第86話 ー夜中のモシモシー
最後は武田と明日はお互い頑張ろう、と言って別れたが、コンクール前日に神戸との別れの経緯をインタビューされたのは、多少精神的に辛いものがあった。
今も神戸と事務的な会話だけは出来ているが、その一歩先には踏み出せていないからだ。
その一方で神戸は、俺と何か会話のラリーがあると、例えそれが事務的なものでも、野口に喜んで伝えているというし。
(でも、このまま…だろうな、あの人との関係は。これ以上は踏み込めないや…。そして高校を卒業したら流石に行先は違うじゃろうけぇ、いつの間にか疎遠になって、数年後に大村家と神戸家の披露宴の招待状が突然届くんじゃろうな…)
等と考えながら俺は帰宅し、夕飯と入浴を済ませた後は、一応12時頃までは何かあったら連絡するようにと部員に宣言してしまった手前、電話機のコードを辛うじて俺の部屋まで引っ張り、本を読みながらゴロゴロしていた。
すると10時過ぎに、電話が鳴った。
部屋に電話機を引っ張って来ていて、何かあれば電話してくれとは言ったものの、ベルの音が鳴るとやはり心臓に良くない。
ドキドキしながら受話器を取った。
「はい、上井です」
『夜分遅くすいません、アタシ、西廿日高校吹奏楽部の若菜と申しますが、上井部長…』
「はいはい、俺だよ。若菜?どうしたん?」
若菜からの電話だった。
『あー、先輩!良かったー。やっぱり、多分先輩が出て下さるって分かってても、夜遅くに年上の男性の家に電話するってのは、ドキドキします!』
「ハハッ、そんなもんじゃろうね。逆の場合を考えると、俺もそうなるよ、多分。で、何かあった?」
『あの、本当は帰りに先輩を掴まえて聞こうかなと思ってたんですけど、先輩を掴まえられなかったので、電話したんです』
「ああ、俺ちょっと居残りで明日の準備とかしとったけぇね」
内心、考え事をしていたとは言えず若菜に嘘を吐いた形になってしまったのが心苦しかったが…。
『そうなんですか。じゃ遅くなったんじゃ、先輩も』
「そう。しかも帰りの電車で廿高の同期となんでコンクール前日に?っていうタイミングで久々に出会ったもんじゃけぇ、色々聞かれて更に遅くなってしもうたんよ」
『先輩は顔が広いけぇねぇ。1人で歩いてても、何処で誰が見てるか、分からんですよ?』
「んー、そうかもしれんね。で、電話してきた悩みは何?」
『そうじゃった。あのですね、先輩もじゃと思うんですけど、宮島口まで、定期があるじゃないですか、アタシ達大竹チームって』
「ああ、そうやね」
『この場合、明日先輩はどうやって西条まで行こうと思ってました?』
俺は個人的には、定期で乗り、そのまま西条まで行って、西条駅で乗り越しの清算をするつもりだった。
「俺はね、定期で玖波から乗って、そのまま西条まで行く。で、西条駅で、乗り越しましたーって、清算しようかと思うとったんよ」
『はあ、なるほど。アタシ、定期券で1本先の列車で宮島口へ行って、宮島口で西条までの切符を買えばええんかなーと思うとったんです』
「それもいいけど…。宮島口で一回降りて切符買い直して次の列車に乗るっての、結構大変じゃろ?広島方面のホームは改札口側じゃないけぇ…。陸橋を登って降りて登って降りてになるし」
『あ、ホンマじゃ。疲れるわ。じゃアタシも先輩方式に従おうっと。やっぱり先輩に電話して良かったー』
「その方がええよ。列車1本分、長く寝とれるじゃろ?」
『アハハッ、先輩らしいんじゃけぇ』
「ところで若菜、俺に電話するまで、結構迷った?」
『そりゃあもう…。いくら先輩が恋人でも彼氏でもない、単なる部長じゃ言うても、男の人に電話するのはドキドキするもん』
「なんとなく小さな傷が付くようなセリフに聴こえるんじゃけど…」
『あ、別に他意はないですよ?』
「ホンマ?まあ若菜じゃけぇ、ええか。そう言えば他の大竹チームは、何か行き方について言いよった?」
『えー、実はアタシ、他の大竹軍団の方とは今日の帰り、一緒にならんかったんです。じゃけぇ、誰が何を考えとるかは知らんのですけど、先輩に相談の電話さえなけりゃ、みんないい歳なんじゃけぇ、大丈夫じゃないです?』
「そうなん?高橋さんとか、迷いそうな気がしたけど」
