第72話 ーお盆休みその4・集団プール④若菜の本音ー
『間もなく11時です。当プールでは2時間に1回、休憩時間を10分設定しております。11時になりましたら、ご来場の皆様、一旦プールから上がり、休憩なさって下さい。繰り返します…』
場内アナウンスが、もうすぐ11時になることと、同時に10分間の休憩を行うことを告げていた。
「俺、恥ずかしながら初めてナタリーのプールに来たんじゃけど、休憩なんか、あるんじゃね」
「あるのよ。ナタリーだけじゃなくて、チチヤスのプールも休憩取らせてるの。なんでかはアタシも知らんけど」
「へえ。なんでじゃろ?みんなの唇が紫にならんように、かな?」
「プッ、センパイは発想が独特じゃけぇ、面白いわぁ、やっぱり」
この頃になると、もう他の3組の部内カップルの存在はどうでもよく、若菜と1日過ごせることが楽しくなっていた。
(2年前、俺がもっと積極的なら、神戸さんとプールに行きたいって言えたのにな…)
さっき見せ付けるように俺達の横を通過していった大村と神戸の2人。
去年も含めて、何度か2人で泳ぎに行ってるんだろうな…。
改めて自分の優柔不断さが悔やまれてならなかった。
「上井センパイ?どうしました?」
「えっ…。あ、ゴメンね、ほんのちょっと考え事してしもうて」
「神戸センパイのこと?」
若菜は鋭い。
今日のメンバーの中で、実は出会ったのが神戸の次に早いのが若菜だ。むしろ中学の時の吹奏楽部では、神戸よりも若菜と喋っていた時間が長いかもしれない。
俺は中学時代は、同期よりも後輩とのコミュニケーションを構築することに腐心していたからだ。
そのせいで、後輩の女子が俺のことを好きだという噂が流れ、一部が本当だったと認めざるを得なくなったとも言えるが。
「ううん、今更…」
「いや、センパイ、アタシの目は誤魔化せんよ?休憩時間に聞かせてね」
「…了解」
その内、11時を告げる時報が鳴り、同時に監視員による笛がアチコチで鳴り響いた。
プールに入っていたお客さん達が、一斉にプールから上がってくる。
「凄いな、民族大移動みたいだ」
「センパイ、コッチコッチ!」
若菜は2人でしばらく待つのに丁度良い場所を確保してくれ、浮輪で押さえていた。
「お、ありがとう〜」
「こんな時、ビキニ女子が効き目を発揮するの。ゴメンナサイって言いながら歩いてたら、男性はみんな道を空けてくれるから。テヘ」
「う…流石やね」
「さて座って…と」
若菜が不慣れだからか、ビキニの胸の部分のズレや、ビキニパンツの食い込みを直しながら座ろうとしている光景は、新鮮だった。つい悲しい男の性でガン見してしまった。
「センパイも座って?」
良かった、ガン見には気付かれてないようだ…。
「ありがとうね…」
「さてと。センパイ、さっき見せた、ちょっと悲しそうな顔、アタシは見逃さんかったよ。まだ神戸センパイのことが、上井センパイの頭や心には残っとるんじゃろ?」
「ようそんな一瞬の表情の変化をキャッチするなぁ」
「だ、だってアタシ…。彼女代理だもん」
何故かそこだけは、照れながら若菜は言った。抵抗があるのだろうか…。
「若菜なら…言ってもいいかな。確かに、神戸さんのことは、これまで良くも悪くも忘れたことはないよ。去年なんか、フラレた後に後追いのように酷い目に遭わされてね」
「え…。そうだったの?センパイ…。そこら辺までは、アタシも横田さんから聞いてないから」
「じゃろうね。去年の体育祭で神戸さんに、横田さんと森本さんが俺との経緯を色々聞いてった、とは聞いたけど、神戸さんが自ら、俺としては辛かった仕打ちとかは話さんと思うし」
「例えば、どんな辛い目にあったん?センパイ…」
「一つ目はね、俺がフラれたのが三学期の1月末。その2週間後にバレンタインがあるってもんだ。そのバレンタインの前日に、神戸さんが、俺と同じクラスの別の男子にチョコを上げる場面を見てしもうたんよ」
「うっ…。それは辛いわぁ…。大人ならまだしも、高校受験を控えた中学生だもんね、センパイも」
「もう一つは卒業式で、神戸さんがその新しい彼氏とイチャイチャしながら、俺の目の前をワザとかどうか知らんけど、何往復か腕組んで歩いてさ。俺は目を背けとったけど…」
「なんです、それ。嫌がらせじゃないですか!」
若菜はもう過去のことだと割り切っている自分よりも、怒りの表情を見せてくれた。
「それで、この高校に来たのは付き合っとる時に、同じ高校にしようね、とか言ってきめたけぇ、もう変えられんかったんよね。じゃけぇ、同じ高校、同じ吹奏楽部になるのは我慢しようと思ったけど、まさかまさかで、同じクラスになったんよ」
「えーっ!」
