第59話 ー合宿最終日・若本との帰り道ー

 前田先輩からの、予想もしなかったキスにまだ動揺が収まらないまま、とりあえず俺は高校から宮島口駅へ向けて大荷物を抱えて1人で歩いていた。


(ほんの一瞬だけだったけど、間違いなく俺にとってのファーストキス…だよな。でも今朝は付き合ってる男女じゃないとキスは出来ないって断られたのに、前田先輩の心境って一体…?)


 と同時に、彼氏と彼女じゃないけど、一緒に海に行こうって誘ってくれたのは、なんなんだろうか。元カレの代わりじゃないとは言ってたけど、どう考えてもやっぱり本当は、元カレと行きたかった海水浴の、代役としか思えない。


(あーっ、やっぱり女子の考えって分からん!特に年上の女性じゃなおさらだ…)


 海水浴もだが、キスも代役なのだろうか?

 しかし代役にしては軽すぎるし、単なる先輩後輩関係なだけなら、逆に重すぎる。


 時間的に西日もきつく、大汗をかきながら荷物を抱え、宮島口駅へと悩みながら歩いていたのだが…


「あっ、上井センパーイ!」


 と元気のよい女の子に声を掛けられた。


 場所的には、宮島口駅と西廿日高校の間にある、唯一のスーパーマーケット付近だった。


(俺をセンパイと呼ぶなんて、1年生だろうけど、誰だ?もしかしてこの方角なら…)


 暑さにやられ、意識も朦朧としていたが、声がする方を向いてみたら、やっぱり若本だった。

 既に一旦帰宅し、私服に着替えた後のようで、結構派手なTシャツに、デニムの短パンを穿いていた。


「あれ?若本って、こっちのスーパーにも来るの?」


 以前、宮島口駅近くで若本と遭遇した時、近くのコンビニにアイスを買いに行く途中だと言っていたことを覚えていたので、わざわざ若本家から高校近くの高台にあるスーパーに来るのは大変じゃないか?と思い、聞いてみた。


「うん、来ますよー。色々揃えて買うのは、ここが距離的には一番近いので。こんな暑い日、しかも合宿終わった後だってのに、買い物係に任命されてやって来たら、センパイがまさに今帰ろうとしてらっしゃる場面に遭遇したってわけで。でもセンパイ、こんなに遅くまで何してたんです?」


 今は時間的には4時半前だ。合宿の閉会式が終わって解散したのは、2時半過ぎだったので、若本の指摘も当たり前だ。

 だが、失恋した前田先輩を慰めていて、弾みでキスして…なんて、とても言えない。


「みんな帰った後に、音楽室、食堂だった3年1組、男子部屋だった1年3組、女子部屋だった2年7組と8組とシャワー室と…。忘れ物がないか点検しとったんよ」


「マジで?センパイ1人で?そんな大変なこと、大村センパイが言ってたけど、役員で手分けすればいいのに」


「いやっ、いいんだ、これは。みんな帰って、音楽室の鍵を閉めた時に、突然思いついたことじゃけぇ」


 俺は暑さから出る汗と、妙な緊張感から出る汗のダブル攻撃で、背中が冷たいほどだった。


「ふーん…。まっ、センパイが良いんならアタシはそれ以上何も言えんけどねっ」


 何とか一山やり過ごし…


「で、若本は買い物終わったの?」


「うん、終わったー。重たいから、いい所でセンパイを発見したから持ってもらおうと思ったのに、なんです、その引っ越しでもするような荷物の山は!」


「ああ、これはラジカセが入ってるからかもね」


「ラジカセ…。センパイ、そんな重たいもの、わざわざ大竹のお家から持って来てたの?」


「うん。まあ殆ど使わなかったけどね~、ハハッ…」


「それにしても、ラジカセが入ってるとしても、かなりの荷物っぽいよ、センパイ。他に何があるの?」


「寝付けなかった時のための本とか…着替えて洗濯機に突っ込みたいものとか…」


「センパイ、やっぱりパンツどころか、着替えも忘れてなかったのね」


「ん?あぁ、例の噂ね。まあ若本には説明済みじゃけど…。異性のパンツが好きなのは男だけかと思うとったけど、女子も男子のパンツが気になるんじゃね」


「…いや、それは相手とシチュエーションによるな、ウン」


「なんなんだ、それ。とにかく歩こうや。腕が千切れそうじゃけぇ、早う駅に着きたいんよ」


「ですねぇ。相当重そうだし…」


 俺は若本と、宮島口駅へ向かって歩き始めた。


「でも若本は、2日目の昼に俺を捕まえて、さっきの変な説明はなんだ?って聞いてきたじゃろ?やっぱり勘が冴えてるって思ったよ」


「だってアタシは初日の夜に、センパイが元気がない原因を聞いてるもん。なのに次の日になったらパンツを忘れたせいで上井部長落ち込む!ってなってて、なにそれ?って純粋に思ったから。大体、上井センパイが仮に、本当にパンツを忘れたり、着替えを忘れたりしたとしても、絶対他の人には言わないと思うし」


