第92話 束の間の休息

 予定時刻を少し過ぎた3時40分頃、昭和62年夏の広島県吹奏楽コンクール高校A部門の出場団体の演奏が全て終わった。


 俺は途中休憩もあったが、基本的にずっと伊東、村山の2人とともに、午後の部を鑑賞していた。


「只今より審査に入ります。審査時間中は休憩時間となりますが、各校の部長、副部長さん、または代表の方は、表彰式10分前にアナウンスを入れますので、そのアナウンスが入りましたら舞台に向かって左横の袖にお集まり下さい」


 場内にはそのようなアナウンスが入り、客席で聴いていた各校の生徒達が一斉に外へと出た。


「ふぅ…」


 俺はパンフレットを改めて眺め、午後からの部だけでもゴールド金賞がいくつもあるような気がして、午前中の西廿日高校はもうそれだけで不利なような気がしてしまっていた。


「上井!暗い顔すんなや。お前が暗いと、みんな暗くなる。お前が明るいと、みんな明るくなる。じゃけぇ、どんな辛いことがあっても、俺らの前では明るく過ごしてくれや」


 と珍しく伊東が、励ましてくれた。


「お、おぉ…。ありがとね」


「伊東もええこと言うやん」


 村山が茶化すと、


「一応俺も2年目じゃけぇの!コンクールでどう過ごせばええか、去年よりは分かっとるつもりじゃ」


 伊東を1年の時、無理やり吹奏楽部に誘って良かった…と思う瞬間だった。


 俺は1年の部活動見学時期の際に、俺の前に座っていた伊東、俺の後ろに座っていた大村を半ば強引に吹奏楽部に誘ったのだが、大村はクラスで隣に座っていた神戸に一目惚れしていたからか、即決で入部してくれた。もっともその時は大村の心中などは全然知らなかったので、一時は大村を誘ったことを激しく後悔したものだ。


 伊東は最初は乗り気ではなかったが、サックスならカッコ良さそうじゃけぇやってみたい、という言葉を引き出し、サックスに連れて行ったら前田先輩と出会い、アタシの後に続くテナーの子がいないのよ…という言葉にKOされたのか、俺がテナーの後継者になります!と宣言し、無事に入部してくれることになったのだった。


 実際は前田先輩には彼氏がいて、伊東はいつも振り回されてばかりだったが、それでもいつしか吹奏楽部全体のことを考えるようになってくれ、ちょっと変わった視点でユニークな、しかし前向きな意見を言ってくれるようになった。


 その前田先輩は、彼氏とこの夏の合宿中に電話でケンカして別れてしまった…と俺に打ち明けてくれ、不思議なことに俺が慰め役を務めたのだが、その後前田先輩と話す機会がなく、コンクールのために限定復帰してくれた後、どうされるのか、改めてお話したいと思ってはいるのだが…。


「上井は外へ出るん?」


 伊東が聞いてきた。


「うーん、いつ呼び出し受けるか分からんし、とりあえずここにおるよ。大村見掛けたら、アナウンスがあったら舞台袖に来いって伝えといて~」


「大村でええん?神戸は?」


「へ?」


「男2人で賞状もらいにステージに上がっても、絵的に面白くなかろう。神戸と上がれば?」


 突然伊東がそんなことを言うのでビックリしたが…


「伊東さんよ~、俺と神戸の関係性を…」


「知っとって、敢えて言ってみた。やっぱり気が乗らんかぁ」


「乗る、乗らん以前の問題…」


「じゃあ俺も無理は言わんけど。でもそろそろ、神戸への制裁措置を緩和してもええんじゃないん?向こうは結構上井のこと、見てるぜ?」


 こうやって、一見部内の状況などには無関心なようで、実は細かな人間関係等を気にしているのが、伊東という男なのだ。

 隠れファンが多いのも納得だ…。


「う、うん…」


「まあこれも、俺が無関係な他人じゃけぇ言えるんよの~。当事者の上井には、まだ俺らには分からん壁とか色々なものがあるんじゃろうし」


「いや、気にさせちゃって悪いね。出来ればこんなことは中学で打ち切って、高校では気分一新したかったんじゃけど」


「まあ俺らが1年7組末永組になったのが、良かったんか悪かったんか…。俺は良かったけどな。上井に誘ってもらわんかったら、こんな世界があるなんて知らずに帰宅部じゃったろうし」


