音楽室に入る前に気持ちを無理矢理切り替え、明るい雰囲気に変身した。つもりだった。
「おはよー、上井くん。ちゃんと玖波まで起きとった?」
広田が声を掛けてくれた。やはり高校まで徒歩2分というのは、こんな時に有利だよな。
「起きとったよ!その代わり、家に着いたら爆睡じゃったけど」
「アハハッ、それはええんじゃないん?とりあえず打楽器は片付けるものが沢山あるけぇ、頑張ろうね」
「よーしっ!疲れた老体に鞭打って頑張るけんね!」
「老体って…アタシも同い年なんじゃけど…」
「こりゃまた失礼しましたっ!」
そんなやり取り後に打楽器を片付け始め、少しずつ部員も音楽室に集まり始めたが、俺が気にしている大村と神戸、伊野の3人は、定刻の10時を過ぎても姿を現さない。
村山は
「寝坊した!わりぃ、みんな」
と言いながら、10時5分頃に音楽室に来たので、多分俺より1本か2本後の列車出来たのだろうが…。
(3人とも、サボるつもりか?)
<次回へ続く>
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