第87話 ーROAD TO 西条ー

「純一?起きなくていいの?今日はコンクールで、早く行かなきゃって言ってたじゃない」


 俺は昨夜、若本からのSOS的電話を終え、もう少し起きてなきゃ…と思っていたはずなのだが、そのまま寝落ちしていたようだ。


「…んーっ、母さん、今何時?」


「6時過ぎ」


「げっ!ありがとう、母さん、起こしてくれて」


「うん、アンタから今日の予定を聞いといて良かったよ。部長くんが遅刻しちゃいけないでしょ。早く準備しなさい」


「ああ、ありがとう」


「電話、元に戻しとくのよ」


「…そうだった」


 俺の部屋までコードを目一杯引っ張り、電話機を一晩独り占めしていたのだった。


「こめんごめん」


 電話機を元に戻し、急いで着替えたら、もう家を出ないとまずい時間になっていた。


「母さん、朝ご飯は何?」


「食パン焼いといたけど?」


「ありがとっ。列車の中で食べながら行くよ。コンクール、頑張って来るよっ!」


「はいはい、忙しないねぇ。気を付けるんだよ」


 俺は漫画でよく見るような、食パンを口にくわえた状態で、今日のための荷物を持ち、玖波駅へと向かった。その道中でふと気が付いたのだが…


(うーん、玖波駅から乗り込むのは…。俺以外は伊野さんだけか?他におらんかったっけ…)


 殆ど関係が改善されていない伊野沙織と2人きりで玖波駅のホームで列車を待つのは、なかなか大変なことだ。


 玖波駅6時38分発の糸崎行、これが先生と時刻表を見て指定した部員乗り込み列車だった。

 大竹駅乗り込みチームは、6時33分発になるが、無事に乗っただろうか?

 村山に半分冗談で良い席確保してくれ、とか言ったが、肝心の切符は若菜に相談されて答えた通りの方法にしただろうか?

 俺は玖波駅に到着すると、改札から見える反対側の広島方面のホームをまず確認した。


(伊野さんは…。あ、もうホームに入ってる)


 ということは、俺が今ホームに入ったら、2人きりになってしまう。

 頭の中で今日の出場メンバーが何駅から乗るかを一人一人考えたが、他に玖波から列車に乗る部員は思い付かなかったし…。

 他の大竹チームは、全員大竹駅から乗っているし…。


(よし、しばらく待って、列車がホームに入ってきたら、その瞬間に改札を通ろう。それまで座ってよう。そうすれば伊野さんとほとんど会話せずに列車に乗れる)


 我ながら実に情けない策を練り上げ、あと1分くらいで列車が来るところを、俺は待合室のベンチに座って息を整えていた。

 改札口の駅員さんも、俺を不思議な目で見ているのが分かる。


(仕方ないんですよ、駅員さん…)


 こんなに列車が到着するのを待つのが長いとは思わなかった。


(こういう時にみんな、ウォークマンとかで音楽を聴いてるんだな…。やっぱ欲しいな、ウォークマン…)


 1時間くらいに感じた、列車が駅に到着するまでの時間がやっと経過し、西の方から列車が走ってくる音が聞こえた。

 俺は立ち上がり、改札の駅員さんに定期を見せ、ホームに入った。

 反対側のホームなので、タイミングを見て入ったつもりだったが、異様に緊張して脈拍が加速している。

 陸橋を駆け降りると、車掌さんがドアを閉める笛を吹いているところだった。


 先頭車両に乗り込むと同時に、ドアが閉まった。


(ふぅ…。間に合った…)