『一緒に帰ったら、その話になったと思うんですけどねー』
そういえば高橋は、村山、伊野という2年の会計の2人と一緒に帰るのを目撃していた。あの2人に何か聞いているだろう、きっと。
「まあ、いいや。逆にありがとう。12時まで何もなけりゃ、大丈夫だよね」
『そうそう!先輩は心配しすぎだって。そんな、明日沖縄に行くわけじゃないんじゃけぇ、気にせんでもええと思うよ?』
「ハハッ、ありがとね。じゃ、早目に寝て、体力蓄えてね」
『ハーイ。じゃ先輩、お休みなさーい』
「はい、お休み~」
受話器を置くと、汗が噴き出てきた。いくら中学時代からの後輩とは言え、女子と電話で話すと、こんなにドキドキするものか…。
中3の時、神戸家へ電話した時も、事前に誰が出たらこう言って…とシミュレーションを立てていたが、電話の後は気が抜けるほど緊張していたのを思い出す。
(あの時は初めにお母さんが出られて、その次にあの人に代わってもらったんだよな…)
ふと2年前のことを思い出した。たった2年前なのか、もう2年も経つ、なのか…。
カラカラになった喉を潤すため、冷蔵庫からリンゴジュースを取り出し、コップに注いでいたら、また電話が鳴った。
さっきほどドキッとはしなかったが、夜の電話はやはり心臓に良くない。
(11時までにしときゃよかったかなぁ…)
だが時計を見たらまだ10時半を過ぎたところだった。
(ハイハイ、今出ますよ…)
コップのジュースを飲み干してから部屋に戻り、受話器を取った。
「はい、上井です」
『夜分遅くにすいません、アタシ、西廿日高校吹奏楽部の部員で、若本と申しますが、上井先輩はいらっしゃいますか?』
「はい、今変わります……なんてね!俺だよ」
『え?もーっ、先輩!電話掛けるだけでも寿命が縮む思いなのに、お父様が出られたような演技しないで下さいよぉ』
「ごめん、ごめん。今、若菜に掴まっとったもんじゃけぇ、疲れてね。若本なら受けてくれると信じて…」
『冗談もほどほどにして下さいよ~。あ、じゃけぇさっき電話した時は話し中だったんだ』
「そうなん?それは悪かったね。切符代のことでね、色々聞かれとって…」
『あー、確かに。大竹の方だと、不利ですもんね』
「そうなんよ。じゃけぇ実は今になって、大竹チームのみんなは明日の指定列車にどうやって乗って来るかな…って、心配しとるところ」
『そっかぁ。普段、電車だよね?先輩は』
「宮島口までね」
『じゃ、定期があるし…。でもその先は切符買わんといけんし。どうするの?先輩は』
「俺?堂々と乗り越して、西条駅の駅員さんに、乗り越しました!って申告するつもりじゃ」
『ププッ、そんな偉そうに…』
「いや、西条の駅員さんは多分分かっとるじゃろ?コンクール自体はもう昨日か今日から始まっとるけぇ、似たようなケースがいっぱいおると思うんよ。若菜も俺の案に乗っかってくれたし」
『あ、ワカ様も大竹か。だから切符代の話になったんだ』
「若本は宮島口からじゃろ?」
『うん…。大野浦中なのにね』
「え?そうなん?大野浦中の学区って、そんなに広いんじゃ?」
『でしょー。絶対阿品中の方が近いのに、残念ながら廿日市市民じゃないけぇ、大野浦中なんよ。もー、遠くて遠くて』
「そうか…。まだまだ知らん事が沢山あるなぁ」
『多分ね、先輩達が登下校に普段歩いてる坂が、廿日市市と佐伯郡大野町の境目なんよ。ウチの親が、もう少し東に家を建てくれとりゃあ…』
「わ、若本…。その件はまた日を改めてジックリ聞いちゃるけぇ、とりあえず今は明日のコンクールの関係の電話じゃろ?」
『あ、すいません。つい積年の思いが…ハハッ』
「でも切符の件じゃなさそうじゃね。どしたん?」
『うん…。あの…』
若本は一転して声のトーンを落とした。
「コンクールのこと?」
『…先輩、実はね、アタシ、明日が不安で不安で…』
「どしたん、元気な若本らしくないよ?」
『アタシ、最初は先輩が打楽器に移ったから、念願のバリサクが吹ける!って単純に喜んどったのね。でも先輩の後を継いでコンクールの舞台に立つ、その本番が迫って来たら、先輩だって本当はバリサクで出たかったはずなのに、部長だからって一気に人がいなくなった打楽器に、責任を取るって言って移ったわけで…』
