第80話 ーモテないけどモテる上井ー
「上井くん?一人なの?」
「えっ?誰?」
部活後に、コンクール会場の最寄り駅、西条までの切符代をどうするかを役員で話し合った後、1人で音楽室に残っていた俺に、突然女性の訪問者が現れた。
いや、訪問者という呼び方は相応しくないだろう、吹奏楽部の部員だったからだ。
「ビックリしたやん。忘れ物でもした?野口さん」
そう、突如音楽室に現れた女性は、同期の女子、野口真由美だった。
「うん。アタシ、財布忘れちゃってさー。田尻の電停について電車が来たけぇ、乗ろうと思って定期を見せようと思うたら、定期が入った財布がないんよ。田尻のベンチでカバンの中身全部出して調べたんじゃけど、やっぱりないんよ、定期入りの財布が。これは昼休みに近くのコンビニにパンを買いに行って、その後に財布をカバンに戻さず、音楽室の何処かに置いたまま忘れたんじゃと思って、また地獄坂を登って来たんよ」
「じゃけぇ、汗だくで息も絶え絶えなんやね?」
野口は全身汗だくで、シャワーでも浴びた後のようになっていた。そのせいで、セーラー服からは薄っすらとスカイブルーのブラジャーが透けて見えてしまっていたが、そのことに触れてはならない。俺は目のやり場に困りつつ、野口の話相手になった。
「それでさぁ、音楽室には誰もおらんじゃろうけぇ、鍵を借りようと思うて職員室に行ったら、音楽室の鍵はまだ戻ってないって言われてね。え?なんで?と思って音楽室に来たら、上井くんがポツンと1人で本を読みよったのを見付けた、そんなとこ」
「そうなんや、お疲れ様!俺以外は誰もおらんけぇ、思う存分財布を探してもらってええよ」
「う、うん。そうするけど…。上井くん、部活が終わって、役員で話するとか言いよったよね?役員の話はスムーズに進んだん?」
「まあ…スムーズな方じゃろうね。すぐ結論は出たけぇ」
「上井くんがそう言うなら、良かったよ」
「ん?なんで?」
「…だってさ、役員には上井くんの敵が多すぎるじゃん」
「ハハッ、そんな心配してくれるん?ありがとね。まあ敵というか、該当すると思われる方とは話せんけど、最近は役員会議の仕切りは大村がやってくれるけぇ、安心して任せとるんよ」
「そうなのね。でも、その役員会議も終わったんじゃろ?なんで上井くん1人だけ、残っとるん?」
「んっとね…。どう言えばいいんかな…」
「アタシには素直に言うてもええんじゃない?チカやサオちゃんと一緒になりとうないんじゃろ?帰り道で。じゃけぇ時間が過ぎるのを待ってる、そうじゃろ?」
「うむむ…。まあ、野口さんには隠す必要もないかぁ。その通り、仰る通り、だよ」
「でも最近、たまにチカとは話すじゃない?だけど…まだ壁はある?」
「ある…ね。それに話すって言っても、事務的な事だけだよ」
「でもチカはさ、1月のカルタ大会の日が丁度誕生日で、上井くんが誕生日を覚えててくれたって、感激しとったよ?」
「まあ、一度は付き合った相手じゃけぇね。誕生日くらいは忘れないよ」
「その話を聞いた時は、2人の雪融けも近いんかな~って思ったけど」
「いや~、もしかしたら万年雪かもしれん」
「上井くんってば…」
「それより、定期と財布を探さんでええの?」
「あっ、そうそう。アタシ、何しに来たのやら…。ちょっと探すから、帰らんとってね?」
「ん?まだ帰らんよ?安心して探しんさいや」
と俺は言ったが、いくら真夏とはいえ、少しずつ陽が傾き始めていた。
時計を見たら6時を回っていた。
(そっか、少しずつ昼間が短くなってくるんだよな…)
野口は楽器庫の中にまで入って定期の入った財布を探していたが、
「あったー!」
と、大きな声が聞こえてきた。
どうやらクラリネットと一緒に楽器庫へ仕舞い込んでいたのだろう。
「上井くーん、あったよ!良かった~。アタシの全てが入っとるけぇ、これをなくしたら生きていけんところじゃった」
「良かったね。わざわざ田尻から地獄坂をリターンしてきた甲斐があったやん」
「ホンマよ~。こんな時に限ってさ、目の前を北阿品団地に向かって登ってくバスがおってさ。乗りたかったけど財布がないけぇ、乗れんのよ!悔しかった~」