 息をゼエゼエ言わせながら車内を見回すと、村山が車両のやや後ろでコッチコッチと手招きしていた。

 そのボックス席へと移動する。


 その途中で、女子軍団が座っているボックスがあり、そこに神戸、伊野、若菜、高橋の4人が座っていた。

 若菜は俺を見付け、


「センパーイ!おはよーございますっ!昨日の夜はありがとうございました!」


 と大きな声を掛けてくれた。


「ああ、おはよー。どう?眠れた?」


「はい、センパイと電話で話した後、安心したからか、即寝れましたよ」


 そこで高橋が、若菜ちゃん、先輩の家に電話したの?と聞いていた。

 若菜が一番元気だったが、あまり長居出来る環境でもないので、俺はそのまま村山の所へと移動した。

 だが、神戸が俺のことを見ているという視線は感じた…。


「おはよー。おぉ、いい席じゃ。やっぱ眩しいけど、海側がええね」


「おう、お前、寝坊したんかって思ったよ」


「あ、ギリギリに乗って来たからか?」


「そうよ。伊野さんはちゃんと乗って来たけど、お前はギリギリに走り込んで来たじゃろ」


「ああ、あれには理由があってだな…その…」


「理由?…ん?あっ!そうか…。お前、まだ…話せんのか」


 村山は理由に気が付いた後、小声で俺に囁いた。


「そうなんよ…。ホームで2人でおれる訳なかろう?じゃけぇ、待合室で待っとって、列車が来ると同時にホームに入って、走って来たんよ…」


「他に玖波から乗る部員って、おらんかったっけ?」


「中学の時ならな…。後輩じゃけど石田とか永田は玖波組だろうな。あと川野さんや山神さんも玖波じゃな」


「でも、お前が伊野さんにフラれて1年経つじゃろ?一言も喋っとらんのか?」


「ああ。役員会議でも、見たことないじゃろ?精々、俺が何か言ったら頷いてはくれるけど」


「そうか…。なんとかしてやりたいんじゃけどなぁ。ところで神戸とはどんな感じや?」


「今は、事務的な会話は二言くらいなら…。でも昨日、偶然帰りの列車で武田さんに出会うてさ」


「武田さん?懐かしい名前じゃのぉ…。小学校の時は同じクラスじゃったけぇ、結構遊びよったけどな。確か武田さんは廿日高校じゃろ?」


「そう。で、廿日高校は今日のトップバッターじゃろ?じゃけぇ始発で西条まで行くって言いよったよ」


「へぇ。俺ら、6番目でもこんな早い列車?ってブーイング喰らっとるのに、アチラさんは始発か。ご苦労なことやな。で、なんで武田さんの話になったんじゃ?」


「そうそう。武田さんからさ、俺と神戸…さんは、今はどんな関係なの?って聞かれてさ」


「はぁ。武田さんは別れたのを知らんかったんか」


「なんとなくもう別れたんじゃないか、って予想はしとったらしいけど。まぁ、俺が君から別れの手紙をもらった時期が時期だけに、まだ続いとるって思うとる方もいらっしゃる可能性はあるよな」


「その…俺がお前をフッたような言い方、止めてくれー」


「実際に君から受け取ったんじゃけぇ、諦めろ。ま、武田さんに色々聞かれてたらさ、古傷を思い出すわけよ」


「ま、そうじゃろうな。思い出さんと説明出来んしな」


「そしたら、最近は落ち着いとった古傷が疼き始めてしもうて」


「なんやそれ。少しずつ話せるようになったな、と思うとったんじゃが…」


「ちょっと今日は…ダメだ」


「お前の古傷も、根が深いのぉ。まあ、背景を考えたらいつまでも引き摺るのも仕方ないような気もするけどさ」


 村山とそんな会話をしてたら、次の駅に着いた。大野浦だ。

 大野浦からは、俺の計算では4名乗ってくるはずだが…。

 一応立ち上がって、乗ってくるお客さんを眺めてみた。


(赤城、皆本、桧山…、宮森先輩。俺の想定通りじゃ、良かった…)


「あーっ、上井センパーイ!村山センパイもおはよーございますっ!赤城、なんとか大野浦から乗る皆さんに、上井先輩から聞いた方法で切符を買いましたので、隊長として報告いたしますっ!」


