第65話 ー神戸視点・合宿最終日その1(心配な上井君の心)ー

【昭和62年8月12日(水)】


「俺は、疲れたので帰りたいです」


 合宿最終日の朝、ラジオ体操の後の上井君による今日の予定説明の時、上井君が不意にこんなことを言ったの。

 みんなは笑ってたけど、どんな時もみんなの前では明るく前向きなことを言うようにしてるはずの上井君なのに、どうしたんだろう。珍しいな…。


 まあ真剣な表情で言った訳ではなくて、ユーモアの一環みたいに言ってて、その後にすぐ真面目な話をしていたから、そんなに心配しなくてもいいのかもしれないけど、上井君の顔を改めて見てみたら、寝不足感が凄かった。昨日の朝も凄い目の下のクマだったけど、それが更にグレードアップしたような感じで。


(昨日の夜も、色んな人の話を聞いてたの?相談に乗ってたの?かなり夜遅くまで…)


 朝食はD班なので、村山君と伊東君は先にメンバーを連れて準備に向かったけど、いつもならこのタイミングでアタシに話し掛けてくる大村君が、この日はアタシに声を掛けずに、そのまま体育館から出ていこうとしていた。しかも結構朝なのに疲れてるっぽい。


(え?なんかオカシイわ…)


 上井君は黙っててもいいのに、わざわざ今からシャワーを浴びます!って宣言してるし。それに何故か1年の神田さん、赤城さん、若菜ちゃんの3人に、覗くなとか言って笑わせてたけど…。

 何か、アタシの知らない事件的なことがあったのかな…。


 大村君が先に行っちゃったから、アタシは食堂教室に向かってるマミを捕まえて、昨日の夜から今朝に掛けて上井君絡みで何かあった?って聞いてみた。


「えっ…?いや、なっ、なんにもないよ…」


 マミが何かを隠してるのは直ぐに分かったわ。アタシに隠し事しても無駄よ。


「ふーん、じゃ、何かあったんだね」


「んもう、チカには隠し事出来ないなぁ…」


 そういうマミも疲れているみたい。


「あのね、絶対に秘密だ、ってことになってるの。だから、アタシから聞いたことは、すぐ忘れてね」


 何だかマミの言い方だと、凄い事件が起きたみたい…。それも上井君絡みで。


「う、うん。アタシの口の固さは知っとるじゃろ?」


「…うーん、それでも躊躇しちゃうな…。ちょっと人目に付かない所で話そうか」


「…分かったよ」


 マミは最初、朝なら誰もいないシャワー室へ行こうとしたけど、上井君がシャワー室に行くって宣言してたのを思い出してか、逆に体育館に戻って、2階に繋がる階段のカーテンに隠れるように座った。アタシも座らされた。


 しばらく沈黙が続いた。マミはどうアタシに話そうか迷ってるみたい。


「…あのね、あくまでもアタシに関することを話すね」


「うっ、うん」


「ホンマに、誰にも言わんとってね」


「そこはアタシを信じてよ。誰にも言わんけぇ、ね」


 マミは一呼吸置いてから、小声で話し始めた。


「…あのね、上井君が夕べから今朝に掛けて、行方不明だったの」


「ウンウン、行方不明…えーっ?な、なんて言ったの、今!」


「上井君が、行方不明だったの」


「ちょっと、そんな大変な事が起きてたの?」


「ちょっと、声が大きいよ、チカ」


「だ、だって…。行方不明って、そんな大変な事が起きてたなんて…。どうして?」


「うーん、詳しく話すと長くなるんだけど、色んな人が関係してるの。その中にアタシも入ってるのね。実はアタシ、昨日の夜のレクの後、上井君を捕まえて、チカが上井君と話せて喜んでたから、もう仲直りしちゃえば?って言ったの」


「そ、そうなんだ…。まあ上井君と会話が出来て嬉しかったって、マミには言ったけど、秘密だよとは言わなかったから…。喋られても仕方ないし。でもそれが何で上井君の行方不明につながるの?」


「アタシ、上井君は次の用事に向かってる所を強引に捕まえたのね。まずそれが一つ。もう一つは、上井君とチカが仲直りしたほうがいいって、ちょっとしつこく言い過ぎたんだ…」


「うーん…。確かに上井君って、瞬間湯沸し器な部分もあるから、さっきよりは原因が見えてきたけど、でも行方不明になるかな、それくらいで」


 アタシは未だに何で上井君が行方不明騒ぎを起こしたのか、掴めなかった。


「でしょ?アタシがやったことがそれだけなら、アタシがしつこい!って怒られて終わりだと思うの。そこに、アタシ以外の方…名前は伏せるけど、何人かとのやり取りを経て、再びアタシが上井君を悩ます原因を作ったのよ」