「まあ田尻からの坂道って、宮島口からの坂よりもキツイよね。何回か歩いたことがあるけぇ、分かるよ」
「ね、あの坂ヒドイよね?人が歩くことを前提としてないよね?」
「でも坂の途中には家も建っとるし。一応団地ってことなんじゃろ」
「よう住むよね?そう思わん?地震や超大雨が来てさ、上から土砂崩れとか起きたら、オシマイじゃん」
「うーん、大竹にもそんな団地はあるしなぁ…。平野が足りないのを、無理やり山を切り開いていったんじゃろうね」
「なんか、上井くんと社会問題について話すとは思わんかったわ」
「ハハッ、こう見えても俺の愛読書は週刊ゴングだけじゃないけぇね」
「あっ、プレイボーイとか読みよるんじゃろ?水着のアイドルとか見て、癒されとるんじゃろ?」
「んなこたぁないけど…何か野口さんの方こそ詳しいね?」
「あっ、アタシは…お兄ちゃんが買ってくるけぇ、嫌でも目に入るんじゃもん」
「まあそういうことにしとくよ」
「むーっ、なんか上井くんに言い負かされた感じ」
「じゃあ一応、俺のカバンの中、見てみなよ。どんな本が入っとるか」
「いいの?遠慮なく見るよ?」
「どうぞどうぞ」
野口は俺の座っている椅子の横にあるカバンに手をやり、ジッパーを開けると、中身を確認し始めた。
「お弁当の空箱と水筒と…。なに、この文庫本。『金権腐敗政治との闘い』。えーっ?こんな凄いの読んでるの?」
「エッチな本じゃなくて、期待を裏切ってゴメンね」
「いや、その…。うーん、こんな本を今から読んで、将来は何になるつもりなの?」
「別に何かになりたいからこの本を読んでる訳じゃないよ。ちょっと政治に興味があったもんで、それでね」
「高2で政治に興味があるなんて、上井くんだけじゃない?そんなこと言ったら、選挙に立候補するのか?とか言われるよ?」
「アハハッ。大袈裟じゃって。ただ最近のニュースでも、中曽根が嘘ついて売上税を導入するとか言ってみたり、昔は田中角栄とかいう人が凄くて、挨拶しただけでお小遣いもらえたとかさ。じゃけぇ捕まったんじゃろうけど。政治家って一体何しとるん?なんで金持ちしか政治家になれんのかな?って、興味を持ったのがキッカケかなぁ」
「上井くん、凄いわ。みんな男子ならジャンプとか読んどる中で、そんな大人が読むような本を読んどるなんて」
「でも他の男子も、ジャンプしか読んでないと見せかけて、凄い作家の本や小説を読んどるかもしれんよ?俺は偶々、電車の中で読む本が入ってたけど」
「ふーん…。この本以外にも、政治に関する本とか、持ってたりする?」
「まあ何冊かは…。何々、野口さんも読んでみようかと思った?」
「いやっ、とてもとても…。でも上井くんは何冊かもう読破したんじゃね。凄いわ、隠れた一面を見せてもらった感じよ」
「うん、まあみんなに知らせる為に読んどるわけじゃないしね。自慢したいわけでもないし」
「こんな本を読むほど頭がええのに…」
「ん?何か俺のことを、刺そうとしとらん?」
「いやいやいや、刺すなんて!逆よ、逆。しっかり社会派の大人が読むような本を読んだりして頭もええし、話しててもユーモアがあって楽しいのに、上井くんに彼女がおらんのはこの部活の七不思議よね、と思ってさ」
「やっぱり刺されたじゃん。こんな本なんか読んどるけぇ、彼女が出来んのよ。まあ若者向けの雑誌とか、全然興味がないしね、さっきちょっと出たけどプレイボーイとかも。じゃけぇ、全然ファッションセンスなんか無いし、モテるために何をすればいいか?とか知らんし」
「でもやっぱり彼女は欲しいでしょ?そんなことない?」
「そりゃあ…出来ればね。でも本とかファッションとか抜きにしても、俺は恋愛運に見離された男じゃけぇね…。きっと2年前に使い果たしたんよ」
「2年前って、チカと付き合っとった時のこと?」
「そう。俺はあの人と付き合って、いかに自分は恋愛に不向きなのかを知らされた…」
「そっ、そんなこと、言っちゃダメだよ。上井くんは中学の吹奏楽部の後輩からモテてたって証言もあるし、去年は実際に行動を起こし掛けた後輩さんがおったんじゃろ?」