「まだ続くよ。俺が同じクラスの男子を、吹奏楽部にスカウトしたんよ。それが伊東と大村なんよ」
「はいはい、その2人の先輩は、上井センパイが吹奏楽部に誘った…え?大村センパイも?」
「そう。そしたら多分、彼は神戸さんに一目惚れしとったんじゃろうね。渡りに船みたいに入部して、なんやかんやあって、付き合い始めたんよ」
「そ、その、なんやかんやが気になるぅ」
ここで10分間の休憩が終わるまで残り1分と告げられた。
「でも神戸センパイが、上井センパイの後に付き合ったっていう彼氏さんはどうなったの?」
「それは村山が教えてくれたんじゃけど、GW前に別れたんじゃって」
「ふーん…。で、大村センパイと神戸センパイが付き合いだしたのは、いつ?」
「6月に江田島合宿があるじゃろ?」
「あ、そういうのもありましたな」
「多分その時に大村が告白して、しばらくしてから神戸さんが承諾して、付き合いだしたんよ。文化祭の頃じゃったかなぁ…」
「な、なんか、凄い昼ドラを見ているような錯覚が…」
ここまで話したところで休憩が終わり、お客さん達は一斉に、再びプールを目指して駆け出していた。
「さ、俺達ももう一回流れて来ようか?」
「う、うん…」
若菜は涙目になっていた。
「ちょい待った!若菜は泣かんでもええんよ?」
「だって…だって…。上井センパイが可哀想過ぎて…」
「大丈夫。もう1年前のことじゃけぇ、俺の中ではやっと消化出来た話じゃけぇね」
「センパイ、なんて心が広いの?」
「広くなんかないよ〜。じゃけぇ、今でも神戸さんとはあんまり話さんじゃろ?大村は副部長になってしもうたけぇ、話すようになったけど」
「そんな、ことがあったから、あの2人を、見ると、悲しそうな、顔に、なるんだね、センパイ…」
若菜は今にも泣き出しそうな状態で、必死に話し掛けてくれた。
「うーん…。まあ正直言えばさ、まだ傷痕は塞がってないよ。でもこんな目に遭っても、何故か…神戸さんを心底憎めないんだよね」
「どうして?」
「年月の経過かな…。去年の今頃は、滅茶苦茶腹立てとったけぇ、俺の目の前から消えろ、とまで思ってたよ」
「センパイにしては過激じゃけど、それくらいのこと、されたんだもんね…」
「それが、ずっと同じ吹奏楽部で、春には部長と副部長って関係になって、否応なく会話せんにゃあならんようになって、俺ばっかり被害者意識を持っとったけど、神戸さん自身ももしかしたら辛かったんじゃないか?って思うように変わったんよね、俺の思考回路が」
「…センパイ…」
「ん?どしたん」
若菜は涙を堪えながら話してくれた。
「センパイが、横田のミキちゃんや、森本のケイコちゃんからモテてたのが、分かる気がするよ」
「え?なんで?」
「だって、そんな辛い…、いや、辛いって一言じゃ収まらん経験を、この1年半経験されて、それでもセンパイはみんなの前では明るいし楽しいし、後輩とも本気で、遊んだり練習したり、向き合ってる」
「うーん、まあ、部長になる時に、みんなが来やすい、放課後が楽しみな部活にしたい!って公約したけぇね」
「それ、高校だけじゃないよね?中学の時も…」
「いや、中学の時は途中入部ってハンディがあったけぇ、何処かで寝首を掻かれるんじゃないか、って怯えてたんよ」
「なんで?」
「思い出せるかな?俺、中学で部長やらされてた時、同期の男子がおらんけぇ、孤独じゃったんよ。じゃけぇ石田とか新村、永田とよう遊んどったし。女子に対しても、あんまり同期の女子とは話せんかったから、2年、1年の女子と話して、コミュニケーションを測っとったんよ」
「うーん、確かに…。でもアタシは、上井センパイが部長の時の緒方中の吹奏楽部、好きだったよ!1年の最初は、トランペットの厳しい先輩が部長じゃったし、上井センパイの後は石田くんが部長になったけど、やっぱり何故か厳しかったし」
「んー、俺だけが甘かったんかなぁ?」
「甘い…じゃなくて、センパイの見た目が優しそうだもん。だから年下からの、特に女子からの受けが良かったんよ。センパイもアタシ達と話す時は、面白い話とかしてくれるし」
「そうじゃったね。同期の女子と話すと、文句を言われることが多かったんよ。じゃけぇ、後輩の女子と喋ると、癒やされてたんよ、俺」
「えっ、そうなの?同期のセンパイとは仲が悪かったの?」
「いや、悪いというよりも、男子が俺1人、女子が20人ほどおったじゃろ?それだけで分が悪いんよ。若菜が合宿の最後の昼ご飯の時に言ってくれたじゃろ。高校で俺に同期の男子がいて良かった、って」
「う、うん。覚えてる…」
「じゃけぇ、クラスの男子とかは女子が一杯で羨ましいのぉ、とか言いよったけど、実際はそんなに良いもんじゃない、っていつも答えとったしね」