「なんで?レクの後にちょっとしつこく聞いちゃって、上井君が珍しく怒って、終わりじゃないの?」


「うん…。夜にそんなやり取りする前…午前中にね、アタシ、意味深なことを言って、上井君と夜の11時半に待ち合わせる約束してたの」


「午前中に?そんな夜遅い時間の約束を持ち掛けて、上井君はいいよ、って言ったの?」


「一応ね。意味深な言い方したからかもしれないけど。ただ上井君は、疲れとるからその時間まで起きてられないかもしれない…って言ったの。だからアタシは、もし上井君が待ちあわせ場所に来なかったら、寝たんだと思って諦めるから…とも言ったのよ」


「ふーん…。じゃマミは昨夜は、その11時半を待たずに上井君につい話し掛けて、苛々に火を着けちゃって、その後の上井君の予定にも影響したかもしれないんだね」


「結果的にはね…。本当はそれだけ、チカと上井君の接近が、嬉しかった…。上井君の予定のお相手の方の名前は言わないけど、アタシの後に2人、話をする予定が入ってたんだって。というより、アタシが最初に話し掛けたのは、上井君には予定外だったから、本当は相手してくれて感謝しなくちゃいけないんだ。アタシのせいで、本当なら最初に会う予定だった方の所へ行くのに、遅刻させちゃったから。しかもテンションを苛々モードにさせて…」


 マミはその時のことを思い出して、目に涙を浮かべながら話していた。


「そっか…。で、上井君は遅れて次の予定に向かったから、必然的に2人目の方との約束時間にも遅れちゃった…ってことでしょ?」


「そう、なの。でもアタシは、その辺の経緯は詳しくは知らないの。次に上井君と絡むのは…いや、実際は絡んでないんだけど、その夜11時半の約束なの」


「絡んでないの?元々はマミが誘ったんでしょ?」


「うん…。でもそのちょっと前に、あまり良くない雰囲気で上井君と別れてるから、上井君は11時半には待ち合わせ場所には来ない、って思ってたのよ」


「…まあ、アタシでもそう思うかなぁ」


「でも念の為、待ち合わせ場所を、こっそり覗いたら、上井君が来てくれてたの…」


 マミは堪えきれず、ハンカチで目頭を押さえた。


「えぇっ?」


 アタシは驚くしかなかった。

 同時に、やっぱり上井君らしいな、って思った。

 例え険悪なムードになった相手でも、一度約束したことは守ろうとするんだね。


「上井君が待ってるのを見て、マミはどうしたの?上井君の所に行ったの?」


「…行ってない。さっき、絡んでない、って言ったでしょ?」


「あっ、そうか…。じゃ、上井君はどんな状況でマミを待ってたの?」


「あのね、男子部屋は1階、女子は2階だったでしょ。だから待ち合わせ場所は、階段の踊り場にしてたの。でも階段だから電気を点ければ良いのに、真っ暗な中で、座って待ってた…」


 マミは涙を堪えながら、必死に話してくれた。


「そうなんだ…。マミ、上井君の所に、行けば良かったのに」


「行けないよ。行けない…。アタシ、その前に、上井君に嫌な思いさせてるんだもん。本当は行って、謝れば良かったの。だけどね、どうしても心がストップをかけちゃうの」


「……」


「夕べのアタシ、部屋を出たり入ったりしてたでしょ?」


「…あっ、そう言えば。もう寝ようか~って言ってた頃だよね」


「その頃、アタシは上井君の様子を見るために、何時まで待っててくれるんだろう…って、心の中がハチャメチャな状態で、何度か部屋を出ては階段を見に行ってたの」


「それで寝る前なのに、何してるんだろう?って思ったの、アタシ。でもマミの表情がね、なんか思い詰めてた感じだったから声を掛けられなくて…。でもまさか上井君との間で起きてた事とは思わなかった…」


「だよね…。多分上井君はね、1時間位、暗い階段の踊り場に座って、アタシが来るかもしれないって、待っててくれたと思うの」


「1時間も?」


「うん…。アタシが、最後に上井君の姿を見たのは日付が変わった後の12時半なの。その次に、これ以上待たせてたらいけないと思って、もし上井君が待ってたら、勇気を出して謝ろうと思って様子を見に行ったら、もういなかったんだ…。だからね、最低1時間はアタシを暗い階段で待っててくれたの」


「……」


 アタシは言葉が出なかった。その1時間、どんな事を考えていたの?マミと喧嘩したような感じになったことを考えていたの?それとも別の事?