「赤城は元気じゃね!こっちも元気になるよ。本番まで元気さを保ってね」


「了解しました!あー、若菜ちゃん、おはよー!高橋さんに先輩方もおはよーございますっ!」


 赤城は女子軍団の方へと移動した。他の1年女子も、俺と村山に挨拶してくれた後、女子軍団の方へ移動した。

 宮森先輩は、俺の方から挨拶した。


「先輩、おはようございます。ありがとうございます、コンクールに出て頂けて…」


 宮森先輩は打楽器なのだが、部活中は寡黙で、殆ど話したことがない。いつも田中先輩が何か話すと、そうそう、と頷いているイメージだ。


「上井くん、おはよう。アタシも少しでも役に立てれば、って思ってたからね。今日は頑張ろうね」


「はい、よろしくお願いします。田中先輩は、俺の読みでは廿日市から乗って来るんじゃないかと思ってるんですけど…」


「いや?宮島口かもしれんね。彼女の家は微妙なところじゃね、確かに」


「そうなんですね。大竹におると、その微妙な線引きが分かんなくて…」


「それはむしろ当然じゃない?アタシだって大竹市の町名聞いても、それが何駅に近いとか、全然分からんもん」


「ハハッ、ありがとうございます。ホッとしました。でもとりあえず五日市までは緊張が続きますよ~、俺」


「そうじゃね。みんなちゃんとこの電車に乗って来るか、部長さんは心配じゃもんね。今のところは、想定内?」


「はい、3駅目ですが、想定内です。この先、廿日市で一番多く乗って来ると思うとるんですけどね」


「そうじゃね、きっと。でも平日じゃけぇ、通勤の方もおるし、混み合いそうじゃね。みんなちゃんと乗ったか、確認出来るまで時間が掛かるかもしれないね」


「そうなんです。この時間帯に列車に乗って、宮島口より先に行ったことがないので…」


「まあ、最悪でも広島駅で一気に降りるんじゃない?その時でもいいと思うよ、確認は」


「そうですね…。万一乗り遅れた部員がいても、会場に連絡しろって言ってはありますから。ありがとうございます、先輩」


 と、宮森先輩とは初めてと思うくらい、長く会話した。

 おとなしいイメージだったが、それは田中先輩の陰にいるからかもしれない。

 そんな会話をしていたら、次の宮島口が近付いてきた。

 宮森先輩はドア横の2人掛けの横向きシートに座られた。


「上井、宮島口では誰が乗るん?」


「何人か、人数は把握はしとらんのじゃけど、俺なりに想定はしとるんよ」


「昨日、ミーティングで何駅から乗るか、聞いときゃよかったのに」


「あーっ、そうか!そこまで昨日は頭が回らんかったの~。そうそう、村山はこの列車にどうやって乗った?」


「どうやって?ああ、若菜が早くから来とってさ、昨夜上井に確認したって言って、大竹チームは定期券で乗って、西条で清算するようにって教えてくれたよ」


「そっか、助かった…。俺、大野浦から乗る部員は赤城に乗り方を説明して任せたんじゃけど、大竹チームは説明せんかったなって、それも昨日の夜、若菜から電話もらって反省しとったんよ」


「お前にしちゃ、珍しいな。まあ、切符で困る駅はもうこの先ないはずじゃけぇ、安心してもええじゃろ」


 列車は宮島口駅のホームに滑り込んだ。

 いつもならここで下車するのだが、そのまま制服姿で乗り続けるのは新鮮だった。休みの日に広島市内に遊びに行くのとは感覚が違う。

 ここで乗って来るのは、俺の想定では若本、広田、神田…


「センパーイ!おはよーございますっ!」


 俺が脳内で想定を思い出していたら、途中で若本に攻撃されてしまった。


「お、おはよう…。若本、元気になった…ね?」


「はい!昨夜のアタシは捨ててきましたから。あ、村山センパイもおはようございます!」


「俺はついでかよ」


「まあまあ、村山センパイ、傷付かないで?村山センパイ、後ろ向きに座っとるけぇ、最初分からんかっただけじゃから」


「ホンマかのぉ」


 ふと俺は、若本と村山のやり取りを見ていて、何かを感じた。


(なんなんだ、この感覚…。若本は俺が密かに狙ってるし、若本も昨夜は俺にSOSを求めてきたから、もしかしたら…と思ってるのに。村山の態度がなんか引っ掛かる…)


 その他の部員も乗って来て、俺を見付けた部員は、同期ならおはよう、と言ってくれ、1年ならおはようございます、と声を掛けてくれたが、他のサラリーマンも結構宮島口で乗って来たので、車内は立ち客も出て混雑し始めた。


(うわ…これじゃ五日市過ぎて大声上げて『西廿日高校吹奏楽部の皆さーん』なんて、とても呼び掛けれんな…。確認、どうしようかな…)


 列車は宮島口を出て、次の廿日市へ向かって走り始めた。


<次回へ続く>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る