「まあ確かに…。実はね、野口さんには初めて言うかもしれんけど、中2の時、俺は同級生で一番可愛いと思っとった女の子に、片思いされとったんよ」
「えっ!初めて聞くよ、その話は。ホンマに?」
「うん…。あまり他の人には喋ったことがないけぇね」
「チカも知らないの?」
「うーん、どうじゃろ?その子と神戸さんは親友じゃったけぇね、知っとってもおかしくはないと思う。じゃけどその話を俺が聞いたのは、あの人と付き合い始めた後なんよ」
「へぇ…。どうしてそのことが分かったの?」
「当事者から聞いたから」
「ん?なんか複雑になって来たよ?上井くんはチカと付き合い始めた。その後に、上井くんに片思いしてたっていう可愛い子が、実は上井くんのことが好きだった、って告白したってこと?」
「まあ、簡単に言えばね」
「上井くん、凄いじゃーん!モテてたんじゃない!俺はモテんのじゃ、ばっかり繰り返すけぇ、チカと付き合ったことが、失礼な言い方になっちゃうけど、唯一の恋愛イベントだったのかな?って思っとったよ。後輩の女の子と合わせると、モテモテな中学時代じゃん」
「…でもさ、過去形なんよね。その女の子にしても。人間ってさ、一生の間に3回はモテ期があるとか言うじゃろ?」
「うっ、うん…」
「俺は多分、中3の時に3回分使い果たしたと思うんよ」
「な、何を言い出すのよ」
「神戸千賀子、その片思いしてくれた女の子、そして後輩。計3人。そう考えておけば、今もこの先もモテない理由も納得いくかな、なんて」
「ダメだよ、上井くん。17才でもうこの先一生女の子からモテないなんて考えちゃ」
俺はそう言いながらも、今はちょっかいを出してくる若本のことが気になっているのだが…。
気が付いたらすっかり音楽室の中は薄暗くなっていた。
「野口さんと久々に長く話したね。暗くなってきたよ。帰らんで大丈夫なん?」
「うん、別に…。部活だったって言えばいいから」
「そう?でももう7時近いし、そろそろ俺も帰るよ。さすがにもう、会いたくない人には会わんで済むと思うしね」
「…じゃ、アタシも帰るよ。アタシがいたら、上井くんは帰れんもんね」
「ま、まぁ…」
俺は荷物をまとめてカバンに突っ込むと、野口が音楽室を出るのを待ってから鍵を閉め、職員室へ向かった。
「ねぇ、上井くん?」
「ん?」
「アタシが乱入したけぇ、遅くなっちゃったけど…。アタシが乱入しなくても、これくらいまで1人で音楽室にいた?」
「うーん、どうだろう…。分かんないや!」
「分かんない、かぁ。でもアタシはね、アタシに付き合ってくれた上井くんに感謝しとる」
「なんで?」
「だって…。結構長い時間だよ?上井くんが帰りたいって思ったら、いつでもアタシの話を打ち切って帰れたのに、最後まで一緒におってくれたじゃん」
「そりゃあ、男として当たり前じゃろ」
「…そっか。上井くんって、やっぱり…」
「え?やっぱり…の続きは何?」
「んーとね、教えなーい!じゃあアタシ、先に行くね。ありがとう、バイバイ!」
「あーっ、俺が今夜モヤモヤするじゃんか!」
「モヤモヤは自分で解決してねー、よろしく!」
野口はそう言い残すと、小走りに下駄箱へと向かった。
(自分で解決なんか出来るわけ、ないじゃんか。意味深なこと言い残して…)
そのまま職員室に音楽室の鍵を返し、下駄箱まで戻った。
まだ西の空には夕焼けも見えるが、ほぼ日は暮れている。
(コンクールまで1週間かぁ。来週の今頃は、もう結果が出とるんじゃなぁ…。金賞取りたいなぁ…)
ゆっくりと歩きながら宮島口駅を目指していたら、後ろから走ってくる足音が聞こえた。
(こんな時間にランニングかいな。一番不向きな時間帯じゃないんか?蒸し暑いし)
と思っていたら、女性の声が聞こえた。
「上井くんじゃろ~?待ってよ」
又も女性からの声掛けだった。ランニングの足音と思っていたら、どうやら俺を追い掛けてくる足音だったようだ。
(今度は誰だ?吹奏楽の部員じゃないのは確かじゃけど…)
そう思って振り向くと、そこにいたのは…
<次回へ続く>
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