「……」
『本当ならアタシみたいな1年が、少なくなった打楽器に移ればいいのに、先輩が部長の責任と言って移られて、その後には広田先輩も中学の時に打楽器だったからって移られて…。コンクールには3年の先輩まで出られて…。でも残った1年生は、打楽器がピンチだって時に、何もしてない。ノホホンと眺めてただけ。アタシはバリサクが吹ける、やったぁ!なんて喜ぶ始末。ねぇ先輩、先輩の本音は?バリサク吹きたくて西高に入ったのに、部長をやったぱっかりに打楽器に移らなきゃいけなくなった、本当にそれで先輩はいいの?いつもみんなの前では明るいけど、そんな悩み、不満が合宿の最後の夜に爆発したんじゃないの?アタシはそんなことを考えたら、明日の本番が不安で不安で…。ねぇ、先輩…』
若本は最後は涙声で、そう訴えてきた。
「…まぁ、まずは落ち着きなよ。明日の本番で、ちゃんとバリサク吹けなくなるよ?」
『先輩…』
「俺はバリサクは好きだよ。最初はこんな重たくて目立たない楽器…って思ってたけどさ、他のサックスにはない、バリサクなんて愛称がつくくらいじゃけぇ、やっぱりのめり込むと不思議と魅力的なんよね」
『……』
「若本の気持ちは、痛いくらいに嬉しいよ。ありがとう、俺に気を使ってくれて。でも、運命なんだと思うよ、これが」
『運命…?』
「そう。…何から話そうか…。…まず、俺は邪魔かもしれんけど、来年のコンクールにも出たいと思うとるんよ。それこそ、吹奏楽に関われる人生最後のチャンスかもしれんしね。そう考えると、俺が高校で吹奏楽部におれる期間ってのは、2年5ヶ月くらいじゃろ」
『うん…』
「打楽器の1年がおらんようになって、移籍したのが文化祭の後。吹奏楽部で1年と2ヶ月少々経過した頃やね。じゃけぇ、高校の吹奏楽部で、残りの半分は違うパートをやってみないか?っていう、運命だったんよ、きっと」
『そんな…』
「…まあ、俺だって、打楽器に移るかどうか、本音を言えば、凄く悩んだよ。経験のないパートに移って役に立つのかとか。最近のバンドブームのお陰で、ドラムを叩く真似事はしよったけどね。でも悩みはしたけど、選択肢は一つしかなかった。自分が動かなきゃ、誰も動かない。じゃあその選択肢で精一杯頑張るしかないじゃん。俺は1年2ヶ月、2年の文化祭までバリサクを吹かせてもらった、それで十分だよ。逆に若本っていうバリサクを吹きたいっていう後輩がおるけぇ、安心して打楽器に移籍出来たんよ」
『…セン、パイ…』
「ほら、泣かない泣かない!1年生が打楽器騒動の時に何もせずノホホンとしてたなんて思っちゃいないよ、俺は。まだ慣れとらん時に、こんな騒ぎになって1年のみんなには申し訳ないって思ってたから、俺は」
『……』
「若本は不安だとか、申し訳ないとか、そんな気持ちはこの電話限りで捨てて、明日はバリサクで練習してきたこの夏の成果を、目一杯発揮するように!部長命令だよ」
『センパーイ…。ありがとう…』
「ね?じゃ、明日、宮島口駅に遅れんようにね。他にも何名か宮島口駅軍がおると思うけぇ、みんな一緒に先頭車両に乗ってね」
『ハイ。上井先輩にこんなことで電話しちゃって…ごめんなさい』
「そんなこと、気にせんでええよ。12時まで何かあれば電話して、って言ったのは俺なんじゃけぇね。若本が明日元気に、分け目チョップを受けてくれれば、電話で話した甲斐があるってもんだよ」
『うん!先輩には迷惑だったかもしれないけど、思い切って電話して良かった…。でも分け目チョップは避けますから』
「そうそう、その元気でね。じゃ、早目に寝て体力温存するんだよ」
『分かりました!先輩、お休みなさーい』
「はい、お休み~」
受話器を置いて時計を見ると、11時半近くだった。
(1時間話しとったんか…。この間に電話してきて、通話中で諦めた部員がおるかもしれんな…。もうちょい起きてなくちゃ)
だが若菜、若本と連続で話し続けたら、結構疲労が溜まってしまったようで、いつの間にか俺は寝落ちしていた。
<次回へ続く>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます