第88話 ー西条到着ー

 昭和62年8月26日(水)、ついに広島県吹奏楽コンクールの本番の日を迎え、俺達西廿日高校吹奏楽部は、会場最寄り駅のJR西条駅へ8時過ぎに降り立った。


「酷かったぁ、通勤地獄!」


 多少部員により言葉は異なっているが、これが部員の殆どの感想だった。


 俺は村山と話をしながら、広島駅で結構通勤客は降りるだろうから、広島を出たら部員確認出来るよな?と言っていたが、現実は厳しかった。

 広島駅では降りた通勤客と同数か、それ以上の通勤客が乗って来て、全く混雑は解消されなかったのだ。





 …俺は広島駅の時点で列車内での部員確認は諦め、西条駅で下車したらホームで一旦集合することに決め直し、広島駅停車中に生徒手帳を1枚破り、ボールペンでその旨を書いて、回せる部員に渡してください…と、一番近くにいた宮森先輩に託した。


「分かったよー、上井くん。どこまで届くか分からんけど」


「ええ、何となくでいいんです。もうこの混雑ですから…」


「そうよね。予想外だよね。じゃ、アタシは了解ということで…。田中さん、このメモ、近くの部員にどんどん回して!」


 列車がドアを閉めて広島駅を出発した辺りで、宮森先輩はちょっと離れていた所で吊革に掴まっていた田中先輩に、メモを渡してくれた。

 田中先輩は廿日市から乗って来られて、宮森先輩の隣に座ろうとしたのだが、年配の女性に数秒の差で負けてしまい、立っていたのだった。


「何々…。うん、了解。回せばええんよね?」


 田中先輩の声が微かに聞こえ、田中先輩から誰かに、メモは渡された。だが混雑が酷いので、田中先輩より先に誰がどういう位置で乗っているのか、分からないのだ。なのでメモも田中先輩が誰に渡したのかは、もはや分からなかった。また動き出した列車は、最初は広島駅構内を右へ左へと揺れまくり、立っているお客さんも大いに揺れていた。そんな中…


「お前、メモを回すってのはええ考えじゃのぉ」


 村山がそう言ってくれたが、俺はさっき宮島口で若本と会話した際の村山の態度が何となく気になったので、その問い掛けには答えず、別の言葉でカマをかけるように返した。


「それしかないよ、これじゃ。ところで村山さ、船木さんと別れた後、誰か好きな子は出来たんか?」


「はっ?突然何だって?今聞くことかよ〜」


「そう、今聞くことなんよ~。こんな混んでる車内じゃけぇ、逆に聞けるってもんじゃろ。空いとりゃ、誰かに聞かれてしまうってもんじゃ」


「ま、まあな…」


 列車は定員オーバーの状態で全力で走り始めたため、モーター音が凄まじい。焼け焦げるんじゃないかと心配になるほどだ。


「で、その答えは?」


「あえて、NOかな」


「ん?おらんの?」


「ま、まぁ…今はな」


 村山の答え方が、奥歯に物が挟まったような言い方なのが気になったが、これまでの経験から、なんとなく気になる女子はいるが、まだ俺に言えるほどではない、そんな感じかと察した。


(と言うことは、さっき感じた違和感は杞憂に過ぎないのか…)


 もし俺が感じた違和感が正しかったら、ハッキリとは言えないまでも、一応若本を念頭に置いたような感じで、好きな子はいる、と答えるはずだ。俺がそんなに細かいことを追求しないことも知っているはずだ。


「俺にそんなこと聞く前に、お前は神戸と伊野さん、この2人と話せるようになれよ」


「またそんな難しいことを…。逆襲か?」


「逆襲じゃないけど…。でも、多分この2人とも、来年のコンクールには出んと思うし。残された時間は少ないぜ?」


 伊野沙織はともかく、神戸千賀子までコンクールには出ない?

 俄かには信じられなかった。

 楽器が好きで吹奏楽が好きで、だからこそ中学卒業直前に別れた…いや、フッた俺がいるにも関わらず、西廿日高校吹奏楽部でクラリネットのパートリーダーとして、また副部長として頑張っているはずなのに。


 だがその情報源を村山に確認するのも野暮な話だ。


「でも相手がおる話じゃけぇのぉ…。俺の性格知っとるじゃろ?」


「分かっとるよ。お互い同じ星座で同じ血液型なんじゃけぇ」


「じゃ、あまり突っ込まんとってくれ。伊野さんはもうこの先喋れなくても仕方ない。神戸…さんは…分からん」


「突っ込むなと言われても突っ込みたくなるような返事をするなよ。お前、神戸から受けた傷の方が大きいじゃろ?なのになんで2人に対する気持ちに差があるんよ」


「うーん、俺にも分からん」


「なんやそれ」


「なんだろうな、俺も自分で言ってて、何言うとるんか不思議じゃけど…。一度は付き合った…と言えるのかどうか分からんけど、一応カップルになれた経験の有無なのかなぁ…」


 俺自身、自分でも考えがまとまらなかったが、何となく伊野沙織には片思いを一蹴されて以降、一切目も会わせず話もしてくれなくなったということが、重く圧し掛かっていた。


 一方で神戸千賀子は、確かに俺をフッた後の行動は、15~16歳の時の俺にはとても耐えられないものが多かった。もし別の高校に進んでいたら、心底憎しみを抱いたままだっただろう。


 だが高1の3学期に、末永先生の策にハマって一緒に参加した百人一首大会の時、約1年ぶりに会話をした際に、後から笹木に教えてもらったのだが、神戸は泣きながら喜んでいたらしい。


 丁度その日が神戸の誕生日だったから、誕生日おめでとう、と言ったのだが、それが影響したのだろうか…。


 そんなこともあったり、最近は部活の事務的な会話ではあるが、二言三言は会話のラリーをするようになっており、会話を交わしたら野口に、今日、上井くんと話せたよ!と、その都度嬉しそうに報告しているらしい。


 そんな色々を聞かされると、フラれた後の激しい憎しみも薄れ、気になる存在になってしまう。

 もちろん復縁などは、今は大村という彼氏がいる限り考えてもいないが、普通に話すくらいの関係になってもいいのかな…と、時々思う。


「どうした?俺、何か困らすようなこと、言ってしもうたか?」


 村山に話し掛けられて、ハッと我に返った。ずっと神戸との出会いから今までのことを回想していた…とはとても言えなかった。


「いや、ごめんごめん。どうすりゃ俺も吹奏楽部男子として、少しでもモテる部類に入るかな~なんて考えとった」


「お前、モテるモテないで分けたら…モテる方じゃろ。過去の経験から言っても」


「過去の経験なんて…中3の一瞬だけだよ」


 人生にはモテ期が3度あると言われるが、俺は15歳の時に3回分を使い果たしてしまったのではないか。山神恵子というアイドル級の可愛さを持った同級生が俺を好きになってくれていたこと、そして初めて彼女になってくれた神戸千賀子、卒業式での絶望から救ってくれた2年後輩の福本朋子…。


「結局俺はバレンタインデーに本命チョコなんて一度ももらったことないし。やーっと今年、サックスの女子軍団から1個、義理チョコもらえてホッとした、そんな程度じゃけぇなぁ…」


