第90話 アフターコンクール

 俺が昭和62年の夏、全力を注いだ吹奏楽コンクールの本番が、あっという間に終わった。


 課題曲の「風紋」と、自由曲の「オーストラリア民謡変奏組曲第3楽章、第4楽章」、約12分の本番。


 終わった直後はテンションが上がっていて、全員揃っての記念撮影にも元気に臨んだが、楽器を素早く撤収しトラックに載せ、トラックだけは先に高校に帰らねばならないという現実に直面した時、後から後から湧いてくる悔しい気持ちを抑えられなかった。


(なんでティンパニーが主役のフレーズで失敗したんだ…)


 それは課題曲の「風紋」の終盤、エンディングを迎える為に用意されたティンパニーのソロと言ってもいい、一番しっかり叩かないといけないフレーズだった。

 俺はそこで、フレーズの頭の部分を空振りしてしまったのだ。


 他にも、強く叩き過ぎて他の楽器の音を目立たなくしたり、自由曲の調音に失敗して半音高い状態で叩いてしまったり…。


「皆さん、楽器をトラックに載せたら、先生から指示がありますので、聞いて下さーい!」


 部長として空元気で大きな声を出したが、前日のリハーサルよりも下手な演奏をしてしまったことに、俺の心の中は荒んでいた。


「高校へ持って行く楽器は全部載せたか?じゃ、先生から一言。みんな、お疲れさん」


 ハイ!


「コンクールの本番が初めてという部員もおれば、これで最後という部員もおる。つまり、今ここにいるメンバーでもう一度コンクールに出るには、ゴールド金賞を獲って、更に中国大会に推薦されなくちゃいけない。どうだ?みんな、手応えはあるか?」


 福崎先生の問い掛けに対しては、俺を含めて誰も返事をせず、その場が静まり返っていた。


「…なんだ?みんな、そんなダメな演奏したのか?」


 俺が一番本番でやってはならないミスをした張本人だが、部長として現場を引っ張る責任がある。


「いえ、今出来る精一杯の演奏をしました!皆さん、そうですよね?」


 やっと何人か反応してくれたが、言葉にはせず、相変わらずその場は静かなままだった。


「おいおい、嘘でもいいから頑張った!とか言ってくれよ。じゃないとこの夏のみんなの頑張りは無かったことになっちゃうぞ?」


 先生がそう言い、やっとポツポツと、頑張れるだけ頑張りました、精一杯吹きました…という声が聞こえてきた。


「…まあ、先生の気持ちとしては、残念ながらゴールド金賞はちょっと難しいかな、と思う。じゃが、文化祭からたった2ヶ月で、1年生が大量にいなくなったりした状況で、よくここまで仕上げられた、先生はそう思う。みんな、本当によく頑張ったぞ。自慢の部員だ」


 先生は努めて明るく話されたので、その言葉を聞いて泣き出す女子部員もいた。


「まあ結果は神のみぞ知る、ということで…。上井、結果発表は何時だ?」


「えーっと、午後4時です」


「4時に、みんながこの夏頑張った成果が発表される。先生はトラックと共に高校に戻らんといかんけぇ、ここでみんなとはお別れになるが、上井、結果が分かったら高校へ電話して、俺に繋ぐようにしてくれるか?音楽準備室で待機しとるけぇの」


「はっ、はい。分かりました」


「じゃあ、明日また音楽室で会おうな。みんな、家に帰るまでがコンクールじゃと思って、怪我の無いように、気を付けて帰ってくれよ」


 ハイ!


 …という返事だけは、みんなしっかりと返していた。


「上井、この後の引率も大変かもしれんが、頼んだぞ」


「はい。まあ本番は終わりましたんで…。皆さん、一応今後の指示をしますんで、先生がトラックで出発されたら、会場のロビーに集まって下さい」


 ハイ!


 俺の問いかけにも返事はあるが、本当は俺はこのまま1人になって反省したい心境だった。


「それじゃあな。運転、頼むよ」


 先生は運転席で待機していた先生の知り合いの方に一声掛け、トラックを発進させた。


 先生を乗せたトラックがみるみる小さくなっていくと、何人かの女子部員は再び泣き始めた。

 演奏をミスした、という自責の念が強いのだろうか…。


「…えーっと、とりあえずここには別の学校のトラックがすぐに来ますので、皆さんは会場に入って演奏者用のパンフレットをもらって、ロビーに集まって下さい」


 本番前の元気漲る様子は微塵もない状況で、部員は少しずつ動き始めた。

 そんな部員を見守る俺が、本当は一番懺悔しなくてはいけないのだが…。


「上井、お疲れさん」


 大村が声を掛けて来た。


「あ、大村。管楽器のリーダーを急に頼んで悪かったね」


「いやいや、そんなのは大したことじゃ無いけぇ、気にせんでええよ。それより上井、大丈夫か?」


「俺?」


 大村は気付いていたのだろうか。俺が本番中にミスしたことを…。


「まあ、あまり大丈夫じゃないけど大丈夫」


「なんやそれ。でもティンパニーはホルンの真後ろじゃろ?上井の声が聞こえたんよ。『アッ!』とか『マズイ!』とか」


「えぇっ?俺、無意識に声が出とったんじゃ?」


 数か所失敗した所で、どうやら俺は自分でも気付かず、思わず声が出てしまっていたようだ。


「うん。まあ、ffの部分じゃったけぇ審査に影響はないと思うけど。でも上井、練習で出来たのに本番で出来ん事って…あるよなぁ…」


 意味深な大村の言い回しに、俺はすぐには返事が出来なかった。


「……その通り。昨日はなんともなく叩けたのに、本番で失敗するって…。本当は俺がみんなにロビーで土下座したいくらいじゃ」


「そ、そんなこと言うなよ。それなら俺だって、昨日は出せた自由曲のハイトーンが、今日は出んかった…。悔しかったよ」


「そっか、大村もか…」


「気にすんな、上井。逆にこの状況は、みんながみんな、自分の失敗を悔やんでお通夜みたいになっとる状況ってもんだ。誰が悪いとか、そんなことは言いっこなしで、とりあえずいつもの上井節で今後の予定をみんなに伝えてくれよ」