「そう言ってもらえると嬉しいよ」


「じゃ、俺は他校の女子をナンパしに行って来るけぇ。また後で!」


 伊東はキャラを守り抜いて、外へと休憩に出て行った。村山は…と探してみたが、いつの間にか外へ出たようで、俺の周りは誰も知った顔がいなくなっていた。


(まあ、その方がいいか…)


 場内はザワザワしていて、人の出入りが激しいが、少しずつ高校毎に固まって座っているのが見えるようになってきた。


(ありゃ、俺らも表彰式の時は固まって座るように言えば良かったかな…)


 どんどんと高校毎の塊が出来上がりつつあるのを後方から眺めて、俺はちょっと後悔した。


 だが…


「ここにおった!セーンパイ!西廿日高校はこの辺りで集まればええですか?」


「えっ?」


 その声に振り向くと、神田と若菜と赤城の、元気な1年女子トリオがいた。


「おっ、元気な3人娘、お疲れさんじゃね」


「いえいえ、アタシ達は先輩より若いですから、疲れてないでーす。元気一杯ですよ!」


「若いって、1年かせいぜい2年…」


「ん?なんか言いましたぁ?」


「いえっ、ワタクシは何も…」


「じゃ、とりあえずこの辺に集まるように、みんなに言って来ますね!」


 と言って、神田がロビーへと駆け出して行った。残った赤城と若菜が、俺の話相手になった。


「センパイ、ウチら、ゴールド金賞獲れますよね?」


 若菜がそう言う。若菜も中1の時に、緒方中学校でB部門の金賞を獲って以来、ずっとシルバー銀賞が続いているはずだ。去年のコンクールでも、緒方中の結果は気になっていたが、金ではなかったのを覚えている。


「も、もちろん…」


「あれ?センパイ、声が弱々しいんじゃけぇ…。ここは部長として、当ったり前よ!って言ってくれんにゃあ」


「あ、当たり前田のクラッカー…」


「ププッ、何世紀前のオヤジギャグ言ってるんですか、先輩は!」


 今度は赤城の洗礼を受けることになった。


「何世紀って、1世紀前には前田さんもクラッカーさんもおらんと思う…」


「キャハハッ!先輩、ギャグを言おう精神は健在で良かった~。正直、アタシ達、出来は昨日のリハーサルの方が良かったって思うくらいで、口ではゴールド!って言ってますけど、実際は難しいかな…って思うとるんです。でも、やっぱり、上井先輩みたいに面白い先輩がおる西廿日の吹奏楽部に入って良かったな、って」


「そう?」


「アタシ、実は結構悩んだんですよ。知らんかったでしょ?ワカちゃんには合宿の時に言うたけど、廿日高校にするか、西廿日高校にするか、願書出すギリギリまで迷っとって」


「そうなんじゃ?そういえば初めて聞くね、赤城の進路決定の話は」


「でしょ?アタシ、先輩らに話すのは上井先輩が初めて…かな?大上先輩には言ってないし、村山先輩にも言ってないし」


「そんな貴重な話を俺なんかにしてもええん?」


「上井先輩じゃけぇ、ええの!でね、アタシが西高に決めたのは、やっぱりアタシでまだ5期生っていう新しさと、新しい高校なら、楽器も新しいんじゃないかなっていう直感!あ、若本はね、バリサク狙いよ」


