夏季合宿サイドストーリーー神戸視点ー
第60話 ー神戸視点・合宿2日目その1(気になる上井部長)ー
【昭和62年8月10日(月)】
合宿も2日目。
昨日は上井君の様子がおかしくて心配だったけど、マミ(野口真由美)が合宿の運営方法について、上井君を捕まえて、ちょっと独善的じゃない?みたいなことを言ったせいと分かった。
マミも思い付いたことは直ぐに口にするタイプだから、それを言われたら相手がどうなるか、までは考えが及ばないのよね。
上井君の性格…アタシも一応、元カノだから…。ある程度は知ってるけど…。とにかく照れ屋さん、恥ずかしがり屋さん。だから今、高校の吹奏楽部の部長として、ダジャレやオヤジギャグを交えて、明るく楽しい部活の雰囲気作りに頑張ってるのは、上井君本来の性格からすると、かなり無理してるって思う。
だから弱い部分を刺激されると、ガクッと落ち込んじゃうんだよね…。
マミはまだ、そこまで上井君の性格を把握してなかったんだろうなぁ…。
本当に上井君がおかしいことをやろうとしてるんなら、それは違うって言わなきゃいけないけど、合宿の食事班をくじ引きで決めるのは止めて、事前に5班に編成します、っていうことは、事前の案内プリントには書いてあったんだから、今更それを役員間で話し合いとかしたの?みんな納得してるの?って上井君に突っ込んでも、どうにもならないじゃない…。
本当は会議とかでちゃんと話し合えばいいんだろうけど、上井君が役員会議を開くのが大変なのは、夏休みの初めにあった会議で分かっちゃったから…。
アタシとサオちゃんが原因なんだよね。
アタシ達に声を掛けにくいから、会議も開きにくい。
それぞれのパートナー、アタシなら大村君、サオちゃんなら村山君に声掛けも頼めば良いのにって思わなくもないけど、そうして集まっても5人で話し合うってシチュエーションが、上井君にはプレッシャーなんだな、っていうのが、この前分かったから…。
とりあえず合宿は2日目に入ったし、アタシはC班リーダーだから、朝食の準備をしなくちゃね。
ラジオ体操の後にそう考えていたら、上井君が今日の予定を説明した後、不意にアタシの方を見て、
「えーっと、こ、神戸さん、よろしく…。大上もサポート頼むね」
って言ったから、アタシも反射的に、
「はーい、上井君、分かったよ」
と返事したんだけど…。
(あれ?なんだろう、この懐かしい感じ…久しぶりに上井君と目が合ったから?)
もう一度上井君を見てみたけど、今日の予定の説明に入ってて、もうアタシの方は見てなかった。
でもアタシが、上井君に対して『うわいくん』って言ったのは、本当に久しぶり。
大村君やマミと話す時に、上井君について話す時もあるから、そんなときに『うわいくん』って言うことはよくあるけど、本人に向かって『うわいくん』と言ったのは…いつ以来?
百人一首大会で1年ぶりに会話出来た時も、上井君に対して『うわいくん』って呼び掛けてるけど、まだあの頃は目を合わせてくれなかったし。
少しだけど、上井君との間の壁が低くなってきてるのかな…。
でも上井君と自然に何でも話せるようにならないと、上井君がアタシを許してくれたとは思えないから…。
「チカちゃん、朝の準備、頑張って」
大村君から声を掛けられて、アタシはなんだか違う世界に行ってたような、そこから引き戻されたような、変な感じになってしまった。
「あ、うん、ありがと」
「大上と上手くやれればええね」
「そ、そうね…」
そんな会話を交わした後、上井君の号令で解散になって、C班のメンバーは朝食の準備にと、アタシの所へ集まってきたの。
でも先に大上君が気を利かせてくれて、
「C班揃ったよな。じゃ、スロープに行こうか」
と、リードしてくれた。
「大上君、ありがとう」
「いやいや、大したことじゃないよ。上井から、神戸さんをサポートするようにって、言われとるけぇね」
「上井君から?」
「そう。昨日の夕飯の時に。上井がなんか昨日は合宿初日じゃってのに、最終日みたいな疲れ方でさ。なんか合宿のスケジュールとかについて、誰かから文句言われたりしたんかな?って、山中とも話しよったんよ。じゃけぇ、昨日の夕飯時っていう、C班にしてみたら結構ギリギリのラインで、疲れ切った顔で俺や山中に、神戸さん、あと伊野さんのサポートを頼むって、改めて言いに来たんかなぁって。もしかしたら、大村辺りが文句言ってなかった?」
やっぱり昨日の上井君は、マミに指摘された部分に責任を感じて、食事班とかに関係するメンバーに、改めてお願いに回って、疲れ切ってたんだわ。でも大上君と山中君は、その原因は大村君だと思い込んでるみたいね。
「あの、アタシが言っても説得力ないかもしれんけど、大村君じゃないよ」
「へぇ。じゃ、誰が上井を悩ませたんじゃろ。凄い俺らに対して申し訳無さそうに話すけぇ、コッチが悪いことしとるような気になってしもうてさ。きっと誰かが上井に、相当キツイ言い方したんじゃないかな。確かに食事班については事前に知らんかったけぇ、開会式でビックリ…は大袈裟か?へぇ、こういう風にやるんか、とは思ったけどね」
