第91話 昼休み
コンクール当日、俺は母に叩き起こされて起き、慌てて家を出たため、ウッカリ母が作ってくれていた弁当を持ってくるのを忘れていた。
(確かテーブルの上に弁当箱が用意してあったよなあ…。失敗した…。母さん、ごめん!)
一応万一に備えてということで、財布にいくらかお金は入っているが、会場近くのコンビニを探してみたものの、既にパンや弁当の棚はスッカラカンになっていた。
(何も食うものがない…)
諦めて、自販機で飢えを凌ぐことにし、昼用にアクエリアスを1本買い、昼休憩中にロビーで飲むことにした。
ベンチに座っていると、沢山の高校生が入り乱れている。
(ゴールドはやっぱり難しいかなぁ…)
昼休憩前に広島市内の入船高校の演奏を聴いた時は、僅かだけ持っていた希望を打ち砕かれたような気分になった。
同じ高校生とは思えないほど、レベルが高いのだ。
課題曲こそ「風紋」ではなく、コンサートマーチを演奏していたが、課題曲を軽めの曲にし、代わりに自由曲に「アルメニアンダンス・PART1」という難曲をぶつけていた。
演奏が終わった瞬間の拍手が、それまでの義理の拍手ではなく、凄いものを見た!と言わんばかりの拍手だったのを感じ、完敗だ…と思った。
そこへ、昨日久しぶりに再会した、廿日高校の武田美香が通り掛かり、声を掛けて来た。
「あっ、上井くん、お疲れ~。残念ながら西廿日の演奏に間に合わんかったよ。片付けて会場に入ったら、丁度西廿日の本番のタイミングでさ。終わるまで中に入れんけぇ…。音だけは微かに聴こえたんじゃけどね。じゃけぇ、上井くんのティンパニーの勇姿は見れんかったよ」
「武田さんもお疲れ様。俺らの演奏は見れんかったんじゃ?その方が俺は良かったよ、ミスしまくりじゃったけぇね…。武田さんも早朝から疲れたじゃろ?」
「まあね。3時半起きじゃったんよ!で、初めて始発に乗ったけど、結構お客さんがおるもんじゃね。それにもビックリ」
「へぇ。始発がなんであんなに早いんかと思いよったけど、やっぱり需要があるから、なんじゃね」
「そうみたいね」
「で、出来はどう?感触として…」
「うーん、トップバッターじゃけぇね、なんとも分からんけど。ただ会場は寒々しかったよ~」
「トップバッターならではの感想じゃね。でもウチは廿日にはやっぱり勝てんじゃろうな」
「そんなの、結果発表まで分かんないよ。ウチだって最初じゃけぇ、審査員に厳し目に採点されとる可能性があるけぇ、発表が怖いもん」
「またまたご謙遜を…」
「でもお互い、満足できる結果になればいいね。じゃあ、また後でね」
と言い、武田は廿日高校の集団へと戻っていった。
(ああやって眺めると、別に普通の女子高生たちなんじゃけどなぁ。山神さんには合わんかったんかなぁ)
ふと中学時代のアイドル、山神恵子と再会した際、廿日高校吹奏楽部はコンクール金賞至上主義で、楽器を吹いてても面白くないから一ヶ月で辞めた…と言っていたのを思い出した。
(厳しくて常に金賞目指すのと、多少成績はイマイチでも雰囲気が良い部活と…どっちがええんかなぁ)
俺はどちらかと言えば、雰囲気作りを重視していた。雰囲気が良ければ結果も付いてくる、と信じてのことだが、厳しくても結果が確実に上位を狙える位置ならば、厳しさにも耐えられるのかもしれない。
(でも今更…俺は厳しい部長になんか、なれないや)
行き交う高校生を眺めながら、2本目のアクエリアスを買おうとしたら、夏服のカッターシャツを引っ張られた。
(この引っ張り方は…)
「野口さん?」
「当ったりー。もうバレバレじゃよね」
「うん、鈍感でオクテな俺が覚えたくらいじゃけぇ」
「別の方法を編み出さなくちゃね。今、上井くん、忙しい?」
「いや?全然。昼飯持ってくるのを忘れたけぇ、アクエリで空腹を凌ごうとしとるところ」
「お昼、忘れたん?えー、早う言うてくれりゃあアタシのお弁当、少し分けて上げたんに」
「ハハッ、ありがとう。でもさ、部員のみんなに、俺は弁当忘れたんで何か恵んで下さーい!…なんて呼び掛けれんって」
「アハッ、そうじゃね、確かに」
「ま、とりあえず座ろっか」
さっきまで俺が座っていたベンチは、別人に取られてしまったので、他のベンチに座った。
「まずはお疲れ様。カンパーイ」
野口も缶コーヒーを買っていたので、俺の2本目のアクエリアスと、缶と缶をぶつけて乾杯した。
「上井くんとは随分話しとらん気がするよ」
「え?昨日の夕方、俺が音楽室に1人で残っとった時、財布を忘れたーって走り込んで来たじゃろ?」
「だって、それからが凄ーく長ーく感じたんだもん」
「まあ、コンクール本番を挟んどるけぇね。時間は長く感じたかもしれんよね」