「いや、流石に去年の体育祭で宣戦布告されてからの間柄じゃね、俺のことをよく分かっとる!」


「そこまで遡ります?」


「遡るよ。俺、貴方のバリサクを奪います、って体育祭で宣戦布告されたんじゃけぇ」


「奪います?そこまでアタシ、初対面のセンパイに言うかな…。センパイ、話、盛ってません?」


「いや、俺の記憶が確かなら、若本はバリサクを奪うと言ったはずだ…」


「その刑事ドラマみたいな言い方…、なんですか!笑っちゃうよ〜」


 若本は本当に笑い始めた。

 前田先輩との緊張感あるやり取りの後だけに、若本に偶然でも会えて、良かった。


「そんなに笑わんでもええじゃん。現に今、バリサクを託したんじゃけぇ」


「ハハハッ、だってセンパイの言い方が面白いんだもん。センパイって本当にサービス精神旺盛だよね」


「偶然じゃけど、帰りに若本と2人で帰れるんじゃもん、楽しく帰りたいじゃん」


「楽しく…か。センパイは常に自分を犠牲にして、他人優先だよね…」


 若本が急に意味深なことを言い始めた。


「へ?そんなこともない…よ。今朝みたいに自分勝手に男子部屋に戻らずに、使ってない教室でダウンするような奴だよ」


「それは…。センパイが抱えてるモノが多すぎるから」


「…若本にまで心配されちゃうとはなぁ。ダメだね、俺もまだまだだ」


「ダメなんて言っちゃ、ダメだよ、センパイ」


「え?」


「アタシ、初めての合宿で、楽しかったーで終わった…まあ、今朝のセンパイが何処に行ったの?ってのもあったけど、とにかく充実した3泊4日だったよ。でもこの合宿のために、センパイは色々頭を悩ませて4日間のメニューを作って、各パートが使う部屋を借りる許可を取ったり、食事班も話しやすい部員で固めるようにしたり、レクリエーションも盛り上げたり、物凄い努力されてる。みんなの前で喋る時は、何か面白い一言を挟むようにしてる。センパイがそんなに一生懸命やってるの、知ってるもん。ダメなんて言っちゃ…ダメだよ…」


 若本は泣くのを堪えながら必死に思いの丈を話してくれた。


「ごめん、若本…。買い物帰りに泣かないで。ご家族に何があったのかって…特に若本先輩に気付かれたら大変なことになっちゃう」


「いえ、かえって…スイマセン。アタシなんかがエラそうに…」


「とんでもない。俺はさ、なんというか…本来はネガティブな人間なんよ」


「…え?」


「だから、常に頭の中には、どうせ俺なんか…って気持ちが渦巻いてるんだ。恋愛でもそう。同期男子の6人で、俺だけ一度も前向きな恋愛イベントに遭遇しとらんのよね。そんなのも、どうせ俺だからだよ、って思っちゃうし、ミーティングとかで笑わせようとしたりしてるのも、部員のみんなに嫌われたくなくて、必死になってるだけなんだ…」


「そんなの、初めて聞きましたよ、センパイ?」


「だって、若本とか後輩の前では、いつも明るく楽しい上井って男を作っとるから。春先に3年生に陰口叩かれた時なんか、心が折れかかってたから、福崎先生に退部届を出したんだよ。逃げ出したくて」


「…そんなこと、ありましたね、そう言えば」


「結果は先生のお力で、何とか乗り越えたけどね」


「でも、ポジティブを演じられるってのも、センパイの良いところ…だと思うな、アタシ」


「ん?どういうこと?」


「本当に、心の底までネガティブな人だったら、集団の前でダジャレや、オヤジギャグなんて言えないよ?ましてやレクリエーションで司会とか、アドリブで進行しなきゃいけないのに、そんなことは本当に本当にネガティブな人じゃ、無理だと思う…。だからセンパイは、ネガティブを隠してるって言うけど、隠してポジティブを演じる技量を持ってるんだよ、間違いなく」


「…若本って、達観してるよな」


「なんです、そのお前はオッサンか、みたいな言葉は」


「いやいや、若本が、俺より年下なのが不思議な気がするって言えば良いのかな。それとも、お兄様の影響もあるのかな、人間観察力が凄いな、と思ってさ」


「年下だもーん。昭和46年度生まれだもーん」


「あっ、年に『度』まで付けたなぁ?俺が昭和45年度生まれだからって…」


「フフッ、それでいいんです、センパイ。やっと元に戻った!」


「へ?」


「やっぱりセンパイとは、暗い話とか、したくないもん。元気なセンパイが、アタシは好きだから」


「えっ?今なんて言った?」


 俺は、『好き』という言葉に反応してしまった。


「えっ…。元気なセンパイが好き…。あーっ、あの、今の『好き』は、告白の『好き』とは、ちょ、ちょっと違うけど、そんな大違いじゃなくて、いや、似た者同士?当たらずとも遠からず…」


 若本は途端に真っ赤になった。

 恋愛の意味での『好き』ではないことぐらい、俺も分かってはいたが、敢えて反応してみせて、若本がどう応じてくるか観測球を上げたようなものだ。

 だが大慌てになった若本を見て、俺のことを、少しは恋愛面でも好きという気持ちがあるのかもしれない…と思えたのは、合宿最終盤での収穫かもしれない。


「最後に慌てさせて悪かったね。じゃ、そろそろ宮島口駅じゃけぇ、若本とは次の部活までしばらくバイバイかな」


「せっ、センパイ!」


「なに?」


「……いや、何でもないっかな、ハハッ。でっ、では、またお会いする日を楽しみにして!じゃ、失礼しまーす!」


 若本は意味ありげな言い回しをして、去っていった。


(なんだ?またお会いする日を楽しみにって…?)


 その意味が、俺には分からなかった。


<次回へ続く>

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