「実は大村君も大上君と同じような感じで、昨日のお昼御飯の後に上井君に、俺はB班リーダーとして何をすればいい?って聞いてたんだけどね、上井君ってば物凄い申し訳ない、勝手に決めて、ってそればっかり繰り返して、謝ってばっかりじゃったんよ。で大村君も、いや、俺は責めようとしてる訳じゃない…って言って、逆に上井君を励ましとったから」
「そうなんじゃ。じゃあ、黒幕は他におるってことか。合宿始まってから文句言うなら、もっと早う言えばええのに」
アタシはマミの顔が浮かんで、もっと落ち着いて行動すれば上井君が合宿初日からあんなに落ち込んだり、疲れ切って謝りに回るようなことはなかったのにって、少し苛立ちを感じてしまった。
でも大上君が、黒幕って言い方をしたのは、大上君のちょっとしたユーモアなのかな?と思っちゃった。
そんな話をしながら、朝食が置かれている場所に着いた。
メニューはパン食のようで、クロワッサンが入った箱が2つ、あとは野菜ジュースとヨーグルトが多分1人1個ずつで、それぞれ一箱あった。
7人で運ぶには、ちょっと面倒だと思ったけど大上君が、
「箱は多いけど、重さはそんなでもないと思うんよ。一気に台車に載せて運ぼうや」
って言ってくれたので、アタシもC班のみんなに、
「じゃああそこにある台車に、4つの箱を載っけて、一気に運びます。みんな、お願いね!」
と声を掛けやすかった。
運んでる途中で同じ中学校の後輩、フルートの若菜さんが、
「センパイ、大上センパイと話してたら、大村センパイに嫉妬されるんじゃないです?」
なんて茶化してきたから、そんなことないよ〜って言いながらつい笑っちゃった。
…でもそんなこと言われるほど、アタシと大村君の組み合わせって、みんなに知られた存在なんだね。
この先、どうなるんだろう…。
「神戸さん、クロワッサンは1人何個ぐらいありそう?」
大上君がグイグイとアタシを引っ張ってくれるから、助かるな。
「そうね、3個はありそう」
「じゃ、手分けして最初皿を配ってから、クロワッサン3個に野菜ジュースとヨーグルトを7人で手分けして配ろっか」
「うん、そうしよう。じゃみんな、まずお皿をお願いしまーす」
そうやって大上君と話しながら準備を始めたら、上井君がもうやって来た。
やっぱり気になるのかな…?
「おう、上井。なんとか神戸さんと1年生で準備しとるとこや。何か心配になって、早目に見に来たんか?」
と大上君が、アタシより先に上井君を見付けて声をかけてた。
「あ、いや、別に心配とかじゃないよ。体育館でラジオ体操の後に色々あって、寝室まで戻るのが面倒じゃけぇ、そのままここに来たんよ」
色々って、女子バレー部の子に弄ばれてたことかな?
他に何度か上井君と大上君が喋った後、上井君は不意に2人の会話を眺めてたアタシを見た。
(えっ!)
上井君と目が合って、何故かアタシも上井君も照れてしまって、顔をお互いに赤くして目を逸しちゃったんだけど、上井君は明らかにアタシを意識してる…。
それがアタシにとって良いのかどうか分からないけど、一つ言えるのは、去年よりも上井君との距離は近くなってる、確実に。
…でもアタシが上井君にしてしまったことを考えたら、本当はこんな呑気なことは思っちゃいけないんだ。
常に心の中で、上井君に謝り続けなくちゃ…。
朝食が終わって、休憩を挟んでから午前中のパート練習が始まった。
一応アタシはクラリネットでは、最初は個人練習にして、一度休憩してからクラリネットだけの分奏をするってやり方をしてるんだけど、この日はその途中休憩の後、1年生の女の子達が何か変なテンションで帰ってきた。
アタシは村井さんに、
「どしたん?何か面白いことでも起きたの?」
って聞いてみたけど、
「神戸センパイ!…には、とても言えないことです!」
って、笑いを堪えながら答えてくれた。
「村井さんじゃだめか~。神田さんだと教えてくれる?」
と、クラの元気印、神田さんにも聞いてみたけど、やっぱり、
「いえっ、アタシも神戸センパイには話すわけにはいかないですっ!」
と、やっぱり笑いを堪えながら返事してくれた。
クラの元気な1年生2人がこんなだと、他の女の子に聞いてもダメだろうなぁ。
唯一の男子、瀬戸君はキョトンとした顔して女子を見てたから、何も知らないっぽいし。
そんな状態のまま何とか午前の練習を終えて、お昼御飯の時間になったんだけど、なんか全体的に1年の女子がニヤニヤしてて、雰囲気もザワザワして落ち着かないのよね。
上井君がやって来た時も、上井君の方を見て、コソコソと何か耳打ちして、噂話してるっぽい。
上井君は村山君や伊東君に声を掛けてて、どんな会話を交わしたのかは分からないけど、その時も伊東君に何か言われて困惑気味だった。
(上井君、昨日の悩みがまだ続いてる?でもマミはさっき、上井君と話ししたよって教えてくれたし。何なんだろ?)