「でしょ?上井くんは演奏以外にも色々あったし、大変じゃったよね。本番は上手く叩けた?」
「いや…。ダメダメだよ。本番に弱いタイプかもしれん。野口さんはどうじゃった?」
「アタシ?アタシは…可もなく不可もなく、かなぁ」
「無難じゃね。まあまあ練習通りに吹けたんかな?」
「うーん…。誤魔化せた、って言った方が合ってるのかな、もしかしたら」
「誤魔化しもテクニックの一つじゃと思うよ、俺は。管楽器ならそれが出来るけど、俺は風紋で致命的なミスをしてしもうたけぇね…」
「あっ、もしかしたら…。でも、アタシはそれがどこだったとか、言わないよ。言ったらまた上井くんをネガティブの沼に落としてしまうけぇね」
「ハハッ、見抜かれとるし」
「だって…。多分アタシが一番、同期の女子で上井くんと喋っとるでしょ?上井くんのことならお見通しよ」
「同期の女子…。そうやね。最近広田さんとよく喋るようになったけど、それは打楽器に移ったからだし」
「逆に一番話してない同期女子は…」
「そんなの言わんでも分かるじゃろ?お見通しなら」
「チカだよね?」
「その通り、仰る通り」
野口は何をメインに、俺に話し掛けてきたのだろうか。
「サオちゃんは…去年のコンクールまでは喋れてたもんね」
「あの人は…ま、そうだね。俺が勘違いするくらいに色々話せてたから」
「勘違い…かぁ。それ以来さ、上井くんは女の子に恋してないの?」
「ストレートやなぁ。うーん…。なんかね、女の子を好きになっても、どうせまた断られるんじゃないかとか、自分に自信が持てなくなっとるんよ」
「そ、そんなこと、言わんとってよ。上井くんは…頑張っとるし、いつもみんなのために自分を犠牲にしとるのも知っとるし、見る人はちゃんと上井くんを見とるけぇ、きっと運命の赤い糸は誰かと繋がっとるはずよ?」
「どうじゃろうね。でも野口説に合わせると、赤い糸の先におるのは、神戸さんでも伊野さんでもない、別の女の子ってことになるんかな?」
「いっ、今はね」
「今は?へっ?赤い糸の先の人って、その時々で変わるん?」
「そりゃあ…。人生、予期せぬ出来事に遭遇することもあるじゃろうし。そんな時は変わるのかもしれない…」
「なんか野口さんらしいね。ありがとう、励ましてくれて。なんとか高校生の内に、彼女って存在が出来ればええんじゃけどね」
「…その気になれば…」
「ん?何て言ったの?」
「あー、聞こえんかったんなら、いいの。もう言わんけぇ」
「そんなこと言われたら余計に気になるんじゃけど?」
「あの、アタシの独り言じゃけぇ、ホンマに気にせんとって?じゃあね!」
野口はそう言うと、慌ただしく会場内へと入って行った。
(なんなんじゃろ。気になるなぁ、意味深なセリフ…)
と言っても、昼休憩はそろそろ終わりの時間を迎え、午後の部が再開されようとしていた。
俺も引き続き他校の演奏を鑑賞すべく会場内に入り、男子軍団がいないか探してみた。
「お、上井!こっちこっち」
と声を掛けてくれたのは、伊東だった。
「おお、ありがとう。…他の男子は?」
「1年は1年だけで固まっとる。村山はトイレ。大村はお察し下さい。山中と大上も…お察し下さい、じゃな」
「はぁ…ええなぁ。俺もお察しされたいのぉ」
「上井は変に彼女とかおらん方がええ、俺はそう思う」
「お?なんで?」
「部長として、特定の女の子に肩入れしちゃいけんけぇの!」
「合ってんのかどうなのか分かんない…」
その内村山も戻って来て、2年の男子3人で午後の部を鑑賞することになった。
「午後のトップは…わ、いきなり元町かぁ」
と俺が言うと、
「俺は元町は、やたらとクラが揺れとるイメージしかないのぉ」
と伊東が言った。
去年のコンクールでのイメージだろう。とにかくクラリネットパートが、曲に合わせて一糸乱れぬ動きをしていて、俺もそれが印象に残っていた。勿論演奏も上手くて、ゴールド金賞を確実にゲットしていったが…。
「今年はどうなんかな。揺れるんかな」
「まあ、上手いのは間違いないじゃろうね」
村山がそう言うと、部員が舞台袖から現れ、徐々に雰囲気が変わって来た。
「課題曲は…おっ、風紋やるじゃーん。自由曲はよう知らんけど。風紋はしっかり聴かせてもらおうか」
伊東らしさ全開の言葉を聞いたところで、午後の部が正式に始まった。
(元町もゴールドだろうなぁ。何とかウチも食い込めんかなぁ…)
入船高校の演奏で打ちのめされていたが、やっぱりこの夏を捧げたコンクールで上位に入りたい、そんな思いが俺の中から抜けなかった。
<次回へ続く>
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