「真夏にバレンタインのことなんか持ち出すなや。…でもそんな体験が、お前がモテない男子だって自覚させる原因なのかも…な」


「まぁ、黙っててもモテる君には分からん悩みだよ、ハハハッ…」


「俺だってそんなにモテる訳じゃないってーの。現に船木さんにはフラレたんじゃけぇな。なんか…コンクールの前にする話題じゃなかったな、スマン」


「気にすんな。俺がモテないのは、ネタにしとるくらいじゃけぇ、気にしとらん……から」


「その、間が気になるんよ!」


「ええって。もうすぐ西条じゃ。お客さんもやっと減って来たし。気持ちを入れ替えて、コンクール、頑張ろうや。目指せ中国大会!」


 そんな会話を広島駅を出た後、ずっと村山としていたからか、西条で列車から降りる時には宮森先輩から、


「上井くんは、絶対にモテるよ。優しくて楽しくて思いやりがあって…。アタシが同級生なら逃がさないよ。なんてね」


 と慰めてくれた。


「あ、先輩…。俺と村山の会話、丸聞こえでした?お恥ずかしい…」


「途中からじゃけどね。もっと自分に自信を持ちんさい、上井くん」


「はい…ありがとうございます」


 列車は西条が終点ではないので、俺らを降ろしたら、とっとと次の駅へ向かって出発していった。

 すぐ改札に向かう常連客がいなくなってから、ホームに残った西廿日高校吹奏楽部の部員に、ちょっと大きめの声で指示を出した。


「西廿日高校吹奏楽部の皆さーん、長いことお疲れ様でした!皆さん、ちゃんと今の指定した列車に乗って、今ここにいるかどうか、パート毎に集まって下さい。パートリーダーは俺に報告をお願いします!」


 仲の良い者同士で疲れたねーとか言っていた部員は、パート別に集まり始めた。

 その光景を確認していたが、多分全員、今の列車に乗れていたのではないだろうか…。


 俺の現所属、打楽器のメンバーは、1年の宮田だけが列車に乗ったことを確認出来ていなかったが、俺と田中先輩、宮森先輩がいる所にまず広田が来てくれ、次に宮田が来てくれた。これで打楽器の5人全員が揃ったのは分かった。


「上井くん、こんなに混むなんて思わんかったねー。列車の中で本番対策の話でも…って思うとったけど、全然無理じゃったよ」


 広田がそう話し掛けてくれた。


「そうじゃね。朝早いけぇ、空いとるじゃろと思うとったけど、ド平日なのを忘れとったよ」


「ホンマやね。休みの日なら良かったのにね」


 そして宮田が一応パートリーダーになっているので、宮田が俺に挨拶と報告を兼ねて話し掛けてくれた。


「先輩、今更ですけど…おはようございます!」


「あっ、はいはい、ごめんね、宮田さん。おはよう!」


「えーっと、打楽器はご覧の通りです…で、いいですか?」


「うん、オッケー。ありがとうね」


 他のパートも、パートリーダーが続々と全員確認した、と報告に来てくれたが、人数が多いのもあって、クラリネットが最後になってしまった。

 神戸が遠慮がちに俺の前に来て、


「上井くん、クラリネット、全員確認出来ました」


 と報告してくれた。


「了解です。お疲れ様でした」


 と俺は答えたが、何故かその瞬間、俺と神戸の昔からの関係を知っている部員は、固唾を飲むように緊張して俺の方を見ているのが分かった。

 そのためホーム上は一瞬静寂状態になり、却って俺は動揺してしまった。


「み、皆さん、どうかしました?」


 原因は分かっているものの、何か俺が言わなくては…。


「こっ、コンクールを前に緊張してるかなぁ?あの、エイエイオーとか、やりますか?」


 俺はそんな恥ずかしいことは毛頭やるつもりもなかったが、とりあえずその場の変な空気を動かすために、そう言ってみた。誰か、突っ込んでくれ…。


「プッ、ウワイモよ、そんなこと言うとらんと、早う会場へ行こうや。確認取れたんじゃろ?」


 それこそ山中が空気を読んでくれ、ワザとそう言ってくれた。


「そやね。じゃ、とりあえず改札を出ましょうか。改札出たら、大竹チームは切符代の清算をせんといかんけぇ、皆さん、ちょっと待っとってね」


 はい!と声が上がった。よし、いよいよだ。時間的にそろそろトップバッターの廿日高校吹奏楽部はステージの袖で待機している頃だろう。

 俺達も…いや、俺の夏を捧げたティンパニー、全力で叩いてやる!


<次回へ続く>

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