とりあえず昨日から2年女子で固まって座ってる辺りに座って、上井君の様子を眺めてたら、広田さんと宮田さんが遅れて入ってきて、何故か宮田さんは泣きそうな顔して上井君に謝ってる…。
広田さんはその横で、宮田さんと交互に上井君に謝ってるみたい。
上井君はどうするのかなと見てたら、気にしないで…って何とか2人を宥めて、座るように促してるようだった。
1年女子のザワザワと関係あるのかな?
と思って眺めてたら福崎先生も来られたので、上井君は意を決したような表情で、お昼御飯の号令をかけるために立ち上がって、喋りだした。
「…何やら1年生女子の皆さん、俺に関する面白い話が出回っているようですね?」
なんのこと?
村井さんや神田さんが笑いを堪えてたことと重なるの?
「…なんと私は……着替えを合宿の3泊4日分じゃなく、2泊3日分しか持って来なかったんです!」
1年の女子のザワザワが、なんとなく静まって、え?みたいな雰囲気に変わるのが分かった。
「そういう話をしていたら……パンツを3泊4日分丸々忘れたというように、変化して伝わっていったみたいです……」
ははーん、分かったわ。
村井さんや神田さんは、休憩時間にその話を聞いて、まさか上井君が部長なのにパンツを忘れるなんて!って、可笑しくて笑いを堪えながら帰ってきたのね。
上井君が言ってることが正しいなら、何処かで上井君が着替えを少なく持ってきたって話が、何故かパンツを忘れたことになって、しかもそれが合宿の4日分丸々忘れたって話に大きく変わって…。
「…こんな話を何時までもしていたらメシが不味くなりますので、食べましょう!合掌!」
最後は上井君が強引に締めて、お昼御飯に移ったけど、1年の女子はなーんだ…って感じで、明らかにテンションが下がってた。
…でも?ただでさえ汗かきな上井君が、着替えを忘れたりするかな?
アタシはパンツを忘れたとかいう変な噂を打ち消す為に上井君が言ってた、1日分の着替えを忘れたって説明すら、本当は嘘なんじゃない?って思った。
アタシが上井君と告白し合って、彼と彼女って関係になった中3の夏、アタシは上井君が汗かきなのに気付いて、初めてのプレゼントにタオルハンカチを上げたのを覚えている。
夏休みの部活も、合奏後はいつも全身ビッショリってくらいに汗かいてたのを、ついこの前のことのように思い出すな…。
そんな上井君が、着替えを忘れたって、どう考えても変だわ。
「チカちゃん、どうした?」
大村君がお昼御飯の後に、声を掛けてきた。つい中学校の時の思い出に浸ってたから、焦っちゃった…。
「あ、いや、なんでもないよ」
「そう?なんか考え込んでたようだから…」
「…ねえ、上井君がご飯の前に変なこと言ってたけど、本当かな?」
「ああ、それなら俺も何か変だなとは思った。チカちゃんも?」
「うん。上井君って汗かきじゃない?なのに、着替えを1日分忘れたなんて、本当かな、って思って」
「汗かき?ああ、そう言えばそうじゃね。さすが、元カノさんじゃね」
「えっ、そんなこと、関係ないよ…」
本当は関係あるって言いたかったけど、大村君は嫉妬深いから、止めといた。なんか皮肉めいた言い方に聞こえたし。
「じゃあ、俺が上井に聞いておこうか?昼飯の前の話って、嘘じゃろ?って感じで」
「えー、いいよ、そんなの」
「いや、俺もなんか引っ掛かるからさ。もしかしたら昨日落ち込んどったことと関係あるのかもしれんし」
「…うーん、じゃ、もし聞けそうなタイミングがあったら、でいいから聞いてみて?午前の練習中に、クラの1年の女の子達が笑いを堪えてたんじゃけど、その時はアタシも頭の中がハテナだらけだったし、1年の子に聞いても教えてくれんし、それに加えてなんか上井君、変なんだよね…」
「オーケー。合奏前にでも聞いてみるよ」
「あの、無理に聞かなくてもいいから」
「まあ、任しといて」
そう言って大村君は男子部屋に行った。上井君を探しに行ったのかも。
でもこの合宿が昨日始まってから、やっぱり上井君が変なのよね…。
昨日、マミに責められたのも、マミは解決したって言ってたけど、まだ上井君的にはスッキリしてないのかもしれないし、他にもアタシには分からない、部長としての悩みがあるのかもしれないけど、上井君がいつも通りじゃないと、やっぱり心配。
大村君には無理しないでって言ったけど、出来たら何か聞き出してくれたらな…。
結局アタシ、本当は上井君のことが……。
<次回へ続く>
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