「アタシ、上井君を余計に傷付けた…って思って、凄く後悔しながら寝ようとしたけど、全然寝れなくて。チカはその前に眠ってたから、起こすわけにもいかなかったしね」


「う、うん。アタシは多分12時過ぎには寝たかな」


「恥ずかしいけど、布団の中で泣きながら色々考えてたの。そしたらいつの間にか寝てたんだけどね。でも今朝…ついさっきのこと。アタシ、前田先輩に起こされたの」


「前田先輩に?なんで?」


「それ以前に、一番最初に瀬戸君が、上井君が男子の部屋にいないってことに気付いたの。いつも遅くまで不在気味だから、寝る時は上井君がいなくても気にならなかったけど、今朝4時半に目が覚めてみたら、上井君は部屋に戻った形跡がなかったんだって」


「えっ…。一晩、戻ってないってこと?階段からいなくなった後も、男子の部屋に戻ってなかったの?」


「そう。それで瀬戸君が不安になって、大村君を起こしたんだって。で、大村君が確かに上井君の布団スペースが昨日から全然戻った形跡がないのを確認して、まず女子の部屋に来たのよ」


「えーっ、全然気付かなかったわ」


「その時はね、最初に若本さんが、大村君が来たことに気付いて目を覚まして、思わず大声を上げそうになったんだって。でも大村君が説明して、そこから最初は大村君と瀬戸君、若本さんの3人で、上井君が何処かで寝落ちしてるんじゃないかって、それまでによく上井君が誰かに捕まってた場所を何箇所か探したんだって」


「その時はまだマミは気付いて無かったの?」


「うん…。寝たのが遅かったけぇね。でもアタシも5時頃、前田先輩に起こされたのよ」


「前田先輩がまた出てきたね。確かに元々上井君はサックスだけど…」


「混乱してたから、ハッキリとは覚えてないけど、若本さんが不安になって、前田先輩を起こしたみたい。で、前田先輩は、アタシがよく上井君と話してる所を見掛けてたから、アタシも何か知らない?って感じで、起こされたの」


「やっと上井君が行方不明になったって事が何なのか、分かったわ」


「時間的に、アタシが上井君の最後の目撃者なんだけど、それは流石に言えなくて…。とりあえずその5人で、もう一度上井君を探したの」


「全然知らなくて…ごめんね」


「ううん、チカは悪くないから。気にしないで。アタシが一番悪いんだ。上井君の気持ちを乱して、その後の予定も狂わせちゃって、最後はアタシを待ってくれてたのに、暗い階段の踊り場で1時間も放置したんだから」


 収まっていたマミの涙が、再び溢れてきた。必死にハンカチを目頭に当てて、溢れる涙を拭いていた。


「それで、行方不明事件、ってことに繋がるのね」


「そうなの。5人で探したんだけど、結局上井君、何処にいたと思う?」


「え、全然想像が付かないわ。だって、上井君がいそうな所は一通り探したんでしょ?」


「そう。でも意外な所にいて、寝落ちしてたみたいなの」


「意外な所?女子バレー部の部屋とか?」


「まさかぁ!そんな夜這いみたいなこと、上井君はせんよ。上井君は、2年7組にいたの」


「2年7組?上井君のクラスだね…。もしかしたらマミに会えず、落胆した状態で、男子部屋にも戻れなくて、自分のクラスに行ったのかな…」


「そうかもね。なんで2年7組にいたのかまでは聞けなかったけど…。アタシが一番悪いから」


「あまり自分を責めないで、マミ。それで第一発見者は誰だったの?」


「瀬戸君よ」


「そうなんだ…」


「アタシも含めた他のメンバーも2年7組に集まって、寝惚けてる上井君を正気に戻して…」


「ありがとう、マミ。話してくれて。辛かったでしょ?」


「うん…。アタシ、最悪の事態まで考えたんだよ。この合宿でアタシは、上井君を傷付けてばかりだから、やってられない!って思って、不測の事態が起きてはいないか…って」


「そっ、そんな!上井君は確かに色々背負いすぎて、たまに背負いきれなくなったら爆発しちゃうけどさ、そんな、みんなを困らせるようなことは…しないと思う」


 アタシの知る上井君は、他人に迷惑を掛けるのを極端に嫌がる性格。だから何か起きると、全部自分で背負おうとするんだよね…。

 今朝、2年7組で発見されたという一件も、探してくれた5人には、謝り倒したんじゃないかと思う。


「…アタシね、この件に関わったメンバー以外には、絶対上井君が一晩行方不明になったことは喋っちゃダメって言われてるから…大村君から」


「彼が?」


「一応、上井君を探すリーダーだったしね。だからチカも、大村君がこの件について切り出すまでは、何も聞いてないって態度で、大村君と接してほしいの」


「うん、分かったよ。でも…マミも大丈夫なの?」


「アタシ、この合宿で、本当に上井君に迷惑ばっかり掛けてる…。朝ご飯の後にでも、ちゃんと謝れたら、とは思ってるの」


「分かったよ。アタシは知らないフリしとくね」


 気付いたら、もう朝御飯の時間だった。


「朝ご飯、食べに行こう?」


「そうだね…。もうこんな時間だし」


 アタシとマミは、体育館から出て、食堂になっている3年1組へと向かった。


(上井君、あと合宿ももう少しだけど、大丈夫かな…。心配だわ…)


<次回へ続く>

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