「そっか~。俺も似たようなもんだよ。若本には去年の体育祭で、バリサクを狙うって宣戦布告を受け取るけど」


「先輩は本来はバリサクじゃもんね。パーカッションに行かなくちゃいけんようになって、悔しくなかったです?」


「悔しいのは…バリサクを吹けんようになることじゃなくて、1年生が一気におらんようになったことじゃったよ…」


 俺は思わず本音を口にした。


「わっ、そうか…。先輩の立場になると、楽器よりも先に、部活全体のことを考えるんじゃ…。赤城、勘違いしてました、スイマセン」


「いやいや、ええんよ。そこは1年若い気持ち?その気持ちを大切にしてほしいし。部の運営で悩むのは、俺とか福崎先生だけでええんよ」


「カッコいい~!なのになんで先輩は、同期の女子の先輩と仲が悪いんです?」


「へ?仲が悪いように見える?」


 赤城にはそう見えるのか…と、俺は認識を再確認した。一部を除いて、同期とは仲は悪くないと思っているが…。


「いや?別に悪くはないと思うけど…」


「だって…。部長さんなのに、副部長の神戸先輩や会計の伊野先輩なんて、全然上井先輩と話そうとしないじゃないですか?同じ役員なのに。先輩が話せる女子の先輩って、アタシが知ってるのは野口先輩と…広田先輩だけじゃないです?あ、末田先輩も加えとこ」


 俺は苦笑した。だが後輩からはそう見えているんだ、というのは、肝に銘じなくてはいけない、とも思った。


「センパイは女で苦労したけぇ、もう懲り懲りなんでしょ?」


 若菜がそこで口を挟んで来た。


「え?ワカちゃん、そうなん?」


「実はね…」


 若菜が色々と俺と神戸の関係について話し始めそうだったので、俺は全力で止めにかかった。


「わーっ、若菜!俺の過去については、関係者以外立ち入り禁止!」


「え?なんでです?」


「い、いや…。これから表彰式じゃろ?気分よくステージに上がらせてくれよ~」


「はぁ…。でも、関係者ってなんです、関係者って?」


「関係者?…俺の同期か、俺と同じ中学出身者」


「えーっ、じゃあ赤城は無関係者ですかっ!」


 赤城が腑に落ちないという顔で責めてきた。


「いっ、いや、関係者…は…変な限定しすぎたな、うん…。赤城にもいつか教えちゃるけど、今はちょっと止めてくれ、って意味。ユーノウ?」


「プッ、なんで最後は英語なんですか。まあいいや、上井先輩じゃけぇ、許してあげる。いつかその緊張感漲るエピソード、赤城にも教えて下さいね!ワカちゃんだけが知っている…ってのは悔しいけぇ」


「分かった、分かった」


 そんなやり取りをしている内に、徐々に西廿日高校の部員が集まって来た。神田がスピーカーになってくれたのだろう。


「あ、上井くん、こんな後ろにおったん?じゃあ分かる訳ないわ」


 と言って下さったのは田中先輩。


「上井くん、こんな後ろで、孤独じゃったんじゃないん?」


 と言って下さったのは、前田先輩。


「お疲れ様です。3年の先輩方は、どの辺りにいらっしゃったんです?」


「結構前の方よ。空いとったけぇね」


「前の方は空いとったんですね。俺、ギリギリまでロビーにおったもんで、空席がすぐ分かんなくて、伊東と村山がいたこの辺に座ったんです」


「ほうね?そりゃ勿体なかったねぇ、残念無念…」


 田中先輩が微妙な言い方で残念だった…と伝えて来る。なんなんだ?


「田中さん、上井くんには刺激強いよ。秘密にしとこ?」


 前田先輩が重ねるようにそう言う。なんだ、一体なんなんだ!


「あの…お2人して、一体何を…」


「後でね!上井くんはそろそろステージ横に行ってらっしゃい」


「えー?」


 間髪入れずに、場内には表彰式10分前です、各校の代表の方2名、ステージに向かって左横にお集まりください…とアナウンスが流れた。


「むーっ、先輩!帰りの電車で教えて下さいよ!」


「アハハッ!分かったから。じゃ、気を付けてね~。ゴールドの盾を持って帰って来てね~」


 一体何なんだ!俺は不可思議な気持ちのまま、各校の代表らしき人物が集まっている付近へと足を進めた。


 だがその場で起きたことは…


<次回へ続く>

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