 大村はそう言って、俺を元気付けてくれた。正直、助かった。


「ああ、俺が率先して落ち込んじゃ、いかんよな。ありがとう、大村」


「そうそう。上井は元気でなくちゃ、な」


 俺は何とかテンションを戻し、受付で演奏者用のチケットと引き換えにパンフレットをもらい、西廿日高校吹奏楽部員が集まっている場所へ向かった。


「えー、改めて皆さん、お疲れ様でした。ちょっと変わった移動方法、6番目という早目の出番にも関わらず、一生懸命演奏して頂き、ありがとうございました」


 俺は深々と頭を下げた。まだその場はシーンとしている。


「皆さん、演奏はどうでしたか?おっと、どうでしたか?っていう聞き方は、コンクールではNGなんでした。なんでか分かりますか?」


 部員は俺がまた突然変なことを言いだしたと思ってか、キョトンとした表情で俺を見ている。

 その中で、出河がポツリと言った。


「もしかして、銅賞でしたか?って意味になるから、です?」


「ピンポーン、正解です!出河君には正解のご褒美に、帰りの電車で優先的に座れるように配慮します」


 無理矢理俺が捻りだしたクイズと出河とのやり取りで、やっと少しその場の空気が軽くなって来た。


「さて改めてですが、皆さん、きっと演奏は不満足だったと思います。俺も不満足ですから」


 え?という感じで、部員が俺を見た。


「昨日のリハーサルでは出来たのに、今日の本番では出来なかった、吹けなかった、そんなフレーズがあった皆さんが多いのではないか、と思います。でも、さっき先生にも言ったんですけど、今出来る精一杯の演奏を、みんなで成し遂げることは出来た、そう俺は思ってます。確かに俺も不満ですし、皆さんも不完全燃焼な思いがあるんじゃないかな、と感じます。でも、途中で先生の指揮を見落としたりせず、曲としては最初から最後まで完走出来ましたし。もう一回やり直したい、俺もそう思いますけど、昭和62年8月26日午前10時過ぎのウチの本番での実力はこんなものです、どうですか?審査員の皆さん?という気持ちで、結果発表を待ちましょう!」


 ポツリポツリと、はい、という声が聞こえてきた。


「ではですね、いつまでもロビーを我が西廿日高校吹奏楽部が占拠しとってもいかんけぇ、動きましょう。これからの予定は、一応自由です。パンフレット、みんなもらいましたか?パンフレットでは、各校の細かな時間までは出てませんが、多分全部終わるのは午後3時半頃じゃないかと思います。それまでは昼休憩もありますので、基本的には、まあ気の合う者同士で、他校の演奏を聴いて、今後の参考にしてもらえたらな、と思います。俺は何かあった時のために、基本的に会場の中にいますので、何か突発的な事が起きたりしたら、教えて下さいね。でも基本的に…なので、何処かをウロウロしてて会場にいない可能性もありますけど。では…今から自由行動としまーす!」


 ここまで一気に喋り、やっと自由になった部員は少し元気を取り戻していた。

 俺は大村に言われた通り、自分のミスは別として、部員の前では明るくいようと思い、仲の良いグループ毎に動き始めた部員をしばらく見守っていた。


「上井先輩、お疲れ様でした!」


 背後から声を掛けられて振り返ると、若本がいた。


「おう、若本、お疲れさん。どう?バリサクでコンクールに出た感想は…」


「うーん…。やっぱり緊張しました…。昨夜、先輩に愚痴を聞いてもらって、今日のアタシは今までのアタシとは違うんだ!って思いこませて本番に挑んだんですけど」


「そっか。まぁ、俺もミスしたし。音楽室でのリハーサルと、実際の本番のステージじゃ、全然違うよね」


「でも上井先輩から…もじゃけど、これまでのバリサクの重みを受け継いだ責任ってのをヒシヒシと感じて、勉強になったのは間違いない…かな」


「じゃ、この先の『吹奏楽まつり』とかアンコンとか、期待出来るかな?」


「うぅっ…まだ今日の結果も出てないのに、そんな冬服になった後のイベント、持ち出さないでよ、先輩ってば…」


「そう?これからのバリサクは若本に背負ってもらわんにゃならんけぇ、激励のつもりで…。あっ!」


「ひぃっ、な、なんです?」


「体育祭を忘れとった…」


「な、何かと思ったら…。去年、アタシが初めて先輩にご挨拶した体育祭かぁ」


「今年はエンジブルマデビューやね!」


「いや、体育やクラスマッチで、デビューはもうしてるけど…。先輩、打楽器じゃけぇって、体育祭の時に後ろから女子ばかり見てたら、通報するからね?」


「誰に通報するんよ?」


「えっ、体育教官室とか…生徒会の顧問の先生とか…最後は福崎先生かな…」


「またそういう俺の頭の上がらない先生を列挙するんじゃけぇ…。完全に俺の弱みを握っとるな?」


「そりゃあ先輩の人脈に勝つには、コッチも人脈を生かさないと。じゃ、また後でね、先輩!」


 若本はそう言って、1年生女子軍団の方へと駆け出して行った。


(ありがとう、若本。お陰で少し元気が出てきたよ)


 若本への思いが、また少し高まっているのを、俺自身が感じていた。


(あとは他校の演奏を聴いて、結果待ちだな…)


<次回へ続く>

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