「そうなんだぁ…」
「卒業アルバムの部活写真も、みんなが楽器を持って音楽室の中で撮りたかったのに、屋上に上がりたいって無理を言われて、仕方なく竹吉先生にお願いしに行ったんよ」
「あれ?屋上は禁止じゃなかったっけ?」
「じゃろ?普段は上がっちゃいけん場所で撮りたいなんて言って、俺を困らすし…。二学期には早く引退したいとか我儘言うし…」
「そんな…センパイと、女子のセンパイの闘いがあったの?全然気付かなかったなぁ」
そこへ山中と太田が通り掛かった。
「よ、ウワイモ。若菜さんと仲良くしとるか?」
「イモは余計じゃっつーの!」
「若菜ちゃん、上井君と組んでみて、どう?」
太田も声を掛けてくれた。山中の意を組んで、若菜をプールに誘ってくれたのが太田だ。だから俺と上手くいっているか、気になるのかもしれない。
「あ、太田センパーイ!楽しいですよ」
「ホント?なら良かったぁ」
「太田センパイとは、今日はビキニ仲間だし。また泳ぎに行く時、誘って下さいね」
「うんうん、分かったよ。じゃあまた後でね。バイバイ」
「ウワイモ、頑張れや。じゃあの」
「イモはよけいじゃっつーの!」
山中と太田は、そのまま奥にある滑り台を目指しているようだ。仲良く手を繋いで2人で歩く光景は、俺には新鮮だった。
「なんかアイツラ、あんなに仲良かったんやなぁ…」
と俺が呟くと、若菜が反応した。
「ね、上井センパイ。また手、繋ご?繋いで泳ごうよ」
「え?いいの?」
「うん。アタシは今日だけはセンパイの彼女代理だもん。センパイの辛かった話、沢山聞いたけど、だからセンパイは他人の痛みが分かる、優しいセンパイなんだ、って分かったよ」
「若菜…」
「正直さ、アタシはセンパイのことをまだまだ知らないんだな、って思っちゃって。いつも明るくて楽しくて、冗談ばっかり言ってるから悩みもないんだと思ってて、アタシも同じ中学だからつい親しげに話したりしてたけどね」
「……」
「センパイが神戸センパイと別れたって話も、詳しく聞いたらその後の経緯とかドロドロして壮絶だし。よくそんな元カノと、元カノの彼氏…しかもセンパイが吹奏楽部に引っ張ったんでしょ?そんな2人が副部長でいて、もう副部長夫妻とか言われとるのに、なんでセンパイはこんなに今の部活で明るく楽しく振る舞えるんだろうって」
「まあ、諦めの境地に達したのもあるよ…」
「そうかもしれないけどさ…。アタシは中学生の時とは違う意味で、センパイを尊敬するよ」
「中学の時とは違う意味?」
「うん。中学の時は、練習熱心で、後輩にも優しいセンパイ。今はね、それに加えて、自分が辛くても耐えて、周りの為に頑張るセンパイ」
「若菜…」
「良かったよ、今日センパイの相方を務められて。まだ今日は始まったばかりじゃけぇ、楽しんで過ごそうね、センパイ!」
そう言って若菜は立ち上がると、ビキニパンツに着いた砂を落としつつ、座ったままの俺の手を引き、プールへと誘った。
「よし、楽しもうや!他の3組に負けんように」
「そうそう!せっかくのプールだもん」
若菜はそう言い、立ち上がった俺の背後に回ると、突然背中に被さってきた。
「えっ!ちょ、ちょっ…」
「今日だけは、センパイの彼女!さ、アタシをオンブして、プールに連れてって?レッツゴー!」
ビキニだけでしか覆われていない、若菜の体が俺の背中に密着する。
いつの間にか成長したバストが俺の背中を刺激する。オンブしようとすると、これまたいつの間にか成長したヒップに手を回さざるを得ない。
「センパイ、浮輪持った?」
「持っとるけど…。あの…。…いいの?」
「えっ?何が?」
「あっ、あの、オンブはええんじゃけど、色々女性にとって大切な部分を、俺の体が触らざるを得ないことが、若菜の今後にとって…」
「ギャハハ!そんな言い方が、センパイらしーい!そんなの気にしなくていいの!アタシも今はフリーなんじゃけぇ。誰のものでもないから、気にしない、気にしない」
「そ、そう?じゃ、遠慮なく…恥ずかしいけど…」
俺は背中に若菜をオンブして、浮輪も同時に持って、まずは流れるプールに向かった。
若菜も安心して体を任せてくるので、胸がギュッと背中に押し当てられるし、ヒップから太腿にかけて俺の両手がガッチリホールドしている状況も、何も言わない。
(ふう…。今、真正面から俺の体を見られたら大変なことになる…。他の3組とすれ違いませんように…)
若菜を背負う重さより、俺は勝手に発動する悲しい男の性がバレないことを祈りつつ、流れるプールへ向かった。
<次回へ続く>
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